2013年12月31日火曜日

一年が終わる

大晦日。
長い一年が終わろうとしている。

今年は厄年の三年目、すなわち後厄だった。
モノの本に書かれているとおり、節分前に神社で厄払いをおこない、しばらくは身構えていたが、それもいつしか忘れ、今日に至っている。振り返ると、やはり世間で云われるとおり、公私共ツラくキビしい一年だった。それでも、俺は総じて健康だった。これが一番だ。ツラくキビしいことは、今後もしばらく継続する案件だ。むしろ、これくらいでおさまった、と思うようにする。そして来年は、より良い風が吹いてくれることを切に願う。もっとタフになろう。
 
それと
今年は、とにかく本が読めなかった。
ライブにも行けなかった。
数えているわけではないが、読書量は例年の半分以下じゃなかろうか。このままだと、勢いつけてバカになる。
 
そんなわけで、年末年始はドップリと読書する。

とにかく一年無事に暮らすことができた。
みなさん良い年をお迎えください。

一年のご愛読感謝します。

2013年12月16日月曜日

はろうけいほうって何よ?

北のマチは、もう、完全に冬だ。
ここ3日ほどの悪天候は、文字どおり風雲急を告げるものであって、こちらをいいように混乱させた。で、今日などは微妙に暖かい感覚だ。なんだか気色悪い。

土曜夜、テレビを見ていて気になる言い回しに出くわした。

はろうけいほう
 
である。

アクセントが変な人が読んでいたのか
ハロー刑法
と脳内変換された。
無論、意味はわからない。きっと刑法の入門書の一種だろう(そんなわけはない)。

波浪警報である。
改めて
波浪、というのも、字をみると意味がよくわからない。
長い人生、今までやり過ごしてきたが、いったい何の事象を指すのか?なみ、なみ、って。

不明を恥じ、そのスジの解説書を開いてみる。
それによると、波浪とは一般的に風の影響を受けて水面、海面がうねること、だそうだ。ナミタカシ、ってことか。

ま、ちょっとは利口になれた。

2013年12月15日日曜日

吹雪にやられる。そして徳永英明ライブ。

やられたのである。
いきなり真冬の洗礼。
猛吹雪である。

金曜夜にすすきので忘年会が予定されていたが、どうあがいても出先から戻ることができず、泣く泣くドタキャンした。泣く泣くどころか、車を運転していて、ホワイトアウトに出くわして、前が全く見えん。ホントに泣いた。涙が出た。

ワイパーもきかぬ視界不良なのに、
なぜか前方の信号の黄色が、ヤケに大きく見える。
そして、いつまでたっても赤にならない。
不思議だ、と思っていたら、それは信号機ではなくて、道路沿線にあるホクレンのガソリンスタンドの看板だった。どうやら既に真っ直ぐも走れていなくて、危うく突っ込むところだったらしい。スタンドに屋根があって、それでわずかに雪の遮断が緩んでいて、黄色の発色が見えていたのだ。

もうそんな季節なんだなあ、ヤバイなあ。
雪のない世界の人には、この感覚は伝わらないだろうし、想像もできないだろう。
こんな体験は、どんなに俺にとって嫌な奴であっても、いっぺんやってみたら?とはお勧めできない。そんなホトケゴコロすら出る恐怖体験なのだ。

忘年会ドタキャンは、実は俺だけではなく、遠方からの参加予定者全員だった。そりゃそうだ。あの暴風雪だもの。幹事が全キャンセルし、お店にカクカクシカジカ事情を話し、お代は不要にしてもらった。なんとも太っ腹な対応だ。お店様、この埋め合わせは必ずしますね。どうもありがとう。

それで、穏やかな昨夜(土)は、德永英明氏のライブを鑑賞。
俺は全くの初見。正直、あまり歌も承知していないニワカ。
そんな俺でも、これは知ってるぜ、と思っていた「輝きながら」は歌ってくれない始末だ。
連れも、俺を誘っといて、初見だという。なんだそりゃ。

合間のトークによると、
彼も昨日の悪天候の影響で、千歳上空で一時間以上旋回させられ、着陸後も札幌への移動に六時間も要したそうだ(ウトウトしていたから違うかもしれん。六時間はかかり過ぎだ)。会場内は、客の七割が中年女性というアウェー感満タンな環境。旧厚生年金会館のすごく右側の上のほうで二時間弱、知らない楽曲ばかりだが、十分楽しんだ。

それと、歌は知らずとも、大した歌唱力、というのは俺にもわかった。
もっとガラガラ声かと思っていたが、存外ソフトでいい声。ガヤめいた声援もサラリとかわす立ち振る舞い。そして声もさることながら、德永氏の手、指先の動き、ステップの踏み方(内股でリズムを取る)に彼特有の個性を強く感じた。

その後、手羽先で有名な居酒屋で食事。
いつもながらに、手羽先の到着が遅い。凍ったイカ刺しとビールの段階で昇天した。

2013年11月24日日曜日

たまに競馬の予想でも

今日はジャパンカップ。
昨年は東京競馬場で生観戦したが、今日は午後から仕事のため、録画して夜に見ることになりそうだ。

昨年の今頃は、私が指名した馬たちが次々と頑張ってくれて、臨時収入で束の間潤ったものだが、今は昔。無残にも見る影無し。

たまには、誰の得にもならないが、今回の予想でも上げてみようか。

強い馬が二頭いる。ジェンティルドンナとゴールドシップ。両者とも強いのは確かだが、一長一短ありで絶対視できない。

ここ数戦、ジェンティルには勝ち運がない。リズムが悪く勝ち切るイメージが浮かばない。昨年は、物議を醸した岩田騎手の騎乗でこのレースをモノにしたが、以降たたられたのか未勝利。今回、欧州の豪腕ムーア騎手に乗り替わろうと、二着はあっても勝つまでは厳しいと見る。またゴールドは、いまや希代のムラ馬。突き抜けての圧勝か全くの惨敗か。スタミナよりスピード勝負の今の東京なら、苦しいとみる。

私の狙いはジェンティルを降ろされた形となった岩田のヴィルシーナ。二頭に格では見劣るが、なにより岩田で最内枠というのが、一撃やらかしそうな気配。地方からの叩き上げ、本命馬を降ろされたこんな時こそ岩田の執念に賭けてみたい。同馬オーナーの大魔神佐々木氏の福耳っぷりも込みで、ここから狙う。

相手は、ここにきて騎乗リズムが戻ってきたミルコデムーロの三番人気エイシンフラッシュ。秋三戦目、高いレベルで安定している。ミルコに冴えが戻れば、アタマまである。

買い目は三連単1,4の二頭軸マルチで3,6,7,11へ薄めに、ワイドの1-4,1-7を厚めに構える。ゴールドシップは次走有馬記念が走り頃とみて、あえて外す。

さあ、仕事前に前売りで買っておきます。



2013年11月14日木曜日

手放した仕事

月、火曜と手厳しい研修が続き、
昨日今日は自席でビッシリ仕事をした。
予想外の大雪が降る中、都合四日間、細かい文字とずーっと格闘。
眼がショボショボ。霞んだり、離したり。そりゃ老眼も進むわ。

ここ五ヶ月ほど、
会社内の他のセクションと断続的に付かず離れず仕事をしてきたのだが、今日、衝撃の展開を迎えた。

あちらの主担当は、私と同期入社の男(15年以上まったく親交がない)。
こちらの主担当は私の部下。私は何だか知らんが、総括的な役まわりという図式。

これだと、私が偉そうに見えちゃうが、こちらが有している知恵をあちらが借りにやってきたので、そういうフレームになっただけである(決して私がエライ訳ではない)。大人の世界では、えてしてこんなことは起こるものだ。また、こういう内部連携がないと、外部にバカにされてしまうものだ。

課題提起を受けて、取り組んだ当初は、
こんなに時間がかかるとは思っていなかったし、成果品もスッキリ仕上がると予想していた。
しかし、予定された成果が全く上がらない。また、先方から必要な経過報告もなく、放置されている感がたっぷりである。こちらは、あちらの出方をイライラしつつ、待つ日が続いた。

で、本日、事態が急転した。
私と同期入社の男の同僚から、彼がギブアップして、仕事を投げ出して逃亡した、との連絡を受けた。

あのやろう・・・無責任すぎだ。
いつまでもニヤニヤヘラヘラしてんじゃねーぞ。
へナマずるいことこの上なし。貴様の周辺に、どれだけ迷惑がかかると思ってるんだ。

そもそも、
俺と彼は、
同期でありながら、
今も同じ社員でありながら、
15年以上も親交を絶っている。これは人間関係において普通に考えれば、異常な間柄である。私の交友関係では、こんなこと他にはない。俺と彼は、昔から全てが水と油であり、相容れるところがひとつもないようだ(いっさい会話がないので確かめようがないが、おそらくそうなんだろう)。個人的な好き嫌いでいえば、明らかに嫌いな奴である。おそらく彼も私を嫌っているだろう。無論それで結構だ。なので、当然親交がない。

しかし、個人的な関わりはないにせよ、
彼は彼なりに長くこの業界でメシを食ってきたのだから、私との距離感はどうあれ、仕事はこなすのだろう、と安易に思っていた。嫌な奴だが、なかなかやるじゃん、と思いたかった。けど、結局ちがった。結果は、逃亡である。貴様の放り出した仕事の陰で、何があったかなどと詮索する気は、さらさらない。

とにかく、不愉快だ。
俺は大人なんだから、しっかり生きようと思う。

2013年11月9日土曜日

ウォーキングしてみる

過日の二日酔いの反省を込めて、
加えて今月末には定期的なメディカルチェックを受けるのもあって、
今日ささやかながら意識して運動を試みた。

激烈に走ったり、猛然と重い何かを持ち上げたりすることは、逆に身体を痛めるだろうから、種目はウォーキングである。

まあ、言ってしまえば、いつもの散歩である。それのちょっと負荷の多いやつ。
スマホにアプリを仕込み、距離と時間を記録する。これだけでも、だいぶん気構えが変わるものなんだ。意外だった。

今日計測したところによれば、どうやら私の歩行速度は、1キロ10分前後らしい。90分かけて、9キロ弱を歩いた。汗をビッシリかいた。

家に戻りシャワーを浴び、
プシュっと缶ビールでも、と考えて、思いとどまる。
で、思いとどまり、水を飲んだ。水、美味いな。でも、ビールも美味いんだろうな。

珍しくこんなことするから、明日からは雪らしい。

2013年11月7日木曜日

二日酔いから人生を学ぶ

久しぶりにやっちまった。

昨夜は、同じ業界の人々が道内各所から集まっての情報交換会という名の飲み会。
なんだか遠方からやって来た方々の、すすきのナイツへの並々ならぬ決意に気後れしながらも、最終ラウンドまで同席した(はずだ)。

もともと酒は強くないのだが、
ビールに始まり芋焼酎ロックで〆る王道コースに突入し、アッサリ記憶を失った(ようだ)。
そして、いつからかは判別できぬが、気がつくと、キッチリ三十分間隔でトイレにむかい、ゲーゲーしていた。最近のJR北海道より正確なダイヤだ。もうカラカラで、苦い胃液しか出ない。

運が悪いことに、本日は朝六時から仕事場に移動し、作業があった。替えのきかない作業である。
眠ることもままならず、しかばねめいた全身をヨラヨラ動かし、高まる動悸と冷汗をダラダラ流し、ビッグウェーブがやって来ぬよう、騙し騙し、やり過ごした。そんな中、昼飯にカツ丼を食わされた。殺す気か!

復旧はつい先ほど。
おい、俺!
しばらく、禁酒を命ずる!

2013年11月4日月曜日

気取るな、俺!

プロ野球の話。

楽天が巨人を破り、創設九年目で初の日本一に輝いた。気迫のたぎる素晴らしい全七戦だった。選手やチームの好き嫌いはあるものの、全精力をかけて闘う姿には、尊さを感じる。田中マーくんをはじめ、最終戦に登板した三人の楽天の投手には、異様なメジカラを感じた。あんな形相、一生に何度もできるもんじゃない。今後、燃え尽きなければいいが、と余計な心配をしてしまう。

とにかくよく頑張った!
おめでとう東北の皆さん!

さて
せっかくの連休が勿体無く、あてもなく小樽に行ってきた。昼どきをまたいだので、某タイヤ屋さんの有名ガイドブックで紹介された蕎麦屋さんで食事をした。

門構えは一見客を困らせる高級感を漂わせていたが、存外に安価で、愛想よく、清潔で、心地よい店だった。

蕎麦を食いに小樽へ。
ちょっと気取って自分酔いしているように見える俺がイヤだな。

でも、
蕎麦、うまかったよ。


2013年11月3日日曜日

腹ごなしに

散歩をしている。
歩きながらの更新だ。

木々が色づき、秋もいつしか終わろうとしている。気付かなかったなぁ。

2013年10月30日水曜日

え?なにそれ?

今日、ちょっとした調べ物があり、マニアしか見ないような専門雑誌を繰っていたら、しばらく連絡をとっていなかった仕事上の知人Sさんが、ニッコリ笑って載っていた。

へー、元気そうじゃん、しばらく逢ってないなぁ、なんて読み進めていたのだが、書かれてある現在の職を見て激しく驚いた。

なんと彼は、私の知らないうちに、
或る自治体の首長になっていた。

彼に最後に逢ったのは、10年くらい前だったか。
私より一回り年長で、同業他社の平社員だった。誠実な人柄なのだが、お世辞にも話は上手ではなく、挨拶の場面では緊張して震えるような人だった。その彼が、今や政治家なのだ。何があったのかは全く知らないが、まさかそっち方面で活躍しているとは。

Sさんスゲーよ。
物理的にあなたの選挙には投票できないが、陰ながら応援していますよ。

驚いたので、更新。


2013年10月29日火曜日

やめる人とやめさせられる人

私がたまたま「タモリ論」なんて本を読みはじめたら、「笑っていいとも」が来年三月で終了することが明らかになった。番組内でタモリ氏自らがサラッと公表したらしい。私がタモリ論を読みはじめたらいいとも終了、なんたるシンクロだろう。←言うほど大したことではない。

いいともが始まった頃、私は小学校の低学年で、B&Bが司会だった「笑ってる場合ですよ」がバタバタと終了し、後番組でいいともがスタートしたことを覚えている。

そのとき少年(私のことです)は、頭がペッタリしたグラサンの怪しいオジサンが仕切る妙な番組に、激しく戸惑ったのも覚えている。子供にはキビシイ面妖だったのか?あれから32年、タモリ氏は飄々としたまま、変わらずにいる。そして去っていく。

かたや、
息子が法に触れる何事かをやらかして、みのもんた氏が報道番組のキャスターを降板する(朝ズバッ!って報道番組だったの?と感じてるのは、とりあえずおいとく)。凄まじいフラッシュが焚かれるなかで、みの氏は晒され放題の会見を行った。映像は正直である。息子が起こした一連の事件は自分にも責任がある、なので番組を降りる、という要旨の会見だったが、そうはいっても無理筋なロジックを世間の波におされて言わされている、納得はしていない、でも納得していると見せないとイカン、というみの氏の本音が垣間見えた(気がする)。

業界では、タモリ氏はイグアナ芸、みの氏は珍プレー好プレーのナレーターの単なる一発屋ではなく、年月を経て相当な大御所にキャリアアップした。

なのに同じ辞めるにしても、かたや辞める、かたや辞めさせられる、というように私には見えている。どっちがどう見えているかは、言うまでもないだろう。無論、タモリ氏にも、みの氏にも、逢ったことも話したこともない。きっと二人とも大層魅力的な人なのだろう。大衆は勝手なものだ。

なんであれ、いいともが終わる。
32年も続いてきた番組が終わる。

昨今言われはじめた「あまロス」なんて比ではない「タモロス」が起こるのか。
後の番組は大変だろうな。

2013年10月28日月曜日

ラーメン師弟関係

やはり、ラーメンが好きなのだ。

話は約一週間前にさかのぼる。仕事がらみの小さな旅で、オホーツク側の都市に出向いた際のことだ。

何度も書いたが、私がこの世で一番美味いと思っているラーメン屋さんは、札幌にある。ここで食べる味噌チャーシューとライス、激しいメタボメシだが、そんなことは一向にかまわない。これが私の至高の食事だ。

このラーメン屋さんで修行した方が、オホーツク地域の或る街で店をやっている。無論、寿司屋さんや天ぷら屋さんじゃない。ラーメン屋さんだ。当たり前か?

名店と謳われる札幌のその店の厨房で働いている人は何人も見てきたが、彼はその中でもテキパキとよく働き、秀でて熱心な若者だった。店主の右腕であり、店主不在のときにひとりで厨房を守っている姿に出くわしたこともあった。この店のファンは多いが、多分これは激レアな体験だろう。

彼は、何故か店主と顔つきが似ているところがあったので、私は心の中でジュニアさんと呼んでいた。札幌のその店には、あらかじめ◯◯日にオホーツク方面に行くので、お弟子さんの店に伺います、と伝えておいた。おかみさんも、忙しい中だったのに、じゃあ連絡しておきます、と朗らかに応じてくれた。どことなく嬉しそうだった。

で、当日。
ちょっとした山あいにある店に向かうと、ジュニアさんは私の顔を見るなり、お久しぶりでした、と明るく挨拶してくれた。私も、変わらずにお元気そうで何よりです、と返した。お決まりの味噌チャーシューとライスを注文した。

数分後、師匠とたがわぬラーメンが目の前に現れた。とても美味かった。師匠に仕込まれた味をベースに、メニューを広げているようでもあった。それと、よく繁盛していた。他人事ながら、とても安心したし、そして嬉しかった。明らかに地元に愛されている店だった。帰り際、店前で、いまやジュニアさんとは呼べない名店の店主と写真を撮った。

先日、札幌に戻り、報告がてらラーメン屋さんに行ってきた。おかみさんに報告し、写真を見せると、ことのほか喜んでくれた。忙しい店主にも後で見せたいからと、写真を引き取って厨房の冷蔵庫に貼った。

おかみさんの言動から、巣立っていった愛する子供を今も応援している親の気持ちが垣間見れた。

ちょっとしたメッセンジャー気分。
悪いもんじゃない。


2013年10月24日木曜日

見舞いのタイミング

敬愛する先輩が、倒れた。

聞こえてくる話では、どうやらアタマ系の急な疾患で、病院に搬送されたようだ。

状況が分からず、してはいけないと思いながら、本人にメールを送ってみた。
すると半日後、入院先から普段どおりの文面で返信があった。なんだかとても申し訳ない。
 
五年前、私が半年間の入院生活を送った際、
体調が悪いときの見舞いの応対、電話、メールの返信は、とにかく億劫だった。
周りが気にかけてくれるのは大変ありがたいのだが、内情はなかなかツラかった。
私の場合、サービス精神がアダとなり、というか、友人が来てくれたことにオダち過ぎて、応対後に体調に異変が起き、快復が遅れることがあった。

むろん病気の軽重にもよるが、
そもそも入院は、どこか悪いところがあるからするのであって、基本姿勢は、静養、である。
そういう想像のもと、こんな時期にメール返信を先輩から受けたことは、やはり申し訳ない。

目下の懸案は、見舞いの時期。
患者にとって負担のかからない時期、かといって逸した感がない時期、これをいつと捉えるのか。なかなか難しいサジ加減だ。

なんでも闇雲に早々に行く、というのは避けるべき、というのが今の私の考えなのだが、果たして・・・。

Aさん、快癒を祈っています。

2013年10月19日土曜日

まだまだ旅は続く

前にも書いたとおり、小さな旅が続いている。

三日前には、台風の影響を恐れながら、風雨ふきすさぶ太平洋の海岸沿いを舐めるように進み、新ひだか町に一泊した。なかなか厳しい旅だった。もう、暴風雨、荒れ放題だもの。仕事が絡まなければこんなとき旅などに出ないところだが、背に腹はかえられない。メシを食うためには仕方ない。

ちょっとズレる話だが、
台風がやってきたとき、人は当たり前のように外出を控えるのに、
同じような気象であろう冬の吹雪の場合には、道産子は結構奔放に外出しちゃう気がする。
厳冬期のほうが、断然危ないって。ジャッジが甘いのはなぜなんだろう?

で、話はもどる。
疲れて蓄積しているのか、体調がすぐれない。マスクも、うがいも、効き目がない。

今日は、オホーツク海をのぞむ町に滞在しているのだが、
仲間と二次会に向かうべき流れであるのに、ひとり早々に切り上げてホテルに戻った。
気に食わない奴が調子にのってヘラヘラしているのが嫌だったというのもあったが、それだけが理由でないのは、自分がよくわかっている。昨夜は、午前1時すぎまでススキノにいたし、今日も遠距離の移動を経て、この町に来た。本能的に早く横になりたかった。

そんなわけで、ユンケルの高いやつを飲んで寝ます。
これにて失礼。グッナイ。


2013年10月14日月曜日

キョンキョンと薬師丸

三連休の最後の日、
今年は今日が体育の日なんだそうだ。

同志なら言わずとわかるであろう。違和感ばかりの10月14日、体育の日。
なんだかなぁ。なじめないよなぁ。

ま、それはおいといて。

今日は特に予定がなかった。
家でダラダラとテレビを見ていたら、某国営放送で、朝ドラ「あまちゃん」のダイジェスト版というか総集編というか、そんな番組をやっていた。

あらすじはなんとなく知っていたが、世の中の盛り上がりとは裏腹に、真剣に見たことがなかったので、今更ながらではあるけれど、あまちゃん見ました。

なるほど。面白いです。
80年代を懐古する筋書き、ちょうど俺ら世代にアジャストするんだなあ(脚本のクドカン氏は俺の1コ上のはずだ)。

垢抜けない原石のままの主人公のアキちゃん(天然?)、いいねぇ。片桐はいり嬢(電車で遭遇したことがある)も荒川良々氏(素性は知らん)も美保純嬢(ピンクのカーテン)も杉本哲太氏(自転車泥棒)も、みんないい。キョンキョンが母親、なんて夢のようだよな。

ただ、私のように一気に見てしまうより、毎日細切れに見たほうが、断然いい。
もっと、ドキドキワクワクするはず。うまいとこで「つづく」ってなる感じ。
そうやって人気が高まったんだろうな。

ちなみに私、
高校三年の頃、厚生年金会館でアイドル時代のキョンキョンを見ました。アンコールで水着でステージに出てきたのには驚いたな。ホントかな?妄想少年の夢だったのかな?

それと薬師丸さん、若い頃よりイイ。
鼻をふくらませて歌っていた若い頃より、今のほうが断然いい。淑女って感じ。
それにしても、昔は何故あんなに鼻をふくらませて歌っていたんだろうね?俺は正直、嫌いだった。角川3人娘なら、断然原田知世派だった。ちなみに、たのきんトリオなら、僅差でマッチさん派だった。それと、マッチさん、って言い方は、ちょっと小馬鹿にしています。単にマッチ、といえば「マ」にアクセントだが、マッチさん、といえば「さ」にアクセントになるジャニーズっぽい言い方、俺は馬鹿にしてる。

なお、
キョンキョンの一番の名曲はスターダストメモリー、次点で快盗ルビー
薬師丸さんの一番の名曲は、あなたを・もっと・知りたくて、の一択だ。
このブログでは、異論は認めません。

それにしても
お二方とも、トシとっても
いい女だ。

2013年10月12日土曜日

限定ラーメンを食す

ラーメンが大好物である。

正確に数えてはいないが、週に二回は食べるとして、年100杯以上は食べているだろうか?
撮りためた画像もけっこうあるし、今度ラーメン特集でもやってみるか?

それより、年100杯?
俺ぁそんなにラーメン食べているのか?ズシンとくる恐ろしい数字だな。ドロドロだ。
まあいいか。いや、よくないか。

そんな私が、世の中で一番美味しいと感じているラーメン店がある。通い続けて十年以上。名前は伏せるがタウン誌でラーメン特集を組めば常に名前が上がる有名店であるし、ラーメン好きなら一度は足を運んでいるはずだ(何度も書いてきたので、わかっちゃう人は多いはずだ)。

私がそこで注文するのは、味噌チャーシューとライス。いつ食べてもスープまで飲み切るほど狂おしい存在だ。そのためなら、多少のメタボは厭わないし、暑さ寒さ風雪に耐え長時間並ぶのだって、かまわない。

そのお気に入りのラーメン店で、
期間限定で2種のメニューが楽しめるとの情報を聞きつけ、懲りずに2日連続で通ってきた。この限定メニューは、過去に一度やっていた(これも書いたことがあったはず。過去ブログ参照ください。)ことがあり、無論その際にも食べたのだが、今回はさらに改良が加えられているのだという。

さっそく、限定メニューを注文する(チャーシューは載せてます!)。

フーフー
ズルズルっ!
まず、ハズレがない。
奥が深い。
美味い!

店主は、奥まったところでひたすらラーメンを作り、配膳関係はおかみさんや店員さんが一切やるので、店主とは十年以上も直接話す機会がない。
仕事ぶりを見ればわかることだが、きっとシャイで真面目な人なんだと思う。最近では、(きっと)意に沿わない(はずの)メディアへの露出が目立ってきた。

また腹へってきた。
明日も行こうかしら。
ドロドロ。




2013年10月11日金曜日

旅が続くなぁ

小さな旅が続いている。

先週は苫小牧にいた。
昨日今日は、剣淵、和寒、当麻あたり。
来週には浦河、三石あたりから週末はグンと北見のほうへ。
ありがたくも、いずれの夜も宴席付きだ。
おまけに地元に戻れば、日々飲み会も入っている。
 
大病以来、身体は強くないので、たとえ小旅でも、うがい薬持参、ホテルではマスク着用で就寝するなど、極めて小さいことを怠らずにやっている。旅を楽しいものにするには、なにより体調。連続するジグザグ旅には有効である。

昨夜、宿泊先で明らかに酒乱なオヤジに場を乱され、大変困惑したのだが、今朝もスッキリ起床。

朝焼けが綺麗だった。





2013年10月7日月曜日

オルフェ完敗(2度目の凱旋門賞)

日本時間の6日深夜、フランスで競馬界最高峰のレース、凱旋門賞が行われた。

日本からは昨年の同レースで二着の国内現役最強馬オルフェーブルと今年の日本ダービー馬キズナの二頭が挑んだのだが、結果からいうと、それぞれ二着、四着に敗れた。1920年のレース創設以来、欧州馬以外が勝ったことがないこのレース、今度こそ日本馬の優勝が期待できるとして随分注目が集まっていたが、まあ、確かに良い成績ではあるが、見たところ優勝には程遠い完敗であった。

当たり前だが、
競馬は一頭で走るものではなく、複数頭出走する各馬の相対的な強さ弱さによって結果が決まるもので、仮にその馬が生涯最高のレースをしても、それ以上に強い馬がいれば負けてしまう、まあ馬運というか、巡り合わせがある。

今回勝った馬は、地元フランスの三歳牝馬トレヴ。まずもって強かった。他陣営から文句など出るはずもないほどの完勝だった。

勝負にタラレバは禁句だが、
昨年のレースに今の大人びたオルフェーブルが出ていたなら、たぶんおそらく・・・と思うと、しみじみ巡り合わせ、馬運を思わざるを得ない。

来年には、現役屈指のスタミナを誇るゴールドシップ陣営が参戦する意向を示した。
個人的には同馬の今年の挑戦が見たかったが、陣営が進むであろう来年の凱旋門賞、巡り合わせ、馬運の振り子はどちらに振れるのだろう。

それと、巷ではフジテレビの凱旋門賞中継に芸人が出過ぎとツイートした競馬記者の件で、なにやら物議を醸しているようだ。私も記者に同意見だな。

2013年10月6日日曜日

九州ラーメン

まだ、かの旅の話である。

福岡のホテルに泊まり、朝はやく散歩をしていたら、朝からというか、もしかしたら24時間営業かもしれないラーメン屋に出くわした。有名らしいラーメン屋の本店とのこと。

九州ラーメンには過去旅で、
たしかあれは鹿児島だったが、
歴史的惨敗を喫したことがあった。

リンクをうまく貼れないので、興味と時間のある方は本ブログを遡っていただきたい。
深夜に飛び込みで入った店で、箸が止まり、七割残したにもかかわらず仲間の一人が体調を激しく崩すほどの激烈な勝負だった。

この記憶を払拭するために、私はひとり、店に突入した。
九州ラーメン!勝負だ!

で、結論(私の嗜好なので、あらかじめあしからず)。
北海道のラーメンとは系統はまったく違うが、
ちゃんとした店の九州ラーメンは、美味しく食べられるます。

2013年10月2日水曜日

安芸の宮島

さて、広島旅の続きである。

かねてより
海中にそびえる朱色の鳥居を一度この目で見たいと思っていたのである。

安芸の宮島
厳島神社である。

なにゆえ、海の中にポツンと、あんなことになっているのか?
美しいとか荘厳とか、そういうことも確かに思うが、そもそもそういうのではなくて、ただただ不思議だったのである。

そして、神社に着いた時には、たまたま引き潮で、鳥居まで歩くことができ、じかに触れることができた。朱に塗られた、明らかな木でした。ペタペタ触っちゃいました。

引いたおみくじは末吉だったが、念願がかなったのだから、大吉です。





2013年10月1日火曜日

旅からかえってきた

気のおけない仲間達で広島から福岡へ、三泊四日のアテのない旅に出掛けてきた。

私にとって広島県はまったくの未開の地、初上陸だった。昼からダラダラ呑んで歩き回るスケジュールで、日常を忘れて楽しんだ。

初日、特に楽しみにしていたのは、広島風お好み焼き。
地元でも有名な店に駆け込み、目の前の鉄板でジュウジュウ焼けていくさまを飽きることなく見てきた。山盛りのキャベツとモヤシ、それに中華麺が加わり、約20分かけて一枚が出来上がる。

オタフクソースとマヨネーズを振りかけて、小さなコテを駆使し、アツアツをハフハフいって口に放り込む。

うまい!
あつい!

ビールをクイッとあおり、口中を冷やしつつ、しばしウットリする。あとはひたすら、これの繰り返し。

しかし後半、キャベツと麺のボリュームに押され気味になり、ヨロヨロしながら一枚完食。楽々食べ切れる、と安易に考えていたが、いきなりズシンと腹にたまる不思議な体験となった。

次回以降、こんな風に何回か旅の思い出を書きつけるかもしれません。

いや、書かないかな?


2013年9月27日金曜日

楽天優勝

東北に奇跡が起こった。
昨夜、楽天がパリーグの優勝を果たしたのだ。

近鉄球団が消滅した際、
ホリエモン騒動でガチャガチャに揺れながら、極端にいえば残滓として誕生したのが、いまの楽天である。もう10年くらい経つのか。イーグルスでいいじゃん、ゴールデンイーグルスは長いって、と感じたのを思い出す。

当時、本来は兄弟ながら、ドラえもんとドラミちゃんの関係の如く、
基本、良質なエキスで造られたドラミちゃんがオリックス、平凡なドラえもんはホリエモンではなくて楽天へ流れていった。選手のセレクトはそんな理不尽な振り分けだった覚えがある。

今年の勝因はいろいろあるのだろうが、
楽天自体の戦力の充実(マー君のミラクルぶりはどうだ!)はもちろん大前提にあるにせよ、
他球団から軽視された状況で今期をスタートできたのが大きかったのでは?と思っている。

スイスイと勢いをつけ始め、独走をはじめた時に、他球団がようやく事の重大さに気付いた、というカツラギエース(わかりにくいか?)のような逃走劇。昨年優勝の日本ハムが最下位である現実をみれば、プロの技量をもってすれば、ボタンの掛け違えひとつで結果はたやすく流転する。
 
おめでとう東北のみなさん!
どうぞ存分に、余韻に浸ってください。

2013年9月26日木曜日

おかげさまで100回目

このブログを開設して、今回で100回目の投稿となった。

読者の皆さま、ご愛顧ありがとうございます。

気の向くまま細々と書きつけてきたが、改めて三ケタにのぼる拙い文章を読み返すと、時々の勢いで書いているために、荒削りな、熟していない生煮え文があまりに多いことに恥じいるばかりである。

自分への約束事として、書きつける時間は一回につき集中して30分まで、と決めている。甘い人間なのでルール違反の回もあるが、基本的にはそうしている。

長文になるときもあるし、溜息のような短文のときもある。コンスタントに量産できれば新たな展開もあるのだろうが、日々の暮らしとのバランスを考えると、今のところは、これくらいが丁度よい。

もともとは、
自分が大病で死にかけたことをきっかけに始めたブログ。

これからも死なない程度にがんばります。
読者の皆さま、本当にありがとう。

2013年9月25日水曜日

ああ、JR北海道

すでに他界してしまったけど、私には国鉄マンの伯父がいた。
 
物心がついたときにはもう定年退職していたが、相次ぐJR北海道の事故やら不祥事やらの報道を見るにつけ、急に想い出した話がある。ン10年以上前の子供のころに聴いたおぼろげな話だから、仔細に誤りがあるかもしれないが、ちょっと書いてみる。

伯父は国鉄で車掌をしていた。
ある冬の深夜、運転手と貨物列車に乗車していた。
ところが夜勤の疲れでウツラウツラと居眠りをしてしまった。急に大きくガックンと列車が揺れ、目を覚ました。列車は某駅に到着していた。列車が揺れたのは間違いないが、むろん脱線したわけではない。しかし駅に到着する間際に感じる、減速のための揺れではなかった。じゃあ、あの揺れはいったい何だったのだ?と不思議に思っていたが、後任の車掌に荷物の引き継ぎを行う際に、青ざめた。貨物列車には郵便も乗せられており、たまたま30万円ほどの現金書留も運んでいた。それら一切が失せていたのだ(もちろん自分は盗っちゃいない)。そしてあの揺れ、あれは犯人が自分をまたぐか何かした際の揺れだったのだろう。警察の取り調べを受け、冷静に考えると重要参考人が自分であることに気づいた。何度も何度も警察に事情を聞かれた。それから数か月、家に帰ると向かいの電柱の陰に張り込みの刑事がいたり、近所の食堂に入ると店主から刑事が聞き込みに来たと教えられたりした。明らかに追っ手が迫ってきている。異様な包囲網に怯える日々が続いた。それから半年後、ようやく犯人がつかまった。犯人の正体は、停車した駅の副駅長だったという。しかし不思議と新聞沙汰にはならず、ウヤムヤのうちに決着がはかられた。どんなチカラが働いたのか------。

一般的な住民感情としてモノを考えると
企業への猛烈な怒りや失望は、
副駅長のような手癖の悪い個人が起こす不祥事と、
それを組織ぐるみで隠ぺいしようとする企業体質が連鎖することで、何倍にも増幅する。

また、企業自体がアホになったフリをして、善意の第3者、というスタンスを少しでもとろうものなら、ほころびが露わになったときに一気に信用を失う。しみじみ思うが、バレなきゃいいという隠ぺいありきの考え方は、バレたらホント危険だな。一気にパンドラの箱が開いてしまうんだもの。

いまJR北海道には、ビシビシと厳しい批判が出ているし、それは当然であろうとも思う。しかし、だからといって、JRに乗らない、って選択肢は、道民にはない。冬こそJRって自分らでも宣伝してるとおりである。異論はない。

とにかく、どんだけお偉いのかは知らないけど、
JR北海道さん、たのむから、しっかりやってください。

2013年9月23日月曜日

三連休

秋の二度目の三連休、夏バテでクタクタになった身体周辺のケアにつとめてきた。

まず、マクラ。
昨年秋、諭吉様が三人以上財布から飛び出していった特注品。最近、なんだか高さが合わなくて朝起きるとゴキゴキ首が痛かった。

クルマで三十分、マクラをかかえて店に出向き、事情を話す。内包されたスポンジ?みたいなやつを詰め替えたり足したり、バランスをとり、試しに寝転がる。二度三度繰り返し、ピタッと完了。

一年も経つと、アタマの重みでマクラ沈み込むらしい。考えてみれば当たり前だわな。

次に半年ぶりの酸素カプセルとマッサージ。カプセルに入り気圧を上げ、シューシュー酸素を浴びてると、代謝がいいのか悪いのか、密封されたカプセル内部がデブ曇りして、外が見えなくなった。暑い。

で、マッサージ。
首がモゲる、ってくらいゴリゴリとチカラ強く攻められる。痛いところにズブズブと指が食い込む。次に肩甲骨まわりから背骨に沿って腰、太腿、ふくらはぎ、足裏まで。イタキモチイイ小一時間。私はお客の中でも相当上位にランクされるコリコリなお客様だそうな。

やられまくりでボーッとしながら、二年連続のオータムフェストのスケジュール。

道産子でよかった!



2013年9月14日土曜日

一年ぶりの食事会

帰国した妹夫妻と、約一年ぶりに食事をしてきた。なかなか元気そうで、特に外国かぶれした様子もなく、謙虚な二人の佇まいは、以前と何も変わっていなかった。

去る三月のボストンでのテロ事件の巻き込まれ体験をじかに聞いたが、当日はテレビを見ていたわけではなかったので、何のことやらよくわからなかったという。それより事件発生後、犯人が民家の集落に逃げ込んでいる、との情報が駆け巡り、とても不気味だったそうだ。

それと、
良くも悪くもアベノミクス効果により、為替レートが急に円安にシフトし、海外での生活に直撃したらしい。

詳しくはわからんが、いままでボストンで1ドルのモノを90円で買っていたのに、アベノミクス効果で100円になった、ということが、万事繰り返しだったのだろう。そもそも政権交代自体が考えもしなかったことだろう。すっかり忘れていたが、世の中いろいろあった一年だったんだな。

とにかく無事に帰ってきた。
両親の安堵した顔にホッとした夜だった。

2013年9月13日金曜日

急にカツラを脱ぐな!(怒)

カツラを装着している知人が数名いる。
無論、とがめるようなことではない。
それによって潤っている企業もある。かぶりたい奴はかぶればいい。

しかし、そもそものハナシ。

ハゲで悪いのか!
俺のハゲでお前に何らかの不幸を与えたのか!
こっちはそれなりに幸せにやってるんだ!
俺は絶対にカブらんぞ!

・・・いかん、ちょっと取り乱しました。スマン。

カツラのハナシに戻る。
俺の近隣の装着者は、いずれも見た目バレバレのカツラーなのだが、
世の中にはタブーがあって、
どんなにバレズラーであっても、スルーするのがルールである。
それが大人のたしなみである。

いや、ちょっとまてよ。
もしかしたら巧妙精緻を極めた装飾で、世にバレてない奴もいるかも知れん。
俺の知らない身近なカツラーがいるのかもしれない。ターゲットをバレズラーに絞るのは危険なのか?そう考えると、軽いめまいとともに深淵に堕ちていくようだ。嗚呼、カツラーおそるべし。

ひと月ほど前、そんなカツラーの知人が入院した(バレズラー方面の人です)。
先日、快癒が近いということで見舞いに行ったのだが、とんでもない衝撃を受けて帰宅した。
 
すなわち、予告なしに丸々脱いでいたのである。
病院の決まりなのか、圧倒的にむき出しの姿なのである。
彼の患った病気の部位と頭部は無関係のはずなのに、だ。
先遣隊は、誰も教えてくれなかった。

ゆでたまご
花札20のボンズ
とにかく表現が難しい。
 
そもそも知人カツラーとはいえど、俺が懐中に飛び込むほどの間柄ではない。
まして俺より年長者、商売的にも俺への影響が大きい人だ。

この気まずさをどう表現したらいいのか。
ひたすら無言の俺。亜空間殺法を繰り出され、手足を封じられた状態。
ちょっとした善意の見舞いが招いた、ハイレートなピンチ。

そして、
いくら待っても、カツラー本人はそこに触れる様子はない。むしろ涼しい顔だ。
うむ、貴様・・・
こんな明らかな激変を
まさか、まさか、なかったことにしろとでもいうのか?

おそろしい攻撃だ。手も足も出んじゃないか。

ならばこちらも、その土俵で勝負するしかない。
そこには触れない会話をする。徹底的にする。
病気が治って何よりだ、と壊れた機械のように繰り返す。

勝負はついた。
俺の完敗だ。

疲労困憊の帰り際、
カツラーは小声で
「これから先は、これでいくから。似合うべ?」
と、のたまった。

おい!
まずもって、それを先に言えよ!
それが、人として生きる道だろ!

2013年9月12日木曜日

原田宗典逮捕に思う

作家の原田宗典氏が、覚せい剤と大麻の所持容疑で逮捕されていたことが、9日明らかになった。

私は作家を神格化するものではないし、一寸先は闇だと思っているので、原田氏に裏切られたとか、信じていたのに、なんていう甘い意識は全くないが、ショックではある。驚いてもいる。

世代によって受け止め方は違うだろうが、
私らの世代で本が好きな人は、原田氏の爆笑エッセイの衝撃をリアルタイムで体験している。小説ジャンルから原田氏を知った人は相当な本読みだろうし、その数は圧倒的に少ないだろうと思う。やはり、氏の一般的な入口はエッセイだろう。むろん私もそうであった。だからこそ、あんな面白エッセイを書く人が、こう堕ちていくのか、という落差には、驚きを禁じ得ない。

原田氏は、長い間躁うつ病を患っており、そのせいか近年では上梓される作品が激減していた。私生活においては良からぬ噂、というかいかにも作家らしい噂が流布されていたし、公式ホームページもいつしか無くなっていた。今では、妹のマハ氏の健筆が目立っている。兄貴のプライドを揺さぶられるようなこともあったのか?

勝手な印象だが、いっとき稀な才能が脚光を浴び、笑えるエッセイの大量生産を求められ、本意でないのに枯渇してもまだ求められ、袋小路で往生した、という風に見える。

いずれにせよ、作品に罪はない。
罪を犯したのは作家本人である。

原田氏は戻ってこれるのだろうか?

2013年9月11日水曜日

東北から帰りました

仕事で東北に行ってきた。主に仙台あたり。
仕事でありながら、ずいぶんと先方に歓待いただいて、濃密な三日間を過ごした。
間違いなく、社長の随行一派だったからだが、それにしても、大歓待だった。

個人的に震災後、初めての東北。
郊外に行けば、まだまだ震災の爪跡が見受けられたが、進捗の速度はどうあれ、復興は確実に進んでいるようにみえた。ただ、現状を知らないので、軽々に述べることは避けたい。

千歳・仙台間は定員50人ほどのコンパクトな飛行機(専門的なことはわからん)で、ことのほか座席が狭く、腰痛もちの私にはツライところがあった。いったところでどうにもならんけど、ツラかった。

毎夜サロンパス臭を漂わせてホテルに滞在したが、本格的なダメージは、体験上必ず後刻やってくる。先手を打って久々に酸素カプセルに入ってこようか。

それと、わかったこと。
仙台名物の牛タンは、うまい!

2013年9月3日火曜日

無事に帰国

幾分涼しくなり、秋の気配がみえてきた。
ラジオからは定番の竹内まりや「セプテンバー」が流れるのを聴いた。
そう、もう9月なのだ。

昨日、今年はじめての梨を食べた。
ジュワッと果汁があふれた。俺は梨が大好きだ。

妹夫妻が一年ぶりに帰国した。
旦那の仕事の関係でアメリカボストンを拠点として、ヨーロッパ数カ国を巡ってきたとのこと。とにかく無事でよかった。いずれゆっくり話す機会もあるだろう。

さて、今週末は仕事で東北地方に赴く。
なぜか俺にも白羽の矢が立ち、新社長に随行する数名のうちの一人となった。
近頃、内勤が多いので、このセレクトは意外であった。

ま、巡り合わせには抗いようがない。
こっそり美味いものでも食べてこようか。

2013年8月27日火曜日

最近のわからないことへの感想

世の中、わからないことが多い。
ちょっと書き留めておく。

なお、私の勝手で書いているので、カチンときた方は、こういう人もいるんだ、という程度でこらえてください。面倒な批判に応えることは一切いたしませんのであしからず。

~ほくでん大幅値上げへ
北海道電力が10月(※訂正→9月からでした)から電気料を値上げする方向で動いているという。その理由も報道されているが、要は原発が止まって以来、コストの高い化石燃料で電気を供給してきたが、そろそろ限界であるとのこと。俺は、資産家のボンボンがラーメン屋をはじめて、高級食材を使ってラーメンを作り、安価で提供してきたが、けっこう売れているんだけど利潤が生まれず資産も食い潰し、もう限界です値上げします、って言っているのだな、と置き換えて考えた。そう考えると、高級食材も食いたいし、値上げも嫌だ、というのは、そいつがいかに金持ちのボンボンであっても言えないな、と理解した(違うかもしれないけど)。実際には、電気がないと暮らしていけないんだから、現実の選択肢では、値上げされたラーメンは食わない、というチョイスはありえない。それより庶民感覚としては、資産家のボンボン自体が気に食わない、っていうのが語られることのない大きな部分であるんだろうと思う。ゲスな話、実際のほくでん社員は、エライ高給らしいし。せめて、高い電気料が社員の生活を過剰に潤している、って見えないようにしてほしいな。誰だって高い電気料なんて払いたくないよ。困ったことだね、まったく。
 
~右傾化を懸念する、との、かの国のわが国への批判報道
サザンの新曲風にいうと、おとなりの人が怒ってた、ということなのだが、桑田氏が曲に乗せてサラッと言えばスマートに聴こえるけどさ。しかし実際の報道を見聞きするたび、メンドクセーと率直に感じるよなあ。もっとするべきことあるだろうに。それと、彼の地で我が国をワーワー言ってる方々は、その国においては、ガッチガチの右なんだろ?君ら、他国の右傾化を懸念してる場合なのかね?おいら、あちらの奴らが土足でわが国に上がりこんでくる内政干渉には、反吐が出る思いだ。ホントイヤ。それと、テレ朝その他左翼的報道機関は、色がつきすぎてるんだから、報道じゃなくて、もう開き直って彼の国々の宣伝です、って言っちゃえばいいのに、とさえ思うわ。なくなれ、とまでは思わない(プロレス見れなくなるから)けど、我が国を貶める報道(のうち明らかに事実ではない報道)を我が国の報道機関が率先して行う、ってこと自体、なんなのよ?と思う。彼の国々じゃありえないでしょ。我が国はなんて懐の広いことなんだ、と半ばあきれるよ。それと、いつのまにか彼の国々は、第2次大戦の戦勝国ツラをしているが、厳密に言えば君らは戦勝国じゃないぞ。知らないわけじゃないだろう?突き詰めれば、いずれ君らのロジックは破綻するだろうけど、なにせ意固地で粘着質でキモチワルイので、相手にすること自体がメンドーだから、そこで論陣を張って戦うファイターはいないよな。そんなヒマじゃないし、ホントくだらないもの。みんな気づいているのかな?右VS右の本格派対決なんて野球だけでいいのにね。みんな仲良くしなさいって。

~あまちゃんブーム、半沢ブーム
NHKの朝ドラ「あまちゃん」が、ずーっと高視聴率をキープしていよいよ終盤を迎えるそうだ。放送開始前、脚本家のクドカン氏は「朝には向いてない」だのと、ちょっとしたキワモノ扱いであったのに、フタを開けてみればマンセー状態。やっぱり面白ければみんな見るんだよな。かたや、半沢直樹もそう。耐えて耐えての勧善懲悪、やっぱりこういうの好きなんだよな。基本は水戸黄門だよ。結局、テレビを見る人が減っている、ということを憂いているテレビ業界だけれど、そもそもテレビを見ないのは、面白いものが流れていないからじゃないのかね?

~ここ数日のスコールみたいな雨
もう北海道じゃないね。朝、窓を開けて出勤して、帰ってみると窓際が水びたしだもの。天気予報は晴れだったっつーの。都心部はヒョウが降ったもんね。豹じゃなくて雹。大気が不安定で、雷はゴロゴロなるわ、冠水地域があちこちにできるわ、もうワヤだな(方言)。

~イチロー4000本
日米あわせてイチロー氏が4000本安打を達成した、というハナシ。日米またいでるから、記録は公式ではない、なんていう大御所がいるらしい。認めろ、なんて誰も言ってないと思うのだが、それはそれとして、厳格なルール解釈でしかスポーツを語れないのは、さびしいことだな。イチロー氏が日米を股にかけて、4000本のヒットを打った、という事実だけでいいじゃない。イチロー氏の常にヒネたコメントぶりには辟易するが、そのストイックさはブラボーだ!それをチクチクと貶す張本氏との陰影は、もはや様式美の域だな。
 

2013年8月9日金曜日

お盆の時期

七月の仕事の後始末に、ようやくメドがついた。

気がつけば、世間はお盆休暇の時期に入っている。
私も今週土日合わせて四連休が取れる見込みだ。恒例の墓参りに出向き、本家筋に一泊する以外は、全く予定がない。横になり、たまっている本をダラダラ読みながら、ゆっくり休みたい。そういえば、昨年の今頃は温水器が壊れて大変だったな。

先週末、久しぶりにドライブ旅に出てきた。
積丹半島を巡り、ウニをはじめとした海産物をたらふく食べてきた。
新鮮で美味いことは確かにそうだが、ひたすら普通に値段が高いことに驚いた。ススキノあたりと値段が変わらないほどだ。

浜値はお得だ、なんてよく聞く話だが、個人的にはこの時期に限ればありゃウソだ、と思う。浜の母さんたちは、したたかだし、この季節が一番の勝負の時期なのだから、多少ふっかけていたとしても、まあ当たり前なのか。高いって。

昔からの言い伝えでは、十三日から地獄の釜が開き、十六日に閉まる、それがお盆だ、という話だっただろうか。

つとめておとなしくしていよう。

2013年8月6日火曜日

新聞をやめた理由(わけ)

新聞をやめて2ヶ月ほどが経った。

もっと不便なものかと思っていたが、全く苦痛がなく、健やかな日々を送っている。

メジャーな新聞でいうと、昔から
朝日は左、産経は右、毎日が左、読売は右寄りと区分され、北海道のローカル新聞である道新は左、とされている。

各紙を読んでいくと、実際そのような区分や色を感じるが、
私自身は各社の癖というか、社風、書きっぷりには全く興味がなく、右でも左でも一向に構わないし、右だったものが急に左になるとしてもそれは面白いことだと思っている。ただ、オール右、オール左、という寡占状態が形成されたら、ちょっと怖いなとは思う。そして、知らぬうちに、洗脳されるが如く、読んでいる新聞の色によって、自分で決めている風情で社会への認識を決めていくことも怖いと思う。

ツラツラと書いてきたが、
私が新聞をやめた理由は、そんな思想的なものではない。もっと原始的なもの、ズバリ喧嘩であった。6月、会社で行っている某事業の取材を受けたときの話だ。

会社の結論としては、すでにAと決定し、社会的にもそのようにPRしていたところ、新聞記者がやってきて「その結論はおかしい、Bとするべきでないのか」と何故か上から目線で迫ってきた。

いかにも俺が正義だ、とでもいわん態度の記者、挑発的な言動。
これが彼らの手法だとわかっていたが、私はあえてその挑発に乗り、ちょっとした論争になった。
全盛期の猪木氏なら、確実に手が出ていただろう。それくらいの喧嘩腰。

翌日の紙面には、案の定、事実関係を無視した記者の署名入りの妄想記事が掲載された。
結論ありきのハメコミのような内容に、私は苦笑するしかなかった。8181道新に「困ります」と電話してやろうかと思ったほどだ。とにかく、曲解報道すぎるのだ。

こいつら記者に何の権限があるのだ?
お前ら、万能の神なのか?
社会の正義は、常にこいつらが握っているのか?
貴様ら何様だ?
うわーキモチワリー。

即日、私は新聞をやめた。二度とこいつらの新聞は取らん。

僅かながら支障があるとすれば、お悔やみ欄とチラシが見られないこと。
それでも、なきゃないで、全然問題なし。

とにかく清々した。
記者と喧嘩したのも、結果オーライだった。

2013年8月2日金曜日

新しい時代

ようやく、タイトな一ヶ月の勤務が終わった。
またボチボチ更新していきます。

それにしても、当初から覚悟はしていたが、休暇が1日もないというのは、普段ぬるま湯に浸かっている私にしてみると、久々にシビレる体験だった。

それでも、たしかに難儀する仕事ではあったが、この年代になり、いくらか経験値が高まったことで、生活のすべてが仕事に搾取されるようなことはなかったし(10年以上前、同様の職務で私は仕事に気を取られ過ぎて、心身のバランスを崩し2ヶ月の療養生活を送ったことがある)、知らずに図太くなっていたのか、交渉先を力でねじ伏せるような荒業も多用した。悪い政治家みたいだな。

また、年齢に相応した職階となり、自分がボールを常に持って先頭を走るというよりは、1列ひいたところから、あがってくる成果を待つ、という役回りが大幅に増えた。

はからずも滝沢賢治(スクールウォーズ主人公。何代目かの食いしん坊ばんざいの人)の名言「信じ、待ち、許す」ことを随分と体感することになった。好きな言葉ではないが、私の部下は最前線で相当に苦労したと思う。よく乗り越えてくれた。ありがとう。

そんなこんなで、早朝からマイパソコンを久々に開き、この文章を打っている。

今回の仕事は、詳細は書ききれないが、
結果として、うちの会社のトップの交代を招くことになった。
誰かが粗相したわけではなく、トップとしての寿命が尽きて、新社長をお迎えすることになったのだ。10年以上、良くも悪くも我々社員を率いた社長は、晴れやかな表情でたくさんの花束を受け取り、退いていった。ホント良いことも悪いこともたくさんあった。好き嫌いに関わらず、その積み上げが、思い出ってもんなんだろう。

また、新しい時代がはじまる。
「社長は、神様のように公平でなければならない。」(源氏鶏太)

新社長、よろしく頼みますよ。

2013年7月15日月曜日

いや、すまんすまん

一ヶ月、更新があいた。その間にも閲覧カウンターは確実に上がっていて、しかもどうやら海外からのお客様が増えているようだ。お目にかかる機会はないだろうが、皆様ありがとうございます。気長にお付き合いのほど、よろしくお願いします。

書き留める時間がなかなか取れず、この一ヶ月、そしてこの先二週間は、休日がなく勤め先に半日以上軟禁状態で過ごす生活が続く。

自宅に帰ってもマイパソコンを開くのが億劫で、この文章も携帯からの更新だ。

ブツブツと文句をいったところで、世の中でメシを食べていくためには仕方ない。

働きます。すまんすまん。

2013年6月13日木曜日

あさ、はやい。

夏至が近づく頃は、夜明けが異様に早い。
午前4時台には、カーテン越しに明るさを感じる。ちょっと窓を開けてみる。空気が冷たい。

せわしい生活が続いているが、こうやって、あけない夜はない、という自然の摂理を目の当たりにしていると、ダラダラでもチョロチョロでも、今の生活をやっていくしかないと、ぼんやり考えている。

以前にも書いたことがあるが、大きな選挙があると、私が糊している業界は玉突き事故を受けた六台目の車両くらいの微妙な関わりで、商いが忙しくなる。

この七月には、参議院選挙が行われる。
昨年末の民主党が下野した衆議選以来の国政選挙だ。あれから、たかだか半年しか経っていないのに、政界の風景は一変したようだ。

そして、極めて私的なことでいうと、
この間で大きく変わったのは、ひともんちゃくあって、新聞をやめたこと。

不便を感じない、この感覚は新鮮だ。
コンビニでスポーツ新聞と牛乳を買ってこようか。

2013年6月6日木曜日

YOSAKOIソーランがはじまる

ボケーっと暮らしていると、
いつの間にか緑が鮮やかになり、
会社での装いが、クールビズ仕様になっていた。

そして、今年も
YOSAKOIソーランまつり、という極めて不思議なイベントの季節となった。

私などは、このイベントの存在をかねてより不思議に思っていて、
また、そういう思いの同志は、けっこう多いとニラんでいるのだが、
10年以上続いているイベントでありながら、結局のところ、何だろこれ?という単純な思いが拭えずにいる。ホント毎回思っている。これを自己分析すると、言い方が難しいが、結局は審査基準の曖昧さと、強引に取り繕った格式、に起因するようだ。伝わりにくくてスマン。書きようがない。

ただ、
ワイワイガヤガヤと盛り上がるのは大変好ましいと感じているし、演舞?演技?を観ればホーッと関心もする。
その上で、批判ではないが、
だから何なんだ?なのである。イキリ立ったダミ声の先に、一体何があるのだろう?

世の中に、男と女がいるように、
このイベントにも、参加している人と参加していない人がいて、私は参加していない人のほうに属している。これは間違いない。それでも、イベントに参加していないとはいいながら、規模が大きくなるにつれ、こちらの意思に関係なく、生活の中で明らかに巻き込まれている状況がある。これも間違いない。

この巻き込まれ度合いは、年々大きくなってきているようにみえて、実は運営が安定し、一定程度の規模になってからは、逓減しているようでもある。かといって、参加していない人にとって、ノーストレスであるわけでは決してない。

かれこれ10数年、何かとこのイベントに巻き込まれるたびに、初夏の風物詩、なんていう耳触りの良い言葉に置き換えて納得している自分がいる。その上で、イベントのお仕着せっぷりは、正直どうなのよ、と感じている自分もいたりする。結局、俺は何を言いたいんだろう?潜在的に我慢してるのか俺。結局、根っこではこのイベントを嫌っているのか俺。

ま、やる以上、トラブルのなきよう、楽しくやってください。
熱中症には注意してね。
 

2013年5月18日土曜日

よくやく桜が


散歩の途中、携帯で投稿。
はじめてのケースだ。

携帯からだと画像も簡単に貼れる。ただし、位置やサイズの調整は私には難しいらしい。前回のラーメン記事にも追加で画像を貼ってみた。なんかデカイ。

ま、桜が嬉しいので何枚か。

追記  夜桜も一枚追加しました。




2013年5月15日水曜日

41歳がラーメンを2杯食べると

41歳の私は、20代のころの私より、明らかに体力が衰えている。

それでも、長く生きていればいくらかは智慧もついているだろうから、
何をするにしても物事を達成するトータルの力では、そんなに変わらないと思っている。

本日「らの道」
http://ranomichihkd.blogspot.jp/
の達成者のみが限定で食することができるラーメンを食べてきた。

「自分の好きな食べ物は、ラーメンです!」
「じゃあ、どこのラーメンが好き?」
「自分的には●●●がオススメです!」
なんて、平凡な先輩後輩グルメトークが交わされたとして、

そして不本意ながら、
その会話に私が参入していたとしたら、私の場合「●●●」に入るのは、間違いなく今日食してきたラーメン店だ(ちょっと調べればわかっちゃうだろうけど、あえて店名は伏す)。

その店で3日間限定で食べることができるラーメン。
期待をしないわけにはいかない。

私はフードファイター(いつから単なる大食いをこういう風に呼ぶようになったのか?責任者は大いに恥じるべきだ)ではないので、体力勝負のみの局面に持ち込まれると、明らかに分が悪い。

しかしそれを承知で、本日は欲をかいて、2杯食べることを決心した。
なぜかは自分でもわからない。
しいていえば、ラーメン愛だ?
俺はラーメンが好きなのだ。

食したのは、くだんの限定ラーメンと、定番の味噌ラーメン。
長い行列ができる中、ズルせずきちんと2度並んで2杯食べた。うまかった。とてもうまかった。

ただ、41歳の胃腸には、甚大な被害をもたらしたようだ。
具体事例を挙げることはやぶさかではないが、やはりグロイので自主規制しとく。

ただ、晩メシは不要だということだけ申し上げておく。

2013年5月8日水曜日

ホントに地球って温暖化してるのか?

連休も終わり、日常が戻ってきた。

北のマチではGWに桜は咲かず、枝を見ると、カッッッターーーい蕾が、申し訳なさそうにこっちを見ている。うちの周りでいうと、2週間以上は遅れているか?ホントに咲くのか?

2年続けて尋常ならざる豪雪をくらい、道東では昨日もダメを押す雪が降ったという。私の車はいまだにスタッドレスタイヤを装着している。峠を越えるわけではないが、よしタイヤ変える!っていう踏ん切りが、なかなかつかない。なーにが地球温暖化なもんだか。

短いけど、今日はこんなところで。

2013年5月1日水曜日

旅の産物

ゴールデンウィークの前半が終わった。今日から5月がはじまる。

私はGW前半の休みを利用して、道北地方(主に稚内)にドライブ1泊旅に出かけてきた。片道5時間ちょっと。往復で10時間。春先をイメージして北上したのに、みぞれ雪が吹きすさぶあいにくの天候であった。しかし、それを帳消しにしてくれるほど、充実した2日間だった。

今回の旅で(ただの思い出トークになってしまうが)
思いもよらず本ブログで過去に書いた
↓↓↓
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html

中学時代の恩師とのニアミスがあった(実際には逢えていない)。

それでも、ひょんなことから26年振りに電話で恩師の声を聴くことになり、中学生の頃を思い出し背筋が伸びている実感があった。その現場にいた方々は、背筋を伸ばし、電話口にお辞儀を繰り返す私を見て、ああ典型的な日本人だなあ、と思ったそうだ。

私も人生の半分を過ぎた頃なのだろうが、緊張する目上の方々が、まだまだ現役で活躍している。生きていると満更でもない出来事に遭遇するもんだ。次回以降、もしかしたらこの経緯を書くかもしれないが、期待しないで待っててください。

こういう嬉しい偶然を、邂逅といいたい。
実際、逢えてないけどね。


2013年4月25日木曜日

エアグルーヴがいた日

1995年7月8日
札幌競馬場にいた。

当時、私は社会に出て間もない若造で、
呆けた学生時代の名残りから、札幌競馬の開催日には桑園(競馬場)へ出張る生活を続けていた。赤木駿介氏と山口瞳氏の共著「日本競馬論序説」をバイブルに、来る日も来る日も飽きずにパドックで馬を見ていた。いま思い返すと、金はなかったけど(今もないけど)楽しい時代だった。

エアグルーヴ。
この日が彼女のデビュー戦だった。
もう18年も前になるが、パドックで彼女を見て、ため息が出たことを覚えている。

なぜ、ため息?

違ったのだ。
全部が。

全部が、ほかの馬と明らかに違ったのだ。

とにかく
私のつたない語彙では伝えようもないが、ぜーんぶが違った。この時点で彼女が日本競馬史に彩りをそえる逸材であることは、ゴンタクレの若造にも一目でわかるほど、別次元の馬だった(そう思って当時見ていたのだから、この若造も相当その気だったのだろう。恥ずかしい限りだね、まったく)。

しかし、レースというものは、
様々な要素が絡んで結果がもたらされるものであり、別次元であるはずの彼女は、デビュー戦を2着に取りこぼした。鞍上は武豊。いま調べると勝ち馬の鞍上は安田富男。「泥棒ジョッキー」の富男氏だ。馬券は当たった(今のように馬単が発売されていたら外れていただろう)が、グルーヴよ、君はこんなもんか?と首をひねった。そして3週後、2戦目で彼女はきっちりと勝ち上がる(そのときの2着馬はダイワテキサス(2000年有馬記念3着馬)だったらしい。見ていたが、こちらは記憶にない)。

そして、彼女は若造の目利きに応え?競馬史上に残る名牝として君臨することになる。

彼女が天皇賞秋を勝ったとき(このレースが彼女のベストレースだろう)、私は財布を丸投げするほど単勝を打って、束の間潤い、ピルサドスキーの2着に敗れたジャパンカップでは東京競馬場まで出向いてスッカラカンになり、ぺリエに乗り変わった有馬記念でも更に追徴没収の憂き目を味わった。それでも悔いなどなかった。彼女は特別だった。

全成績19戦9勝、2着5回、3着2回
(うち私が生で見たレース5戦3勝2着2回)
こんな好成績の馬を相手に馬券はおそらくマイナス。私は馬券が下手だなあ、としみじみ思う。

個人的な経験として、新馬戦のパドックを生で見て、その後GⅠを勝つ活躍をした馬は、彼女が最初であった。その後もタニノギムレット、ジャングルポケット、メジロブライトなどを見ているはずだが、正直、ジャンポケ以外は記憶にない。こんな名馬たちを向こうに回しても、彼女は今もって、ず抜けている。

彼女は、4月23日、天寿を全うした。
出産後、急に体調を崩したらしい。
しかし彼女が遺した11頭の子どもたちには、日本競馬最良の血が流れている。
悲しいけど、もっと、前を向こうじゃないの。

エアグルーヴさようなら。

君の残した血脈は、
このさき最高の花を咲かせるはずだよ。

2013年4月22日月曜日

41歳の春だから

やれやれ、である。

アメリカ・ボストンのテロ関係は、ようやく解決した。
報道によれば、大きな組織の犯行ではなく、兄弟2人による凶行であったらしい。
アホな兄弟だ。くれぐれも厳罰に処されたし。

昨日、フェイスタイム(テレビ電話みたいなものですな)でボストンの妹夫婦と連絡が取れ、何一つ変わらない姿を確認できた。2日間、犯人がどこに潜んでいるかわからないということで、近隣の商店はすべて閉じられ、公共交通機関は全面運休したとのこと。アホ兄弟のおかげで住民は相当な緊張を強いられたようだ。妹たちは家の中で絶え間なく流れるCNNのライブ中継を見て、解決を知ったという。

とにかく悪い奴らは、確実に召し捕られた。
何かをしたわけでもないが、こちらもホッとした。

これにてこの話は終了。
日常のハナシに戻る。

昨日までとはうってかわり、
今日は北のマチもようやく春らしい陽気になった。

そして私はこの春で41歳。
ついに敬愛するバカボンのパパとタメになった。

41歳の春だから
元祖天才バカボンの パァパ~だから~
冷たい目で 見なあぁぁいぃでぇ~

わからない人には全く伝わらないだろうが、
アニメ「元祖天才バカボン」のエンディング曲は、あまりに秀逸だ。
幼いころ、ギャグ満載のバカボンなのに、なにゆえこんな哀愁メロディで終わるのか?とさびしげなリコーダー音を聴きながら、私は毎回真剣に悩んだ。

7つ上のいとこは、デカいカセットテープレコーダーをテレビの前に置き、家族に静粛を命じ、息を止め幾度も録音を試みた。これは当時、好きなアイドルか、あるいは余程の名曲にしか遇されない行動で、少年にとって一種の神聖な儀式であった。いとこは、若いミソラでマイナーな曲調のシブイ楽曲が好きだった。

万が一、この春、
誰かにカラオケに誘われたら、迷わずこの曲をチョイスし、その頃の思い出をまといながら、しっとりと歌いたい。40歳でも42歳でもダメ。39歳なんて問題外。41歳の俺、まさに一生に一度の好機なのだ。

たった1曲だけでいい。
春のうちに、歌わせてくれ!

2013年4月19日金曜日

案ずる母親

世情に疎い私だが、流れに翻弄され,
北朝鮮、ボストンと
本ブログにて世界の出来事を2回連続で斬ってみた。
(そんな大袈裟なもんではない。何となくちょっと大きく出てみたかっただけですスマン)

ニュースを見る限り、今朝の状況では犯人らしき2人の画像が公開され、全貌の輪郭は見えてきたようだが、いずれにせよどちらの案件も解決までには至っていない。
世界に冠たるアメリカの諜報機関や捜査機関がゴリゴリ動いても、所詮こんなもんなのか?
治安なんて意外と心もとないものなのだと感じる。

ボストンに暮らす妹夫妻は、
街のセキュリティは厳しくなったものの、どうやら通常と変わりなく暮らしているようだ。

しかし、昨日来、
妹らを案じたためか、母親が珍しく体調を崩し、熱を出して寝込んでしまった。

当人たちは大丈夫であっても、周辺の近しい人がこんな変調をきたす。
日本の片隅に住んでいる一市民の、こんな小さな単位の歯車ですら、歪みを見せている。

おい!テロ犯の野郎!
貴様らに母親のクスリ代、請求してやろうか!
ちっちぇえハナシだな。

書きたかった別の話題は、次回以降にまわします。


2013年4月18日木曜日

ああ、ボストン

今朝、なぜか5時ごろ目が覚めてしまい、
というか私は不眠気質なので、常にウツラウツラしているのだが、
起きて何気にニュースをチェックしていて、ハッ!とした。

詳細は不明だが、
米国ボストンで爆発事件があった、というのだ。
それも、二万人以上がエントリーしている伝統のボストンマラソン当日のゴール付近での爆発だ。
時間が経ち、徐々に詳細が明らかになってきているが、結論からいえば、どうやらテロなのか?

本ブログをご愛読いただいている方ならば承知されているだろうが、
現在、私の妹夫婦は、まさにそのボストンで暮らしている。

しかも、ひと月ほど前に
ボストンマラソンに義弟がエントリーしたことを聞いていた。
(「ボストンに暮らした記念だから・・」と5キロコースにエントリーしたらしい)

まさか・・・

早朝にもかかわらず、跳ね起きて、情報を集めた。
だんだんと状況がわかってくるが、全貌が判然としない。
お前ら、心配させやがって。悪い冗談はよせよ。

30分ほど経ち、
本人たちとは連絡は取れないが、
どうやら義弟が走った5キロマラソンは、フルマラソンの(言葉が変だな?)前日に行われていたらしく、爆発が起きたとき妹夫婦は他所に居たことがわかった。

とりあえず、難は逃れていた。

どんな奴らが
どんな背景をもって
どんな主張をしようが勝手だが、

それは言論をもってのみ許されるものだ。
これをはきちがえて、暴力的なテロを起こす奴らは、
徹底して糾弾されなければならない。

この大馬鹿野郎どもが!

2013年4月15日月曜日

北朝鮮よ、撃つのか?

常日頃より
国際的な事情はまったく承知していないし、身内が関係する外国以外には基本興味はないが、北朝鮮がミサイルを撃つとか撃たないとかで世界が揺れている件に関しては、こんな私でもとても気になっている。
 
その源流は、
私が小心者なので日本が直接的に何かされるのか?日本が撃たれちゃうのか?という云わば自衛一点の気持ちであって、「ミサイル発射」以外のカノ国の瑣末には以前同様に関心はゼロだ(他国の些細な動静に感情を乱されることが大変不愉快なので、一定以上の情報は遮断している)。

そんな中で感じているのは、
テレビ、新聞等で専門家として登場するそっち方面の識者、評論家たちの「撃つ」「撃たない」の予想(っていっていいのか?)の頼りなさ加減である。「あーでもないこーでもない」とあいまいな解説で、結局どの論調でも「わからないことがわかった」という結論である。「お前らホントに専門家なの?」と言いたいほどの腰の引けようだ。

(私が見ている限りでしかないが)「○○日に▲▲方向に撃つ!」あるいは「撃つわけないだろ!」と断じてくれる識者は、ひとりもいない。メディアに姿を晒して見解を述べるというのは、私設ブログの素人とはわけが違うのだから、慎重にならざるを得ない事情は当然よく解る。しかし、こういった論調を見聞きするにつけ、激しく頼りなさを感じている。

比べる次元が違いすぎるが、
競馬の世界では、清水成駿氏、松本ヒロシ氏、小田万哲氏、水戸万助氏など数多の競馬評論家たちが毎週競馬ファンからの毀誉褒貶を浴びつつ予想を開陳している。いくら次元が違っても○○評論家といった看板を掲げる以上、この姿勢を貫くことは尊いし、潔いと思う。ハナシが逸れるけど、競馬予想家、あんたら頼むよ。当ててくれよ。

いや、次元がちがうっていうのは、わかっているんですがね・・・
撃っても撃たなくても、昨年亡くなった談志家元が生きていたなら、どう斬ってくれたのだろう?こんなご時世でも「北朝鮮マンセー!」ってやってくれたのかな?

2013年4月9日火曜日

誰?微妙な知名度の人々よ

街を歩いていると、
会いたい、会いたくない、の感情は別として、偶然知り合いに出くわすことがある。
こういった場合には、当たり障りのない挨拶や近況報告をして、サラッと別れるのが大人の所作なんだろうが、この引き際ってやつ、私には結構むずかしい(必ず間延びする)。

また、
お互い名前を十分認識していることを「知り合い」だとするならば、よりグレーな人「あれ誰だっけ?」のレートの人に会った場合、どんな対応をしたらいいものか。

2週前の土日(どっちだったか定かではない)。
場所は、ウインズ札幌A館の500円馬券売り場。馬券を買いに行っても普段の私ならばめったに足を踏み入れないエリアでのハナシだ(いうまでもなく私の主戦場は100円券売り場だ)。
時間はまだ午前中の早い時間で、人ごみが大きくなる前だった。

そこに
赤系統の派手な外套を羽織った「あれ誰だっけ?」が目の前に現れた。

誰だっけ?
同業他社の人か?
よく行く飲食店の常連か?
同じマンションの人か?
違うにしても近所の人か?

向こうも私をチラチラ見ている(ような気がする)。
誰だよお前?

困り果てた私は
とりあえず、相手に気づかれるかどうか微妙な会釈をしてみた。

そうしたら
相手も目礼を返す。

しかし、ここで気づいた!
この人は、厳密には私の知り合いじゃない。
私が一方的に知っている人だ。

結論を言えば、
その方は、道内民放のアナウンサーだった。
明るくて押し出しの強いキャラだった気がする。
しばらく画面で見ることはないが、すでに放送局を退職されているのだろう(後刻調査したところ、フリーアナウンサーという肩書きになっていた)。

勢いをつけて話しかける前に気づいて本当によかった。
あのまま話しかけていたとして、途中で気づき、代表的な出演番組を挙げて、ファンでしたなんていっても、嘘っぽいことこの上ない(しかし、彼の名前を思い出したとたん、昔の代表的出演番組も思い出した)。とにかく馬券を買いに来ただけなのに、微妙な私の会釈により彼にも微妙な有名税を払わせてしまった。

しかしこういった方々は、私のとった微妙な会釈などに慣れているのだろうか?
目礼がサマになっていたな。

申し訳ない気持ちが半分。
世間は忘れていないよ、という激励の気持ちが半分だ。

2013年4月8日月曜日

愛想か味か?判断の基準について

たとえば、休日に
「ボーっと過ごすのもなんだから、数か月ぶりに、あんかけ焼きそばでも食いに行ってみっか」
なんてことになったとする(食い物は、別にあんかけでもギョウザでも何でも構わない)。

そこで2択。
コストも行く手間も同等だとして、

料理は美味いが、接客に難がある店、
料理はイマイチだが、すこぶる接客がよい店、
どちらに足が向くか?

実は先週、札幌手稲方面に出向いた際に、このセレクトに迫られた。

結果として私は、
どうせたまにしか行かないので、という理由で、美味い、とされる店のほうをチョイスしたのだが、果たしてこれでよかったのか?と今もって考えている。接客に難があると、美味いとされる料理も、ボケるものだ。気持ちがササクレル。それでも美味いと言い切るには、料理人の相当なクオリティか、当方のねじまがった根性とバカな味覚が必要だ。

ことさらあげつらう気はないが、
その日私は、美味くても接客に難があることを承知して店に行き、きっちり「難がある」対応を受けた。もう、キッチリと、である。その際、自らのセレクトの基準が、どうもおかしくないか?と考えちゃった(きっとヒマなんだな)。

だって、あのババアの接客、不快なんだもの。もう、いっつも不快。

そして昨日来、胃腸の調子がおかしい。
こんな仕打ちをされても、たまに食べに行く、このマインド、どういうものか?

これは、惰性だろうな。決別のときだ。
二度と行かんぞ。

2013年4月3日水曜日

四月だ。ミスターが国民栄誉賞だ。

4月になった。
更新が滞り、ずいぶんとご無沙汰してしまった。

以前に記した
先輩職員定年退職に伴う送別会の私の役割(しおり作成)は、おかげさまで無事に全うすることができた。全8ページカラー版の手作り。興に乗ってやり始めたが、こんなものを作ることはしばらくないだろう。出来の良しあしは不明だが、まあ、本人が喜んでくれたので、それで良しとしたい。

しかし、
衝撃だったのは、送り出したはずの先輩が、4月からも嘱託のかたちで会社に残るということがわかったときだ。へ?やめないのかよ!という衝撃は、こちらの送別感に水を差し、無力にさせるもんだ。

その先輩は、現役時から5メートル移動した場所に新たなデスクを設けて、昨日から何食わぬ顔で仕事をしている。

サヨナラだけが人生だ、のはずが、カタチを変えての残留。きっと、これも人生なんだろうな。

私のほうは、新年度といっても変わり映えない暮らしぶりだ。
新たな環境でドキドキするのがいいのか、こんな風にステイするのがいいのかよくわからないが、とにかく世間から落伍しないよう生きていくためには、どんな環境であっても仕事を続けるしかない。

関連で急に思ったが(全くどうでもいいが)「置かれた場所で咲きなさい」なんていう本が流行っているが、こういう系の本、恥ずかしくて私には買えない。立ち読みもできない。私の書棚に並んでいることを想像しただけで困惑する。決して悪意はないけど、私向きではない。ホントどうでもいい話だな。

さて
昨日の報道では、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏が国民栄誉賞を受けることになったそうだ。
両氏の存在の大きさは私などが語るのものではないが、いまより約35年前、同賞の第1号が王貞治氏であったことを思うと、いままで長嶋氏がこの賞に浴していなかったのは、片手落ちだった感はある。Aが受賞したのに、Bが受賞していないのはなぜだ、均衡を欠く、なんていうこの類の話は、限りなく賞そのものへのイチャモンになってしまうが、こと長嶋氏と王氏に関しては、圧倒的なポピュラリティがあることに鑑み、下品にならずに論じられる稀有な例だろう。

このブログに限り、異論は認めない。
ミスターは、太陽だ。

2013年3月20日水曜日

泣くな内川

世間では、WBC日本敗戦を受け、山本監督の謎の重盗サインに関するちょっとしたバッシングがあって、春分の日を迎えた。

どの組織でも言えることなんだろうが、得体の知れない未知の相手と闘うとき、
監督(ボス)は、器の大きな者に託すことが肝要だ。また、逆もまた真なりで、相手が混乱するほど訳のわからん奴をボスにするという手もあるだろう。

今回の侍ジャパンは、それなりの知名度と実績を持つミスター赤ヘルが指揮をとった。しかし微妙なことを書くが、山本監督(選手時代はともかく、監督として)の、器の大小は不明だった。前述の訳のわからん奴でも当然ない。それでも会見などの言動を見るにつけ、おや?と思うような場面が何度かあった。偶然に身を委ねすぎているように思えた。

かといって、今になって作戦の稚拙さを問う声があるが、そんなものは勝負の振り子が悪いように振れてしまっただけのハナシであろう。あとのまつりだ。もし、チャランケをつけるなら、もっと前の段階、この組織編成を行った時点での選考の方法じゃなかろうか。

とにかく、できることを精一杯やったのだ。特に内川選手は、責任を感じて泣くことなんてない。「じゃあ、お前らやってみろ!」くらい言ってもいいほどだ。ネット社会が発達し、個人の感想がササッと書き込めるようになってしまって、(私も含めて)あまりに簡単に総評論家しているが、これらの意見など一切気にすることはない。胸を張ってレギュラーシーズンに臨んでほしい。

ちなみに私はパ・リーグなら日ハム、セ・リーグならヤクルトが贔屓チームである。

どんな立場であれ、私は懸命にプレイするアスリートを尊敬している。

2013年3月12日火曜日

きいたことのある歌 ネバーエンディングストーリー

去年購入したディーガ君が勤勉に仕事をしてくれるため、録りためた番組を片っ端から視聴するという、自分自身との意味不明かつ不毛な闘いが続いている。特に週末には予約番組が多く、翌日からそれを消化(って言葉でいいのか?)しなければ、容量に支障をきたすような展開になってきた。

あれだけテレビなしの生活をしてきたのに(この辺の事情は、過去ブログを参照頂きたい)、いまではこんなハメに陥っている。困ったもんだ。

先週は某音楽番組を録っていたのだが、それをさきほど観た。
E-girlsというEXILEの妹分のグループが出演していた。それにしても、いっぱいいる。オジサンには、彼女らの個体の識別が金髪のネーちゃんくらいしかできん。ファンの方々ごめんなさい。番組は、トークの合間に歌をちょいちょい挟む展開だったが、彼女らが 「THE NEVER ENDING STORY ~君に秘密を教えよう~」なる楽曲を歌った。

アラフォーオジサン世代にはズシンとくる、明らかに聞いたことがあるメロディである。

遠まわしな表現になるが、
アニメ「日本昔ばなし」のオープニングで、
龍に乗ったでんでん太鼓を持った子供の映像を覚えているだろうか?
全面黒を背景に龍と子供が不思議にたゆたう映像だ。

この曲は、
あの子供と龍が、間違って外国で実写版になってしまったような映画(俺のたとえはあってるか?)の主題歌だったはず。しかも、日本語版を羽賀研二がカバーしてた曲だな?

羽賀版→ https://www.youtube.com/watch?v=ehZxBZ4z8y8

今のことはあまり頭に入らないが、こんなどうでもいいことは、どこからか再生される。そして、こういうの、好きだ。それがちょっと嬉しくて、更新する予定じゃなかったが、書いてみた。
ただ、それだけのハナシ。

2013年3月11日月曜日

あの日。

あの日の午後2時46分、
私は出先から戻る車の助手席にいた。

車窓に不思議な光景が広がっていた。
道路脇にのびている電線が、生き物のように波打っているのが見えたのだ。
それが今も残る東日本大震災への私の第一印象だ。

タテツケの悪い車に乗っていたので、直接の揺れは感じなかったが、あれほど電線が波打つとは、震源地とは遠く離れた北のマチでも相当な揺れだったのだろう。あとで聞いたところでは、私の職場では、あまりの揺れに驚いた女性職員数名が屋外に飛び出したそうだ。

しかし波打った電線を見ても、この時の私には、
こののち未曾有の大災害の報に接するなんて、知る由もない。

ほどなくしてカーラジオは、通常放送とはかけ離れ、レギュラーパーソナリティでは対応が難しかったのか、正しくニュースを読むアナウンサーが登板し、緊急速報のようなものに切り替わっていった。とても大きな地震が東北地方で起きた、関東も大きく揺れたと概要がわかりはじめ、その後も徐々に詳しい情報が入ってくる。

津波が来るから厳重に警戒せよ、と伝えられてからしばらく経ったのち、私は会社に到着し、社内でテレビを見ることになる。

驚いた。

目を疑う映像だった。
私がはじめに見たのは、
大量の水が海のほうからやってきて、沿岸の大きな施設、工場、港そのものを呑み込もうとする姿だった。
避難するようアナウンサーが必死に呼びかける。
全てが信じがたい。これは日本の出来事なのか?

まったくどうでもいいことだが、
その日の夜、当時私が最も敬愛する上司の送別会が予定されていた。
相当前から入念に準備された大きな仕掛けのある会であったが、この大災害を目の当たりにし、急遽本人から辞退の申し出があり、結局、開始2時間前に会は中止(延期ではない)された。自粛することは逆に予約していた店に迷惑がかかるし、中止とはやりすぎじゃないか、という声も一部からは出たが、何が正解かよくわからないが、この対応でよかったのだ、と私は思う。

送別会をキャンセルしたところで、事態が何も変わらないことは参加予定者全員が当然理解していた。しかし、あのとき、私たちなりにそうすることでしか、エゴかもしれないが心の救いはなかった。被災された人々に申し訳ないという思い。

また、
もし送別会を決行していたら、送られる当該人には、一生消えることのない、そこはかとないやましさが残るかもしれない。決断に時間はかからなかった。これでよかったのだ。そう思いたいのもエゴなんだろう。甘さは自覚している。

今日現在、東日本大震災による死者・行方不明者は18,549名にものぼるという。
いかに膨大な数であるか。自治体名を出すことに全く他意はないが、道内でいうと芽室町(18,897人)、白老町(19,383人)、当別町(18,769人)、八雲町(18,899人)の人口と匹敵する。自治体一つが丸々なくなる衝撃は、筆舌に尽くしがたい。

改めて、犠牲になられた方々に哀悼の意を捧げます。
そして、日本は、こんなもんじゃ負けない。

2013年3月6日水曜日

裏の仕事

お隣のセクションに勤務する大先輩が、今月をもって定年退職を迎える。

約40年にわたり我が社に勤務され、いよいよ最後の1ヶ月である。
ご本人には相当な感慨があるだろう。外見にはそういった感慨は見受けられないけど。

年度末に向けて、幹事を中心に感謝の気持ちを込めて、彼の送別会を実施するのだが、こういったセレモニーは、大人社会では、よくある光景だろう。花束渡して全員で拍手、万歳三唱なんかが定番か?いずれにせよ、この時期、そこかしこの会社の担当幹事たちは、どう粋に送り出そうか、頭を悩ませているに違いない。

ところが個人的に困った問題が起きている。
過日、幹事長から当日会場で配布する用の惜別しおりの作成を依頼されたのだが、定年を迎える先輩と私は、正直に言えば、それほど親しくない。つまり、しおりを作るにしても、大したネタがないのだ。

ただ平々凡々としたしおりなら、定型文を駆使すれば簡単に出来上がるが、お隣から越境して依頼を受けた以上、私としてはそれだけでは面白くない。しかし、そんなにオイシイ食材が揃っているわけでもない。先輩を気持ちよく送り出すためには、笑いあり涙ありの一大スペクタクルなしおりでありたいし、もっと欲を出していえば定年後に振り返って読んだ先輩がニヤリとするようなものに仕上げたい。ジレンマが募る。

また、作成にとりかかる時間は、物理的に相当な制約があり(昼間から作り込むわけにはいかないでしょ)、結局のところ瞬発力にまかせたアイディアが成否の鍵を握るのだが、いかんせんご本人が至極真面目な方である。浮かぶアイディアに当てはめるには、明らかにミスマッチなキャラクター(決して悪意はない)なのである。こうやってブログに書き込んでいる間にも、気はそぞろである。

どこかにピッタリするアイディアは売ってないか?
裏の仕事はうまくいくのか?
どうする俺?

2013年3月4日月曜日

猛吹雪に思う。

3月になったというのに、北のマチにはまだ春は来ない。
先週末は、道内で軒並み大変な暴風雪となった。
この影響で交通網はズタズタとなり、鉄道等の公共交通機関は運休、幹線道路も通行止めとなる区間が相次いだ。不幸にも、車中に生き埋めとなった何名もの方が命を落とされたという。

猛烈な吹雪に視界がとざされ、距離感や方向感覚が全く掴めなくなることを、一般的に「ホワイトアウト」という。この言葉が普及したのは、10年以上前に織田裕二氏が主演した映画の影響だと思う(原作は真保裕一氏だったか?)が、今朝ワイドショーなんかのコメンテーターが、軽々とこの言葉を訳知り顔で使っている状況を見るにつけ、私は大変苦々しく感じた。

耳触りの良い語感を繰って、知ったようなこと言うな、この都会人!という思いである。

昨年の今頃、私はやむを得ず悪天候の中、ひとり車で走らせる事態になり、キッチリ猛吹雪に遭遇した。受け止め方としては、ホワイトアウトなんて耳触りの良い言葉じゃない。四方は何も見えない、まさに絶体絶命である。

走行していた国道は、この先、通行止めだという。既に周りは暗い。
行くも戻るもままならず、仕方なく迂回路を検索しながら進んでいった。都市圏と違い、一歩郊外に出たエリアでの地吹雪は、せきとめるものが何もないので、風に任せて荒れ放題である。迂回路と考えていた幹線も外れ、やむを得ずちょっとした細道に入った。

そこで悪魔がニヤリと手招きした。
私の車はキッチリ雪にハマり、抵抗も虚しく走行不能となった。

いま思い返しても「この車、もう動かない」とわかった瞬間の絶望感は、たとえようがない。あるのは、日常ではまず感じることがない単純な恐怖である。暗闇の中、ライトに照らされた部分だけに雪が不気味に吹きすさぶ。当然、周囲には誰もいない。炙られたようにやってくる焦燥感は、自らにいくら「落ち着け」といっても無理な話である。そりゃそうだ、何重苦かわからない程の恐怖、いきなりの生命のピンチだもの。

私はこのとき、なぜか猛吹雪の車外に何度も出て、状況を確認し、雪を掻いたり、無謀にも車を押してみたりした。おそらく危機管理上は的外れな行動だろう。風雪の流れに合わせて放尿なんかもした。その行動は、今もって説明がつかないほどだ。冷静さを欠いていたことは、明らかだ。

当時加入していた〇〇損保に幾度も電話するが、まったくつながらない。アホみたいにリダイヤルするが全くつながらない。なーにが無料ロードサービス付きだ。甘い勧誘しやがって肝心なときに全く役に立たないものだ。っていうか、こんな無茶な場所にロードサービスは来ないよな。

とにかく困った。敬愛する猪木氏の言葉が「この道を行けばどうなることか、危ぶむなかれ」だっていっても、ここは明らかに危ないのである。「踏み出せばその一足が道となる」といっても踏み出したら死んじゃうのである。

車内で暖房に当たり、少し落ち着いて考えた末、このままでは何も解決しないことをようやく理解した。やはり、ちょっとしたパニックだったのだろう。

そこから打開策を考え、携帯電話に地元の自動車修理工場のアドレスが入っていることを思い出した。あそこなら、誰かいるはずだ。車もたくさんあるから、何とかしてくれる。祈る気持ちで電話した。頼む、つながってくれ。

・・・つながった!

「〇〇さん、助けてくれ」
「あー大丈夫?今日は埋まったクルマが多くてさ、レスキュー作業で大変だわ」

「ところで、どこで埋まってるの?」
「え?」

ここで改めて気がついたのである。自分がどこにいるのかうまく説明できないことを。
カーナビを改めて見直し、目的地にはずいぶん遠い場所で自分が埋まっていることを知った。カーナビさまさまである。こいつが装備されていなければ、おそらく随分と違った結末になっていただろう。

そこから2時間、恐怖の中で助けが必ず来てくれると信じ、ひとり待ち続けた。長い2時間だった。
結局、私は運が良かったのだろう。車は現場に放置したため、以降3日間修理工場に委ねたが、身体はその日のうちに無事帰還できた。

頭にキタのは、保険会社の対応である。
翌日、抗議の電話を入れたが、あらぬ嫌疑をかけられ、随分と不快な思いをした。
その自動車保険会社とは、当然ながら継続更新などするはずもない。

けれど、これは生きているからこそ言える文句である。

北のマチの冬を舐めちゃいけない。

2013年2月26日火曜日

魔が差すということ

今朝、なにげに新聞を見ていたら、どうでもいい社会面の記事の中に、知人(仮にAさんとしておく)の名前を見つけてしまった。

「見つけてしまった」という書き方は、すでに喜ばしい記事ではないことを行間に滲ませているが、事実、その記事は誠に残念な内容だった。

Aさんは、10年以上も前に仕事の関係でとてもお世話になった方で、いまも私が勤めている業界の奥深さ、幅広さ、ものの考え方の要諦などを約1年ほどかけて教えてくれた恩人の一人である。立ち振る舞いがとても個性的で、ブレない人だった。

社会には、
言葉は多少悪いが「おそらく出世はしないだろうが、キモはキッチリおさえている」タイプの才人がいるが、その頃、経験の浅かった私にとって、Aさんはまさにその筆頭であり、すべからく異質であり、明晰な思考(に見えた)には、ちょっとした畏れすらいだいていた。周りの評判もそんな感じで、Aさんがサーッと動くと、大抵のものごとは解決されていった。知を武器にしてサラリー以上は十分に貢献している、だから自らの個性への介入は許さない、私生活はほっといてくれ、と背中で語るような人だった。

そんな出会いから時間は経ち、濃密な約1年を過ごして以降、Aさんに会うことは2~3年に一度の割合になっていた。最後に会ったのは、たしか昨年の夏頃だったと思う。私がAさんの職場を訪ねて、5分程度会話をした。なんだかとても青白い顔をしていた。その事務所はクールビズ仕様になっていて、周りも軽装でいたのだが、Aさんは軽装というよりは、それをはるかに超えた、夜中にコンビニに行く若者のような場違いな色のポロシャツを着込んでいた。青白い顔色に派手なポロシャツの色。何か気ぜわしい、職場には似つかわしくない、物騒な感じがした。

記事によると、どうやらAさんは一般常識を超えて、色々とシデかしたらしい。
昨夏に訪ねた事務所でAさんに会うことは、もうないだろう。

たとえば、雑踏の街で、Aさんと不意にすれちがったら、私は声を掛けることができるのか。
いまの私には、明確な答えが見つからない。

2013年2月25日月曜日

どこ行った鼻パット

四日前の朝の出来事である。
シャワーを浴び、浴室から出て、メガネをかけたら、視界に微妙な違和感がある。
視野がボヤけているような気はするけど、そのために動作を止めることもない、ほっといても構わない、という程度の違和感。原因不明で繊細な、ちょっとだけ気になる違和感。

そんな状態で仕事に行く準備をしていたら、違和感の原因に気が付いた。

メガネの鼻パット(右側)が失せていたのである。角度によって、まるでフレームが刺さったかのように鼻が痛いのである。

視野がボヤけていたのは、眼球とレンズのバランスが鼻パット一枚分、正確に歪んでいたからなのだろう。人体とは大したもんだ。特に私は、近視レンズの度がキツイ。ちょっとしたバランスの狂いは、ボディブローを受け続けた六ラウンド目のボクサーのように、ジワジワ確実に効いてくる。

それにしても、昨年の秋に新調したメガネである。このとき初めて、レンズに乱視も入れたのである。ここ数日、特に荒っぽいことをしたわけでも、自分で踏んづけたことも、他人に踏んづけられたこともない、昨日までは確かについていた(はずの)鼻パット。狭い部屋の中で、いったいどこに行ったのか?しかも右だけロストって・・・

とにかく鼻が痛いので、このままかけ続ける訳にはいかず、急いで以前に使っていたメガネを探す。しまってある四個ほどのメガネケースを開けてみるが、なぜか先々代(2代前)のメガネしか見当たらない。時間もないので、仕方なくそれにお出ましねがい、出掛けることにする。

ところが、感覚の違和感というか、これが妙なもので、歩いていると身長が段々と縮んでくるような錯覚に襲われる。自分が縮んだのか、大地が迫ってきたのか、まあどっちでもないことはわかっているんだけれど、歩きにくいことこの上ない。パソコン打つのも、書類読むのも、焦点がおかしい。所詮、人間なんて、もろいもんだ。

それから2日間、先々代が頑張ってくれて、かつての相棒としてリズムを取り戻し急場を凌いでくれたが、昨日メガネ屋さんに行って、無料で鼻パット交換をしてもらった。しかし、なんだか眼のほうが、どこを基調として焦点を合わせればいいものか悩んでいるようにも思う。いまも視力の塩梅が定まらない。

秋に買ったメガネ屋さんをあげつらうのは、こんな小さなブログでも営業妨害になりかねないから、小心者の私は店名を伏せる(基本的に私は一期一会のメガネ屋遍歴である)が、無料で鼻パットを交換してくれ、レンズ清掃までしてくれた富士メガネ狸小路本店さん、ありがとうございました。大変助かりました。

2013年2月18日月曜日

お久しぶりね

ずいぶんと更新が空いた。

この10日間ほど、業務なんだけどルーチンではない不如意な案件や相談事がいくつか入り、どうにも解決策が浮かばず、頭を悩ませていた。会社内の他部の上役と、いかにも解ったようで解らないリアル禅問答のような受け答えを繰り返し、凡人(私のことです)には結局理解不能な結果を招いたり、良かれと思って調整したことがまったくの裏目に出たり、とにかくうまいこと進まない事案をたてつづけに引いてしまった。

また、家に帰り、ディーガ君が録りためてくれたアメトークの「北斗の拳芸人」を気が付くと3度も見ていたり、逆にアメトークの「カメラ芸人」を見ることなく消してしまったり、ボタン一つの操作にも甘くなっている自分の姿にあきれてしまった(情熱大陸でも似たようなことをしてしまった)。

そんな状況で、ブログのほうも考えがまとまらぬうちに、いくつかのネタを書いては消し、消しては書きを繰り返し、結局アップするには至らなかった(しかしこの間にも、故ミスターデーブマン氏との邂逅劇を書いた日のカウンターだけがゴリゴリと上昇を続けているのは、なぜなんだろう?)。

書いては消し、を繰り返したネタは、多分日の目を見ないだろうからお題だけあげていくと、主に格闘技系の話である。
全日本女子柔道部監督が体罰を認め辞任した話、五輪2連覇の柔道選手が変態エロ小説以上の行為で実刑判決を受けた話、いまさらハンスナイマン対鈴木みのる戦?という話、五輪からレスリングが除外されそうな話、桜庭が中村に負けた試合をHTBがなかなか放送してくれない話、などなど。関根勤氏にはかなわないだろうが、ツラツラあげると私も格闘技好きなんだな、と思う。

考えがまとまらなかった(というより、カーソルが打てなくなった)のは、
どれもこれも、何を書いても「俺は結局、堕ちていく人やオロオロする人を安全なエリアから見たいだけなのでは?」という疑問にぶつかったことに尽きる。しずかちゃんのお父さんがのび太君を(急にドラえもんの話だ)「他人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことのできる人物」(のび太の結婚前夜)として評価していることを思いかえし、実は俺は一番大事なことを忘れてしまっているなぁ、品がないなぁ、と思えてしまったのである。

これは単に、忙しいときに陥る一時的なネガティブでかつ感傷的な思いなのかもしれない。
疲れているのか?俺。

2013年2月6日水曜日

アンカツさんの勝負服

知らない人には全く分からない話題だろうが、また競馬の話を書く。

地方競馬から中央競馬への移籍を実現させたパイオニアジョッキー、安藤勝己(通称アンカツ)氏(52)が1月いっぱいをもって引退した。とにかく、ここ一番で無類の勝負強さを誇り、馬券を買う上で滅法頼りになる名ジョッキーだった。地方所属(笠松)時代には、かのオグリキャップに騎乗し7戦全勝、84年に刊行された山口瞳氏の「草競馬流浪記」には若き美少年だったアンカツ氏の描写が出てくるが、当時から才気あふれるジョッキーであったらしい。おつかれさまでした。

引退会見のアンカツ氏は、
幾分フックラした面持ちで、往年の精悍な印象とはずいぶん違っていた。思い返すと2年ほど前から騎乗する機会がグッと減り、ここ3か月ほどは全く騎乗しておらず、競馬ファンならば今引退の報を聞いても、さほどの衝撃はないだろう。ただ、この騎手が居ると居ないのとでは、レースの重みというか、厚みというか、バランスが大きく変わることも承知しているだろう。

そしてなにより競馬ファンならば、
アンカツ氏がいなかったら、
今の競馬界は全く違ったものになっていたであろうことも、容易に想像できるだろう。

会見の中でアンカツ氏は「体が硬くなり、馬と上手にコンタクトが取れなくなった」、「中央のGⅠレースを勝ちたいという気持ちが強くなり、JRAに移籍した」、「ビリーヴ号(馬の名前です)は、念願であった初GⅠ勝利をもたらしてくれた一番思い出深い馬」などと語った(発言の要旨です)。

ほーっと思った。
本当に偶然であるが、そして私自身ずっと忘れていたが、
アンカツ氏が会見で語ったGⅠ初勝利を飾った2003年の高松宮記念のビリーヴ号、私にも浅からぬ縁があるのだ。

なんと私、
その時のレースでアンカツさんが着用した勝負服、サイン入りで所有しているのだ。

(もしかしたら、レプリカかも知れません。ホンモノだとしたら、何故そんな貴重なモノ、俺が持ってる?ってハナシですわな)

経過を書くと、
同年の夏(もしかしたら違うかもしれない。翌年か翌々年かもしれない)、札幌競馬場で行われた馬主会が主催したチャリティーオークションにて、くだんのサイン入り勝負服を並み居る猛者を押しのけて、落札したのだ。むろん、結構なお値段だった。併せてクオカードも貰ったような憶えがある。

今、その現物は実家のタンスに真空パック状態で大切に仕舞ってあるが、襟首には「ビリーヴ号」とオーナーの名前が刺繍されたタグがついていた。胸元の左側にアンカツ氏のサインが書いてあった。

もしかしたら、当時オークション会場にて、レプリカです、本物です、というアナウンスがあったのかもしれない。けれど、何も覚えちゃいない。ただ、レプリカにしては大層なお値段だ。どっちにしろ、私の中の価値にゆらぎはない。

アンカツ氏は、通算でGⅠレースを22勝した(武豊氏、岡部幸雄氏に次ぐ歴代第3位の記録である)。まさに記録にも記憶にも残る騎手であった。その最初のGⅠ勝ちに、多少なりとも縁があるのは、なんとなく誇らしい。

ただ、この勝負服、今更ながらホンモノなのでしょうかね(くどいな)?

2013年2月5日火曜日

5年・青

またも「5年の青」である。

ちょっと前の平日、休暇を取って運転免許の更新に行ってきた。免許を取得して約20年、何度目の更新になるのだろう?割返すと4、5回目か?そんなになるのか?大事なことなんだろうが、意外と覚えちゃいないもんだな。

そういえば約半年前、まったくノーマークの場所で無念の速度違反をおこしてしまい、親のインパチ18,000円を召し上げられた。ここ2回、免許の更新が近づくと、私はこのような召し上げ劇を繰り返しており、今回もわずかの差でゴールド免許には届かなかった。もう一生、私はゴールド免許はもらえないのか?時期を狙ってのネズミ取り(私からはそう見えてる)、おそるべしだ。

送られてきた案内ハガキで一般講習1時間のスケジュールを確認し、警察署の中にある免許更新センターに出向く。3500円くらいの印紙を買い、申請書に貼り、所定の事項を記載する。更新の同志は約30名。なんとなく、お上に従順にしなければ面倒なことになる、という気持ちにかられ、殊更無口になる。なぜだかわからぬが、全く慣れない未知のエリアに丸腰で来てしまった、悪いことしていないが、警察怖い、って意識が温泉掘削のごとく湧いてくる。不思議な心理だ。ケイサツコワイ。

そして、ここがスゴイと感じたのだが、「警察怖い」の意識が抜けないうちに、明らかに警察関係の天下り団体と思われる「なんだか安全協会」(名称は忘れた)の勧誘を受けたのだ。狙っているかどうかはわからぬが、これが絶妙のタイミングなのだ。

協会のサービス内容を聴けば、「何かと便利だ(よくわからんけど)」という甘言が返ってくる。
ここはちょっと考えたフリの重厚な演技をかまして、みごとに拒否する。はじめから加入する意思などはない。しかし、警察怖いって意識が抜けない刹那、甘言で加入を促すテク、警察官僚OBたちの知恵、さすがなりだ(私の誇大妄想か?)。そののち、免許用の写真を撮影され、やや待って、別室に誘導され1時間の一般講習を受講する。

ここで思いだしたことがある。
5年前もそうだった!

この受講室、机と椅子の間隔が、異様に狭いのだ。小学生かよ!ってくらい。

もう、大人の男の骨格ならばギュウギュウになること間違いなしのスペースなのだ。
特に冬は厚着である。生まれ月が夏の人ならば気にならないのかもしれないが、われわれ30名は、みな圧倒的な冬生まれである。ダウンのフカフカがペラペラになるほど押し込んで、太ももをぶつけつつ着席する。見ず知らずのオジさんたちに挟まれて、手持ちぶたさのため、何となくテキストをめくる。

やがて講師がやってきて、淀みない説明を加えていく。この方も警察OBなんだろうが、テキスト、ポイントビューアーの使い方が熟達してして、感心する。めくれと指示するページ数に誤りがない。口調も極めてなめらかだ。まるで人間テープレコーダーのような感じ。聞かせどころ、声の張り、この方なりの工夫がうかがえる。変なところに感心していたら、あっという間に1時間が過ぎた。

受け取った新しい「5年の青」は、いつもより優しい顔に写っていた。
なぜなのかは、まったくわからない。

2013年2月4日月曜日

大塚氏と團十郎氏の明暗

今朝の北のマチは、とても寒い。
仕事に向かう意欲を削ぐほどの寒さだ。

それにしても、朝から皮肉な明暗を観た気がしている。

本日2月4日「めざましテレビ」の大塚範一氏が白血病を克服し、1年数か月ぶりに「めざましテレビ」生出演を果たそうとする朝に、同じく白血病で闘病した市川團十郎氏の逝去が、同番組内で伝えられたのだ。

お二人は、ほぼ同年齢。何の因果関係もなく、それぞれの人生を歩んでこられ、偶然同じような系統の病に罹り、これまた、たまたまの巡り合あわせで、大きな節目として今朝皮肉にも明暗を分けた、ということか。

「團十郎」といえば、歌舞伎界の最高の名跡。いわばラスボス。ちなみに「海老蔵」は、馬場に対する鶴田のような地位の名跡(わかりにくいか?)。この親子の名跡は、中村勘三郎一族の比ではない(あくまで名前の格のハナシです)。歌舞伎界は本当の大看板を失った。ご冥福をお祈りします。

そういえば、訃報をブログで書くやつは・・という糾弾らしきトピックスを見たばかり(中身は読んでいないので詳細は分からない)だが、私にしてみるとそんなこと知ったことではない。こちらは気になることを自分のタイミングで書いているだけの話。今後も、気になったり思い入れが強ければ、礼を失しない程度の訃報を書くこともあるだろう。

ところで大塚氏がテレビに大写しになったとき、おや太ったか?と一瞬思ったが、どうやらムーンフェイス(投薬の副作用で顔がむくむこと)のようである。朝の支度でバタバタしていたので、大塚氏のトークは直接聞いていないが、私も闘病中「この薬はムーンフェイスの副作用があります」と説明を受けて試したら、キッチリそうなったことがあった。今朝の大塚氏はそのときの面相によく似ていた。いらぬお世話だろうが、寛解状態とはいえ、まだ何らかの治療は続いているのか?同好の士、サザンフリークの大塚氏には、どうぞご自愛いただきたい。

ちなみに、違う局のワイドショーのレポーターが「いまムツゴロウさんが弔問に・・」と言ったように聞こえて、何?と思い画面を見たら板東三津五郎氏の姿が映っていた。

最近見ないな、ムツゴロウさん。

2013年1月31日木曜日

やれやれ検査終了

以前、どこかの場面で書いたが、
1月には結構ハードなメディカルチェック(格好いい表現だな。スポーツ選手みたいだ)を受けることになっており、先日、肚をくくって病院に行ってきた。前回来たときは他科の診察を受けるためだった(このあたりの事情は複雑なので割愛する)。周囲のトリッキーな言動に惑わされ、空腹でメロメロになったんだったナ。

これも何回か書いてきたが、いまから5年前、私は病名を告げただけで結構な勢いでドンビキされる病気にかかり、バッサリと切られたり、わからん薬を浴びせられたり、なんだか線を照射されたり、メシが食えなくなったり、猛烈な便秘になったり、無毛になったりと、真冬から真夏になるまでの半年間、死の気配に怯えながら入院加療するという貴重な経験をした。

結果、主治医から「ま、たぶん大丈夫でしょ?」と半信半疑のお墨付きをもらい、社会復帰を許されたが、再発が怖いので言われるままに最低3ヶ月に1度の割合で定期検査を受診してきた。で、今回の検査は、いつもより詳しく身体を診る、ということだったので、朝早く向かったのである。

着くなりいきなり血を抜かれ、検査液を入れられ、ズブリズブリ、次々と針攻撃を受けヘトヘトになる。次はなんだ?CTか?ってな具合で、ベルトコンベアに乗ったような状態で、ひとつずつこなしていく。

かかりつけの病院は、とても大きな病院で、受診科が細かく分かれている。なので、それぞれの科の診察室の前には、同じような病気を患っている人ばかり集合することになる。ある意味、当方は既にそっち系の病気における優良なベテラン患者。否応なく待ち合いの段階で鷹揚な雰囲気を醸し出すことになる(ただ、場馴れしているだけだが)。

ベテランなので、不安をつぶやく新米患者には「大丈夫だ、安心しろ」と激励する気持ちになるし(口には出さない)、外来受付だが、まれに病衣をまとった入院患者が診察室にやってくると「もうすぐ退院できるぞ、あきらめるな」と応援する気持ちにもなる(もちろん口外はしない)。随分エラそうなもんだが、ちょっと待てよ、と思う。もしかしたら、発病当時の私の不安を、今の私のような思いでみていてくれた先輩がいたのではないか、と考えた。もしかして、こういった連鎖は、ずっと続いてきたものなんじゃないか?だとすれば、今の私の立場、何かをしてあげられるわけではないが、人として結構大事だな。大勢に影響はないけど。

おかげさまで今回の検査も、幸いな結果となった。
静かな日常に感謝だ。


2013年1月30日水曜日

虎上?花田マサル氏の件

私は今年、後厄(あとやく)である。

同級生にはナイナイの矢部氏、GLAYのTERU氏、ココリコ遠藤氏、元嫁の千秋氏、藤原紀香氏、牧瀬里穂氏、山崎まさよし氏、元横綱武蔵丸関などがいる。また、1学年上になる早生まれ組は、ユースケ・サンタマリア氏、花田虎上(元横綱3代目若乃花、旧花田勝)氏などであろうか。

そう。花田氏なのである。
なぜ、ここまで書いたのかといえば、最近の花田氏の迷走っぷりに触れておきたいからである。激しく憂いているのである。花田氏は、言わずとしれた花形力士。かつて若貴フィーバーを巻き起こし、大相撲人気を支えた立役者。また、現時点では日本人最後の横綱昇進者でもある。角界を離れたとはいえ、その影響力、注目度は今もって大であろう。

そんな花田氏、知らぬ間に『虎上』と改名していた(読み方は以前と変わらず「まさる」なのだそうだ)。私が知らなかっただけで、どこかで大々的に報じられていたのかもしれないが、はじめて聞いたとき、虎が上がる?おにいちゃん、どうした?と、シビレが起こるほど動揺し、かつニヤリとした。

過去の改名劇といえば、車庫を飛ばした前後の篠塚利夫氏(元巨人)が、『和典(かずのり)』としたときの、なんとも言えぬ圧倒的にユルい衝撃を思い出すが、今回はその時以来、久々の衝撃である。「はねだえりか」なんてもんじゃない。マサル氏に一体何があったのだろう?ちょっと調べてみると2011年5月に知り合いのすすめで改名したそうだ。けっこう前じゃん。知らなかったのは、うかつだった。

また、ごく最近、テレビ東京系の旅番組だったと思うが、軽トラに乗ってドロンズ石本氏と疾走する虎上氏の姿を目にした。風呂に入ったり、魚をさわったり、漁師メシを食らったり、すべてを投げ打ったかのような、まさに迷走であった。あれほど人気のあった第66代横綱の姿、痛々しかった。弟貴乃花親方は何を思うだろう。当然、生活のためでもあろうが、仕事選んでください、あなたは舞の海氏や龍虎氏とは格が違うんだから、と思う。

そういえば書いていて思い出したが、横綱の転身系でいうと、北尾氏(元横綱双羽黒)は今何をしているのだろう?聞き慣れないスポーツ冒険家なる新ジャンルは確立されたのだろうか?プロレス史上に残る『このインチキ野郎!』発言は強烈だったが、彼がサンダーストームというニックネームであったことを覚えている人は、どれだけいるのだろう。

そんなわけで、週末、厄払いに行ってくる。
ダイニングちゃんこ若の札幌店、今でもあるのかな?

2013年1月29日火曜日

驚くべき事態

戸惑っている。
細々とやってきたこのブログ、現在進行形で異変が起きている。

昨日更新した「さよならミスターデーブマン」が、今までには考えられないほど多くの皆様の訪問を受けている。昨日から今日にかけて、わずか一日弱で先月の訪問者数を超えてしまった(しかしコメントはゼロである)。もともとの基数が少ないので、一般的には驚くような訪問者数ではないのかもしれないが、当事者としては、ただただ戸惑うばかりである。

キーワードはおそらくミスターデーブマン。
急な訃報に接し、同じ思いを抱えた方々が何らかの情報を求めてカタカタと検索をかけているのだろう。さきほどGoogleで「ミスターデーブマン」検索をかけてみたが、なんとこのブログが上から5番目に出てきた。氏のことをみなさん気にかけているが、世の中に出回っている情報がきわめて少ない、というところが現状なのか。改めて哀悼の意を捧げる。

このブログは、北のマチに住む、なんの変哲もない私が、ポツポツと、ランダムに、自由な立場で書いている。今後もそのスタンスは変わらない。ネットに公開している以上、多くの皆様に読んでいただきたいという潜在的な欲求はあるのだが、それでいて、こういう事態に出来すると、匿名性は守りたい、あまり注目されたくないという、ウラハラな気持ちもある。

このあたりの腰の引け方がだらしないが、これが偽らざる気持ちである。

今後も期待せず、あたたかく見守っていただけると、幸甚である。

2013年1月28日月曜日

さよならミスターデーブマン

唐突だが、北海道のローカルタレントといえば、誰を思い浮かべるか?
いまならば断然、大泉洋氏だろう(もう、全国区だから除外してもいいかも)。しかし、この立ち位置は一日にしてならず。先人が切り開いてきた地道な労苦があったことを忘れてはならない(書きながら自分の立ち位置がわからないスマン)。

ミスターデーブマン。
北海道ローカルタレントの源流、ミスターデーブマンこと高田文之氏が1月24日、自宅でひっそり亡くなっていたことが報じられた。66歳だった。

「ヨージ(四時)をまわったらぁ、ベストテン北海道!」「ランキングシャウト!」「ミツビシー、ダイヤモンドッ、ハイウェイ」、以降は若山ゲンゾウ氏が渋い声で出てくる。共感いただける方はきわめて少ないだろうが、訃報に接し、自分のどこに潜んでいたのか猛然と記憶がよみがえってきた(あるいは脳内の空想なのか?)。悲しみもあるが、デーブマン氏のあたたかみのある声がそれを超える。故人には失礼だろうが、不思議とほのぼのした感情がある。

少年時代、ワクワク心待ちにしていたHBCラジオ16時。ミスターデーブマンのベストテン北海道がはじまる。ジングルは、メジャーになる前のアルフィーだった(はず)。両親に守られていた幸せな時代。私小説を書くとしたら、このあたりのノスタルジーは必須かもしれない(今も幸せだけどね)。

ベストテン北海道はHBCラジオで今も続く番組であるが、1980年代半ば以降の同番組は、まったく別物である。「餃子の王将」「大阪王将」くらいの違いがある(良し悪しを言っているのではない。今も続くラジオ番組を郷愁をもって語るつもりはない。昨夜も聴いていたが、現在の番組だってなかなかイケてる。ただ、ウェスリーは頑張れ!これからだぞ)。

私が生デーブマン氏とはじめて出会ったのは、約35年前。
当時住んでいた釧路の「太平洋スカイランド」(名称うろ覚えで申し訳ない。プール、食堂、ホテルやボウリング場があったレジャー施設であった気がする)に、イベントの司会でやってきた。母が「デーブマンだよ」と教えてくれて、握手してもらおうとためらっている6歳くらいの僕をニコニコと見つめていた(結局、握手したかどうかは、何故か覚えていない)。

そして、はじめて会ってから20年後、
社会に出たばかりのペイペイの私は、勤務先がとあるセミナーを開催した際に、講師としてデーブマン氏をお呼びする側にまわることになる。上司に頼み込んで特別に控え室に入れてもらい、名刺交換させていただき、お話をさせていただいた(氏の名刺には針すなお先生が描いた似顔絵が印刷されていた)。嫌な顔ひとつせず、ベストテン北海道当時のエピソードをポツポツと、はにかみながら話してくださった。豪放磊落な方かと勝手に思っていたのだが、実際の印象はとても物静かだった。

北海道のラジオ史に遺る巨星が逝ってしまった。
ご冥福をお祈りします。

2013年1月26日土曜日

退職金が減る?

何が悪いのかわからないが、相変わらず画像がうまく貼れない。
解決できなければ、ま、それなりにやるしかない。

さて、めずらしく社会問題を斬る。
今年度一杯で定年退職となる学校の先生たちが、苦渋の決断を迫られているようだ。報道によると、都道府県の多くでは、先生が三月まで立派に勤め上げて定年退職するのと、一月末日で早期退職するのとで、退職金支給額が約150万円ほど変わることになるらしい。条例だなんだの小難しい理屈はよくわからぬが、実際に目の前におこる現象として、1月で辞めたほうが3月で辞めるより150万円多く退職金がもらえる、ということなのだそうだ(話題先行で教員ばかりが報道されているが、同類の事案が地方公務員全般で徐々に出てきてる模様)。

この背景により、1月で辞めようとする先生方に対し、多くの人々が、鬼の首をとったかのような、しかしまあ人間の情緒からすれば、当たり前だわな、という感想を表明している。教師は聖職、っていう社会的刷り込みがあるから、この指摘や批判は、表面上なんとなく我々一般大衆には合点がいく。先生は銭カネのことなんか放り投げて教育に全てを捧げる、そうあってほしい、と願う潜在的な思い、これは確かにある。随分勝手な思いであるけど。

ちなみにちょっと探してみると、権限も責任もおありであるはずのメジャーな方々はこんなコメントを出している。

下村文部科学相
「決して許されざること。クラス担任ら責任ある立場の先生方は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてほしい」←制度の欠陥はお前の所管下で起きてるのによく言うわ。国公準拠ってこういうときに強く言えよ。

埼玉県上田知事
「担任を持っている教員が、あと2か月残っているところで辞めるのは無責任」←条例制定権はお前にあるじゃないか。背に腹は変えられない事情を忖度せずに制度の欠陥に目をつぶるほうが無責任だろ。

神奈川県黒岩知事
「そういう教師が出てきていること自体が残念でならない」←上に同じ。じゃあお前が補填してやれよ。

ヤンキー先生(義家弘介参議)
「いかなる理由を述べようとも、地方行政の決定が悪いと条例を責めようとも、子供達の今を取り残した、大人の都合で彼らへの教育を年度も押し迫った時期に放棄した、という事実は消えない」
←じゃあ、君が現役ならどうしたんだ?

片山さつき参議
「生徒を放り出したと言われ、 周りから、あるいはマスコミからも批判されうるであろうことは、普通の常識があればわかるでしょうに」←お前が言うな。

原口一博衆議
「駆け込み退職を責めることだけが大事なことでしょうか? この就職難の時に職を諦めることを選択した事情、そして職場に広がる『絶望』にも思いを致すことが大事ではないかと思います」 ←なに言ってるかわかりません。

ま、こんな感じ。一件ずつコメント書いてみました。
ツッコミどころはたくさんあるが、皆さんはどう思いますかね?

まあ、それぞれのお立場での立派なコメントでしょうが「お前が言うなー」感が募るのは否めません。そもそも、こんな中途半端な時期に制度変更をすれば、こういう事態も想像できたはず。特に埼玉県知事様にお伺いしたい。県条例の公布は誰がするのですか?県知事の専権事項でしょ?つまり、このルールを決定したのは知事のはずですが・・・。

それとこんなルール、地方が独自に作れるはずもなく、裏で国が手引きしているは明白。それでも大臣や国会議員の皆さんは他人事なんだな。国会議員の君らのクソモラルで、辞める教師にモラルを問えるのかねぇ。言いたいことは一杯あるな。

ただ、よくわからないんだが、該当者全員が1月に辞めるわけではないんですよね。職務をまっとうし定年を迎えられる方々もたくさんおられるはず。私がその該当者だったらと想像すると、やっぱり生活があるし、相当悩む。いま結論なんて出ない。ある意味、残るも辞めるも正当な権利であるはずなのに、直面されている皆様、ホントお気の毒です。

これは、国と都道府県が悪いって。

2013年1月23日水曜日

競馬の降着新制度にモノ申す

朝6時すぎ、北のマチはまだまだ薄暗い。太陽が昇るまで、あと1時間ほどあろうか。
ここ数日、寒さが緩んでいる(表現、ヘンかな?)ようで、比較的過ごしやすい。腰も徐々に良化している。

さて、競馬の話である。
昨秋は、馬券で随分といい思いをさせてもらったが、本日は馬券とは離れた話を書いてみたい
 
今年から競馬の審議基準(アンフェアーな走行に対する制裁の基準)が、変更になった
変更に伴い、私にはよからぬ思い、懸念があったのだが、1月20日(日)中山メインレースAJC杯にて、いきなりこれが露呈した。1着でゴールした馬が、2着馬の進路を大きく邪魔した件での顛末だ(なお、私はこのレースの馬券は買っていない。京都に集中していた。なので、ある意味ではレースを冷静に見ることができた)。

大まかに書くと、昨年までは、
A馬がB馬の走行を妨害し、A馬1着、B馬2着でゴールした場合、A馬は降着(走行を妨害された馬の後ろの着順の繰り下げる)となり、つまりレース結果は、B馬1着、A馬2着、とされてきた。
今年からは、同様のケースの場合、
「走行妨害がなかった場合にB馬が明らかにA馬より先着していただろう」と判断される場合のみ、降着を行う、という具合に変更された。言ってみるなら「走行妨害がなかった場合を想像してみよう!B馬はA馬に明らかに勝てたかな?」ということだ。

今回のAJC杯の場合は、1着馬は2着馬の進路は妨害したけれど、それがなくても2着馬は1着馬には勝てなかった、と裁決委員が判断したため、着順の変更には至らなかった、ということになったらしい(騎手への制裁に関してはここでは述べない)。新基準による私の懸念とは、まさに今回のケースであった。

私なりに言うと「タラレバを簡単に忖度するなよ!馬は機械じゃないぞ!」ということだった。

競馬ファンの皆様に伺いたい。
AJC杯のゴール前、ホントにそう見えましたか?
少なくても、私にはそうは思えませんでした(2着馬、グングン加速してたもん)。

ツラーっと書いてしまうと、
興味のない方々には、だからどうした?ということになるかもしれないが、あえてもうちょっと書く。

JRAが説明している今回の変更に至る理由は、ホームページなんかを読むと、競走馬のパフォーマンスを重視するという国際的なルールに乗っかるため、ということらしい。それであれば、到達順位が結果である、ということは一応の説明がつく。

しかし、その結果は走行妨害があった、という事実があればこその結果であり、そこから先「走行妨害がなかったら」を想像するのは、百家争鳴の議論になる。想像上の話が広がるだけであり、まったく論理的でない。今回のケースだってそうでしょ?説明なんかつくわけない。基本、空想なんだもの。
 
とりわけ、目の前で生じた現実、レース自体の結果の覆すような想像を巡らすことは、容易ならざること。「明らかに先着できたであろう場合」なんて、限りなく稀でしょ。断言するが、新基準の下では、着順の変更はほぼゼロであろう。そして、こんな事象が発生するたびに、ファンは愛想をつかして徐々に離れていくだろう。
 
いま一度書く。
我々オヤジたち日本の競馬ファン(少なくてもその一人である私)は、世界云々の話なんてどうでもいい。ただ、ズルをしてまでも勝ちを拾うような卑怯者が結果的にトクをするようなことは、絶対あってはならないと考えている。それがニホンの公正競馬であると信じている。不正は、許さないし、(当該者たちは痛くも痒くもないだろうが)その果実を得た騎手、陣営を蔑むだろう。主催者が説明責任を逃れ、それがルールです、なんて開き直るのであれば、大好きな競馬場を去る覚悟も辞さない。
 
悪いことは、正せ!悪いやつは、裁け!その結果、自分の馬券が外れても、異論はない。
予言者ではないが、放っておくと、いずれ大きな禍根を残すだろう。
 
それにしても、馬券は当たらない。
当たり馬券も売っているはずなのに・・・