3月になったというのに、北のマチにはまだ春は来ない。
先週末は、道内で軒並み大変な暴風雪となった。
この影響で交通網はズタズタとなり、鉄道等の公共交通機関は運休、幹線道路も通行止めとなる区間が相次いだ。不幸にも、車中に生き埋めとなった何名もの方が命を落とされたという。
猛烈な吹雪に視界がとざされ、距離感や方向感覚が全く掴めなくなることを、一般的に「ホワイトアウト」という。この言葉が普及したのは、10年以上前に織田裕二氏が主演した映画の影響だと思う(原作は真保裕一氏だったか?)が、今朝ワイドショーなんかのコメンテーターが、軽々とこの言葉を訳知り顔で使っている状況を見るにつけ、私は大変苦々しく感じた。
耳触りの良い語感を繰って、知ったようなこと言うな、この都会人!という思いである。
昨年の今頃、私はやむを得ず悪天候の中、ひとり車で走らせる事態になり、キッチリ猛吹雪に遭遇した。受け止め方としては、ホワイトアウトなんて耳触りの良い言葉じゃない。四方は何も見えない、まさに絶体絶命である。
走行していた国道は、この先、通行止めだという。既に周りは暗い。
行くも戻るもままならず、仕方なく迂回路を検索しながら進んでいった。都市圏と違い、一歩郊外に出たエリアでの地吹雪は、せきとめるものが何もないので、風に任せて荒れ放題である。迂回路と考えていた幹線も外れ、やむを得ずちょっとした細道に入った。
そこで悪魔がニヤリと手招きした。
私の車はキッチリ雪にハマり、抵抗も虚しく走行不能となった。
いま思い返しても「この車、もう動かない」とわかった瞬間の絶望感は、たとえようがない。あるのは、日常ではまず感じることがない単純な恐怖である。暗闇の中、ライトに照らされた部分だけに雪が不気味に吹きすさぶ。当然、周囲には誰もいない。炙られたようにやってくる焦燥感は、自らにいくら「落ち着け」といっても無理な話である。そりゃそうだ、何重苦かわからない程の恐怖、いきなりの生命のピンチだもの。
私はこのとき、なぜか猛吹雪の車外に何度も出て、状況を確認し、雪を掻いたり、無謀にも車を押してみたりした。おそらく危機管理上は的外れな行動だろう。風雪の流れに合わせて放尿なんかもした。その行動は、今もって説明がつかないほどだ。冷静さを欠いていたことは、明らかだ。
当時加入していた〇〇損保に幾度も電話するが、まったくつながらない。アホみたいにリダイヤルするが全くつながらない。なーにが無料ロードサービス付きだ。甘い勧誘しやがって肝心なときに全く役に立たないものだ。っていうか、こんな無茶な場所にロードサービスは来ないよな。
とにかく困った。敬愛する猪木氏の言葉が「この道を行けばどうなることか、危ぶむなかれ」だっていっても、ここは明らかに危ないのである。「踏み出せばその一足が道となる」といっても踏み出したら死んじゃうのである。
車内で暖房に当たり、少し落ち着いて考えた末、このままでは何も解決しないことをようやく理解した。やはり、ちょっとしたパニックだったのだろう。
そこから打開策を考え、携帯電話に地元の自動車修理工場のアドレスが入っていることを思い出した。あそこなら、誰かいるはずだ。車もたくさんあるから、何とかしてくれる。祈る気持ちで電話した。頼む、つながってくれ。
・・・つながった!
「〇〇さん、助けてくれ」
「あー大丈夫?今日は埋まったクルマが多くてさ、レスキュー作業で大変だわ」
「ところで、どこで埋まってるの?」
「え?」
ここで改めて気がついたのである。自分がどこにいるのかうまく説明できないことを。
カーナビを改めて見直し、目的地にはずいぶん遠い場所で自分が埋まっていることを知った。カーナビさまさまである。こいつが装備されていなければ、おそらく随分と違った結末になっていただろう。
そこから2時間、恐怖の中で助けが必ず来てくれると信じ、ひとり待ち続けた。長い2時間だった。
結局、私は運が良かったのだろう。車は現場に放置したため、以降3日間修理工場に委ねたが、身体はその日のうちに無事帰還できた。
頭にキタのは、保険会社の対応である。
翌日、抗議の電話を入れたが、あらぬ嫌疑をかけられ、随分と不快な思いをした。
その自動車保険会社とは、当然ながら継続更新などするはずもない。
けれど、これは生きているからこそ言える文句である。
北のマチの冬を舐めちゃいけない。