2013年8月6日火曜日

新聞をやめた理由(わけ)

新聞をやめて2ヶ月ほどが経った。

もっと不便なものかと思っていたが、全く苦痛がなく、健やかな日々を送っている。

メジャーな新聞でいうと、昔から
朝日は左、産経は右、毎日が左、読売は右寄りと区分され、北海道のローカル新聞である道新は左、とされている。

各紙を読んでいくと、実際そのような区分や色を感じるが、
私自身は各社の癖というか、社風、書きっぷりには全く興味がなく、右でも左でも一向に構わないし、右だったものが急に左になるとしてもそれは面白いことだと思っている。ただ、オール右、オール左、という寡占状態が形成されたら、ちょっと怖いなとは思う。そして、知らぬうちに、洗脳されるが如く、読んでいる新聞の色によって、自分で決めている風情で社会への認識を決めていくことも怖いと思う。

ツラツラと書いてきたが、
私が新聞をやめた理由は、そんな思想的なものではない。もっと原始的なもの、ズバリ喧嘩であった。6月、会社で行っている某事業の取材を受けたときの話だ。

会社の結論としては、すでにAと決定し、社会的にもそのようにPRしていたところ、新聞記者がやってきて「その結論はおかしい、Bとするべきでないのか」と何故か上から目線で迫ってきた。

いかにも俺が正義だ、とでもいわん態度の記者、挑発的な言動。
これが彼らの手法だとわかっていたが、私はあえてその挑発に乗り、ちょっとした論争になった。
全盛期の猪木氏なら、確実に手が出ていただろう。それくらいの喧嘩腰。

翌日の紙面には、案の定、事実関係を無視した記者の署名入りの妄想記事が掲載された。
結論ありきのハメコミのような内容に、私は苦笑するしかなかった。8181道新に「困ります」と電話してやろうかと思ったほどだ。とにかく、曲解報道すぎるのだ。

こいつら記者に何の権限があるのだ?
お前ら、万能の神なのか?
社会の正義は、常にこいつらが握っているのか?
貴様ら何様だ?
うわーキモチワリー。

即日、私は新聞をやめた。二度とこいつらの新聞は取らん。

僅かながら支障があるとすれば、お悔やみ欄とチラシが見られないこと。
それでも、なきゃないで、全然問題なし。

とにかく清々した。
記者と喧嘩したのも、結果オーライだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿