2013年1月28日月曜日

さよならミスターデーブマン

唐突だが、北海道のローカルタレントといえば、誰を思い浮かべるか?
いまならば断然、大泉洋氏だろう(もう、全国区だから除外してもいいかも)。しかし、この立ち位置は一日にしてならず。先人が切り開いてきた地道な労苦があったことを忘れてはならない(書きながら自分の立ち位置がわからないスマン)。

ミスターデーブマン。
北海道ローカルタレントの源流、ミスターデーブマンこと高田文之氏が1月24日、自宅でひっそり亡くなっていたことが報じられた。66歳だった。

「ヨージ(四時)をまわったらぁ、ベストテン北海道!」「ランキングシャウト!」「ミツビシー、ダイヤモンドッ、ハイウェイ」、以降は若山ゲンゾウ氏が渋い声で出てくる。共感いただける方はきわめて少ないだろうが、訃報に接し、自分のどこに潜んでいたのか猛然と記憶がよみがえってきた(あるいは脳内の空想なのか?)。悲しみもあるが、デーブマン氏のあたたかみのある声がそれを超える。故人には失礼だろうが、不思議とほのぼのした感情がある。

少年時代、ワクワク心待ちにしていたHBCラジオ16時。ミスターデーブマンのベストテン北海道がはじまる。ジングルは、メジャーになる前のアルフィーだった(はず)。両親に守られていた幸せな時代。私小説を書くとしたら、このあたりのノスタルジーは必須かもしれない(今も幸せだけどね)。

ベストテン北海道はHBCラジオで今も続く番組であるが、1980年代半ば以降の同番組は、まったく別物である。「餃子の王将」「大阪王将」くらいの違いがある(良し悪しを言っているのではない。今も続くラジオ番組を郷愁をもって語るつもりはない。昨夜も聴いていたが、現在の番組だってなかなかイケてる。ただ、ウェスリーは頑張れ!これからだぞ)。

私が生デーブマン氏とはじめて出会ったのは、約35年前。
当時住んでいた釧路の「太平洋スカイランド」(名称うろ覚えで申し訳ない。プール、食堂、ホテルやボウリング場があったレジャー施設であった気がする)に、イベントの司会でやってきた。母が「デーブマンだよ」と教えてくれて、握手してもらおうとためらっている6歳くらいの僕をニコニコと見つめていた(結局、握手したかどうかは、何故か覚えていない)。

そして、はじめて会ってから20年後、
社会に出たばかりのペイペイの私は、勤務先がとあるセミナーを開催した際に、講師としてデーブマン氏をお呼びする側にまわることになる。上司に頼み込んで特別に控え室に入れてもらい、名刺交換させていただき、お話をさせていただいた(氏の名刺には針すなお先生が描いた似顔絵が印刷されていた)。嫌な顔ひとつせず、ベストテン北海道当時のエピソードをポツポツと、はにかみながら話してくださった。豪放磊落な方かと勝手に思っていたのだが、実際の印象はとても物静かだった。

北海道のラジオ史に遺る巨星が逝ってしまった。
ご冥福をお祈りします。

2 件のコメント:

  1. 「ヨージ(四時)をまわったら、ヨーシ(四時)行くぞ、なんちって……いってみよーーーーーー!」で始まりましたよね。
    車のクラクションみたいなオープニング曲だった。
    そして
    「ベストテーンほっかいどう、ミスターデーブマン!」
    の掛け声。
    「レコード1位、有線1位、ハガキで2位、テレホン1位、トータル***ポイント、ピンクレディー ペッパー警部 第1位!」
    みたいな。
    懐かしいな……合掌

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    1. 北海道人さま

      コメントありがとうございます。私の拙いブログを通じて懐かしさを共有していただけたのでしょうか?アップしてから5年ほど経つ記事ですが、未だに閲覧されているのは、ありがたいことです。多謝!

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