2013年1月21日月曜日

滑落

考えた末、だいぶん日にちがあいたが、更新する。
実は、書いたストックが3回分たまっている。しかし、それぞれの日付で、画像の貼り付けを目論んでいたのだが、ブロガー機能が変わってしまった?のかPC本体に取り込んだ画像が直接貼れなくなっており、いまも難儀中だ。この謎が自分なりに解決できるまでは、画像なしでいくしかないのだが、こんな時に限って当該ストックは、画像が貴重な論拠となるモノばかりを書いてしまっている。そんなわけで、いずれ機会があれば画像と共にササッと間に挟んでおきたい。国技館にいる林家ペー師匠夫妻のハナシなんて、非常に味があってヨカッタんだけど、今は開陳できないナ。

それで、昨日の話。
私は、スキージャンプの大ファンである。
五輪でいえば、さすがに札幌(1972)、インスブルック(1976)は幼少のみぎりで記憶にないが、レークプラシッド(1980)からは皆勤で、八木選手(銀)、秋元(正)選手(4位)が活躍した70M級が、私的なスキージャンプ原風景となっている。以降、冬の土日の午後はジャンプ大会の放送を心待ちにする少年であり、今はやや薄れ気味ではあるが、オヤジ世代になっても基本的スタンスは変わってはいない。

ジャンプのワールドカップは、毎年世界各国を転戦し、もちろん日本でも開催される。五輪(4年に1度)や世界選手権(2年に1度)と比べても、ヒケを取らない格のある試合である。例年、日本開催の時期は、年末の欧州ジャンプ週間を経由し数戦を挟んでからとなっており、概ね1月下旬頃だろうか?そして今年の札幌大会は、すでに報道にもあるように、先週末(1月19日、20日)に行われた。

そこで昨日、私は30年以上のジャンプ観戦歴で初めてといっていいズッコケ衝撃映像を見た。

それは残念なことに、現在の日本の大黒柱(今季は怪我で調子が戻っていない)伊東大貴選手であった。今季は調子が上がらないといいながらも、1回目で日本人最高の2位につけた伊東選手、2回目の競技に臨む。現在のルールで2回目の競技は順位が下位の選手から飛ぶことになっている。つまり伊東選手は最後から2番目に飛ぶ(心理面の駆け引きも伺える面白いルールだ)。

2回目もあと二人を残し、ここまで上位は外国人選手ばかり。そんな中、日本選手の砦としてエース伊東選手登場だ。いやがおうにも期待が高まる。シグナルはまだ赤。伊東選手はスタートバーに腰かけながら、ゆっくり全身を滑らせて定位置につき、体制を整えている(ように見えた)。

ここでアクシデント発生。

伊東選手は金属製のスタートバーに腰かけバランスをとろうとした刹那、右手を滑らせた。音でいうならスカッ!という感じで右腕からズッコケて、スタートバーから半身ずり落ちてしまった。

は?
何があった?
そのまま伊東選手はバランスを失い、急角度の斜面をズリズリと転げていく。あわわ、あわわ。ズリズリ滑り続け、あと数メートルでカンテ(踏切箇所)まで行ってしまう。落ちる!という数メートル手前で、ようやく止まった。

いったい何があってそうなったのか?専門的なことは私などが知る由もないが、事象として、ズッコケて助走路で滑落したのは、動かしがたい事実である。結局伊東選手は、簡単に言うと自分でズッコケたのだから、という理由で再スタートは認められず、失格扱いとなった。

私的な思い入れとして、日本ジャンプ界のエースの系譜は、八木選手→秋元選手からはじまり、(大まかで恐縮だが)佐藤晃選手→西方千春選手→葛西紀明選手→原田雅彦選手→船木和喜選手→伊東大貴選手、と続いていると勝手に思っている。

伊東選手に私は心底期待している。
こんなアクシデント、笑い飛ばしてもらいたい。
頼むぞ!大貴選手!

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