あの日の午後2時46分、
私は出先から戻る車の助手席にいた。
車窓に不思議な光景が広がっていた。
道路脇にのびている電線が、生き物のように波打っているのが見えたのだ。
それが今も残る東日本大震災への私の第一印象だ。
タテツケの悪い車に乗っていたので、直接の揺れは感じなかったが、あれほど電線が波打つとは、震源地とは遠く離れた北のマチでも相当な揺れだったのだろう。あとで聞いたところでは、私の職場では、あまりの揺れに驚いた女性職員数名が屋外に飛び出したそうだ。
しかし波打った電線を見ても、この時の私には、
こののち未曾有の大災害の報に接するなんて、知る由もない。
ほどなくしてカーラジオは、通常放送とはかけ離れ、レギュラーパーソナリティでは対応が難しかったのか、正しくニュースを読むアナウンサーが登板し、緊急速報のようなものに切り替わっていった。とても大きな地震が東北地方で起きた、関東も大きく揺れたと概要がわかりはじめ、その後も徐々に詳しい情報が入ってくる。
津波が来るから厳重に警戒せよ、と伝えられてからしばらく経ったのち、私は会社に到着し、社内でテレビを見ることになる。
驚いた。
目を疑う映像だった。
私がはじめに見たのは、
大量の水が海のほうからやってきて、沿岸の大きな施設、工場、港そのものを呑み込もうとする姿だった。
避難するようアナウンサーが必死に呼びかける。
全てが信じがたい。これは日本の出来事なのか?
まったくどうでもいいことだが、
その日の夜、当時私が最も敬愛する上司の送別会が予定されていた。
相当前から入念に準備された大きな仕掛けのある会であったが、この大災害を目の当たりにし、急遽本人から辞退の申し出があり、結局、開始2時間前に会は中止(延期ではない)された。自粛することは逆に予約していた店に迷惑がかかるし、中止とはやりすぎじゃないか、という声も一部からは出たが、何が正解かよくわからないが、この対応でよかったのだ、と私は思う。
送別会をキャンセルしたところで、事態が何も変わらないことは参加予定者全員が当然理解していた。しかし、あのとき、私たちなりにそうすることでしか、エゴかもしれないが心の救いはなかった。被災された人々に申し訳ないという思い。
また、
もし送別会を決行していたら、送られる当該人には、一生消えることのない、そこはかとないやましさが残るかもしれない。決断に時間はかからなかった。これでよかったのだ。そう思いたいのもエゴなんだろう。甘さは自覚している。
今日現在、東日本大震災による死者・行方不明者は18,549名にものぼるという。
いかに膨大な数であるか。自治体名を出すことに全く他意はないが、道内でいうと芽室町(18,897人)、白老町(19,383人)、当別町(18,769人)、八雲町(18,899人)の人口と匹敵する。自治体一つが丸々なくなる衝撃は、筆舌に尽くしがたい。
改めて、犠牲になられた方々に哀悼の意を捧げます。
そして、日本は、こんなもんじゃ負けない。
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