2012年12月25日火曜日

内面の沈下問題

今朝の北のマチは極寒である。
外界には、マイナス20度の世界が広がっている。

寒さとダルさで布団から出ることができず、枕元でカタカタとカーソルを叩いている。

忙しい仕事のピークがすぎて、逆に気が緩んだのか、何もやる気がおきない。
吐き気すらする(これは食べ過ぎのせいか?)。とにかく、ダルい。
 
何度もこういった経験をしているので、自分ではコントロールできていると思っているのだが、どうなのだろう。まさか、これくらいの業務の負荷で内面が燃え尽きたわけではないだろうが、クリスマスだというのに、滅々と気分が下降しているのが、実感できる。
 
昨今ではメンタルヘルス、なんていう言葉が流行っており、そっち系のケアは社会総出でやる傾向になっているが、当たり前だが結局、個別の課題はマイセルフで、ということである。
 
街がうかれると、あまのじゃくな私は、沈んでいく。
たまには、こんな日もあるナ。
 

2012年12月18日火曜日

ホッと一息

おかげさまで、忙しい一ヶ月がようやく終わった。

いくつかの重要な仕事が何故かこの時期にドカン!とクロスしてしまい、どうにもならない状況が続いた。それでも我々のチームは、有機的に機能し続け、ひとりの落伍者を出すこともなく、なんとか合格ラインの成果を出すことができた(と思っている)。周囲の仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。どうもありがとう。

世間の出来事に疎い生活を送ってきたので、トピックスは見ていても、背景を承知していないことが多いのだが、気になった事象の感想を書き留めておきたい。

森光子氏死去
いまとなっては、名女優、ジャニーズの後見人、という看板が世間一般の森氏へのイメージだろうが、私にしてみると「3時のあなた」の司会者、という印象が一番強い。それが私的な森氏の原体験だ。小学生の頃、ランドセルを振り回して家に帰ると
♪さんじーのあーなーたー さんじーのあーなーたー あなたーのさーんじー
という謎の女性コーラスで始まる番組がやっていた。それが「3時のあなた」であり、その番組の司会者の一人が森氏だった。子供心に不安をあおるショッキングな番組(効果音がひときわ怖い)だったから、森氏がたとえ名女優であったとしても、そのときの不気味な印象が最期までずーっとぬぐえなかった。森氏出演番組では、カトちゃんケンちゃんミツコちゃん、みたいなコメディ特番もたくさん観たし、きっとすごくイイ人だったと思うけど、根っこには「3時のあなた」の司会者で不気味、ってものが常にあり、疑心暗鬼だった。一種のトラウマだよな。ちなみに、裏でやってた「3時にあいましょう」の心霊特集も夜眠れなくなるほど怖かった。それにしても「3時のあなた」も「3時にあいましょう」も、非常に秀逸なネーミングだ。今更ながらに強く思うな。

大谷選手ファイターズ入団
日ハムのドラ1、大谷選手が入団したそうだ。密約だの、大リーグ行けだのと、何かと球団や彼を批判する声もあるようだが、揺れる青年の気持ち、わかってやれよ。いいじゃないか。関係ないが、栗山監督の話し方「~ね、~ね」という語尾が気になっている。彼はアッチ方面ではコッチだとの噂があるし、何某を信仰しているなどの噂もある。正直、そんなことはどうでもいい。そんなことはどうでもいいから、プロならば勝てよ、栗山!それと大谷選手、オジサンは期待してるぜ。

小沢昭一氏死去
ラジオ大好き人間の私にすると、大変悲しい出来事だ。「小沢昭一的ココロ」は、日常生活の時間の区切りをつけてくれるニッポンの正しい番組だった。今は総集編を放送しているが、長谷川町子氏が亡くなっても続くアニメ「サザエさん」のように、このまま続けてくれまいか。この番組が嫌い、という人を私は見たことがない。我々は色川武大以降の大衆芸能の知の巨人を失った。跡目継承は誰なんだろう?

自民圧勝
ほぼピタリ、世論調査ってすごいな。それと小選挙区ってこわいな。好きでも嫌いでもないが、北海道でヨコミチ氏が負けるなんて、いったい誰が想像できただろう?言っちゃ悪いが、当選したヨコミチ氏を破った自民の候補者、少なくても私は知らないもんな。この風のふき方、総じて民主政権の3年があまりに悪すぎた、っていう評価だが、自民だって、そんなに変わらんだろう。けど、こうなった以上、右曲がりのダンディ安倍氏、滑舌の悪さは仕方ないが、2度目の失敗は御法度だぜ。

2012年12月8日土曜日

勘三郎氏の逝去

北のマチは、すでに猛烈な冬である。
あっという間に、風景が白色に変わった。

どうにも忙しい日々が続いていて
いくつかの大きな宿題をかかえて
今週末も休日返上で働かせていただくことになった。

働かざる者、食うべからず。
まあ、周りからオーダーがある以上は、その期待にはボチボチ応えたいものだと思う。

そんな中、仕事の合間にチラチラと見聞する情報で、歌舞伎の勘三郎氏が亡くなったことを知った。闘病生活が続いていたことは伝えられていたが、それにしても随分と急な訃報に驚いた。同じような病を経験した者として、なんともいえない気持ちになった。最良の医療を受けていたんじゃないのか?運が悪かったのか。

有名無名にかかわらず、また、どんな類の病気であるのかにかかわらず、降りかかってくる突然の病に対しては、周りのサポートの大小はあるにせよ、最終的には一人で対峙しなければならない場面が必ず来る。

運命とは儚いものだ。
合掌。

さて、出社しようか。

2012年12月2日日曜日

12月になった

12月になった。今年もなんだかんだで暮れていく。

11月中旬に風邪をひき、治ったんだか治ってないんだか、自分でもよくわからないまま、日常の生活に忙殺され(といっても、付き合いでの夜間活動もある)、ヘトヘト、ボロボロな状態で絶え間なく活動してきた。咳が止まらず、2週間ばかりずっとマスクを装着している状況だ。

で、今日(日曜日)の午後、久々の休みとなった。
いまとなっては日付はちょっと不確かだが、この2週ばかりを振り返ってみる。

11月某日
北のマチに初雪が降った。
交通事情がいよいよ冬仕様になる季節となった。すなわち、北のマチの住人が、よほどの緊急時や職務的必要がないとロングドライブは避ける思考になる季節である。そんな中、本格的根雪になる前に、雪をうまいことかいくぐり、今シーズン最後の苫小牧方面への買い出しの旅に行った。海産物、牛肉などを安価で仕入れ、また相撲部屋の冷蔵庫化してしまった。
しかしこういうの嫌いでない。

11月某日
実は解散総選挙となると、私の仕事も、風が吹けば桶屋・・のことわざのように、影響を受けることになっている。近くで読んでいる人にはわかるだろうが、これがために相当に面倒な頭脳労働を強いられ、スカスカな私の脳では、結局、時間を十分にかけて、地道に正解を導き出す愚直な方法でしか解決策がない。しかし、前述したとおり風邪の影響で、どうにもうまく立ち行かない。どうしたものか。

11月某日
週末、所属する某会の2年に1度の遠距離旅に赴く。今回は東京2泊3日旅。気兼ね不要な旅で、実質、自由行動のみの3日間になる。7月の桑田氏お台場ライブ以来の東京だ。ほぼノープランであったが、東京競馬場にてジャパンカップ、ワールドスーパージョッキーズを観戦。結構な勝負して、キッチリやられる。やはり、いつもと違う環境では、強く打ってはいけないもんだ、と実感。ランダムだが、上野、池袋の妖しい界隈、アメ横、有名なとんかつ屋、有名なラーメン屋、鈴本演芸場、新宿伊勢丹サロンドシマジ、なんかをみてまわる。で震度4の地震を浴び、山手線電車内で閉じ込められる。東京は、田舎者には怖いところだな。結局シマジ氏には会えなかった。大枚とシマジ氏の著作もカバンにしのばせていたのに。文豪開高氏のハナシを伺いたかった残念。

11月某日
職務柄、会社内の他セクションの職員と折衝することが多いのだが、この日折衝した30代中堅某職員の無責任な態度に、怒りを通り越して驚きを感じた。君のセクションではどうか知らないが、そのやり方では、こちらのエリアでは全く通用しないよ。仕事のしかたもそう、君がやるべき仕事であっても厭な仕事は全部部下に振っているね。しかも、余裕こいてタバコふかしながら、俺に対して逆ギレしていたらしいね。全部きこえてきてるよ。狭い会社だもの、こんな話、筒抜けだ。将来、君ははうちの会社の、そのセクションで核にならなきゃいけない立場であることをわかっているのか?ま、俺には関係ないんだろうが、その心根、心配だわな。

2012年11月19日月曜日

近いうち、の賞味期限

驚いた。

野田首相が11月16日、大胆にも衆議解散に舵を切った。
「近いうち」の約束事は、3ヶ月以上かけて成就したらしい。

私は特定政党に加味するものではないが、
解散する意思を公に知らしめた、11月14日の首相と安倍自民総裁とのクエスチョンタイム(党首同士の国会内での公開討論のことを英国風にこう言うらしい)において、眼がイッちまった感じで首相が「16日、解散してもかまわない!やりましょう!」と言い切ったとき、相対する席において「へ?」という虚をつかれた表情の安倍氏を見て、思わず笑ってしまった。

テレビは正直であり残酷だ。
政治家としての資質では野田>安倍っていう感じが明らかだった。アベ氏、油断してたか。政党間の力関係は抜きにして、個人対個人では圧倒的に勝負あった、と見えてしまった。

しかし現状では、私が感じた野田>安倍なんて図式は、ほんの瑣末でしかなく、解散の激流下では現政権は下野することが必至らしい。振り子は、もと来たほうに振れるのが必然だ。

これに加えて、ちまたでは、第3極(この言葉も耳障りがよい、ずいぶんと怪しい言葉だ)とされる人々の派手な振る舞いが、報道されまくりだ。彼らも多少、メッキは剥がれ気味ではあるが、私たちは、どうやらハトヤマ・オザワに走ったように、またこの国を変えてくれる(ニセモノかもしれない)救世主を潜在的に探しているようだ。結局、誰がやっても、そんなに変わることができないことを知ってしまったのに、それでも(ニセモノかもしれない)救世主にすがりたいのだ。

しかし正直、次の主役が自民でも第3極でも、どちらであっても、一向に構わない。
3年前、民主党病に罹ったような状況を思い出すまでもなく、何と言っても彼らを選ぶ(選んだ)のは、俺ら有権者なのである。

そう考えていくと、俺らって、これまた相当いい加減なものだ。
選挙後に彼らを批判することは、自分たちの選球眼が悪かった、センスのないセレクトをしてしまった、とっても恥ずかしいことである、ということを思い知るべきである。

そもそも、大の大人(投票する奴らは、みんな有権者なのだから大人だろ?)が、自分の幸せを他人に作ってもらおうなんて、どんだけ都合のいい考えなのか。

今からでも遅くはあるまい。
私は悔い改めようと思う。

2012年11月14日水曜日

大人の世界

11月も半ばに入り、ようやく今月はじめての更新である。
7月以降、月別の更新回数を見ると、明らかに右肩下がりのジリ貧状態になっている。

ネタ切れかよ?と思われる方もいるだろう。
飽きたのか?と思われる方もいるだろう。
貴様の筆力では、もはやここまでよ、と思われる方もいるだろう。

けど、ちがう。
ちがう、ちがう、そうじゃ、そうじゃない。
実際には書けてないけど、そうじゃない。

このごろ私の周りには、なにかと面白い出来事が連続して起こり、書きたいネタ、あるいは、書いたらヤバイよなあ、という微妙なやつが、けっこう溜まっている。たとえば、失踪、不倫、すっぽかし、アホになったふり、本当のアホ、などなど(身近で読んでる人、察してくれ)。

しかし、逆にいろんなことがありすぎるがゆえ、帰宅してもPCを立ち上げる気力がわかず、気がつくと連日、テレビのリモコンばかりを手にしているのが実情だ。テレビってこわいな(ディーガ君がいろんなもの録画してくれるから、セットしたこっちのほうが追いつかない。「相棒」なんて4週分も見てないままだ)。

そんな11月、商売柄、土日は定休のはずなのだが、いろいろあって2週続けて休日出勤となった。出勤したうちの1週は、小さい組織ながらも来春に新入社員を採用するための、入社試験の手伝いだった。詳細に書いてもあれなので(何なんだ?)、仮に5名の受験者がいて、1名を採用するという条件であった、としよう。無論、私には採用権限はないが、所管部門から頼まれて人物評価をして、点数を付ける作業をした(直接的な影響はないが間接的に一応の参考にするそうだ)。

その中で、何をどう間違ったのか、うちも大した組織じゃないが、君は何故うちを志望した?という人物が混在していた。若者らしい覇気がなく、言動も無責任でだらしない、作文は意味不明、字も汚い(私にはそう見えた)。当然、自信満々で辛い点を付けた。二度と会うこともないだろう、とも思った。

ところが、である。
その人物が、採用内定となったのである。
ん?そこまで俺の見る目が乖離しているか?と自分のセンスにあせった。

しかし、集計表を見たところ、再度、ん?となった。その人物にだけ、かつてのボクシングの世界戦を思い出させる、どんだけ買収したらこんな点がつくんだ?という露骨な数字が踊っていた。

氏名を確認したら、これまた、ん?となった。
この地域でけっこうな縁故関係をもつ有力者の姓である。おまけに、私はかつてそいつの血族(多分、実父だ)に激しく厭な思いをさせられた過去がある(気づかれぬように仕事でキッチリやり返してやったことがある)。とにかく、こいつが内定となるのは、こいつのチカラじゃない。血のチカラだ(もう断言しちゃうぞ)。

出来レースなら、ほかの受験者に失礼きわまりない。こんな大人たちの一味として、申し訳なく思う。社会の成り立ちの一部を見せつけられた厭な一日だった。

苦いぜ。

2012年10月30日火曜日

スーツを電撃購入した話

北のマチには、もうすぐ雪が降りはじめる。つい1ヶ月前には、汗ダクダクで大通公園でビールなんか飲んでいたのに、いまそんな愚行をしたらキッチリ病を得るだろう。ずいぶんと秋も深まった。季節はシッカリうつろうものだ。

しかし私は、そんな季節のうつろいにワビサビを感じている場合じゃなく、冬が来る前に、個人的に必ず遂行しなければならないミッションがあった。

ズバリ、減量である(今となっては、であった、というべきか)。

昨冬から、冬用スーツの腹回りがきつくなり、このままいくと来年着れなくなるヤバイぞ!と承知していたのだが、ま、1年あるし何とかなるだろう、とも安易に考えていたところもあり、結局平時の欲望に流されるまま、この時期を迎えてしまった。

そして10日ほど前、少々ドキドキしながら、クリーニングのビニールを引きちぎり、冬用スーツに袖を通してみた。

案の定、ジ・エンド。
すべてキツくて着られないのである(そりゃそうだ。放蕩しすぎだもの)。

それでも職務柄、スーツを着ないわけにはいかない。かといって、ムチムチ炸裂しそうなものをいつまでも着続けることもできない。そうなると、この時点で考えられる選択肢は3つ。

①急激にダイエットする
②冬でも構わず、そ知らぬふりで夏用スーツを着続ける
③新たにあつらえる

で、とりあえず暫定的に②を遂行しつつ(インナー上下ヒートテックを着て)、これといった結論が出ないまま、先週末を迎えたのである。

これより先、
あらかじめ断っておくが、これは自慢ではない。戒めである。

28日(日)の天皇賞(秋)。7年ぶりの天覧競馬。
ミルコ・デムーロ騎手が最内を突く好騎乗をみせエイシンフラッシュ号で快勝。
ゴール後、ミルコ氏が下馬し、天皇陛下に騎士然とした敬礼をみせたとき、私の財布は大層な厚みになっていた(厳密に言えば厚くなったのは確定後。文学チックに書いてみた)。

というわけで、
急に冬用スーツ3着と、新しいメガネをあつらえた。
予告どおり、この機会に専用マクラもあつらえることにする。

なんだか、調子がよすぎるぞ。
自戒せねば。

2012年10月26日金曜日

眠れぬ夜に

もともと私には、不眠のきらいがあるのだが、最近は特にその傾向が強くなってきた。

どういうわけか夜中に目が覚める。
22時以降に布団に入る。今でも大病した際の主治医から2種類の眠剤を処方されているので、それを飲めば寝つきはいい。すぐ眠りに落ちる。しかし、クスリを飲んでも飲まなくても、決まって夜中に目が覚める。それが大体午前2時前後か。

まんじりとしているときもあるが、たいがいは仕方ないからラジオをつけ、日によってジャンク(TBS系)かオールナイトニッポン(ニッポン放送系)を聴き分ける。ちなみにラジオ深夜便(NHK)は滅多に聴かない(眠るための環境整備上この言い方は矛盾しているが、静謐感がありすぎるのが怖いため)。

つまらんトークならそのまま意思をもってスイッチを切り眠りに落ちることもあるが、面白いトークだと混濁気味に聴き続け、知らぬうちに眠りに落ち、ラジオはつけたまま目覚めることになる。身体が重く、頭もボーっとしている。この頃は、こんな朝が多い。

3たび物欲の神様が動き出しそうな雰囲気だが、それは今週の天皇賞(秋)次第。
今のターゲットは、安眠できるマクラ。なにか良い情報をお持ちの方(競馬じゃなくてマクラのほうですよ)、ご教示いただけるとありがたいです。

2012年10月25日木曜日

バス旅の風景

先週末、職場の仲間10数名で毎年恒例の観楓会に赴いた(かんぷうかい:北のマチではよく使う言葉ですが、わからない人の為に解説をすると、秋季に慰労を兼ねて行うレクのことです。楓を観る会、風流な言い方です)。

行き先は道央、旭川富良野方面。貸し切りバスでの1泊旅。
今回の私は、基本的にシガラミノーサンキューの自由な立場。誰かをヨイショする必要もなく(ホントは一部あるんだけど気にしない。する気ない)、幹事じゃないので金を数える必要もなく、ただただ飲んで食って、時折適当にガヤッていればオッケーという感じ(ラクなもんでした)。

シメの旭川ラーメン。うまいよ
行きの車中から飲酒がはじまり、昼食でも飲み放題付きのジンギスカン。夕食も当然の飲み放題付きのコース設定で、さらには2次会も同様の設定。もう酒もメシもイラン!ってほどたらふく飲んで、そして食べた。加えて2次会後のシメは無論、旭川ラーメン。とにかく節操なく、餓鬼のように食い尽くしたナ。

そんな気楽な旅だったので、車中では前日購入した競馬新聞とスマホにインストールしたRadiko(民放ラジオが聴けるアプリです)、それとIPATを駆使して、チビチビ馬券を買うことに。2ヶ月ほど前から予想のスタンスと馬券の買い方を改めたら、ナカナカ具合がよくなった。まだまだ改良の余地もあり、今はそういった工夫が楽しくて仕方ないので、この日も調子に乗って実践買いに走ってみたのだ。


場所が場所だし、そんなにチカラを込めて買うような状況じゃないが(テレビ画面も見られない揺れるバスの中です)、とにかく少し打ってみる。そのうち環境にも慣れ、いいところがポツポツ引っ掛かりはじめる。昼食前の段階で黒字仕舞いの算段が出来上がった。文字どおりの旅打ちだ(意味が違うな)。

実は、自由な立場での参加でありながら、この旅ではひとつの懸念があった。

参加者は皆、職場の狭い範囲の者たちである。いわば皆、素性がわかっている。そうなると、聴かなきゃいけないことや、言わなきゃいけないこと、モノ申すべきことなどが渦巻いてきて、飲んだ勢いで「この際だから言わせてもらうけど」的な物言いがはじまることがある。ひどい場合には禍根を残すことや、その場では収拾がつかなくなることもある。無礼講なんてウソだよな。

私の懸念とは、
自由な立場での参加でありすぎるがゆえ、飲んだ勢いで、日常の素行に問題があり卑怯かつ愚劣な同僚Aに対して、タガが外れて言っちまう、俺ガチでやっちゃうかも・・・というものだった。

Aは「なんのことでございましょうお奉行様」とシラをきるつもりであろうが、
「おうおうおうおう!テメーの悪行三昧、天網恢恢疎にして漏らさず、こっちは全てお見通しよっ!引っ立てぃ!」なのである。とにかく腹に据えかねている状況で、いつ自分の理性が決壊してしまうのか、自信がなかったのだ。

しかし、心配は杞憂に終わった。
酒が入ると奇跡の道化師と化す同僚Bのワンマンショーが開催され、私とAとの接触はうまい具合に阻止されたのだ。こちらは事前に、長州力が腕をグルグル回してラリアットを予告するかのごとく、Aに対してガチイレも辞さず、と一部関係者に漏らしていたので、何らかの配慮があったのかもしれない。

翌日の菊花賞、メンディザバル騎手の鬼気迫る2着死守(レース中に腕を脱臼してたらしいな)のおかげで、3たび物欲の神様がソワソワしだした。

しかし、
それにしてもAよ、君をお白州に座らせることは本意じゃないが、いずれは仕方ないだろうな。

2012年10月20日土曜日

いまさらテレビの話

私は極端な人間である。

その例を挙げればきりがないが、たとえば、ここ5年ほどで考えると、自宅では、ほとんどテレビを観ていない。

その証拠に、世の中では、いわゆる地デジ完全移行が昨年の夏ごろだったと思うが、これに対応するような策を何一つ立てないまま、今までやってきた。地上波のみ対応のテレビだったから、こちらの欲求云々ではなく、この部屋では物理的に1年以上はテレビを観ることができなかったはずだ。

しかし、全く不便を感じなかった。もともと活字が大好きだし、ラジオが大好きな人間である(今もそうだけど)。どうやら私の生活にテレビは必要ではなかったのだ(だからといって、社会人として一般的に考えれば、異様な環境であろうことは承知している。嗜好の問題だといって声高に語るべきものでもないだろう)。

今の時代、情報なんてインターネット経由でいくらでも入ってくるし、気になる動画もパソコンから視聴できる。つなげばパソコンでテレビが観れる環境でもあった。つないでないけど。・・・何だかずいぶん言い訳めいてるな。テレビがないという事実をもって、潜在的に自分を卑屈にさせる何かがあるのかな?

ところが、である。
先週末に我が家にやってきたビエラ君とディーガ君なのである。
これが、付き合ってみると実に良くできた奴らなのである。

画像は断然綺麗になっているし、いとも簡単にサクサク録画できる。気を利かして、あ、それ録画するんすか?なら、もしよろしければ関連番組も録画しときますぜ!なんていう過剰サービスもついている。

今朝も録りだめた番組から、男気じゃんけん清原4連敗なんていうのをわけもわからず観てしまった。この期に及んで、テレビが人生で一番近距離に入ってきたのである。生活はこうやって変わっていくのだろうか。

勉強しない子供がゲームをとり上げられるように、私にも自主規制が必要となる日が、間違いなく近づいている。

2012年10月15日月曜日

某日日記

更新が10日ばかり空いてしまった。みなさんお元気でしたか?こんなときは決まって言い訳じみたことを書いてしまうが、果たしてこれは誰に対する言い訳なのか?自分でも良くわからないので、今後はもう書かない。そのかわり、ざっとこの間の動きをメモしておく。この空白がなぜ起こったのか、赤裸々になる(はずだ)。

10月6日(土)
苫小牧、白老方面に出向く。グルメ三昧のドライブ旅だ。道中のお供に山下達郎4枚組ベスト版。硝子の少年のタツロー版はハッとするほどカッコいいな。
一部マニアには知られたマルトマ食堂(苫小牧)にて昼食。激混みで1時間以上の待ち。給仕のおばちゃんも大混乱。その後、近隣の市場にてホッキと甘海老を購入。間髪いれずその足で虎杖浜へ。鮭トバ、朝とれたばかりのタコ、イカを購入。さらに白老内部へ討ち入り、白老牛を約1キロ購入。ちょっと走ってマザーズのプリンも。ところで、誰がこんなに食うんだ?うちは相撲部屋か?

10月7日(日)
馬券を買いにすすきのウインズへ。フロアにいつもいるジイサンがいない。かなりの高齢だ。もしかして、と気になる。しかし、そんなことにも関係なく、馬券は好調。記載するのも緊張するほどの3連単がドカンと来る。即キャッシュカード入金。今年2回目の快挙。
夜、フランス凱旋門賞。オルフェーブル号は無念の2着。素人の意見だが、あんな欽ちゃん走りされちゃ、誰が乗っても勝てないわな。スミヨンが下手に乗った、とか、ぺリエが巧くさばいた、とかじゃない。単にオルフェーブル号がヤンチャすぎるのだ。かわいい馬だ。

10月8日(月・祝)
前日の大当たりの衝撃で、一切の記憶なし。何をしていたんだろう?

10月9日(火)
キャッシュカード入金のあおりを受け、物欲の神様が再降臨。勤務終了後、大型家電店をハシゴ。気が変わらないうちに、テレビとブルーレイを購入することに。しかし、機種が多すぎてよくわからない。逐一店員に質問確認。家電芸人がほしい。

10月10日(水)
勤務終了後、再度家電さがしの旅へ。前日好印象だった店員から、更に値引きの提案を受けて、ついに購入決定。悩んだ挙句、チョイスしたのは37型ビエラと2番組録画可能なディーガ。パナソニックで攻めてみた。諭吉氏が10人ほど出ていった。設置は金曜日になる。

10月11日(木)
仕事のためニセコ方面へ1泊旅。90歳になろうとする人生の大先輩たちをエスコート、のつもりが、みなさんホントにお元気で、介助なんて一切不要。こちらのほうが送迎バスの座席の狭さに、足腰をやられる。エコノミー症候群寸前。腰痛も。きびしい戦いだ。

10月12日(金)
ニセコから余市、小樽を巡り無事帰還。座席の狭さに身体は疲労困憊だが、小樽にて初めてパンロールを食べた。役得だな。帰宅後、新テレビと新ブルーレイとご対面。いろいろ試してみる。まずは、サッカー日本対フランス戦を予約録画してみよう。
身体の疲労に耐え切れず、翌日の酸素カプセルとマッサージをお願いする。

10月13日(土)
7時前にやおら起き上がり、予約した番組を見てみる。きれいに録れてる。ビエラとディーガ素敵!サッカーにはあまり興味がないのだが、初めて録った番組が歴史的勝利だったとは、縁起がいいものだ(終始押されっぱなしのように見えたけど)。その後、マチに出向き、酸素カプセルとマッサージ。施術の方に、こんなカチカチのコリ具合では、35分のマッサージではどうにもなりません、とお手上げかつお褒め?の言葉をもらう。身体はだいぶん楽になり、その足でスポーツ店へ。靴、ジャージ、パーカーを購入。サッカーつながりでふと思い出し、買いだめていた書籍の中から「ファーガソンの薫陶」を読みはじめる。結局、頑固な爺さんのハナシだった。実りの多い土曜日だ。

10月14日(日)
3匹目のどじょうを狙い、懲りずに競馬「秋華賞」で勝負する。ちょっとした穴馬を狙ったのだが、大本命の馬たちがこともなげに1、2着。いわゆるトリガミ(当たってもマイナスのことです)で、最終レースでオケラ(財布がスッカラカンのことです)にされる。久々にケツの毛まで抜かれる大敗。こんな日もあるさ。ゴートゥネクスト!

2012年10月4日木曜日

オトシマエの話 桑田佳祐ライブを遂に見る!

マイノートパソコン様の機嫌がなおったので、話はさかのぼるが9月末の感動を書いておく。
くわたまつりだ!
9月29、30日、北のマチに桑田佳祐氏が帰ってきた。
この地では、2007年12月以来、かれこれ5年ぶりのライブである。

過去にも触れたが改めて個人的な体験を書くと、

私は5年前の桑田氏ライブを観たあと、生命の危機ともいえる大病が発覚し、半年間の入院を余儀なくされた。その後、幸いにして身体は快復し現在に至るのだが、どうしても個人的なオトシマエをつけたいと思っていた。

それを具体的にいえば、
あの時と同じ会場で再び桑田氏を観る!という一点であり、声をからして大声で歌う!ということだった。これこそが、俺のねじれた時間と精神を回復させる唯一の方法である、と密かにこだわりをもって雌伏5年もの間、付け狙うヒットマンの如く考えて続けてきた。

それで2年前、桑田氏のライブツアーが発表され、いよいよ念願が叶う、と思っていたら、さにあらず。今度は桑田氏のほうが体調をくずされた。桑田氏は、ひとククリでいえば、俺の抱えた病気系の後輩となり、大学4年と1年で同じ文系サークルに属しているような間柄となった。より詳しく見ていくと、合唱部とアカペラ同好会みたいな間柄。書いていて自分でもよくわからないが、とにかくいたしかたない公演キャンセルだった。俺はその際、北海道と東京の公演が取れたのだが、すべてパーに。チケット払い戻しは、談志師匠以来か。

なかなか機会は巡ってこない。
というか、桑田氏は大丈夫なのか?という日々が続く。半年後の大晦日で、氏を目撃することになるが、その状態だって、まだ半信半疑だった。

それでも快癒が確認され、
今年7月にはお台場ライブで邂逅はかなったが、
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2012/07/blog-post_09.html
それではちょっと、というか、だいぶん、俺にとって意味が違うのだ。

あの日から5年、ようやく、ようやく来た。
多少、おっさんだって泣いたっていいじゃないか。

会場の外は、ちょっとしたお祭りのようなデコレイト、グッズを買い求める人並み。
会場の中は、すでに立錐の観衆。


友人がそろう。席に4人並ぶ。
まもなく。まもなく。
さあ、はじまる!
桑田よ!どんどん来い!

ライブは約2時間半。
ネタバレの趣味はない。
声は枯れた。

俺の腐った魂は成仏し、再生した。
明日晴れるかな。
ありがとう桑田後輩!

2012年10月3日水曜日

機械問題の顛末

気がつくと、10月になっていた。
ブログ開設以来、これだけ未更新を通したのは初めてである。
もし、こんなサイトにもファンがいたのなら、申し訳ない。こらえてつかあさい。

以前にも書いたとおり、使用しているノートPCの調子が9月下旬からおかしくなり、端的な現象で言うと、いきなりネットが開けなくなった。その原因は、ウイルスソフトの重複インのため、と分析していたが、その分析が正しかったのか否かは、今となっては正直わからない。

両方のソフトとも一旦アンインストールにして、そのうちの一方を再インストールするとよいのでは?という解決策が、機械に明るい友人によってもたらされたが、私にしてみると、猿にギターを弾け、といっているようなもので、なんのことだかサッパリ解らず一向にラチがあかない。とりあえず冷蔵庫を開けて、バナナを食べてみた。しかし何も変わらない(腹が減っていただけだ)。

結局、有料ソフトのほうが9月末日で有効期限を迎え、不本意ながらダラダラと10月1日(月曜日)がやってきた。さて、これで無料ソフトを入れましょうか、と再度やってみたのだが、結局わがPC様はご主人(私のことね)のいうことを全く聞いてくれなかった。まったく動いてくれない。しかもこの日は、ちょっとした事情があって、早朝に自宅に戻ったので、朝の5時半にこんなことをしている。

絶望的な気持ちを抱えている猿状態の私。どうするの俺のPC?

しかし、ここで事態が動いた。
まさにこの絶妙なタイミングで、有効期限を迎えたはずの、有料ソフト会社から、案内メールが来たのだ。3年契約にしてくれたら、値段もかなり勉強しますからね?どうよ?ホントまじでどうよ?これで最後だぜ?っていう内容で。

空が白んできた。
このままだと、PCが使えない状態が一生続く。
このままだと、ブログへの熱意も萎れていく。
このままだと、俺の人生暗かった、ってなるかもしれない。

いろいろ逡巡を繰り返し、決めましたよ。
有料ソフト3年継続。一金壱万壱千数百円なり。
これで動いてくれるなら安いもんだ、と言い聞かせて。

コンビニに行き、金を支払い、その日の夜には、PC様、ご機嫌がなおりました。
また働いてもらいますよ。

2012年9月25日火曜日

酸素の効能は?

酸素カプセルにハマリつつある。
前々回のブログで、クセになるかも、と冗談半分で記したが、ホントにそうなってきた。

その後、
身体に明らかな変化があらわれたのだ。

あらかじめ断っておくが、こういった現象は人それぞれであり、私がそうなったからといって、あなたにも同様な現象が起こる保障はない。偶然性が否定できない中での、私の個人的な体験、と承知してお読みいただきたい(ちょっとダイエット関係の通販の注意喚起を意識してみた)。

とにかく、ものすごい発汗なのである。

時系列で書くと、初めて酸素カプセルに入ったのは、9月15日(土)、二回目が同22日(土)。
15日は、ワッフル地のカーキ色のシャツを着て出掛けのだが、カプセルから出た後、大通公園で開催されているオータムフェストにて道内各地の名産品をつまみに、ビールを2杯飲んだ。関係ないけど、オータムフェストは、基本的に美味いものばかりだが、中には名は伏せるが明らかに不味いくせにぼったくりみたいな値段がついているブースがある。気をつけろ!


うまいんだな、これが。古いか?
15日は、たしかに秋とは思えぬ異様な湿度だったし、気温も30度前後はあったのだろう。まあ、普通に酷暑だった。しかし、そんな言い訳が馬鹿らしくなるほど、発汗したのである。自分発汗史を塗り替えるどころか、人類の発汗の歴史までも危うくするほど、驚異的な量の汗が出たのである。


カニの甲羅焼きだ!
みるみるうちに、カーキ色(元来の意味は土ぼこりの色、だそうです)のシャツは、大量の汗を吸いこみ、黒土を塗ったくったような色になり、Gパンまでもグッショリになった。まるで路上で突然、兄弟子に出会い、小一時間にわたりカワイガリを受けた序二段力士のような有様である。
それに併せて、これほど汗を出しといて、更にどこから水分を調達したのか知らないが、猛烈な尿意が幾度も突き上げてきた。医学的な説明は不可能だが、ダムが決壊したかのごとく、水、出し放題である。かといって、痩せたわけではない。不思議だ。体内で何が起きたのか?そんなに不摂生な身体だったのか?

そんなわけで22日、前回と同じ某店に赴き、生涯2度目のカプセルインしてきた(言葉、変か?)。マッサージ40分(だったと思う)と酸素カプセル40分のセットでトロトロにリラックスした。カプセルは2度目ともなれば、耳抜きさえできれば、あとは何もすることがない。シューシュー酸素を浴びて寝ているだけだ。マッサージは今回、首と肩を重点的にやってもらったのだが、施術の方に背中に鉄板が入っているようだ、と異様な凝り具合を絶賛された(なんか変な自慢だな)。ズブズブと痛いところに指が入り込んでくる。オジさんがうめくほどのイタ気持ちよさである。マッサージが終わったあと、肩から上がびっくりするほど軽くなったことを自覚した。すごい変化だ。

店の方からは、セールストークも当然含んでるだろうが、継続することが、とても大切であると説明を受けた。そうしたくても、なかなか通うだけの時間は取れない。金銭面の問題もある。

今朝起きてみると、あれほど軽くなった首と肩は、早くも平常に戻ったっぽい。
しかし、不眠の私にしては、珍しいほどに睡眠が快適にとれている。
酸素は確かに、私には効いているようだ。

あくまで個人的な感想です。

2012年9月22日土曜日

機械不信の念

ここのところ、普段使っているノートパソコンの調子がおかしくなっている。

うすうす原因はわかっている。
ウィルスソフトを新しくしたのだ。高い金を払っているのが馬鹿らしくなり、無料ソフトに切り替えた。これがうまくないらしい。

以前に使っていたソフトが、機械上うまく消去できていないらしく、内部で新旧入り乱れて、敵も味方も見境なく、押すな引くなの大乱闘になっている、というのがセルフ分析である。

それと、このノートPCを使用して書き込んでいる本ブログは、グーグル系のBloggerというところでお世話になっているのだが、これにも不都合が出ている。

そもそもが英語仕様らしく、日本語変換が以前からパッとしなかったのだが、最近ではまったく変換が効かなくなってしまった。すべてローマ字の小文字で出てくる。変換キーがどうやってもいうことを効かない。原因は不明だ。別の理由かもしれない。

とにかくそんな暗号文章は、日本人が読めば吐き気を誘発しかねないので、仕方なく、ここ数回の更新分は、ワードを立ち上げて、そこで打ったやつをこちらに貼り付けることをしている。労力の無駄である。

そんなわけで、短めで終了。

2012年9月21日金曜日

回復のアイテム


3連休を挟んで、1週間ぶりの更新である。
九州旅の思い出を何回かに分けてダラダラと書きなぐるつもりでいて、その流れでいけば今回は(九州旅その4)となるべきであった。

しかし、期間が空いてしまい、旅に出たのも随分昔のような気分になっている。要は、記憶が薄れてしまっている。何よりも旅の影響を受けての、内面の発熱や発酵が、自身が思っていたほどには図られていない。

そんな訳で、画像はたくさん残っているのだが、この関係の話はしばらく寝かせてみたい。いずれ、いきなり(その4)が出てきたら、ニヤリとしてください。
 

旅から戻ってきて、否応なしに日常に引き戻され、有難いことではあるが随分と仕事をさせてもらっている。もともと、スイッチのオンオフをしっかり決めないと、気持がどこかに持っていかれそうな職場環境である。ここ2年ほど、仕事への取り組み方が悪いのか、この環境がいっこうに改善されない

職場における私の役回りは、
野球レジェンドに例えて言うなら(そんなに恰好よいものではないが)、江夏氏(当時広島)が変化球の握りのまま外角へ外してスクイズを逃れた瞬時の的確な判断力(江夏の21球だね)と、オーソドックスだが川相氏(巨人中日)のように毎度確実な送りバント(犠打記録だね)も求められる、という微妙な感じである(結局わかりにくいのだ。スマン)。

そんなハテナ?となるニーズであっても、充足感があれば精神的にはなんとか均衡を保ってやり過ごすことができそうなものだが、旅から戻っての急な仕事モードは、いらない果実として、単純に肉体的な疲労を生んだ。

首、肩がコチコチに固まってしまい、触るだけでギャーと叫びたくなる獰猛な痛み。加えて持病になりつつある慢性的腰痛、更には旅で歩きすぎた為か、ふくらはぎの尋常ならざるハリ。それ以外にも身体のあちこちが悲鳴を上げた。すでに九州砂蒸し風呂効果はゼロの状況である

そこで、懊悩の末、以前から気になっていた場所に駆けこんでみることにした

酸素カプセル+マッサージの店

えっ?癒しを求める女子か!お前そっち系か!などとは、どうか言わないでくれ。それだけ身体がつらかった、と思ってくれ

で、やってみての個人的感想

これはいいぞ!
クセになるかもしれない。

ただ、酸素カプセルは、正直にいえば、よくわからんよ。

2012年9月14日金曜日

砂に蒸されて考えた(九州旅3)



こんなロケーション。プラセボ効果も抜群だ

深夜、極めて遺憾な憤怒ラーメンを食した翌日、我々はレンタカーを借りて、鹿児島の南方面(地図でいう左下?)へ向かった。

道中、道の駅2箇所に寄り確実に土産を増やし、ダラダラした一本道を、どうでしょう気分(わかるよね?)で走っていく。しかも天気予報が外れて、見事な快晴である。

雑駁な言い方だが、左は海しかなく、右は山しかない。そのタイトな隙間を黄色い菜の花電車(JR九州ご自慢の電車らしい)と並走して駆けていく。砂蒸し風呂の名所、指宿をスルーして山川という隠れ家スポットまでどれくらい走ったか。ベタベタ貼ってあるライバル同士であろう政治家のポスターの顔つきが、互いに過剰に凛々しくて気持ち悪かったが、快晴と爽快な空気が忘れさせてくれる。


開聞岳(かいもんだけ)雄大だナ
急坂を下り、山川の砂蒸し風呂は、先客が6人ほど。まずは自然の景色にヤラレル。すばらしいロケーション。受付をくぐって4人並べて砂に埋められる。ジワジワと暖かさが効いてきて、じっとり汗ばむ。
本職?の砂かけおばさん(砂かけババアとはあえて言わない)は、バイトの砂かけ兄貴(AからC)たちと、バイトAの購入したテレビの値段が高いだの安いだの、バイトBは車に金をかけすぎだの、方言で話し込んでいる。

好ましくはないが、とりたてて不快ではない。こちらは身動き取れない状態で仰向けに寝ている。ウルセーばばあ!なんていっても、今の状況なら、絶対に負けるのだ。だまって聞き流そう、そうして毒素を出して健康になろう。

こうやって、20分以上の時間が過ぎる。じっとりとした汗が、ダクダクの汗に変わり、ゴーゴーとたれてくる。限界手前に砂から脱出し、一息つく。汗まみれの砂を払い、浴場へ。着替えてみると、昨夜来の胃のムカムカは消え、腰(もともと慢性腰痛のきらいがある)が軽くなっていた。もう、いいことだらけ。一生、埋まっていたいほどだ。

昨日腹を壊したY3も、体調を回復したらしい。

チャージされて、気分よく日常生活に還ろう。
気が向けば次回その4へ。

2012年9月13日木曜日

鹿児島ラーメンに関する考察(九州旅2)

九州旅の初日、飲み屋の格好のカモとなった我々(スゴイ大金を支払った)は、大幅に薄くなった財布を確認しつつ、落後者1名を除き、シメのラーメンを求め、蒸し暑い深夜の天文館をさまよった。

事前にリサーチしていた人気店(2店)は、いずれも行列しており、随分歩いたが、結局2軒ともスルー。早々に持ち駒がなくなったところで、老舗っぽい門構えの中華料理屋を発見、地獄に仏とばかりに、躊躇なく飛び込んだ。・・・しかし、あまり考えず入店したことを後刻激しく後悔することになろうとは、我々は知る由もなかった。やはり、カモメはカモメ、地獄は地獄だったのである(よくわからん)。

せめてうまかった七輪焼の姿を。ブラボー!
あくまで個人的見解なのをお断りしておくが、
鹿児島ラーメンは、基本的にあまり地域の特性というか、統一的な特徴がないようだ。それぞれのラーメン店が独自に色を出している、といったイメージである。ブランドによる護送船団ではなく独立独歩みたいな。総じてトンコツが効いた、いわゆる九州系ではあるが、これぞ鹿児島ラーメン!といった色がない。逆に言うなら自由度が高いラーメンだ。(見解に誤りがあったらスマン)。

で、老舗っぽい中華料理屋で、ラーメンセットみたいなものを食べました。

結論
・・・・・まずい。

激しく、まずい。
泣きたくなるほど、まずい。
一体、何が入ってるんだ?

鹿児島ファンである私は、
この店だけがまずいのだ、たまたま入った店が悪かったのだ、入った我々がイカンかったのだ、と思いたい。いや、思わせてくれ。そんな、媚びたくもなるような暴力的、かつ、圧倒的なまずさ。

私は、自らのラーメン人生において、1つのポリシーとして、
店の人に失礼がないよう、常に麺だけは食べきるように心掛けてきた。しかし、九州鹿児島の地で、ついにそのポリシーは破綻を迎えた。冗談ではなく、身の危険を感じて、3すすりして、箸を置いたのだ。なんだこの味は?

よく営業できるな、おい!なんだよ、そのハッタリな門構えは!
当然ながら、金は払った。
その当然の行為も、腹立たしかった。金とるのか?こんなもんで。

後刻、無理して食べきった同行の友人Y3(食が細いのに)は、きっちり腹を壊した。
ラーメン以外の食べ物は美味いだけに、困ったものだ。

前途は多難だぞ。
明日はどうなる?

2012年9月11日火曜日

旅から帰ってきた(九州旅1)


3泊4日、九州の旅から無事帰ってきた。
気のおけない4人の仲間旅だった。
みんな、よく食べ、そしてよく呑んだ。

明日から仕事に復帰するが、しばらくは抜け殻のような状態であろう。それでもメシの糧、さっさと仕事しなきゃイカン。

初日に羽田を経由して、話題の787(飛行機です)で鹿児島に入った。
鹿児島は約1年ぶりの訪問である。天文館(地名です)という繁華街に宿を取り、のろのろと活動を開始する。海の方まで出て、微妙な規模のショッピングモールにて焼酎専門店を発見、鹿児島でしか入手できないであろう銘柄を4本(すべて芋焼酎です)購入、宅配便で送ることにした。

俺は、この時点で、すでに大量の試飲でフラフラ。
勢いのついたその足で、地元デパート山形屋に乗り込み、偶然開催されていた鹿児島物産展にて、ラッキョウ、天然塩などを購入した。

なんだかよくわからないが、土産というより食材の買い出しに来たような気分だ。よく考えたら、そんなものは北のマチにも売っているだろう。いやいや、旅先の判断に後悔は不要だな。なるようにしかならない。
桜島。快晴の朝。

その後、前回も訪ねた店を2軒はしごした。
 
1軒目は七輪焼きの店。無口だが愛嬌のある若い店主は、健在であった。再訪をとても喜んでくれた。しかも出された食事は、本当に美味い。
 
2軒目は、ちょっとしたラウンジバー。改装されていたが、一年ぶりの訪問でも、我々のことを覚えていた。リーダー格のお姉さんは、他のお客の珍しいボトルを我々にドンドン出してくれる大らかさがあり、歓待してくれた(お金はしっかり払いましたよ)。
 
1年ぶりに私についてくれた女性が、一段と綺麗になっていた。昨年は教えてくれなかったメルアドを今回は教えてくれた。また来年も来るのか?そしたら、メルアドだけじゃなく、なんだその、ムニャムニャ・・・
 
まてよ?これって・・・
ワシら、いいカモだねぇ。

2012年9月6日木曜日

無罪放免


昨日の水曜日、3ヶ月に一度の定期検査を受診してきた。
採血の結果、若干の指摘事項があり、次回へ積み残しとなった部分もあったが、トータルでは幸いにして無罪放免となった。これで心置きなく九州へ向かうことができる。

次回の検査(来年1月)は、年に一度の大掛かりなものになる。
CTやらなにやらを1日がかりでバタバタとやることになる。

福島の原発事故以来、放射能の影響を心配してワーワー騒いでいる人々がいるが、まあ、そういう動きも当然だろうな、と思うし、立派だとも思うが、私は医療行為として、既にそっち系を人並み以上に浴びてしまっている。何デシベル(単位がちがうな、これは騒音か?か知らないが、それで生き返らせてもらった立場である。

発病して4年。心を揺さぶられることなく、こうやって健康を確認していくしかない。
この渦の中にいると、意外に淡々としたものだ。

それにしても、今回の診察は、大病院の悲しい慣習なのか予約時刻から大幅に遅れての診察となった。結局、2時間半、待つことになった。当初の診察予約時刻が13時であり、昼食を摂るかどうかの微妙な時間だったこともあって、あとで美味しいもの食べようと、何も摂らずに待っていた。これが結果的には間違いだった。

どんどん腹が減ってくる。隣で幼児が泣き叫んでいる。声の大きい爺さんがワーワー話している。子供に絵本を読み聞かせる母親が、明らかにオーバーランしてオリジナルストーリーを語っている(アンパンマンはそんなにグロい話じゃない。子供もキョトンとしているじゃないか!)。

泣くな坊や、何回同じこと言うんだジジイ、おい母親ちゃんと読めよ!とイライラする。腹が減る、たったそれだけのことで、こっちの耐性は大幅に下がる。メシ食っとけばよかった、としきりに後悔した。

おまけに予定があまりにも狂ってしまい、後段予定していた仕事をキャンセルせざるを得なくなった。こちらの信用を損ねた被害を、一体誰が負ってくれるのだろう。とにかく病院は、非常に疲れるところだ。

仕事のキャンセルで時間がポッカリ空いたので、大型家電店に寄り、スマホ用のヘッドホンを購入した。そんな高価なものではないが、言葉も態度も荒げることなく、品位を保った自分へのせめてもの御褒美だ。

なんだかんだで、甘いな、自分。

2012年9月5日水曜日

物欲の神様

先週金曜日、仕事もあらかた終了し、パソコンの電源を落とそうとしたときに、
自身のことながら突然のハプニングともいうべき事態に出来した。

私の中にいるらしい、物欲の神様が急に暴れだしたのだ。
記憶もおぼろの空白の15分、気がつくと、アンティーク時計のサイトを見ていた私は「購入します」をクリックしていた。

いまさらながら、自戒を込めて、神様降臨の背景を分析してみると、

①その日の午後、抱えている仕事の一つがなんとか完結し、とても気分がよかった。
②その日の夜、勤務先において百人規模の大宴会が催されることもあって、いつにも増して浮かれ気味だった。
③翌週には、九州旅に赴くことも確定しており、これまたウキウキしていた。
④先週のキャッシュカード入金の事態(過去ブログ参照)により、不相応な財務状況であり、バイするジャッジが相当甘くなっていた

という具合である。




どうやら、神様降臨の土壌は十分整っていたのを、こちらが(どちらだ?)見逃していたのだ(ちなみに②の宴会の余興では、プラズマクラスター羽根なし扇風機(なんだかよく分からない)が当たった)。

自戒せねばならぬ。

そんなわけで、昨夜、神様の賜物が宅配便のオジサンにより届けられた。
製造年が、私の年齢とほぼ同一の時計である。生きてたか、お前!っていう出会いである。どんだけヨボヨボ?と思いきや、なかなかシブい。さきほど、さっそくつけて、早朝の北のマチを歩いてみた。存外、快適である。

私の場合、モノとの縁は、だいたいこんな感じで決まっていく。
同期の友を大切にしようと思う。

2012年9月4日火曜日

残暑ですな

1週間のご無沙汰でした。
9月に入ってもなかなか更新する時間がなく、覗きにきてくれている数少ないマニアの方々には、期待に応えられず申し訳ないが、日常がバタバタしていて、しばらくはこんな感じでいきそうです。

8月29日、妹夫妻が渡米し、無事入国したとの報が届いた。住むべき家が決まるまで、しばらくはホテル住まいになるようだが、フェイスタイムだの、ラインだの、文明の利器によって手に取るように様子が伝わってくる。大げさでなく、渡米以前よりも妹夫妻の活動状況がわかっている。地球は狭くなっている、というのはこういうことを言うのか。貴重な体験だ。

ローソンチケットから今月末の桑田氏のライブチケットの引換券が宅配された。
昨今は桑田氏だけではなく、こういった興行において総じてネットを介しての転売対策に頭を悩ませているようで、大御所のライブになればなれほど、プレミア化が進み、観る側の身元確認が求められることが多いようだ(昨年の矢沢永吉氏、今夏の桑田氏お台場ライブで経験済み)。

今回は、ファンクラブの優先枠でチケットを取ったが、一緒に行く仲間3人分の氏名も事前に登録され、引換券には氏名が印字されている。当日は、さらに写真付きの身分証明書などを提示して、持参した引換券を入口で入場券と引き換え、そこでようやく座席がわかる、という具合になっている。

そもそも、ダフ屋対策のために(こっちは善意の第3者なのに)、当日においてまで何故そんなものを提示する義務を負うんだ?という思いがある。なんかいい方法はないものか?制度とはいえ、快適ではない。不快である。何度も書くが、あんなところで、身分証明書を提示させられるのは、まったく本意ではない。もし、この制度が定着し、演者がなんとも味気ないライブを行った場合、金返せ!っていう定番の文句に加えて、これだけメンドクサイことさせてこの程度か!も加わるのかな。

今週末から、九州に旅に出ることになった。3泊4日の4人旅である。
あちらのほうは、まだまだ暑いのだろう。そう思って、昨日夜、ユニクロに衣服を仕入れに行った。しかし、秋物セールが始まっており、こちらの期待するブツは少なかった。したがって、薄い長袖が活躍する旅になる。何も目的がないゆったりした旅。

気のおけない仲間たちと、砂蒸し風呂に埋まるのが、今から楽しみだ。

2012年8月28日火曜日

週末から今日まで


週末から今日まで、バタバタしていた。充実した日々であったと考えれば、実にありがたい話ではある。今回は、メモ書きの意味を含めて、文豪がよくやる某日日記風にお届けする。

25日(土) 
29日に渡米する妹夫妻の壮行会兼食事会。寿司屋の個室での会食であったが、コース別注で頼んだアワビの握りがあまりに固い。固すぎる。結果、歯だけはよい私のまわりに次々とアワビが集まる。可笑しい。話もそれなりに弾み、あっという間にタイムアップ。帰路、私の車に乗った者だけでリニューアルした藻岩山展望台へ。藻岩山の名物ゆるキャラ(モーリス、っていうらしい)押しのお土産品が並んでいたが、あれ、流行らんな。似たようなキャラ(となりのトト●)、見たことあるし。それよりなにより(かなり年上だけど)わが義弟よ、英語もできないのに、あんたを信じて一緒に渡米する妹をよろしく頼むぞ。無事に帰ってきてくれ(実際には、こんなクダけた話し方、したことない)。用意していた餞別を渡し忘れる。

26日(日) 
前日からの流れで、2カ月ぶりに父親と場外馬券場へ。大した話をするわけではないが、2人で来ると波長が合うのか、ドカンと当たることが多い。この日もそう。午前のうちに3連単のロングショットが2発炸裂。あわててキャッシュカード入金し、勝ち逃げを決める。これで9月中旬から予定している九州旅行の軍資金も確保。長いトンネルを抜けた思いがする。それなら、毎週父親と馬券買ったらいいじゃない?って一瞬でも思った諸兄よ、甘い。甘いって。

27日(月) 
仕事はじめのブルーマンデー。先週の頭に仕掛けたトラップに、獲物が見事引っ掛かる(例えですよ。狩猟が私の仕事ではありません)。これにアオられて、朝からこちらの社長も大興奮&大激怒。松崎しげる愛のメモリー以上の大音量で、個室の意味なく、楽々壁を突き破る。ホント元気だね。それ以降、バタバタと対応策。苦悩に満ちた会議と打ち合わせ。お客様は神様です、なんて建前もあるけど、一体どっち向いて仕事してるんだろうね。業者に任せていた電気温水器が遂に施工完了。ようやくお湯が出ることに。心配くださったみなさん、本当にありがとうございました(しかし、お湯が出るのは深夜電力を使用しての給湯作業なので、翌日朝なのね)。

28日(火) 
朝、ドキドキして蛇口をひねったら・・・お湯が出た!うれしい。しかし出勤したら、昨日からの懸案事項は、より炎上していた。とばっちりで、いきなりトップギアに入れて仕事をするハメに。朝は頭が回っていない。新弟子が朝メシを無理やり詰め込まれるかのように、次々と課題が詰め込まれる。まだ、メシのほうがいい。かわいがりってこういう感じか?ちがうか。午後は内部ヒアリング。微妙な距離感だ。同僚の御母堂が亡くなったとの訃報が届く。同僚は私の一歳下のはず。他人事ではない。合掌。

明日は妹夫妻が旅立つ日だ。人生、いろいろだな。

2012年8月24日金曜日

ゴッドオンリーノウズ (GOD ONLY KNOWS)

北のマチの長年の慣例によれば、お盆を過ぎると、加速度がついてあっという間に秋がやってくる。

それに従えば、今年の秋も間もなくやってくるのであろうが、ここ数日は、おい、どうした?と気象関係の責任者を問い詰めたいほど、蒸し暑い日々が続いた。それでも今朝は若干涼しいようだ。このままいってくれたらいいのに、と夏バテ気味の私は思う(お湯汲み問題も大いなる矛盾を抱えつつ、継続中だ)。

この夏、見落としていた重大なイベントがあった。

ビーチボーイズが来日していたのである。
むろん、ビーチボーイズといっても、反町氏のワイルドな驚愕歌唱と相まって名をはせた、かつてのテレビドラマではない。関係ないが、反町氏のボーカルスタイルはすごいな。舘氏や恭HEY氏に通じるものがある。何がすごいかは、直接的には言わないけど。

反町隆志「POISON」https://www.youtube.com/watch?v=HxcHtlespbQ

こっちのビーチボーイズは、
世界屈指のメロディメーカー、ブライアン・ウィルソン氏率いるビーチボーイズである。
あのブライアン氏の来日なのである。

知らない人のためにちょっと解説を。
ブライアン氏は、ビーチボーイズの元リーダーであり、ほとんどの楽曲を手掛けた天才音楽家だ。
しかし、1960年代、人気の絶頂期に精神を病み、奇行を繰り返し、グループを離脱。簡単にいうと、グループ離脱以降約30年にわたり、引きこもり生活をしてきたグレートなキャリアを持つ。彼の全盛期(それがいつなのか定義は難しいが、仮に60年代とすると)、サーフィンホットロッドというジャンルを確立し、ビートルズのポール氏とも音楽的な共鳴があったようだ。とにかく世界の音楽界に多大な影響を遺した偉人である。

わが国では山下達郎氏や大瀧詠一氏が、ブライアン音楽の伝道師的な役割を果たしてきたし、桑田佳祐氏は「白い恋人たち」のコーラスワークでビーチボーイズを意識した箇所(♪うーうぃーうー うーうぃーうぅぅぅぅぅぅー だばだー・・・)がある。(斬新な記述方法だ。これが書きたかっただけだ。スマン)。こんな一例を出すまでもなく、わが国の音楽業界の大御所たちに与えた影響もあまりにも大きい。

サイドストーリーを書きだすとキリがないが、とにかくブライアン氏は、発表した作品群があまりに素晴らしく、その才能のきらめきが圧倒的にまぶしすぎたために、病んで引きこもっちゃったあとも、世界中から常に再起を望まれてきた稀有な存在である。そこらへんが、普通のニートとは格がちがう。

それでも、90年代以降、徐々に復活し、ソロ活動をやったりやらなかったりしながら、イッてしまった遠因となった因縁のアルバム「SMILE」を20年越しで完成させ、ファンを喜ばせた(ライブ音源などを聴くと、あのブライアン氏が、生で、ここで歌っている!という点で成立しているようなところもある。たとえば老体の猪木氏がリングに上がりプロレスを見せる、卍固めでキメる、このこと自体が嬉しい、という感覚に似ている。ちがうか?)。

そんなこんなの離合集散、紆余曲折を経て、
ブライアン氏が属している状況で、この夏、ビーチボーイズが来日したのである。どうやら、スタジアムクラスの3か所でライブをおこなったようだ。もうちょっと情報を早く入手していたら、おそらく最後の日本公演となるであろう今回のライブを観てみたかったと、切歯扼腕の思いである(このありがたみは、むろん好みの問題である。スタジアムクラスが満員に埋まるのか、その需要の有無は私にはわからない)。

いまさらであるが、彼の作る楽曲には、魔性の魅力が備わっている。素直に美しい。
朝焼けの中で「ゴッドオンリーノーズ」のイントロを聴くだけで、生きる意欲がわいてくる。

THE BEACH BOYS 「GOD ONLY KNOWS」 https://www.youtube.com/watch?v=EkPy18xW1j8

(※タイトルを含め、リンク先を貼るなど一部加筆修正しました。2015.9.28)

2012年8月21日火曜日

お湯のありがたさ

蒸し暑い日々が続いている。

こんな盛夏のさなか、電気温水器が壊れたことで、私は相当不自由な生活を強いられている。
未だ自宅では、新機種の入れ替え工事の日程が定まっていない。

機能停止した温水器君は、外装が取り払われ、部屋の片隅でグラスウールが剥き出しの状態で佇んでいる。すでに合掌状態だ。また、供給ラインは電気も水道も止めた状況であるので、つまりは蛇口をひねっても、泣いても叫んでも、お湯はおろか水分は一滴も出ない(ほかの蛇口からは水は出る)。

お盆前に水漏れが発生し、時節柄、お盆明けでないと交換器機の調達がままならない、との説明を業者から受けたときは、まあ時期も時期だし、と納得したし、内心では、お盆明けっていつよ?すぐだろ?と思っていた。

しかし、伯父の家に泊まりに行き、墓参りをしている16日、業者から、交換機の目処が立たず、8月いっぱいまでどうにも対応が難しい、との宣告を受けた。これは、実に重い宣告である。

いくら北のマチが涼しいとはいえ、夏は夏である。夏っていうのは、基本、暑いのだ。
それに、この時期、人一倍汗かきな私は、シャワーかバスタブかは別として朝晩2回風呂に入ってきた。なのに、お湯が出ないのである。

何の策も講じないならば、この2回のバスタイムが、毎度冷水になってしまう。
俺はデブだけど、身体は弱いのである。冷水なんか浴びたら、間違いなく数日で死んでしまう。それか、ジジイの冷水摩擦みたいなもんで、逆に相当屈強な身体になってしまう(そんなわけないわな)。

とにかく、これは困った。

仕事柄、毎日銭湯の営業時間に間に合うとは限らないし、近場の公営温泉だって同様だ。24時間営業のスパ施設に通うにも、距離的にすぐに行き来できる場所ではない。たまには、そういう場所に足を伸ばすのもいいだろうが、毎日は無理。とにかく、基本的には自前でお湯をなんとかする術を確保しないと、キビシイ。

出た結論は、シンプルだった。
家にある一番大きい鍋(中華鍋)と二番目に大きい鍋(フィスラー両手鍋)で、湯を沸かす、これを何度も繰り返し、バスタブに溜める。適温になったら、ザブンと入る。原始的だが、これが間違いのない方法であった。

実に、
一回の風呂に入るまで、鍋15杯分。時間にして1時間半。

人間は、一日の汗や汚れを洗い流すために、風呂に入るものだ。
そして、ほどよく温まり、心身の安寧を得る。

しかし、私はこれからしばらく、風呂に入るために、びっしりと汗をかくことになる。
それを1日2回、繰り返す。ミイラ取りがミイラになるような矛盾。そこに安寧はない。

昔に戻ったと思えば、なんのことはないのだが・・・

しかしねえ・・・

2012年8月20日月曜日

さあ、日常へもどろう


4日間の休暇が終わった。
通常の日々が戻ってきた

前回ブログにも記載したとおり、この連休中、父方の本家に約20年ぶりで宿泊し、無事に墓参りを済ませてきた。若干の雨に当たったが、暑すぎず寒すぎず、穏やかな夏の一日を過ごすことができた。

少年のころの夏休みは、祖父祖母の家(つまりは今の伯父の家)に1週間ほど滞在するのが恒例だった。転勤族であった父は当時30代半ばで、私たちの家と祖父たちの家は常に距離的にはるか遠く離れており、祖父たちに逢えるのは、このときを除くとほぼ皆無だった。父からしてみると、夏休みに家族を連れて実家に帰省すること自体が親孝行だったのだろうし、私も車に乗って祖父たちに逢うために遠出することを楽しみにしていた。北のマチにおいては夏休みの実に3分の1も取られるロングステイであっても、家族の誰も異議を唱えなかった。

父は8人きょうだいの末っ子で、そのうち男子は2人きりだったので、本家を守る立場になった伯父と大変仲が良かった(ように見える)。ほかの6人の伯母連中は、いっちゃ悪いがみんな一癖あり、本家でたまに出逢うこともあったが、嫁ぎ先から束の間の里帰りといった様相があまりにも強くて、子供ゴコロに我儘ばかり言うイヤ~なオバサン達だった。今思うと、祖母は個別に伯母たちの相談に乗っているようなところも見受けられた。この年齢になると、当時見えなかったものが、いろいろわかってくるものだ。
伯父の家の猫。誰だお前?って見ていた。

伯父は高校時代の大食漢であった私のイメージしかないようで、私一人に寿司をなんと三人前も用意して待っていてくれた。期待に応えようと寿司を食べ、ビールを飲み、焼酎を飲み、午後5時前からはじまった宴席は、6時間以上続いた。伯母はしきりにビールを注いで、世話をしてくれた。70を超える伯父は普段は9時過ぎには就寝するというが、今日は楽しくて仕方ないからもっと飲む、といった。積もる話は尽きることなく、あっという間の時間だった。

周りの人たちが一人欠け二人欠けし、最後に伯父と私が残った。
伯父は「4年前、お前が死んだらどうしよう、と本当に心配した」と酔いながらも泣きそうに言ってくれた。

トイレに向かう手前にある仏間には、私にも、父にも、伯父にも笑っちゃうくらいそっくりな祖父と曾祖父の遺影が、並んでいた

2012年8月15日水曜日

お静かに


お盆である。

里帰りしたり、旅行に出かけたり、ゆったりした夏のひとときをお過ごしの方が多いのだろう。私は仕事の関係で、明日16日からの休暇となり、土日を含めて4連休となる。今年は例年どおり車で2時間半かけて墓参りに赴き、祖母が亡くなって以来約20年ぶりで父方の本家に1泊する予定だ(いつもは日帰りで済ませていた)。20年のスパンに特段の理由があるわけではない。無論、自宅のお湯が出ないから風呂替わりに、という訳でもない。ちょっとした気まぐれである。本家の伯父や伯母は、少年の頃のように、温かくむかえてくれるだろうか。何が待っているか、楽しみである。

お盆の墓参りは、4年前に生死をさまよって以来、欠かさずに行っている(病気をする以前は、全く関心がなかった)。どちらかといえば、今も信心深いわけではなく、無神論に近いスタンスではあるが、墓参りに関しては、自分→両親→祖父母→さらにその父母、と遡ることができる私的な命脈を思うと、ずいぶん自分勝手で偉そうに生きてきたものだ、と反省したことが大きい。

墓前に手を合わせるのは「今年も1年生き延びてここに来ることができました」という定期総会における事業報告めいた意味合いがあるし、「また1年、守ってください。できれば健康で、仕事もうまくいって、モテて、金運もアップして。お願い」という御愛嬌な陳情行動的な意味合いもある。受け付ける御先祖連合も「まずもって勝手な野郎だ」と苦笑しているかもしれない。けれど、そんなものでいいのだと思う。それ以上でも、それ以下でも、私らしくない。

校3年の卒業間近の頃、学年主任と呼ばれていた先生から「I WAS BORN」という詩になぞらえた特別授業を受けたことを思い出した。先生には申し訳ないくらいお話しくださった内容は覚えていないのだが、ボーン、という響きが何度も続き、盆かよ!と心の中で突っ込んだことは覚えている。当時の私は、不本意ながら周りの状況に流されるまま自分の意志を示すこともせずに転校を余儀なくされ、結局転校先の(つまりは卒業した)高校の校歌を覚える間もなく、不完全燃焼のまま、ボーンを聴いていた。

お盆でも終戦記念日でもある8月15日に向けてなのか、世の中では、何かと、俺から見ると極端な大バカが、キャンキャン騒いでいる。
故開高健氏は「最大の罵倒は、黙殺である」と語っている。
過激な言い回しであるが、結局、バカは黙殺するに限る。

お盆くらいは、静かにしておくれ。

2012年8月13日月曜日

手にとるような国際化

ロンドン五輪が終わった。
出だしのネタが浮かばなくて、いつか書いたとおり、結局触れないはずのロンオリに手を出してしまった。自由な感じで勘弁願いたい。

テレビ観戦にチカラが入り、
時差の関係から、昼夜が逆転した生活を送っておられた皆様、大変おつかれさまでした。ようやく普通の生活に戻れますね(私はほとんどダイジェスト番組で済ませました)。

観ていて思ったのは、
いかに速くゴールインしたとか、遠くに投げたとか、高く飛んだとか、重いものを持ち上げたとか、そういうシンプルなルールの競技には、断然説得力があるなあ、ということだった。面白いとか面白くないとかの問題ではなく、判定に予断を許さないほどのチカラ強さがあるなあ、ということなのである。

ジュリーなる存在の者が出てきて、こぞって沢田研二じゃないっすよ、みたいなことを我先に言っていた光景は、国民共通の言いたいセンサーが発掘されたようで面白さがあったが、そんな存在が必要になるのは、進歩なのか退化なのか、ちょっと考えさせられた。俺が考えたところで、変わりようはないけどね。

競技ごとの特性を考えれば、ひとくくりで言えないのは十分理解しているが、明快な、誰が見ても納得する方法で勝敗を決すれば、研二氏の出番は薄まるのだろうか。極端なことをいえば、たとえば柔道なんかでいうと、一本が決まるまで、時間無制限でやり続けるくらいのほうがわかりやすいし、レスリングも肩がつくまでやればいい。

選手にしてみると、4年に一度の大勝負なのだ。
沢田氏に委ねず、とことん雌雄を決するやりかたを追求したらいいのに、とスポーツ音痴の私は思う。

それにしても、
世界の出来事が、瞬時に手に取るようにわかる(本当はわかっていないかもしれないけど)のは、すごいことだと今更ながらに感じる。

ところで、私には、6つ離れた妹がいる。
すでに嫁いでおり、(ちょっとハナシが脱線するスマン)義理の弟が私より圧倒的に年上である、という若干ねじれた関係なのだが、世間的には、そんな極端に珍しい話でもないのか?ほのぼのした気まずさ、とでもいうようなものか?ただ、相手の呼び名には困っている。適当な呼び名が浮かばず、ひとりごとのように唐突に主語なしで話して意思を伝えるとか、そこらへんの距離感、ぎこちなさ感は未だ苦しいところだ。おそらく、むこうもそうだろう。

その義弟が、
仕事の関係で、この8月下旬から1年間の予定でアメリカへ赴任することになった。
むろん妹もついていく。

義弟は、職業柄、英語及びその他の外国語(何ヶ国語なのかはわからん)が極めて堪能であるので、何の不自由もないだろうが、問題は妹である。亭主の海外赴任が決まってから、明らかな付け焼刃で、いまさらラジオ英会話講座をやり始めたという。やらんよりはいいだろうが、お前はアホか、といいたくなる。彼女の学生時代だって英語が得意だったという話を一度も聞いたことがない。そもそも私の妹である。英語なんかの素養があるわけがないだろうが。

彼女にすると、
運命に委ねた、度胸千両的な渡米になるのだろう。それはそれでいい。たいしたもんだ。

困ったのは、
どういうわけか、それにつりこまれて、実家の母が英会話の勉強をはじめたことだ。
パスポートも取得したという。
五輪は閉幕したが、身近なところで、にわかに国際化がはじまった。

むろん俺の母親だ。
三日坊主だとは思うのだけれど。

2012年8月10日金曜日

なんてこった

今朝のことである。
ボーっと起きて、麦茶を飲もうとキッチンに向かったら、

足元でべチャ、べチャ、って音がしたのである。
明らかに床が濡れているのである。

何かこぼしたのか?いや、何もこぼしていない。なんだろう?

水源はどこだ?

どこだ?

発見!

電気温水器から、ポチャポチャ水が漏れていたのである。
電気温水器は200リットル以上の容量だ。

これは大変だ!と正気にかえり、専門業者に連絡したのである。

小一時間で専門業者が到着。
機敏さのない、フツーのオッチャンだった。
それでも、トンテンカンといろいろやって、
これにて一件落着、と思いきや、ここからが更に大変な事態になった。

終わりのはじまりだったのだ。

パッキン交換、くらいに考えていた水漏れが、実は殊のほか重症だった。
診断によれば、俺の温水器君は、まもなく天寿を全うするらしいのだ。
大至急、器械の全部交換が必要との診断が下った。
しかし、オッチャンの会社には在庫がなく、器械は取り寄せるしかなく、
しかも、今の時期はお盆をはさむから、回復には早くても1週間はかかる、とのことなのだ。

ここは地の果てではないし、戦場でもない。
しかし、理不尽なお湯なしの1週間がはじまった。

2012年8月9日木曜日

あいまいな日本の私

自分でも思うが、今回はすごいタイトルを冠した。

たしか、大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した際の基調講演が、こんな表題であった(同賞を日本人で初めて受賞した川端康成氏の基調講演「美しい日本の私」を意識したものであったはずだ)。しかし、タイトルは大仰であるが、別に文学論をぶつ訳ではない。

報道を見ていて、日本語は、つねにあいまいな余韻を残すものだ、と感心した。

例の「近いうち」「近い将来」発言だ。

適度にザックリいえば、首相が、野党第1党の総裁に対して、法案を通す見返りに解散を要求され「近い将来、国民に信を問うから、法案通してよ」と説明したが、「近い将来って何いってんだコラーッ!」とねじ込まれ、「じゃあ、近いうちに、国民の信を問うからさ、お願い」と再度説明したら、「そうなの?なら、まっいいか」と落着したとの一件である。

うごめく永田町の様相は、なで肩のニュースキャスターが22時過ぎに説明すればいいだろう。

そんなことより、日本を動かしている政治家、それも相当なランクの政治家が、禅問答のような言葉のやりとりで、国民が右往左往するような流れを決めていくなんて、なんと懐の深い所業であろうか、と私は感心した(密約説もあるが、よくわからんので、そこは無視する)。

揶揄するようなニュアンスになってしまうが、
「今度、近い将来、呑みに行こう」
「今度、近いうちに、呑みに行こう」

「A選手、近い将来、レギュラーをとりますよ」
「A選手、近いうちに、レギュラーをとりますよ」

「あのラーメン屋、近い将来、つぶれるな」
「あのラーメン屋、近いうちに、つぶれるな」

あげればきりがないが、上の3例を見ても、会話の臨場感が伝わらない限り、どちらがどうなのか、何が違うのか、正直わからない。

ただ、会話の中で、近い将来、なんて言葉を使うやつは、相当ウソくさいやつだな、とは思う。
今後、近いうち、の解釈をめぐって、都合の良い言い争いがはじまるだろう。

あいまいは、悪いことじゃない。
こんなときに使うやつが悪い。

2012年8月8日水曜日

ひろしさんの歌唱力

ひろしさんの歌唱力には、味がある。

ここでいうひろしさんとは、猫でも五木でもなく、
舘ひろし氏(62)のことである。

なんでも、ネット情報によれば、
ひろしさんは、9月に発売予定のアルバムで
故石原裕次郎氏の楽曲をカバーすべく、公開レコーディングをしたそうだ。
「嵐を呼ぶ男」では、裕次郎氏の台詞をそのまま生かしつつ、夢の共演を果たすという。

ひろしさんといえば、私たちの世代にとっては「泣かないで」で大ヒットを飛ばし紅白出場、
https://www.youtube.com/watch?v=t8TbbMQRKss
https://www.youtube.com/watch?v=mmgXv5Dgp6g
その後、名ドラマ「あぶない刑事」の「冷たい太陽」の人であり、文句なく時代を席巻した名優である(残念ながらクールス時代は、ちと早すぎて馴染みがない)。

関係ないが、あぶない刑事といえば、ひろしさんと双璧の大看板が、柴田恭平氏である。
氏にも「ランニングショット」という相当な殺傷力を誇る楽曲がある。
歌というか、シャウトというか、聴きようによっては、その掛け合いは早すぎた「ケツメイシ」と言えなくもない。まさに、恭HEY!HEY!なのだ(意味わからん)。
「ランニングショット」 https://www.youtube.com/watch?v=_a_kdB4U52s

一方のひろしさんも、俳優と歌手の二足のわらじをはき続け、
「青い山脈」 https://www.youtube.com/watch?v=HchUuLHwsyE
「朝まで踊ろう」 https://www.youtube.com/watch?v=q3ZVrzRcKFs
「いとしのマックス」https://www.youtube.com/watch?v=958tJXmIY7U
などを突如発表するなど、ヒロシック唱法とでもいうべき、ビブラートをネットリ効かせた大胆な節回しにより、こちらの想像をはるかに超える作品を常に提示し続けてきた。
ひろしの前にひろしなく、ひろしの後にひろしなし。
まさに超個性的なヒロシック唱法なのだ

特に「青い山脈」を初めて聴いたとき、耳を疑った。
この作品の需要と供給のバランスはどこにあるのだ?と大きな衝撃を受けた。

こうなってくると、
「ヒロシ ア ゴーゴー!」である。独自性があまりに強すぎる。視聴ができる環境の方々には、一度でいいから聴いていただきたい。いつまで有効なのかわからんが一応リンクも貼ってみた。こんな才能を眠らせるわけにはいかない。
(※当初の掲載時には、リンク先を貼る技術がなかったので、一部文面等を加筆修正しました2015.9.28)

今更ながら言うまでもなく、ひろしさんは、現在に至るまで一貫して、天下の石原プロの重鎮であり、我が国のダンディの象徴でありながら、コミカルを演じてもサマになる稀有な存在である。黙ってたたずんでいるだけで、絵になる男である。

そんなひろしさんが、また、波が高いはずの歌手業に乗り出すというのだ。
男は、常に冒険をしたいものなのだ。
これは、是が非でも聴いてみなければなるまい。

CDが売れないと音楽業界が悲鳴を上げている今、ひろしさんの挑戦は成功するのか?
私は断固、応援する。

2012年8月7日火曜日

ある日の光景

職場で不思議な光景を見た。
同じフロアだけど、10メートル離れた他のセクションの話だ。

Aの机の電話が鳴った。あいにく、Aは不在のようである。
数コールして、背中合わせで座っているAとは他係のBが受話器をとった。「Aは不在です」と答えている。

「本日、Aは不在となっています」「ですから、不在です」「わかりません」
こんな会話が3分も続いただろうか。
やがて、Bは自席に戻って、パソコン作業をはじめた。

ここまでは、普通といえば、まあ普通の光景だ。

ところが、
しばらくして、Bの上司のCが、異変に気付く。
「おいBさん、Aさんの電話の受話器があがったままだぞ」と声をかけた。

すると、Bは、
「はい、Aが不在だって伝えたら、なんかガーガー文句いってるんですよ。なので、放っておいてます」と平然と言い切った。

え?周りに衝撃が走る。

あわててCが受話器をつかみとり、ガーガーいってるらしい相手と会話をはじめた。
放置した時間が、どのくらいだったのか、正確にはわからない。3分から5分くらいのものか?
けど、これは誰だって怒るわな。

Cが平身低頭でうまく取り繕い、Aの上司であるDに話をつなげ、Dから相手先に改めて連絡させることで、一応の収束をみた。

周りのあたふたとした状況に、Bは動じることもなく、これが日常だ、とばかりに悠然としている。
動かざること山の如し。こいつの前世は戦国武将なのか?

武将を雇うくらいなのだから、うちの会社はまだまだ余裕があるのだろう。

会社よ!そしてBよ!ホント大丈夫か?

2012年8月5日日曜日

志の輔らくご 大河への道

昨日のブログ(8月4日)を更新したあと、かねてより予定していた富良野まで車を飛ばした(言葉のアヤです。飛んではいません)。

その日の14時から、立川志の輔(たてかわ・しのすけ)師匠の独演会が開催されたのだ。

最近では、チケット入手が困難な噺家の代表格として、
志の輔師匠の弟弟子(おとうとでし)の談春師匠が謳われるが、

談春師匠の場合は、どうやらこの類の都市伝説を自ら言いはじめたらしい。売り出すために自分でコピーを考えて言いふらしたら、世間がまんまと引っかかった、というインタビューを観たことがある(談春師匠の照れ隠しの側面も多分にあるだろう。師匠の古典は確かにスゴイ)。

関係ないけど、主催者からすれば、チケットが売れる、ということは噺家に限らず、歌手、政治家、スポーツイベント、町内会のビンゴゲームなど規模の大小を問わず、とても嬉しいことだと容易に想像できる。

私の体験上、談春師匠のチケットより、志の輔師匠のチケットのほうが、まちがいなく取りにくい。シノスケ見たい、券売り切れ、見たい売り切れ、と何度か空振りを経験し、実は私にとって今回の富良野が初志の輔(はつしのすけ。まぎらわしくてスマン)。チケット問題だけでいえば、談志家元が没しても、立川流は、とても嬉しいことになっているに違いない。独立独歩の個別経営なんだろうけどさ。

会場は、富良野演劇工場、という俺にとっては未知の場所。
電話で問い合わせ、何となく土地勘がないなりにも方向の見当はついたが、どんな場内なのかHPの情報しか持ち合わせていない(全席自由、っていうのが、逆にいらぬ焦りを誘う)。それにしても、落語を聴きに富良野まで遠征をかけるなんて、私も随分エラくなったものだ。いい気にならぬよう自戒せねば。

ほぼ1時間前に到着し、列に並ぶ。ダラダラと時間をつぶし、モギってもらい、会場内へ。
結果からいうと、会場は適度にゆったりし、素晴らしかった。通常の肘掛のある椅子席ではなく、一列まるごと長椅子状になっており、圧迫感がない。イザコザもなく、前から3列目のほぼセンターに陣取る。高座とフラットな目線。多分、この会場ならベスポジだろう。

定刻となり、消灯。
やがて真っ暗の舞台に照明が灯り、いきなり紋付姿の師匠が登場。前座も出てこず、ここから2時間半、ノンストップ怒涛の志の輔ワールド。ガッテンの人じゃない、明らかな噺家の師匠。

芸の良し悪しは、私にはわからないのでいつものように書かない。
とにかく、心が揺り動かされた、とても贅沢な時間だった。おそるべし立川流!

2012年8月4日土曜日

男性自身 木槿の花

今週も無事に週末を迎えた。

公私を区分すれば、
「公」の部分は、つつがなくこなせたように思うが、
「私」の部分は、以前にも書いたような厄介事が解決せずに山積している。まあ、ちょっと甘いが、今はこれでヨシとしよう。こうやってこらえていれば、そのうち風向きも変わるだろう。

昨夜は、金曜であったが、吞み会などもなく、乱雑に積み重なった書棚を整理しつつ自宅で静かに本を読んでいた。数日続いた猛暑がウソのようにピタリとみ、肌寒さを感じるほどであったので、吸いこまれるように文字を追うことができた。

書棚の奥の方から出てきたのは、
山口瞳氏の男性自身シリーズ文庫本約10冊であった。氏の作品はリアルタイムではなく後追いで買い求めたので、足でかせいだ、という印象が強い。1冊ごとに「これはあそこの古本屋で」「これはつぶれたあそこの本屋で」と記憶がよみがえってくる。

自宅スペースの問題から半年に一度くらいの割合で、読み散らかした書籍を処分するのだが、それを何年も繰り返していくと、自分の嗜好フィルターでろ過しているようなものだから、蒸留される書籍は明らかに一定の傾向をみせることになる。私の書棚には、氏の作品は顕著に残り続ける。すなわち、手が合うのだ。

昨夜手にしたのは「男性自身 木槿の花」(だんせいじしん むくげのはな)である。週刊新潮に連載されていた随筆「男性自身」(決してエロではない)を取り纏めたシリーズであるが、この巻に限っては、前半部分はきわめて秀逸な小説であるといってよい。向田邦子氏の突然の死を悼む内容であるのだが、文章のリズム、秘められたエピソード、何よりも山口氏の向田氏への強い思い入れが、行間から溢れだしてくる。

私が読んだかぎり、向田氏の追悼文を発表した作家は、総じて名文家が多いのだが、これほどの思い入れで書ききった作家は、山口氏が筆頭だろう(じゃあ、久世光彦氏は?との声も聞こえてきそうだが、氏についても無論同様である。この両人が、向田氏を巡って一種の仲たがいをしていたらしいのは、これまた興味を引く。いずれ機会があれば、これらも書きつけてみたい)。

整理をするつもりで書棚をいじりはじめたが、毎度こんなことで手が止まる。

作業はなかなか終わらない。