驚いた。
野田首相が11月16日、大胆にも衆議解散に舵を切った。
「近いうち」の約束事は、3ヶ月以上かけて成就したらしい。
私は特定政党に加味するものではないが、
解散する意思を公に知らしめた、11月14日の首相と安倍自民総裁とのクエスチョンタイム(党首同士の国会内での公開討論のことを英国風にこう言うらしい)において、眼がイッちまった感じで首相が「16日、解散してもかまわない!やりましょう!」と言い切ったとき、相対する席において「へ?」という虚をつかれた表情の安倍氏を見て、思わず笑ってしまった。
テレビは正直であり残酷だ。
政治家としての資質では野田>安倍っていう感じが明らかだった。アベ氏、油断してたか。政党間の力関係は抜きにして、個人対個人では圧倒的に勝負あった、と見えてしまった。
しかし現状では、私が感じた野田>安倍なんて図式は、ほんの瑣末でしかなく、解散の激流下では現政権は下野することが必至らしい。振り子は、もと来たほうに振れるのが必然だ。
これに加えて、ちまたでは、第3極(この言葉も耳障りがよい、ずいぶんと怪しい言葉だ)とされる人々の派手な振る舞いが、報道されまくりだ。彼らも多少、メッキは剥がれ気味ではあるが、私たちは、どうやらハトヤマ・オザワに走ったように、またこの国を変えてくれる(ニセモノかもしれない)救世主を潜在的に探しているようだ。結局、誰がやっても、そんなに変わることができないことを知ってしまったのに、それでも(ニセモノかもしれない)救世主にすがりたいのだ。
しかし正直、次の主役が自民でも第3極でも、どちらであっても、一向に構わない。
3年前、民主党病に罹ったような状況を思い出すまでもなく、何と言っても彼らを選ぶ(選んだ)のは、俺ら有権者なのである。
そう考えていくと、俺らって、これまた相当いい加減なものだ。
選挙後に彼らを批判することは、自分たちの選球眼が悪かった、センスのないセレクトをしてしまった、とっても恥ずかしいことである、ということを思い知るべきである。
そもそも、大の大人(投票する奴らは、みんな有権者なのだから大人だろ?)が、自分の幸せを他人に作ってもらおうなんて、どんだけ都合のいい考えなのか。
今からでも遅くはあるまい。
私は悔い改めようと思う。
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