2012年8月13日月曜日

手にとるような国際化

ロンドン五輪が終わった。
出だしのネタが浮かばなくて、いつか書いたとおり、結局触れないはずのロンオリに手を出してしまった。自由な感じで勘弁願いたい。

テレビ観戦にチカラが入り、
時差の関係から、昼夜が逆転した生活を送っておられた皆様、大変おつかれさまでした。ようやく普通の生活に戻れますね(私はほとんどダイジェスト番組で済ませました)。

観ていて思ったのは、
いかに速くゴールインしたとか、遠くに投げたとか、高く飛んだとか、重いものを持ち上げたとか、そういうシンプルなルールの競技には、断然説得力があるなあ、ということだった。面白いとか面白くないとかの問題ではなく、判定に予断を許さないほどのチカラ強さがあるなあ、ということなのである。

ジュリーなる存在の者が出てきて、こぞって沢田研二じゃないっすよ、みたいなことを我先に言っていた光景は、国民共通の言いたいセンサーが発掘されたようで面白さがあったが、そんな存在が必要になるのは、進歩なのか退化なのか、ちょっと考えさせられた。俺が考えたところで、変わりようはないけどね。

競技ごとの特性を考えれば、ひとくくりで言えないのは十分理解しているが、明快な、誰が見ても納得する方法で勝敗を決すれば、研二氏の出番は薄まるのだろうか。極端なことをいえば、たとえば柔道なんかでいうと、一本が決まるまで、時間無制限でやり続けるくらいのほうがわかりやすいし、レスリングも肩がつくまでやればいい。

選手にしてみると、4年に一度の大勝負なのだ。
沢田氏に委ねず、とことん雌雄を決するやりかたを追求したらいいのに、とスポーツ音痴の私は思う。

それにしても、
世界の出来事が、瞬時に手に取るようにわかる(本当はわかっていないかもしれないけど)のは、すごいことだと今更ながらに感じる。

ところで、私には、6つ離れた妹がいる。
すでに嫁いでおり、(ちょっとハナシが脱線するスマン)義理の弟が私より圧倒的に年上である、という若干ねじれた関係なのだが、世間的には、そんな極端に珍しい話でもないのか?ほのぼのした気まずさ、とでもいうようなものか?ただ、相手の呼び名には困っている。適当な呼び名が浮かばず、ひとりごとのように唐突に主語なしで話して意思を伝えるとか、そこらへんの距離感、ぎこちなさ感は未だ苦しいところだ。おそらく、むこうもそうだろう。

その義弟が、
仕事の関係で、この8月下旬から1年間の予定でアメリカへ赴任することになった。
むろん妹もついていく。

義弟は、職業柄、英語及びその他の外国語(何ヶ国語なのかはわからん)が極めて堪能であるので、何の不自由もないだろうが、問題は妹である。亭主の海外赴任が決まってから、明らかな付け焼刃で、いまさらラジオ英会話講座をやり始めたという。やらんよりはいいだろうが、お前はアホか、といいたくなる。彼女の学生時代だって英語が得意だったという話を一度も聞いたことがない。そもそも私の妹である。英語なんかの素養があるわけがないだろうが。

彼女にすると、
運命に委ねた、度胸千両的な渡米になるのだろう。それはそれでいい。たいしたもんだ。

困ったのは、
どういうわけか、それにつりこまれて、実家の母が英会話の勉強をはじめたことだ。
パスポートも取得したという。
五輪は閉幕したが、身近なところで、にわかに国際化がはじまった。

むろん俺の母親だ。
三日坊主だとは思うのだけれど。

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