4日間の休暇が終わった。
通常の日々が戻ってきた。
前回ブログにも記載したとおり、この連休中、父方の本家に約20年ぶりで宿泊し、無事に墓参りを済ませてきた。若干の雨に当たったが、暑すぎず寒すぎず、穏やかな夏の一日を過ごすことができた。
少年のころの夏休みは、祖父祖母の家(つまりは今の伯父の家)に1週間ほど滞在するのが恒例だった。転勤族であった父は当時30代半ばで、私たちの家と祖父たちの家は常に距離的にはるか遠く離れており、祖父たちに逢えるのは、このときを除くとほぼ皆無だった。父からしてみると、夏休みに家族を連れて実家に帰省すること自体が親孝行だったのだろうし、私も車に乗って祖父たちに逢うために遠出することを楽しみにしていた。北のマチにおいては夏休みの実に3分の1も取られるロングステイであっても、家族の誰も異議を唱えなかった。
父は8人きょうだいの末っ子で、そのうち男子は2人きりだったので、本家を守る立場になった伯父と大変仲が良かった(ように見える)。ほかの6人の伯母連中は、いっちゃ悪いがみんな一癖あり、本家でたまに出逢うこともあったが、嫁ぎ先から束の間の里帰りといった様相があまりにも強くて、子供ゴコロに我儘ばかり言うイヤ~なオバサン達だった。今思うと、祖母は個別に伯母たちの相談に乗っているようなところも見受けられた。この年齢になると、当時見えなかったものが、いろいろわかってくるものだ。
伯父の家の猫。誰だお前?って見ていた。 |
伯父は高校時代の大食漢であった私のイメージしかないようで、私一人に寿司をなんと三人前も用意して待っていてくれた。期待に応えようと寿司を食べ、ビールを飲み、焼酎を飲み、午後5時前からはじまった宴席は、6時間以上続いた。伯母はしきりにビールを注いで、世話をしてくれた。70を超える伯父は普段は9時過ぎには就寝するというが、今日は楽しくて仕方ないからもっと飲む、といった。積もる話は尽きることなく、あっという間の時間だった。
周りの人たちが一人欠け二人欠けし、最後に伯父と私が残った。
伯父は「4年前、お前が死んだらどうしよう、と本当に心配した」と酔いながらも泣きそうに言ってくれた。
トイレに向かう手前にある仏間には、私にも、父にも、伯父にも笑っちゃうくらいそっくりな祖父と曾祖父の遺影が、並んでいた。
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