2012年8月15日水曜日

お静かに


お盆である。

里帰りしたり、旅行に出かけたり、ゆったりした夏のひとときをお過ごしの方が多いのだろう。私は仕事の関係で、明日16日からの休暇となり、土日を含めて4連休となる。今年は例年どおり車で2時間半かけて墓参りに赴き、祖母が亡くなって以来約20年ぶりで父方の本家に1泊する予定だ(いつもは日帰りで済ませていた)。20年のスパンに特段の理由があるわけではない。無論、自宅のお湯が出ないから風呂替わりに、という訳でもない。ちょっとした気まぐれである。本家の伯父や伯母は、少年の頃のように、温かくむかえてくれるだろうか。何が待っているか、楽しみである。

お盆の墓参りは、4年前に生死をさまよって以来、欠かさずに行っている(病気をする以前は、全く関心がなかった)。どちらかといえば、今も信心深いわけではなく、無神論に近いスタンスではあるが、墓参りに関しては、自分→両親→祖父母→さらにその父母、と遡ることができる私的な命脈を思うと、ずいぶん自分勝手で偉そうに生きてきたものだ、と反省したことが大きい。

墓前に手を合わせるのは「今年も1年生き延びてここに来ることができました」という定期総会における事業報告めいた意味合いがあるし、「また1年、守ってください。できれば健康で、仕事もうまくいって、モテて、金運もアップして。お願い」という御愛嬌な陳情行動的な意味合いもある。受け付ける御先祖連合も「まずもって勝手な野郎だ」と苦笑しているかもしれない。けれど、そんなものでいいのだと思う。それ以上でも、それ以下でも、私らしくない。

校3年の卒業間近の頃、学年主任と呼ばれていた先生から「I WAS BORN」という詩になぞらえた特別授業を受けたことを思い出した。先生には申し訳ないくらいお話しくださった内容は覚えていないのだが、ボーン、という響きが何度も続き、盆かよ!と心の中で突っ込んだことは覚えている。当時の私は、不本意ながら周りの状況に流されるまま自分の意志を示すこともせずに転校を余儀なくされ、結局転校先の(つまりは卒業した)高校の校歌を覚える間もなく、不完全燃焼のまま、ボーンを聴いていた。

お盆でも終戦記念日でもある8月15日に向けてなのか、世の中では、何かと、俺から見ると極端な大バカが、キャンキャン騒いでいる。
故開高健氏は「最大の罵倒は、黙殺である」と語っている。
過激な言い回しであるが、結局、バカは黙殺するに限る。

お盆くらいは、静かにしておくれ。

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