2012年8月28日火曜日

週末から今日まで


週末から今日まで、バタバタしていた。充実した日々であったと考えれば、実にありがたい話ではある。今回は、メモ書きの意味を含めて、文豪がよくやる某日日記風にお届けする。

25日(土) 
29日に渡米する妹夫妻の壮行会兼食事会。寿司屋の個室での会食であったが、コース別注で頼んだアワビの握りがあまりに固い。固すぎる。結果、歯だけはよい私のまわりに次々とアワビが集まる。可笑しい。話もそれなりに弾み、あっという間にタイムアップ。帰路、私の車に乗った者だけでリニューアルした藻岩山展望台へ。藻岩山の名物ゆるキャラ(モーリス、っていうらしい)押しのお土産品が並んでいたが、あれ、流行らんな。似たようなキャラ(となりのトト●)、見たことあるし。それよりなにより(かなり年上だけど)わが義弟よ、英語もできないのに、あんたを信じて一緒に渡米する妹をよろしく頼むぞ。無事に帰ってきてくれ(実際には、こんなクダけた話し方、したことない)。用意していた餞別を渡し忘れる。

26日(日) 
前日からの流れで、2カ月ぶりに父親と場外馬券場へ。大した話をするわけではないが、2人で来ると波長が合うのか、ドカンと当たることが多い。この日もそう。午前のうちに3連単のロングショットが2発炸裂。あわててキャッシュカード入金し、勝ち逃げを決める。これで9月中旬から予定している九州旅行の軍資金も確保。長いトンネルを抜けた思いがする。それなら、毎週父親と馬券買ったらいいじゃない?って一瞬でも思った諸兄よ、甘い。甘いって。

27日(月) 
仕事はじめのブルーマンデー。先週の頭に仕掛けたトラップに、獲物が見事引っ掛かる(例えですよ。狩猟が私の仕事ではありません)。これにアオられて、朝からこちらの社長も大興奮&大激怒。松崎しげる愛のメモリー以上の大音量で、個室の意味なく、楽々壁を突き破る。ホント元気だね。それ以降、バタバタと対応策。苦悩に満ちた会議と打ち合わせ。お客様は神様です、なんて建前もあるけど、一体どっち向いて仕事してるんだろうね。業者に任せていた電気温水器が遂に施工完了。ようやくお湯が出ることに。心配くださったみなさん、本当にありがとうございました(しかし、お湯が出るのは深夜電力を使用しての給湯作業なので、翌日朝なのね)。

28日(火) 
朝、ドキドキして蛇口をひねったら・・・お湯が出た!うれしい。しかし出勤したら、昨日からの懸案事項は、より炎上していた。とばっちりで、いきなりトップギアに入れて仕事をするハメに。朝は頭が回っていない。新弟子が朝メシを無理やり詰め込まれるかのように、次々と課題が詰め込まれる。まだ、メシのほうがいい。かわいがりってこういう感じか?ちがうか。午後は内部ヒアリング。微妙な距離感だ。同僚の御母堂が亡くなったとの訃報が届く。同僚は私の一歳下のはず。他人事ではない。合掌。

明日は妹夫妻が旅立つ日だ。人生、いろいろだな。

2012年8月24日金曜日

ゴッドオンリーノウズ (GOD ONLY KNOWS)

北のマチの長年の慣例によれば、お盆を過ぎると、加速度がついてあっという間に秋がやってくる。

それに従えば、今年の秋も間もなくやってくるのであろうが、ここ数日は、おい、どうした?と気象関係の責任者を問い詰めたいほど、蒸し暑い日々が続いた。それでも今朝は若干涼しいようだ。このままいってくれたらいいのに、と夏バテ気味の私は思う(お湯汲み問題も大いなる矛盾を抱えつつ、継続中だ)。

この夏、見落としていた重大なイベントがあった。

ビーチボーイズが来日していたのである。
むろん、ビーチボーイズといっても、反町氏のワイルドな驚愕歌唱と相まって名をはせた、かつてのテレビドラマではない。関係ないが、反町氏のボーカルスタイルはすごいな。舘氏や恭HEY氏に通じるものがある。何がすごいかは、直接的には言わないけど。

反町隆志「POISON」https://www.youtube.com/watch?v=HxcHtlespbQ

こっちのビーチボーイズは、
世界屈指のメロディメーカー、ブライアン・ウィルソン氏率いるビーチボーイズである。
あのブライアン氏の来日なのである。

知らない人のためにちょっと解説を。
ブライアン氏は、ビーチボーイズの元リーダーであり、ほとんどの楽曲を手掛けた天才音楽家だ。
しかし、1960年代、人気の絶頂期に精神を病み、奇行を繰り返し、グループを離脱。簡単にいうと、グループ離脱以降約30年にわたり、引きこもり生活をしてきたグレートなキャリアを持つ。彼の全盛期(それがいつなのか定義は難しいが、仮に60年代とすると)、サーフィンホットロッドというジャンルを確立し、ビートルズのポール氏とも音楽的な共鳴があったようだ。とにかく世界の音楽界に多大な影響を遺した偉人である。

わが国では山下達郎氏や大瀧詠一氏が、ブライアン音楽の伝道師的な役割を果たしてきたし、桑田佳祐氏は「白い恋人たち」のコーラスワークでビーチボーイズを意識した箇所(♪うーうぃーうー うーうぃーうぅぅぅぅぅぅー だばだー・・・)がある。(斬新な記述方法だ。これが書きたかっただけだ。スマン)。こんな一例を出すまでもなく、わが国の音楽業界の大御所たちに与えた影響もあまりにも大きい。

サイドストーリーを書きだすとキリがないが、とにかくブライアン氏は、発表した作品群があまりに素晴らしく、その才能のきらめきが圧倒的にまぶしすぎたために、病んで引きこもっちゃったあとも、世界中から常に再起を望まれてきた稀有な存在である。そこらへんが、普通のニートとは格がちがう。

それでも、90年代以降、徐々に復活し、ソロ活動をやったりやらなかったりしながら、イッてしまった遠因となった因縁のアルバム「SMILE」を20年越しで完成させ、ファンを喜ばせた(ライブ音源などを聴くと、あのブライアン氏が、生で、ここで歌っている!という点で成立しているようなところもある。たとえば老体の猪木氏がリングに上がりプロレスを見せる、卍固めでキメる、このこと自体が嬉しい、という感覚に似ている。ちがうか?)。

そんなこんなの離合集散、紆余曲折を経て、
ブライアン氏が属している状況で、この夏、ビーチボーイズが来日したのである。どうやら、スタジアムクラスの3か所でライブをおこなったようだ。もうちょっと情報を早く入手していたら、おそらく最後の日本公演となるであろう今回のライブを観てみたかったと、切歯扼腕の思いである(このありがたみは、むろん好みの問題である。スタジアムクラスが満員に埋まるのか、その需要の有無は私にはわからない)。

いまさらであるが、彼の作る楽曲には、魔性の魅力が備わっている。素直に美しい。
朝焼けの中で「ゴッドオンリーノーズ」のイントロを聴くだけで、生きる意欲がわいてくる。

THE BEACH BOYS 「GOD ONLY KNOWS」 https://www.youtube.com/watch?v=EkPy18xW1j8

(※タイトルを含め、リンク先を貼るなど一部加筆修正しました。2015.9.28)

2012年8月21日火曜日

お湯のありがたさ

蒸し暑い日々が続いている。

こんな盛夏のさなか、電気温水器が壊れたことで、私は相当不自由な生活を強いられている。
未だ自宅では、新機種の入れ替え工事の日程が定まっていない。

機能停止した温水器君は、外装が取り払われ、部屋の片隅でグラスウールが剥き出しの状態で佇んでいる。すでに合掌状態だ。また、供給ラインは電気も水道も止めた状況であるので、つまりは蛇口をひねっても、泣いても叫んでも、お湯はおろか水分は一滴も出ない(ほかの蛇口からは水は出る)。

お盆前に水漏れが発生し、時節柄、お盆明けでないと交換器機の調達がままならない、との説明を業者から受けたときは、まあ時期も時期だし、と納得したし、内心では、お盆明けっていつよ?すぐだろ?と思っていた。

しかし、伯父の家に泊まりに行き、墓参りをしている16日、業者から、交換機の目処が立たず、8月いっぱいまでどうにも対応が難しい、との宣告を受けた。これは、実に重い宣告である。

いくら北のマチが涼しいとはいえ、夏は夏である。夏っていうのは、基本、暑いのだ。
それに、この時期、人一倍汗かきな私は、シャワーかバスタブかは別として朝晩2回風呂に入ってきた。なのに、お湯が出ないのである。

何の策も講じないならば、この2回のバスタイムが、毎度冷水になってしまう。
俺はデブだけど、身体は弱いのである。冷水なんか浴びたら、間違いなく数日で死んでしまう。それか、ジジイの冷水摩擦みたいなもんで、逆に相当屈強な身体になってしまう(そんなわけないわな)。

とにかく、これは困った。

仕事柄、毎日銭湯の営業時間に間に合うとは限らないし、近場の公営温泉だって同様だ。24時間営業のスパ施設に通うにも、距離的にすぐに行き来できる場所ではない。たまには、そういう場所に足を伸ばすのもいいだろうが、毎日は無理。とにかく、基本的には自前でお湯をなんとかする術を確保しないと、キビシイ。

出た結論は、シンプルだった。
家にある一番大きい鍋(中華鍋)と二番目に大きい鍋(フィスラー両手鍋)で、湯を沸かす、これを何度も繰り返し、バスタブに溜める。適温になったら、ザブンと入る。原始的だが、これが間違いのない方法であった。

実に、
一回の風呂に入るまで、鍋15杯分。時間にして1時間半。

人間は、一日の汗や汚れを洗い流すために、風呂に入るものだ。
そして、ほどよく温まり、心身の安寧を得る。

しかし、私はこれからしばらく、風呂に入るために、びっしりと汗をかくことになる。
それを1日2回、繰り返す。ミイラ取りがミイラになるような矛盾。そこに安寧はない。

昔に戻ったと思えば、なんのことはないのだが・・・

しかしねえ・・・

2012年8月20日月曜日

さあ、日常へもどろう


4日間の休暇が終わった。
通常の日々が戻ってきた

前回ブログにも記載したとおり、この連休中、父方の本家に約20年ぶりで宿泊し、無事に墓参りを済ませてきた。若干の雨に当たったが、暑すぎず寒すぎず、穏やかな夏の一日を過ごすことができた。

少年のころの夏休みは、祖父祖母の家(つまりは今の伯父の家)に1週間ほど滞在するのが恒例だった。転勤族であった父は当時30代半ばで、私たちの家と祖父たちの家は常に距離的にはるか遠く離れており、祖父たちに逢えるのは、このときを除くとほぼ皆無だった。父からしてみると、夏休みに家族を連れて実家に帰省すること自体が親孝行だったのだろうし、私も車に乗って祖父たちに逢うために遠出することを楽しみにしていた。北のマチにおいては夏休みの実に3分の1も取られるロングステイであっても、家族の誰も異議を唱えなかった。

父は8人きょうだいの末っ子で、そのうち男子は2人きりだったので、本家を守る立場になった伯父と大変仲が良かった(ように見える)。ほかの6人の伯母連中は、いっちゃ悪いがみんな一癖あり、本家でたまに出逢うこともあったが、嫁ぎ先から束の間の里帰りといった様相があまりにも強くて、子供ゴコロに我儘ばかり言うイヤ~なオバサン達だった。今思うと、祖母は個別に伯母たちの相談に乗っているようなところも見受けられた。この年齢になると、当時見えなかったものが、いろいろわかってくるものだ。
伯父の家の猫。誰だお前?って見ていた。

伯父は高校時代の大食漢であった私のイメージしかないようで、私一人に寿司をなんと三人前も用意して待っていてくれた。期待に応えようと寿司を食べ、ビールを飲み、焼酎を飲み、午後5時前からはじまった宴席は、6時間以上続いた。伯母はしきりにビールを注いで、世話をしてくれた。70を超える伯父は普段は9時過ぎには就寝するというが、今日は楽しくて仕方ないからもっと飲む、といった。積もる話は尽きることなく、あっという間の時間だった。

周りの人たちが一人欠け二人欠けし、最後に伯父と私が残った。
伯父は「4年前、お前が死んだらどうしよう、と本当に心配した」と酔いながらも泣きそうに言ってくれた。

トイレに向かう手前にある仏間には、私にも、父にも、伯父にも笑っちゃうくらいそっくりな祖父と曾祖父の遺影が、並んでいた

2012年8月15日水曜日

お静かに


お盆である。

里帰りしたり、旅行に出かけたり、ゆったりした夏のひとときをお過ごしの方が多いのだろう。私は仕事の関係で、明日16日からの休暇となり、土日を含めて4連休となる。今年は例年どおり車で2時間半かけて墓参りに赴き、祖母が亡くなって以来約20年ぶりで父方の本家に1泊する予定だ(いつもは日帰りで済ませていた)。20年のスパンに特段の理由があるわけではない。無論、自宅のお湯が出ないから風呂替わりに、という訳でもない。ちょっとした気まぐれである。本家の伯父や伯母は、少年の頃のように、温かくむかえてくれるだろうか。何が待っているか、楽しみである。

お盆の墓参りは、4年前に生死をさまよって以来、欠かさずに行っている(病気をする以前は、全く関心がなかった)。どちらかといえば、今も信心深いわけではなく、無神論に近いスタンスではあるが、墓参りに関しては、自分→両親→祖父母→さらにその父母、と遡ることができる私的な命脈を思うと、ずいぶん自分勝手で偉そうに生きてきたものだ、と反省したことが大きい。

墓前に手を合わせるのは「今年も1年生き延びてここに来ることができました」という定期総会における事業報告めいた意味合いがあるし、「また1年、守ってください。できれば健康で、仕事もうまくいって、モテて、金運もアップして。お願い」という御愛嬌な陳情行動的な意味合いもある。受け付ける御先祖連合も「まずもって勝手な野郎だ」と苦笑しているかもしれない。けれど、そんなものでいいのだと思う。それ以上でも、それ以下でも、私らしくない。

校3年の卒業間近の頃、学年主任と呼ばれていた先生から「I WAS BORN」という詩になぞらえた特別授業を受けたことを思い出した。先生には申し訳ないくらいお話しくださった内容は覚えていないのだが、ボーン、という響きが何度も続き、盆かよ!と心の中で突っ込んだことは覚えている。当時の私は、不本意ながら周りの状況に流されるまま自分の意志を示すこともせずに転校を余儀なくされ、結局転校先の(つまりは卒業した)高校の校歌を覚える間もなく、不完全燃焼のまま、ボーンを聴いていた。

お盆でも終戦記念日でもある8月15日に向けてなのか、世の中では、何かと、俺から見ると極端な大バカが、キャンキャン騒いでいる。
故開高健氏は「最大の罵倒は、黙殺である」と語っている。
過激な言い回しであるが、結局、バカは黙殺するに限る。

お盆くらいは、静かにしておくれ。

2012年8月13日月曜日

手にとるような国際化

ロンドン五輪が終わった。
出だしのネタが浮かばなくて、いつか書いたとおり、結局触れないはずのロンオリに手を出してしまった。自由な感じで勘弁願いたい。

テレビ観戦にチカラが入り、
時差の関係から、昼夜が逆転した生活を送っておられた皆様、大変おつかれさまでした。ようやく普通の生活に戻れますね(私はほとんどダイジェスト番組で済ませました)。

観ていて思ったのは、
いかに速くゴールインしたとか、遠くに投げたとか、高く飛んだとか、重いものを持ち上げたとか、そういうシンプルなルールの競技には、断然説得力があるなあ、ということだった。面白いとか面白くないとかの問題ではなく、判定に予断を許さないほどのチカラ強さがあるなあ、ということなのである。

ジュリーなる存在の者が出てきて、こぞって沢田研二じゃないっすよ、みたいなことを我先に言っていた光景は、国民共通の言いたいセンサーが発掘されたようで面白さがあったが、そんな存在が必要になるのは、進歩なのか退化なのか、ちょっと考えさせられた。俺が考えたところで、変わりようはないけどね。

競技ごとの特性を考えれば、ひとくくりで言えないのは十分理解しているが、明快な、誰が見ても納得する方法で勝敗を決すれば、研二氏の出番は薄まるのだろうか。極端なことをいえば、たとえば柔道なんかでいうと、一本が決まるまで、時間無制限でやり続けるくらいのほうがわかりやすいし、レスリングも肩がつくまでやればいい。

選手にしてみると、4年に一度の大勝負なのだ。
沢田氏に委ねず、とことん雌雄を決するやりかたを追求したらいいのに、とスポーツ音痴の私は思う。

それにしても、
世界の出来事が、瞬時に手に取るようにわかる(本当はわかっていないかもしれないけど)のは、すごいことだと今更ながらに感じる。

ところで、私には、6つ離れた妹がいる。
すでに嫁いでおり、(ちょっとハナシが脱線するスマン)義理の弟が私より圧倒的に年上である、という若干ねじれた関係なのだが、世間的には、そんな極端に珍しい話でもないのか?ほのぼのした気まずさ、とでもいうようなものか?ただ、相手の呼び名には困っている。適当な呼び名が浮かばず、ひとりごとのように唐突に主語なしで話して意思を伝えるとか、そこらへんの距離感、ぎこちなさ感は未だ苦しいところだ。おそらく、むこうもそうだろう。

その義弟が、
仕事の関係で、この8月下旬から1年間の予定でアメリカへ赴任することになった。
むろん妹もついていく。

義弟は、職業柄、英語及びその他の外国語(何ヶ国語なのかはわからん)が極めて堪能であるので、何の不自由もないだろうが、問題は妹である。亭主の海外赴任が決まってから、明らかな付け焼刃で、いまさらラジオ英会話講座をやり始めたという。やらんよりはいいだろうが、お前はアホか、といいたくなる。彼女の学生時代だって英語が得意だったという話を一度も聞いたことがない。そもそも私の妹である。英語なんかの素養があるわけがないだろうが。

彼女にすると、
運命に委ねた、度胸千両的な渡米になるのだろう。それはそれでいい。たいしたもんだ。

困ったのは、
どういうわけか、それにつりこまれて、実家の母が英会話の勉強をはじめたことだ。
パスポートも取得したという。
五輪は閉幕したが、身近なところで、にわかに国際化がはじまった。

むろん俺の母親だ。
三日坊主だとは思うのだけれど。

2012年8月10日金曜日

なんてこった

今朝のことである。
ボーっと起きて、麦茶を飲もうとキッチンに向かったら、

足元でべチャ、べチャ、って音がしたのである。
明らかに床が濡れているのである。

何かこぼしたのか?いや、何もこぼしていない。なんだろう?

水源はどこだ?

どこだ?

発見!

電気温水器から、ポチャポチャ水が漏れていたのである。
電気温水器は200リットル以上の容量だ。

これは大変だ!と正気にかえり、専門業者に連絡したのである。

小一時間で専門業者が到着。
機敏さのない、フツーのオッチャンだった。
それでも、トンテンカンといろいろやって、
これにて一件落着、と思いきや、ここからが更に大変な事態になった。

終わりのはじまりだったのだ。

パッキン交換、くらいに考えていた水漏れが、実は殊のほか重症だった。
診断によれば、俺の温水器君は、まもなく天寿を全うするらしいのだ。
大至急、器械の全部交換が必要との診断が下った。
しかし、オッチャンの会社には在庫がなく、器械は取り寄せるしかなく、
しかも、今の時期はお盆をはさむから、回復には早くても1週間はかかる、とのことなのだ。

ここは地の果てではないし、戦場でもない。
しかし、理不尽なお湯なしの1週間がはじまった。

2012年8月9日木曜日

あいまいな日本の私

自分でも思うが、今回はすごいタイトルを冠した。

たしか、大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞した際の基調講演が、こんな表題であった(同賞を日本人で初めて受賞した川端康成氏の基調講演「美しい日本の私」を意識したものであったはずだ)。しかし、タイトルは大仰であるが、別に文学論をぶつ訳ではない。

報道を見ていて、日本語は、つねにあいまいな余韻を残すものだ、と感心した。

例の「近いうち」「近い将来」発言だ。

適度にザックリいえば、首相が、野党第1党の総裁に対して、法案を通す見返りに解散を要求され「近い将来、国民に信を問うから、法案通してよ」と説明したが、「近い将来って何いってんだコラーッ!」とねじ込まれ、「じゃあ、近いうちに、国民の信を問うからさ、お願い」と再度説明したら、「そうなの?なら、まっいいか」と落着したとの一件である。

うごめく永田町の様相は、なで肩のニュースキャスターが22時過ぎに説明すればいいだろう。

そんなことより、日本を動かしている政治家、それも相当なランクの政治家が、禅問答のような言葉のやりとりで、国民が右往左往するような流れを決めていくなんて、なんと懐の深い所業であろうか、と私は感心した(密約説もあるが、よくわからんので、そこは無視する)。

揶揄するようなニュアンスになってしまうが、
「今度、近い将来、呑みに行こう」
「今度、近いうちに、呑みに行こう」

「A選手、近い将来、レギュラーをとりますよ」
「A選手、近いうちに、レギュラーをとりますよ」

「あのラーメン屋、近い将来、つぶれるな」
「あのラーメン屋、近いうちに、つぶれるな」

あげればきりがないが、上の3例を見ても、会話の臨場感が伝わらない限り、どちらがどうなのか、何が違うのか、正直わからない。

ただ、会話の中で、近い将来、なんて言葉を使うやつは、相当ウソくさいやつだな、とは思う。
今後、近いうち、の解釈をめぐって、都合の良い言い争いがはじまるだろう。

あいまいは、悪いことじゃない。
こんなときに使うやつが悪い。

2012年8月8日水曜日

ひろしさんの歌唱力

ひろしさんの歌唱力には、味がある。

ここでいうひろしさんとは、猫でも五木でもなく、
舘ひろし氏(62)のことである。

なんでも、ネット情報によれば、
ひろしさんは、9月に発売予定のアルバムで
故石原裕次郎氏の楽曲をカバーすべく、公開レコーディングをしたそうだ。
「嵐を呼ぶ男」では、裕次郎氏の台詞をそのまま生かしつつ、夢の共演を果たすという。

ひろしさんといえば、私たちの世代にとっては「泣かないで」で大ヒットを飛ばし紅白出場、
https://www.youtube.com/watch?v=t8TbbMQRKss
https://www.youtube.com/watch?v=mmgXv5Dgp6g
その後、名ドラマ「あぶない刑事」の「冷たい太陽」の人であり、文句なく時代を席巻した名優である(残念ながらクールス時代は、ちと早すぎて馴染みがない)。

関係ないが、あぶない刑事といえば、ひろしさんと双璧の大看板が、柴田恭平氏である。
氏にも「ランニングショット」という相当な殺傷力を誇る楽曲がある。
歌というか、シャウトというか、聴きようによっては、その掛け合いは早すぎた「ケツメイシ」と言えなくもない。まさに、恭HEY!HEY!なのだ(意味わからん)。
「ランニングショット」 https://www.youtube.com/watch?v=_a_kdB4U52s

一方のひろしさんも、俳優と歌手の二足のわらじをはき続け、
「青い山脈」 https://www.youtube.com/watch?v=HchUuLHwsyE
「朝まで踊ろう」 https://www.youtube.com/watch?v=q3ZVrzRcKFs
「いとしのマックス」https://www.youtube.com/watch?v=958tJXmIY7U
などを突如発表するなど、ヒロシック唱法とでもいうべき、ビブラートをネットリ効かせた大胆な節回しにより、こちらの想像をはるかに超える作品を常に提示し続けてきた。
ひろしの前にひろしなく、ひろしの後にひろしなし。
まさに超個性的なヒロシック唱法なのだ

特に「青い山脈」を初めて聴いたとき、耳を疑った。
この作品の需要と供給のバランスはどこにあるのだ?と大きな衝撃を受けた。

こうなってくると、
「ヒロシ ア ゴーゴー!」である。独自性があまりに強すぎる。視聴ができる環境の方々には、一度でいいから聴いていただきたい。いつまで有効なのかわからんが一応リンクも貼ってみた。こんな才能を眠らせるわけにはいかない。
(※当初の掲載時には、リンク先を貼る技術がなかったので、一部文面等を加筆修正しました2015.9.28)

今更ながら言うまでもなく、ひろしさんは、現在に至るまで一貫して、天下の石原プロの重鎮であり、我が国のダンディの象徴でありながら、コミカルを演じてもサマになる稀有な存在である。黙ってたたずんでいるだけで、絵になる男である。

そんなひろしさんが、また、波が高いはずの歌手業に乗り出すというのだ。
男は、常に冒険をしたいものなのだ。
これは、是が非でも聴いてみなければなるまい。

CDが売れないと音楽業界が悲鳴を上げている今、ひろしさんの挑戦は成功するのか?
私は断固、応援する。

2012年8月7日火曜日

ある日の光景

職場で不思議な光景を見た。
同じフロアだけど、10メートル離れた他のセクションの話だ。

Aの机の電話が鳴った。あいにく、Aは不在のようである。
数コールして、背中合わせで座っているAとは他係のBが受話器をとった。「Aは不在です」と答えている。

「本日、Aは不在となっています」「ですから、不在です」「わかりません」
こんな会話が3分も続いただろうか。
やがて、Bは自席に戻って、パソコン作業をはじめた。

ここまでは、普通といえば、まあ普通の光景だ。

ところが、
しばらくして、Bの上司のCが、異変に気付く。
「おいBさん、Aさんの電話の受話器があがったままだぞ」と声をかけた。

すると、Bは、
「はい、Aが不在だって伝えたら、なんかガーガー文句いってるんですよ。なので、放っておいてます」と平然と言い切った。

え?周りに衝撃が走る。

あわててCが受話器をつかみとり、ガーガーいってるらしい相手と会話をはじめた。
放置した時間が、どのくらいだったのか、正確にはわからない。3分から5分くらいのものか?
けど、これは誰だって怒るわな。

Cが平身低頭でうまく取り繕い、Aの上司であるDに話をつなげ、Dから相手先に改めて連絡させることで、一応の収束をみた。

周りのあたふたとした状況に、Bは動じることもなく、これが日常だ、とばかりに悠然としている。
動かざること山の如し。こいつの前世は戦国武将なのか?

武将を雇うくらいなのだから、うちの会社はまだまだ余裕があるのだろう。

会社よ!そしてBよ!ホント大丈夫か?

2012年8月5日日曜日

志の輔らくご 大河への道

昨日のブログ(8月4日)を更新したあと、かねてより予定していた富良野まで車を飛ばした(言葉のアヤです。飛んではいません)。

その日の14時から、立川志の輔(たてかわ・しのすけ)師匠の独演会が開催されたのだ。

最近では、チケット入手が困難な噺家の代表格として、
志の輔師匠の弟弟子(おとうとでし)の談春師匠が謳われるが、

談春師匠の場合は、どうやらこの類の都市伝説を自ら言いはじめたらしい。売り出すために自分でコピーを考えて言いふらしたら、世間がまんまと引っかかった、というインタビューを観たことがある(談春師匠の照れ隠しの側面も多分にあるだろう。師匠の古典は確かにスゴイ)。

関係ないけど、主催者からすれば、チケットが売れる、ということは噺家に限らず、歌手、政治家、スポーツイベント、町内会のビンゴゲームなど規模の大小を問わず、とても嬉しいことだと容易に想像できる。

私の体験上、談春師匠のチケットより、志の輔師匠のチケットのほうが、まちがいなく取りにくい。シノスケ見たい、券売り切れ、見たい売り切れ、と何度か空振りを経験し、実は私にとって今回の富良野が初志の輔(はつしのすけ。まぎらわしくてスマン)。チケット問題だけでいえば、談志家元が没しても、立川流は、とても嬉しいことになっているに違いない。独立独歩の個別経営なんだろうけどさ。

会場は、富良野演劇工場、という俺にとっては未知の場所。
電話で問い合わせ、何となく土地勘がないなりにも方向の見当はついたが、どんな場内なのかHPの情報しか持ち合わせていない(全席自由、っていうのが、逆にいらぬ焦りを誘う)。それにしても、落語を聴きに富良野まで遠征をかけるなんて、私も随分エラくなったものだ。いい気にならぬよう自戒せねば。

ほぼ1時間前に到着し、列に並ぶ。ダラダラと時間をつぶし、モギってもらい、会場内へ。
結果からいうと、会場は適度にゆったりし、素晴らしかった。通常の肘掛のある椅子席ではなく、一列まるごと長椅子状になっており、圧迫感がない。イザコザもなく、前から3列目のほぼセンターに陣取る。高座とフラットな目線。多分、この会場ならベスポジだろう。

定刻となり、消灯。
やがて真っ暗の舞台に照明が灯り、いきなり紋付姿の師匠が登場。前座も出てこず、ここから2時間半、ノンストップ怒涛の志の輔ワールド。ガッテンの人じゃない、明らかな噺家の師匠。

芸の良し悪しは、私にはわからないのでいつものように書かない。
とにかく、心が揺り動かされた、とても贅沢な時間だった。おそるべし立川流!

2012年8月4日土曜日

男性自身 木槿の花

今週も無事に週末を迎えた。

公私を区分すれば、
「公」の部分は、つつがなくこなせたように思うが、
「私」の部分は、以前にも書いたような厄介事が解決せずに山積している。まあ、ちょっと甘いが、今はこれでヨシとしよう。こうやってこらえていれば、そのうち風向きも変わるだろう。

昨夜は、金曜であったが、吞み会などもなく、乱雑に積み重なった書棚を整理しつつ自宅で静かに本を読んでいた。数日続いた猛暑がウソのようにピタリとみ、肌寒さを感じるほどであったので、吸いこまれるように文字を追うことができた。

書棚の奥の方から出てきたのは、
山口瞳氏の男性自身シリーズ文庫本約10冊であった。氏の作品はリアルタイムではなく後追いで買い求めたので、足でかせいだ、という印象が強い。1冊ごとに「これはあそこの古本屋で」「これはつぶれたあそこの本屋で」と記憶がよみがえってくる。

自宅スペースの問題から半年に一度くらいの割合で、読み散らかした書籍を処分するのだが、それを何年も繰り返していくと、自分の嗜好フィルターでろ過しているようなものだから、蒸留される書籍は明らかに一定の傾向をみせることになる。私の書棚には、氏の作品は顕著に残り続ける。すなわち、手が合うのだ。

昨夜手にしたのは「男性自身 木槿の花」(だんせいじしん むくげのはな)である。週刊新潮に連載されていた随筆「男性自身」(決してエロではない)を取り纏めたシリーズであるが、この巻に限っては、前半部分はきわめて秀逸な小説であるといってよい。向田邦子氏の突然の死を悼む内容であるのだが、文章のリズム、秘められたエピソード、何よりも山口氏の向田氏への強い思い入れが、行間から溢れだしてくる。

私が読んだかぎり、向田氏の追悼文を発表した作家は、総じて名文家が多いのだが、これほどの思い入れで書ききった作家は、山口氏が筆頭だろう(じゃあ、久世光彦氏は?との声も聞こえてきそうだが、氏についても無論同様である。この両人が、向田氏を巡って一種の仲たがいをしていたらしいのは、これまた興味を引く。いずれ機会があれば、これらも書きつけてみたい)。

整理をするつもりで書棚をいじりはじめたが、毎度こんなことで手が止まる。

作業はなかなか終わらない。

2012年8月2日木曜日

I LOVE YOU -now & forever-

遅ればせながら、7月18日に発売された桑田氏の最新アルバム「I LOVE YOU -now forever」を7月28日に入手した。7月7日、豪雨のお台場で桑田氏のライブを見てしまい、いまさら新曲たちを学習する理由が薄れてしまったのと、私事でいろいろあって、気持ちがちょっとした端境期に落ち込んでいた。結果、世の中の波に乗り遅れた形で、入手したという次第だ。

専用ホームページによると、今回のアルバムは
「『フロム イエスタデイ』(1992)から20年、そして『TOP OF THE POPS(2002)から10年。その2作を遥かに凌駕する桑田佳祐ソロワークスの集大成ともいえるスペシャルベストアルバムが、ここに完成。」  (ここまでコピペ)

という惹句で飾られており、
楽曲は年代順に並べられているらしく、限定版にはボーナスディスクも付いている。

さっそく帰りの車中で聴きはじめたが、どういうわけか、HDDがうまいこと機能せず、音楽はかかるが、「NO ARTIST」表示になってしまい、楽曲情報を表示してくれない。大した弊害ではないが、やや茫然としてしまった。

そんな中でも、1曲目は当然の「悲しい気持ち(JUST MAN IN LOVE)」である。

1987年発売のオリジナル盤も以降のベスト盤もすべて所有しているし、
単に今回のアルバムが再発売と考えてしまうと詐欺チックな匂いもするが、

いやいや、いまさらのベスト盤であっても、この定番曲を聴いてしまうと、そんなことを超越して何の不満も起こらない。このブログのタイトルにしたくらい個人的な思い入れが強いので、当たり前かもしれないが、こと桑田氏については複数回のベスト盤、全然オッケーである。いまの音楽業界は売れない状況下であるらしいから、今後はこういった類の作品が安易に出るんだろうし。

それにしても、「悲しい気持ち」と巡り合って25年か。
そりゃトシもとるわけだ。

もっと書きたいけど、今日はこのへんで。

2012年8月1日水曜日

8月といえば。

1週間ばかり更新をしていなかった。

ここ数日来、北のマチは、北のマチらしからぬムシムシした湿気と、灼熱の太陽にさらされて、こちらの行動する意欲をすべて霧散させてしまった。そうこうしているうちに、8月になった。もっと暑い地域に住まわれている方には、この腰の引け方は大変申し訳ない限りだが、なにせ暑さに慣れていないので、ご勘弁願いたい。

しかし、今日は、雨上がりの夜をむかえ、暑気も薄らいだ。
無気力からようやく立ち直る気配が宿ってきたので、何事か書きつけてみる。

8月、といえば何を思い浮かべるか?
さきほど自分の瞬発力を信じて、自分に問うてみたが、出た答えは何故か
「八月はサヨナラのララバイ」だった。(正確には「サヨナラは八月のララバイ」であるのに、だ。)

知っている方がどれだけいるかわからないが、一応いっておく。
「サヨナラは八月のララバイ」とは、俺ら世代がよく知っている楽曲のタイトルです。
80年代のロック、というかポップスというか、吉川晃司氏による、ビーマイベイべ言う前の懐かしい楽曲。けっこう売れたはず。

私にしてみると、今、カラオケで指名を受ければ(そんな状況はあり得ないが)、たどたどしくも歌いきれるか、途中で断念するか、その境界にあるような位置づけの曲である。これをさらに分析すると、メロディは秀逸で良くわかるのだが、いかんせん歌詞がわからない。歌詞が字幕で出てもリズムに乗って歌う自信がない。これは吉川氏独特の歌唱法により当時から歌詞がよくわからなかったことが、大きく影響している。それと、昔になぞらえて吉川歌唱法で歌うのも、今の俺には大変恥ずかしいし、かといって自己流で歌うのはもっと恥ずかしい。今わかりました。訂正します。歌えません。

とにかく、
今も一線級で活躍している吉川氏には、敬意を表したい。

さて、今日の昼、このブログのありがたき理解者であるA氏と話す機会があり、控えめにも示唆に富んだ意見交換を行った。氏から「このブログは、世相を斬る的な、意見を申し述べたいのか?」とのお尋ねがあり、私は「なんでもいいからお題を設定し、限られた時間(約30分)で、とにかく書いてみることを旨としている。たまたま世相を斬る的な偶発は起きるけど、そこを重点とは考えていない。」とお答えした。会話していく中で、自分でも整理できていなかったこのブログの立ち位置が、なんとなく確認できた気がした。

私は、基本的にダラダラ書いていくが、声高に何かを訴えることは、しないのだと思う。

ちなみに、ロンドンオリンピックについては、国民すべてが評論家化している風潮が気持ちわるいので、今後も触れないでいくはずだ。といっといて、書いたりもする自由な感じ。要は気持ち次第。

金メダル候補と期待された選手の挫折を訳知り顔で語るより、長渕剛氏が何故ライブ中にスライディングして靱帯を痛めたのか、こちらを想像するほうが、断然、私らしいはずだ。