2014年12月31日水曜日

1年はあっという間だ

大晦日。
あっという間に一年が終わる。

私的に感じ入った今年の重大ニュースをメモしておく。

ソチ五輪、カミカゼ葛西の躍進に感動
サムラゴーチ、号泣県議、オボカタといったフェイクスターが流星の如く現れ消える
日本の漢  高倉健が逝く
知らない歌ばかり流行る
急な解散総選挙
東海林さだお先生のアサッテ君の連載が終わる

ここから先は個人的な出来事

16年ぶりに引っ越しする
空き巣被害に遭う
暴力沙汰に遭う
30年ぶりに旧友と邂逅する
逃避行を体験する
テレビが壊れる
車を一台廃車にする
仕事に追われる
家族が増える

そんなわけで、色々あった激しい一年だった。
こんな劇的な一年は稀だ。生き抜けたのが奇跡のような一年。
なにより、家族が増えたのが、嬉しい誤算だった。

みなさま、生きていれば大丈夫。
よい年をお迎えください。

2014年12月7日日曜日

チャンピオンズカップを予想する

来週まで、土日も休まず仕事である。
そんな中、懲りずにまた競馬の予想を披露する。負けっぱなしの俺の予想。逆神的な利用が良いのでは?

今週のメインは、中京に舞台を移したチャンピオンズカップ。昨年までは阪神でジャパンカップダート、と呼ばれ開催されていたレースだ。開催場所も名称も変わったが、過去から引き継ぐかたちなので、第15回チャンピオンズカップとなっている。第1回としなかったことに違和感ありありだ。

1番人気は、春の時点では伏兵扱いだったコパノリッキー。成長著しい4歳馬だ。前走の圧勝は見事だった。新王者襲名なるか。

2番人気は、ホッコータルマエ。春の海外遠征で体調を崩し、復調途上の前走でようやくメドがついたよう。自力ならこの馬が1番だろう。

しかし例によって、俺の本命は、ここにはいない。ダートの多頭数は、前につけて抜け出すようなレースができる馬を狙いたい。1,2番人気ともそれができる馬だが、マークが厳しくなるだろう。自分の競馬に徹する度胸がある騎手で、すなわち展開の利を享受できるであろう馬を狙いたい。

本命は、今回名手ムーアが初騎乗となるクリノスターオー。本来なら逃げ脚質の馬だが、ガリガリ前がやりあう展開を冷静にムーアがさばききる、と読んだ。しかし人気ないな。

相手は、アメリカから参戦のインペラティヴ、休み明けだがローマンレジェンド、堅実なナムラビクター、ベストウォーリア、クリソライトまで。

さて、仕事を抜けて馬券をどうやって買おうかな。

2014年12月2日火曜日

それは俺の書いたものじゃない

職務上つながりがある業界大手の某団体から、ホームページに掲載したいとのことで、コラムの執筆を依頼された。お題は自由だが、業界に関係するネタをからめてほしい、とのオーダーである。

かなり前からの依頼であったし、現況忙しくて無理です、と逃げるのも迷惑がかかるので、半日ほど集中する時間を作り、オーダーに沿うよう業界ネタを放り込み、難儀しつつメールで原稿を送った。

その二日後、
先方から返信があった。長々と言い訳めいたことが書いてあったが、要は、俺の原稿がユルすぎて、このままでは掲載できないので、もう少しカタい内容でもう一回書いてくれ、とのダメ出しであった。

赤ペン先生のように、原稿が真っ赤に添削されていたが、どうにも、指摘された内容が、違うのである。そんな書き方、俺はしないのである。サムラゴーチばりのまったくの別人仕様なのである。

ただ、今のままでは、このサイトにそぐわない、との意向は理解した。
二時間ほど時間をつくり、唸りつつほぼ全部書き直して、再メールした。

翌日、先方から連絡があった。
中身はだいぶん良くなりましたが、さらに別添のように修正してみました、との内容であった。

あのさ、もうあなたの好きなように直していいから、執筆者の俺の名は消してください。

2014年11月30日日曜日

ジャパンカップを予想する

誰の得にもならないが、今年も本日行われるジャパンカップを予想してみる。ちなみに昨年公開した予想は、無惨な結果だった。しかし俺にしてみると、このレースは過去25年でも、相性の良いレース。昨年のリベンジといきたいところ。

今年のメンバーは、なかなかの粒揃い。人気は、このレース三連覇を狙う女傑ジェンティルドンナ、世界ランク1位のジャスタウェイ、凱旋門賞6着も豪脚を見せつけた3歳牝馬ハープスター、天皇賞秋を勝った新星スピルバーグといったあたり。

ジェンティルは、力があるのは認めるし、鞍上は名手ムーア。上位には来るだろうが、歴史的に見てこのレース三連覇が叶うほど傑出した馬ではないとみている。確かに強いけど。ジャスタウェイは、距離が長すぎる。本当はマイルから2000までの馬だろう。凱旋門賞の惨敗もいただけない。ハープスターは斤量が軽く走っても不思議ではないが、いつも位置取りが後ろ過ぎ。勝ったときの豪脚の印象が強過ぎる。もう少し前の位置で構えたい。スピルバーグは、前走がベストレース。これ以上のパフォーマンスは無理だろう。

そんなわけで、
書き連ねた四頭の中に、私の本命はいない。

私の本命は、前走菊花賞で一敗地にまみれた今年のダービー馬、ワンアンドオンリーとする。ダービーと同じこの府中の舞台、激走するお膳立てが整った。追い切りを見ても、ふだん稽古がけしない馬が先着。このまま終わる馬ではないだろう。

相手には、フェノーメノ。三番手以降はジェンティル、エピファネイア、イスラボニータ、トレーディングレザーまで。

混戦である。
仕事を横に置いて、今日は1日楽しみたい。

2014年11月23日日曜日

夜遅いスーパーで有名人に逢う

金曜の夜、
仕事から帰ってから、ちょっとクルマで足を伸ばし、深夜までやっているスーパーへ食料を調達に行ったときのこと。

念のため確認ですが、
その日は、午後一番に衆議が解散し、バンザイのフライングがあった日です。

ガラガラとカートを押して店内をウロウロしていたんです。
もう、割引シールが貼ってあれば買っちゃえ、っていうテンションで。客は、まばら。ほぼゼロです。

ヨーグルトや牛乳が売っている一角に差し掛かったとき、
そのコーナーに先客がいたんですが、まあ、いますわな。まばらでもスーパーだもの。珍しいことではない。

ただ、この先客が、
ネクタイこそ結んでいないものの、スーツ姿のオジサンなんですが、なんか見たことある人なんですわ。変なオーラも出てます。

すぐわかりました。

この人、このエリア選出の代議士先生だったのです。
もうね、ベテラン中のベテラン。派閥の長。
ヨッ!先生っ!って感じ。

昼間に解散して、飛行機で即お国入りしたのでしょうか?
平民の私らは、普段なら一年に一度、夏祭りのビアパーティくらいでしかお見受けすることはないのですが、ご苦労なことです。お付きもつけず、一人で買い物カゴぶらさげてました。

悪く書く気はサラサラありませんが、
気になったことが一つだけあります。

代議士先生の買い物カゴには、乳製品が入ってました。

あのさ、代議士先生、
そこは、あなたの身内の◯◯牧場の製品じゃないと具合悪くね?

改めて、選挙でのご健闘をお祈りします。

2014年11月14日金曜日

アベシ

困った。

以前にも書いたとおり、
私の仕事は、選挙が行われると、風が吹けば桶屋が儲かる、のようなドミノ倒しによって、風雲急をつげることになる。

ここ数日で降って湧いたキナ臭い解散報道は、
徐々に確定的な論調に変わり、もう後戻りできないような状況になった。
行間を裏読みする必要もなく、解散は確定的だろう。

困ったのである。

ありがたいことに、すでに私の周りには、こなさなければならない重たい業務が、年明けまでに少なくとも四つある。うち三つは毎年のルーティーンで、一つは全くのご新規様。当然、日常業務も詰まっている。前回書いたとおり、もう十分に忙しい。

どれもこれも、私の力量を冷静に分析すれば、すべて難業で、果たして俺は年を越せるのか?と思っていた。無論、一人で全部やるわけではないが、チームのチカラを発揮しようにも、ご新規分が全く未知で、編成も手探り状態。

結果、全ての案件への対応がウマクナイ。血が通っていないような、イズい感じ(方言だな)。その悪い流れに起因して、突破力が削がれている印象だ。

そこにブッコまれた無慈悲な解散騒動。
まさにアベシ状態だ。
安倍だけに、アベシってか?うまいこと言ってる場合じゃないっつーの。

また、今の私は、
プライベートで、極めて重大な案件を抱えている。本来ならこっちに全精力を傾注したいところだったが、それも叶わぬ状態だ。果たしてどうなることやら。しかし踏み間違えると、今後俺の家庭での居場所が危うくなるのは確実だ。

私を素性を知っている周辺の方々には、実情はお分かりいただけるでしょうが、
アメリカやフランスなど世界各国でお読みいただいてる、まだお会いしたことのない読者の方々には、何のことやらサッパリわからないでしょうね。

とりあえず、本日は産婦人科に行ってきます。
察してください。

2014年11月7日金曜日

忙しい

めずらしく、ずーっと立て込んでいる。
忙しい。

それも、こっちから打って出る、という感じじゃなくて、
網を張って待ちながら、カカればそこに対応する、といった感じ。
職場でやたら使いたがる野郎がいるが、いわゆる誰々マター、というやつだ。

ちなみに、既に行間からあふれているだろうが、俺はこの誰々マター、を使う当該人が、大嫌いだ。

とにかく、しばらくはこの渦の中から抜け出せなさそうだ。
ちょっと風邪気味ではあるが、元気で生きています。

機会をみて、いずれ更新します。
それでも、いま気になっていることを1つだけ。

大引選手よ、どうやらハムを去ることは理解できたが、

総じて君の含みのある言い方、
結局、何を言ってるのか俺にはさっぱりわからん。

ぶっちゃけるのなら、もっと赤裸々に語ってくれ。

2014年10月21日火曜日

ハム終戦

昨夜、北海道日本ハムファイターズが今年の終戦を迎えた。
何年経っても栗山監督をはじめとする首脳陣のベンチワークには、素人目からでも疑問だらけだが、彼らの専権事項にウダウダ言ってもはじまらない。選手は与えられた持ち場で懸命にやった。
お疲れさまでした。

ただそうはいっても、
説明がつかないヤマカン的な、云ってみればセオリー無視の栗山采配で、シーズンを通じて勝ち試合をいくつも落としたのは事実である。タラレバは禁物だが、このCSの初戦の継投だって、そうだろう。あのサヨナラ負けが、結局最後の星勘定にコッテリ効いた。

なんていうのかな、表現が難しいけど、総じて重厚さに欠ける采配というのかな。
その場の思いつきにしか見えない、うっすいペラペラ感が漂うんだよな。いくらでも具体の指摘ができるほどだ。

ただ逆に、矛盾めいているが、
ヤマカン的な栗山采配で、奇跡的な逆転劇を幾度か引き起こしたのもある意味事実だ。

野球の質は下がっていると思うが、中田の一撃を期待するような、いいのか悪いのか原始的な野球の面白さが広がった。

ということは、書いていて整理できてきたけど、ファイターズは緻密な野球を目指していない、ということなのかな?

とにかく終わった。
来年のグランドには、稲葉、金子がいない。新しい歴史がはじまる。
それと、私が一番贔屓にしているプロ野球チームは、ヤクルトです。
しっかりしろ!ゴーゴースワローズ!

2014年10月10日金曜日

雑事まとめ書き

なかなかパソコンに向かえない日々が続いている。
布団の中からスマホでメモ書きとして、未更新の間をざらっと振り返る。
恒例になってきましたな。

道東へ行く
先月末、今年3度目の道東へ。ちなみに、その2回の旅は、こんな感じで書いてた。
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/04/blog-post_29.html
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/09/blog-post_5.html
今回は、事前調査が功を奏し、充実した仕事ができた。それと、食べ物が美味いなぁ、と感じた。次はいつ来れるかわからないから、思うまま早朝、散歩に繰り出した。私道みたいなところにまで入り込み、より個人的な思い出をたどる。気がついたら9キロも歩いていた。俺はこのマチが大好きなんだな。

凱旋門賞2014
期待の高かった日本の三頭は、すべて大敗。淡々とレースが流れ、あっさり終わってしまった。スタートが噛み合わず、そこで全てが決した印象。走破タイムをみると、タフで重たいとされるいつものロンシャンの芝ではなかったようだ。乗り方、位置取りに批判が出ているが、確かに素人目には今年のロンシャンの芝に対応した位置取りではなかったように見えた。ただ、そんなことは日本のレースでもよくあること。一発勝負に賭けた乗り方を批判することなんてできないだろう。今後、意外と近いうちに、あれ?この馬が?っていう感じで日本初の凱旋門賞馬が出ちゃうんじゃないかね?ドバイWCのヴィクトワールピサみたいに。往年のジャイアント馬場氏が言っていたように、何事もやまずに攻め続けることが肝要なのだろう。

厚田に行く予定が増毛に
先月、なにやら厚田で格安の海産物を売るお祭りがあると聞き、けっこう早い時間に駆けつけたが、なぜか既にソールドアウト。そもそも売ってる量が少なかったのか?つーか売ってたのか?その日の夜は知人を呼んでタコ焼きをすると決めていたのに、肝心なタコを入手できず困惑。仕方なく、時間もあったから(暇なんです)、そのまま海沿いを走り増毛まで。なにほどタコ焼きがしたかったのか、その熱意は自分でも不明だが、執念でタコを入手した。ついでに海老もタップリ買ってしまった。昼飯に地元の海産物を食べ帰宅。ヒジョーに美味かった。

錯乱しケーキを買う
仕事帰りの遅い時間にスーパーに行くと、半額シールがバシバシ貼ってあった。狂乱気味に適当にバシバシ買い物カゴへ投入していると、有名某菓子店の生デコレーションケーキまでもが半額になっている。しかし、1ホール。でかい。気がついたら、買ってた。こんなに食えないって!




2014年9月24日水曜日

サザエさん展を見る

ちょっとした愚痴である。

オータムフェストがあまりに盛況すぎることに業を煮やし、
個人的ルールで、今後しばらくは大通近辺に近寄らないことに決めた。
(そうはいっても、今年だって三回行って、一回は食べたのだが・・・)

このイベントが、
美味いものがたくさんあって、大層魅力的であることは、間違いない。これは、もう喜ばしい限り。
ただ、いかんせん、
近年の開催には人が多く寄りすぎだ。

本来、美味い食べものは、人の心を和ませるものだが、俺はこの会場で美味いものを食べようとして、激しくイライラしている。なんだか構図がおかしい。明らかに本末転倒な話だ。

主催者側には嬉しい悲鳴だろうが、秋とはいえ炎天下の中、待つ、っていうことにも限度がある。
まあ、大きく騒ぐことはないが、個人的に長い行列に並んで、けっこう待って、人混みでメシを食べることが、苦痛になってきた、ということだ。

だから、というわけではないが、
9月20日、サツエキ周辺でやっている「サザエさん展」に行ってきた。
俺にすると、念願のサザエさん展だ。

サザエさんに関しては、かつて記したこともあるが、
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/07/blog-post_22.html
日曜日午後6時半、家にいれば、今も欠かさずにアニメを見ている。

これは、サザエさん好きの俺の母親が、日々の生活の中で俺に植え付け、刷り込んだ幼少の頃からの風習だ。他局でこの時間、何を放送しているのかを一切知らないほどのガチっぷりだ。

思えば、かつて東京に赴く際には毎回、桜新町の長谷川町子美術館に行き、
時期が合えばお台場のサザエさん展にも行き、
高校の弁当にはサザエさんふりかけを持参していた。一体どんだけ刷り込まれてたのか?
 
で、会場へ。
場内は基本的に撮影禁止でした(2箇所のみOK)。
この先も全国をめぐるらしいので、ネタバレ警戒の策なのか?

だとすると、展示内容もあまり書けないけど、
波平が出てきて「バカモン!」と叫んだり、
先祖が出てきて「今日のお前は波平じゃ!」と占ったり、
100円で、いその家周辺の土地に家を建てたり、
キャラクターグッズを買ったりと、
狭かったけど、十分楽しみました。
 
残念なのは、オータムフェスト以上に混んでたこと。
どこいっても、結局、人混み!

んがーぐっく!

2014年9月15日月曜日

オータムフェスト堪能!

朝、目覚めも爽やかに早起き出来たから、今日はキッチリとオータムフェストに。
やっと今季初参戦。昨日のリベンジ。

今日も画像中心でいきますよ。

それにしても、
空いてる時間帯を狙って出陣したつもりでも、すごい人波でした。
思い返せば、例年こんな感じだったっけ?
それでも、毎年ちょっとずつ増えてるような気はするなぁ。けっこう苦痛だ。腹減った状態でいくと、心が歪みそうだ。

そんな中、
真っ昼間から明らかに酔ってるテラテラ顔のおじさん達が天下の大通公園を堂々と闊歩しています。テラテラ顔が並ぶのは、なかなか壮観で好ましいですな。若造どもチャラチャラしてんじゃねえ、という背中。なのに本人は既にテラテラ。とても心強い。

それと個人的に、五丁目のラーメン地帯は、今日はスルーです。
今回の出店ラインナップにあまり魅力を感じていない、という本音もありますが、昨日貼ったとおり、昨昼、札幌で一番美味い旭川ラーメンをガッツシ食べました。中性脂肪の数値が素晴らしく高い今の私は、ラーメン連投禁止なのです。スープを飲むとか飲まないとかじゃなく、キッチリ医者に止められています。

そんなわけで、
ラーメン以外の食べ物を色々いただきましたが、今日はハズレなしの成果。美味いものばかりでした。結局、中性脂肪には良くないものばかりを食べてるのでしょうが、あくまで医者に止められてるのは、ラーメンの連投。

これで、いいのだ!




それと、魅入ったのは、浜中町のブース。
ルパン三世が鮭をかかえてました。さすがモンキーパンチ先生の故郷ですな。

2014年9月14日日曜日

オータムフェスト断念

このブログには、
画像が少ないのでは?との貴重な少数読者の声を受け、今回はそのあたりをケアしようと思います。

実は今日、
大通公園で今週からはじまったオータムフェストに行ってきたのだが、
体調がすぐれなかったのと、あまりの人の多さのため、食べるのを断念。
あんな行列に身を委ねることは、今日は無理。結局、何しに行ったんだ?っつー話。
明日、また行ってみましょうかね。
そんなわけで、オータムフェストじゃなくて、ここ一週間くらいで食べたもの画像を載せてみます。




上から、今日食べた(ちょっとややこしいけど俺が札幌市内で一番美味いと思っている旭川ラーメン)醤油チャーシュー麺、先週デパートの催事場で食べた江戸前天丼、同じくマグロ三昧寿司。カロリーやばいね。

2014年9月11日木曜日

謎の男が呼び鈴を押す

先日、職場から帰宅し、スーツから部屋着に着替えている最中、呼び鈴が鳴った。
家にはワタシひとり。しかも、キッチリとパン1(パンツ1枚)の状態。
タイミングが悪い。とても悪い。出にくい。というか、これでは出られない。

息を潜めて気配を消し(たつもりで)、モニターを見ると、見たことのあるような、ないような男性が映っている。少なくとも知り合いの顔ではない。

セールスか?
宗教か?
NHKか?
パン1のまま、動きを止め、時が過ぎるのを待った。
約2分経った。・・・男性は帰ったようだ。

大事な用事なら、またやって来るだろう。
それにしても、そもそも、ここは俺の家であって、何で怯える必要があったのか?
・・・パン1のせいか?だとしたら、心理的な弱みを見せたな。まだまだ甘いな、俺よ。

とにかく、見知らぬ君よ、
タイミングが悪かったと思ってあきらめてくれ、アディオス。

そうしたら、夕飯を食べようとしたキッチリ1時間後、また呼び鈴が鳴った。
モニターには、さっきの男性が映っている。
今なら、とりあえずはどこに出ても恥ずかしくない服装だ。
まずはインターホン越しに出てみることにする。

そうすると
「●●新聞店ですー」と聞き覚えのある声が。

そうだった。あの人か。
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/08/blog-post_6.html
どこかで見たことあるような、との先ほどの思いは、数週間前の某新聞の勧誘員の顔だったのだ。
けど、はっきり覚えちゃいないよなぁ。

「旦那さん、すいません旦那さん」
あー、こうだった。旦那さん波状攻撃だ。また粘られるのか?

「旦那さん、また購読のお願いに伺いました」
だから、前にも言ったとおり、いらないって。

「旦那さん、まだ他紙も取ってないですよね?」
取ってない取ってない。

「旦那さん、今なら景品もご用意できるものですから旦那さん」
考えは変わらないし、いらないって。

「旦那さん朝刊だけでもいいんです」
夕刊だけでもいらないって。

「旦那さん、それじゃあワタシの勝手な都合で申し訳ないですが、1週間だけ入れさせてもらえませんかねぇ旦那さん。もちろん無料ですので旦那さん」
無料?じゃあ、勝手に入れてって。いらないから。
というわけで、嫌いな某新聞が、1週間だけウチに入ることになった。今日がその2日目。

本日の俺の結論
某新聞は大嫌いだが、チラシには罪はない。

2014年9月8日月曜日

日々の雑感

ここ数日の
ちょっとした世の中の出来事に対する感想などを忘れぬうちに書き付けておく。
私のブログに私の勝手で書き込む感想ですので、相容れない内容であっても寛大に読み飛ばしてください。

・「錦織圭選手、全米オープンテニスで大活躍」
正直、テニスは詳しくない。0から15になり30になり40になることからして、説明がつかん。結果、テニスに対しては、シャラポアが出ていれば別の興味から見る程度。まったくもって下衆な感じ。ただ、今回の報道を見るにつけ、錦織選手の活躍は、日本テニス界にとって大偉業だということは、よくわかる。実際、観客の熱狂ぶりを見ると、同じ日本人というだけで誇らしい気がするもんな。しかし、いかんせん、俺が知ってる歴代日本人プレイヤーは、神和住純氏、熱血松岡氏くらい。彼の名前が「にしこりけい」って読むことも、最近知ったほど(撮りだめたとんねるずのスポーツバラエティ番組を見て知った)。俺らの世代だと「錦織」と書けば、断然「にしきおり」(少年隊の一清氏)と読むものであり、マニアック道民なら100歩ゆずって「にしごおり」(UHBスーパーニュースキャスターだった俊一氏)と読むものだ。とにかくニシコリ選手の決勝戦は明日の早朝に行われる。ここまできたら、是非勝ってもらいたいよな。

・「デング熱、やらかす」
なぜかデング熱なる感染症が、東京の公園で海外渡航者と蚊を媒介として大発生したらしい。感染ルートは後刻しかるべき機関が分析解明するのだろうし、まあそんなことは、あまり興味もない。それより、パーソナルな問題。俺はつい最近、大人めがね仕様(要は老眼入りだわな)に様変わりしたこともあり、小さい文字のテンテンやマルを攻められるのが大いなる弱点となってしまった。この弱点を突くかのようなこのニュース、俺は予備知識なくサッと読み下してしまったため、知人に指摘されるまで「デング熱=テング熱=天狗熱」だと思っていた。テンテン付いてるの?「デ」なの?お恥ずかしい、って流れなのだ。こうなってくると、大人めがねの装いとなった今後は、アントニオ猪木、アントキの猪木、アントキノイノチ、なんていうのにも注意が必要になる。あと最近、映画監督の園子温、という方がよく露出していらっしゃるが、これは別の角度からの問題だけど初見じゃ読めないよな(「その・しおん」と読むそうです。有名な監督さんらしいですな。本名ですって)。

・「朝日新聞、あんたすごいよ」
ざっくり書く。朝日新聞に定期コラム「新聞ななめ読み」を連載していた池上彰氏。このたび執筆したコラムの内容が、朝日新聞の意図するものでなかったことから、朝日側が掲載を差し止める措置をとった。しかしこれらの経過が露呈したため、結局、朝日側が世の中の風を読み、言い訳つきで掲載することに。大新聞サマの傲慢というか、自由じゃない真っ黒スタンスが明らかになっちゃった。表向き反省文には、これからも多様な言論を大切にする、って言ってるようだが、あーたね、もうダメでしょ。個人的に思うに、朝日さん、正義面してモノを語る機関としては、もう完全に終わりです。敬愛する東スポ様と比較しちゃ失礼だが、信用度は完全に東スポ以下だもの。それでもって、例の慰安婦記事捏造問題は、32年前の記事を訂正はするが、謝罪はしないのだそう。ウソでしたけどゴメンナサイは言いません、ってことだな。俺はもともと読者ではないから構わないけど、読者の皆様はどう思っているんだろう?読者諸兄は、32年もの間、ウソをいかにも真実のように読まされ続けてきたのに、怒らないものなのかね?朝日の思想が右でも左でもかまわないけど、まあ実際びっくりするくらい左なんだけど、ウソはダメだって。それでもね、俺も朝日系で認めるところはありますよ。それは、夏の甲子園の主催と、週刊朝日の東海林さだお氏の連載。まあ、たった2つだけどね。これらは大いに認めますよ。

・「アギーレジャパン、札幌で初戦も黒星スタート」
9月5日、うちの職場のスケジュールを「札幌ドームにサムライジャパンを見に行きたい」と言って変えさせた男がいます。そいつは、スケジュールを変えさせることができる程度の権限を職場内でもっていますが、残念ながら「サムライジャパン」という愛称が、野球だかサッカーだかの区別もつかないくらいの知ったか大将なんですわ。ブームに目ざといバカ、って感じ。彼の部下は、何度もわざとにサムライジャパンいわせて指摘せず、ただニヤリと放置してました。こいつも悪い奴だよなぁ。

中秋の名月なので、月見しながら、お団子食べました。
これからも平穏無事な日々が続けば、大変ありがたい。

2014年9月5日金曜日

小さな恋のメロディ(またも道東へ2)

道東某市を訪ねた2日目、
我々先遣隊は、次々と予定された日程をこなしていく。きわめて順調だ。
これで、ひと月後の再訪には、何の憂いもない。
もはや準備は整ったといえるだろう。

勤務?終了後、その日の晩は、老舗の居酒屋で疲れを癒す。
風貌が「阿佐ヶ谷姉妹」(版権問題が怖いので各自調べてください)によく似た、しっかり者の女将さんたちが仕切る店だった。予備知識が全くなかったが、入りきれずに何組も帰るほどの人気店のようだ。久々に芋焼酎「赤兎馬」のロックをクイッといただく。たしかに料理も酒も美味かった。

なんでも今宵は、俺が嫌いな某新聞社主催の花火大会が行われている由。そういえば、浴衣の若者がずいぶんと行きかっていた。昨今の左巻きのクサレ外道的新聞報道やその姿勢には、心底反吐が出るほどの嫌悪感を持っているが、花火大会云々は、是々非々でいい。極めて、いい。それと、若いって、更にいい。

我々は、若くはないので花火は見ず、ハズレ店も引きながら、繁華街を数軒流れて、目の前にあった寿司屋へ入った。ホント偶然入ったのだが、どういう訳かこの寿司屋の名前には、どことなく見覚え、聞き覚えがあった。

ちょっと考えて出た結論は、
どうやら、子供の頃、父親がちょくちょくオミヤで持ち帰ってくれた寿司屋らしい、ということだった。一夜経つイクラの軍艦のノリは、もはやパリパリではなかったけど、朝ごはんに寿司折を食べるのは、王族になったようで、とても嬉しかった(王族はそんなもの喰わんけどね)。

記憶をたどり、
そんな思い出を女将(閉店直前だったのか、あまりかまってくれない感じ)に話してみると、この店、当時は、けっこう敷居の高い店で、一見の客は入れなかったそうだ。客層もそれなりにエラい人ばかりだったそう。

うちのオヤジがエラかった、なんてハナシは一切聞いたことがなかったけど、どうやらこんな店に来てたらしい。そういえば俺もこの店に何回か連れてきてもらったことがあるような気がする。今度、両親に確認してみよう。

生来、私には寿司の味なんかをつべこべ言う趣味はないが、この寿司は、とても美味かった。同席の旅仲間に聞いても美味い、といっていたが、私には特に思い出補正が入っていたのかもしれない。

3日目の早朝、晴れ。よく眠れた。
今日も、昨日の朝の決意のとおり、昔住んでいた方向へ散歩してみる。
今回は太い道ではなく、裏道のような細い道を歩いてみようと思う。ちょっとした冒険だ。

細い道をやみくもに歩いてみると、
級友アツシの両親が管理人をしていたコミセンに出くわした。こんな場所だったっけ?そうかな。そうなんだな。建物も当時のままか。近くで見ると、やはり劣化している。意外に小さい建物だったんだな。これも子供視点から大人視点に俺が変化したためなんだろう。そしてむろん、アツシ一家はもうここにはいないのだろう。

タラタラと歩き続けると、
これまた急にインちゃんが住んでいた家の付近に。そこは国の林業関係の事務所だったはずで、敷地内に併設された一軒家にインちゃんは住んでいた。俺と同じ時期に転校してきて、当初は同じクラスで仲は良かったはず。彼も野球をやっていて、俺とは別チームに属していた。クラス替え以降は接点が減り、エラそうなコマッシャクれたガキ、という印象しか残っていない。残酷な少年の記憶だな。今は事務所はボロボロで、一軒家は跡形もなくなっていた。

やがて、M指圧店が出てきた。
当時はこんな場所にはなかったはずだが。移動したのだろうか?記憶が曖昧だな。俺の2コ上くらいの息子がオヤジさんとそっくりの顔だったのを思い出した。今はその息子が継いでるのかな?入る勇気はないけどな。

あてもなくそのまま歩き続けると、
おしゃれな大きな邸宅が現れた。5月に来た際に、小学校の先生から伺っていた、いまもここらに住む旧姓Sさんのお宅らしい。

いやらしい関係ではないけど、
俺とSさんは、小5小6で同じクラス(母校で卒業アルバムを見たのだから間違いない)、中1では隣のクラスだった(はず)。当時、何かにつけて「お前ら付き合ってるのか?」と周りから聞かれることが多かった。そのたびにガキっぽくチカラを込めて否定していたが、そんなことを匂わす言動が互いにあったのだろうか?Sさんは賢くて、字のきれいな娘だった。そして明るい娘だったと思う。

たしかにその頃の俺は、
Sさんに対して少なからずモヤモヤした思いがあった。気になる存在だった。双方向じゃない淡く一方的な思いだったのか?今となっては確かめようもない。しかし、あのまま転校していなかったら、いずれ俺のメーター(欽ちゃんの仮装大賞の20点満点の棒のイメージ)は、合格ラインを超えていただろう。(よくわからんたとえだ)。とにかく、小6の頃の俺は、まだまだウブだった。当時どうやって子供ができるのかも知らなかった。この頃の俺らは、楽曲で言えばきっと「メロディ・フェア」(BYビージーズ)みたいなもんである。そう、小さな恋のメロディ(旧姓Sさん、勝手に巻き込んでごめんなさい)。

遠巻きにぼんやり見ていると、開いている窓から人の気配がして、誰かが玄関から出てくるような音がした。これじゃストーカーだな、と苦笑しながら、その場を離れ、ゆっくりと歩き出す。

きっと幸せな家庭を築いているのだろう。

思い出は美しいままのほうがいい。


写真は、アツシがいたコミセン。字が剥げているところに時代の経過を感じる。

2014年9月3日水曜日

またも道東へ(柏カムイオークスを思い出す)

先週末、
仕事3割、道楽7割といった感じの2泊3日の旅をしてきた。

行き先は、これまで何度も書いてきた、私が小学3年からから中学1年まで暮らした道東のマチである。メンバーは、いつもの常連3名の旅仲間と私(関係ないが、私以外の3名をイニシャルで記載しようと思ったら、いずれもYとなることが今判明した。どうでもいい情報だスマン)。

なお、我々の旅活動は、かねてよりこのブログで気が向いた際に書き付けてきた。皆様も気が向いたら、さかのぼってご一読いただきたい。ずいぶん探しにくいとは思う。その点は申し訳ない。

金曜午後にこちらを出発し、クルマで約2時間。
今回は、一番年長のY1がクルマを出してくれた。
春先に替えたばかりのほぼ新車である。空に飛んでいきそうな加速でありながら、車内は静か。本人のルックスに似つかわない、とてもいいクルマだった。

仕事3割、といったのは、
約ひと月後に私とY2が、仕事がらみで、この地を再訪するからであり、今回はその予習を兼ねた、いわば先遣隊といった立場であるためである(ただし、Y1とY3にしてみれば予習不要の道楽旅である)。ある意味、失敗は許されない。

夕刻に到着した我々先遣隊は、
ホテルにチェックインし、さっそく居酒屋にてひと月後の予習を行う。
あくまでも予習のために、ソフトクリームのような泡立ちのジョッキ生をシブシブいただく。モツ鍋も、串モノも、お造りも先遣隊として仕方なくいただく。予習の結果、ひと月後にこの店を再訪することが決定する。冷酒が効いた。すなわち合格である。その日は、それ以上の予習演習も実施したのだが、諸事情を勘案して割愛する。すなわち不合格である。

翌日早朝、
昔住んでいた、なじみのある方角へ向かい散歩する。
懐かしい、といっても5月の休日に来たばかりである。劇的な変化なんかあるはずもない。

ただ、母校の小学校グラウンドで、早朝から少年野球をやっていた。
親たちも集まっている。この後、他のチーム(H町から遠征してきたようだ)と練習試合が行われるようだ。歩くのをやめ、立ち止まって見ていると、保護者と間違われたのか、しきりに挨拶をされる。子供たちからも気持ちよく挨拶される。不審者に思われぬよう、極力にこやかに対応する。

グラウンドでは、
逆向きにグラブを出す子供に「腰より低いゴロは下からグラブを出すんだ」とコーチが指導している。意味がわからずキョトンとする子供。そして困った顔。そうだよな、自分の感覚で掴めるまでは、試行錯誤するもんだよな。

そうやって子供たちの「バチコイー」の声出しを聞いていたら、
この同じグランドで30年以上も前、自分がやっていた野球のことを思い出した。どこの引き出しが開いたのだろう?一瞬で光景が広がった。不思議だ。またこっち系のスイッチが入ったか。

私が所属していたのは、柏カムイオークス。
このチーム名は、一代限りの超リミテッドだった。
1年限りで退任したOコーチ(本業が寺の住職だった。過去に書いた幼なじみのM君情報では、数年前に他界したという)が命名者だった。
監督は、本業が国鉄バスの運転手だったTさん。俺と同じ右投げ左打ちだった。
「なにチンタラチンタラやってるんよ!このポンタロウ!」が口癖だった。
Tさんちの子供は女の子しかいなかったから、野球をやってる俺たちを実の子供のように可愛がってくれた。

トメ、というあだ名のピッチャー。双子の妹がいた。球が伸びてくる感じがした。
何の加工もなく本名で呼ばれていたキャッチャー、ツジ。
グラブ捌きが上手かったファースト、スケサン。
肩が痛くてショートからセカンドへコンバートされた、俺。キャプテンだった。
運動神経が抜群だったサード、タック。
無口でまじめだった転校生ショート、ワンテ。
6年になってから急成長し頼れる主砲となったレフト、カツミ。
大食いのセンター、シンピン。
負けず嫌いなライト、マコリン。
面白いケンボー、オヤジが審判だったヨッチ、途中から坊主頭にイメチェンしたジョッチャン、ピッチャーから外野にまわったエンコリン、しょっちゅう練習についてきてたエンコリンの弟タクロー、複雑な家庭だったイワセ、家が近かったモトキ・・

仲の良いチームだった。
このメンバーで最後の十勝大会で準優勝したんだよな。
一切、音信不通だ。いや、おそらく音信不通なのは、転勤族の倅である俺のほうなのだろう。みんな元気なんだろうか?

明日も早起きして、ここらの小道をくまなく歩いてみようと思う。
更なる思い出はよみがえってくるか?(気が向けば次回)


写真は、母校の旧校門と昔からあった不思議な建物の幼稚園。

2014年8月21日木曜日

世の中、狭いという話

5年前の話を。

私が住む北のマチの一角で、
黒色の雑種の子犬が、「もうダメだ」って表情でうずくまっていた。
暑さのせいか、かなり衰弱している。

しばらく様子を見ていたが、飼い主はいっこうに現れない。
周囲を見渡しても、介助に積極的な人は誰もいない。
逡巡したが、成り行き上やむを得ず、私が子犬を連れて帰り、一時保護することになった。

けど、このままでは私が「人さらい」ならぬ「犬さらい」の冤罪を着せられ引き取っても、結局一時的なもので、子犬の面倒を生涯みてあげられる訳ではない。うまく手立てを考えないと、私の行為は保健所に連れて行くまでの時間稼ぎにしかならないのだ。

ところが、「もう俺、このまま飼っちゃうかも」とも思い始めた矢先、
子犬を飼いたい、と見ず知らずのオバちゃんが交番に申し出て、めでたく即日引き取っていった。いいことだけど、唐突過ぎるあっけない幕切れだった。

元気に暮らすんだぞ、名もなき子犬よ・・・
それにしても短い飼い主ライフだったなあ、俺よ。

・・・そんなちょっとぼんやりした暑い夏の日だった。

話は飛んで、
それから2年後の話。

私はちょっとした用事で、同僚Aの運転するクルマで彼の奥さんの実家に行った。そこは典型的な田舎の農家で、母屋があって、奥には納屋があって、倉庫みたいなものもあって、それ以外にもいくつか建物が立っていた。

それぞれの建物の屋根をつなぐように、カーテンリールの化け物ような金属が豪快に走っていて、そこから地上に向けて一本のワイヤーが伸びている。ワイヤーの先には、リードで結ばれた一匹の犬がいる。はじめてみる光景なのでよくわからないが、要はリールが伸びている範囲は、すべて犬の行き来できる範囲ということなのだろう。田舎ならではの広く贅沢な犬環境だ。そうしてる間に、奥の納屋からシャーッと金属のこすれる音を響かせて、犬がトットコ走ってこちらにやってきた。

随分と人懐っこい犬で、私もムツゴロウ氏ばりにジャレて遊ぶ。Aは不思議そうにみていたが、特に犬に近づく様子はない。犬も彼には近づかない。それでも犬は私にジャレてくる。用事を済ませ、クルマに乗り込む時にまで、犬は駆け寄ってきて、勢いよく尻尾を振っていた。

車中でAが
「あの犬があんなに初対面の人にジャレるなんて見たことないです。俺なんていつも吠えられるんですけど」と納得いかん、といった風情で言った。普段はけっこう警戒心の強い犬らしい。「義母が2年位前にどこかで貰ってきた犬なんですけどね」

「貰ってきた犬?」
「貰ってきた犬・・」
「2年前?」
「2年前・・」

・・・・みなさんご想像のとおり、
5年前の黒色の雑種の小犬が、その犬でした。
ずいぶんと大きくなり、健康に暮らしていました。3年後(ややこしいな)の今も健在です。

けど、ホントに私のことを覚えていたのでしょうか?
覚えていたのなら、ちょっとした美談ですな。

なお、先日、
同僚の嫁が産気づいた
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/08/blog-post_6.html
と書きましたが、激闘の末、無事に産まれたそうです。母子同一の誕生日とはなりませんでしたが、ともに元気とのこと。
また、併せて書きますと、現在奥さんは、くだんの犬がいる実家で、静養中。
省いて書きますが、世の中、狭いです。

2014年8月12日火曜日

ルンバとレイコップ

引越しに際して、いろいろな方からお祝いをいただいた。
みなさん、本当にどうもありがとうございます。

その中でも、
職場の仲間たちからいただいたのが、ルンバとレイコップ。(普段の私なら、具体の製品名は避けるところだが、今日はいいこと書くからいいでしょ)。ほしいものある?って聞かれて私からリクエストしちゃいました。

とにかく使ってみると、これがスゴイ。大当たりなのだ。

まず、ルンバ。
(わからない人がいるかもしれないので、ザックリ説明すると、ルンバとは円盤型の自動掃除機です。当たり前だけどラテン系の踊りの方じゃありません。俺踊れないし)

箱から取り出し、充電を完了。満を持して作動させると、軽快なメロディで一泣きして、ブンブンと掃除をはじめました。もうね、まるでペットが走り回るみたいに、あっちこっちを徘徊します。絨毯、フローリング、畳なんかの種別もお構いなしです。ただひたすら、ブンブンいって掃除する。見ていて楽しいですな。ゴツゴツと壁や家具にぶつかるけど、寸前でスピードが緩むらしく、大事故には至りません。一度だけスマホの充電コードを誤飲して停まったけど、線関係を排除してからは至って快調。どんどん部屋の雰囲気にも慣れていくようだ(そんなわけない)。充電が切れるまで、そうやってブンブンするらしいのだけど、そんな長時間は見てられないので、ルンちゃんにお任せして私は外出。半日後帰宅したら、ルンちゃんは自分のポート(充電器)に戻って勝手に充電してました。えらいねえ。ワタゴミみたいなものをワンサカ収集してました。そのゴミを大きな掃除機に吸い取ってもらって、本日のルンちゃんは、お役ごめん。お疲れさんでした。明日もよろしくね。

次、レイコップ。
(こっちも簡単に説明すると、ふとんのダニ取りミニ掃除機みたいなものです。ジャパネットたかたで時折社長さんが声高に叫んでいるやつです。あれの正規品)

けっこう重い本体。ふとんの上でゆっくり動かしてみる。手先の短い掃除機みたいなもんですな。意外と音がデカいけど、それ以上の驚きは、吸い込んでいく細かいゴミの量。一説では、これがほとんどダニの残骸、って話だけどホントかね?ホントだとしたら、どんだけの量のダニと夜をともにしてたんだろう、と慄然とする。仮に、毎日こんなにダニゴミが出ちゃったら、ふとんは1週間でスカスカになるんじゃないかと不安になるほど。でも、それでもいい、昨日は昨日。今日は今日。さらばダニどもよ。

掃除になんて興味のなかったこの俺。
かあちゃん、俺、健康になるけんね(何弁だ?)。

2014年8月6日水曜日

引越したら、更新回数が減った

もう8月だ。
引越しを敢行し、ほぼ1ヶ月が経った。
ようやく生活のリズムがつかめてきたが、
未だに荷物が片付かず、衣服だの雑貨だのが、部屋に散乱している。

パソコンの周辺環境も大きく変わった。
周辺環境といっても小難しいデジタルの話ではなく、PCの設置場所、という根本的なスペースの問題である。

要は、以前のようにホイと立ち上げ、カタカタ触るような場所にはPCを置けていないということ。これが仮置きなのか、決め置き?なのか、自分でも分からないのだが、とにかく部屋でPCをさわる機会が激減した。仮にこれが決め置き(面倒な言い回しだ)だとしたら、今後も本ブログの更新はしばらくの間、はかどりそうにない。なので、形態を変えて、スマホでサラッと数行の更新にしようかとも思うけど、今更それもなんかねえ・・・そんなわけで寝っころがり、テレビを見る時間がとても増えた。いいことではないな。

また、更新回数が減ったここ2ヶ月ばかりで、日々の閲覧数も極端に減った。
そりゃそうだよな。リア・ディゾン嬢ならば「ポイしないでください」などと身勝手なお願いをするところだろうが、こちらのオジサンはそんなルックスでもない(当たり前だ)。ただただ、相スマンことです、というしかない。

それでもPCをせっかく立ち上げたので、ここ数日の雑事雑感を日記風にまとめてみる。

某日
某新聞の勧誘員が「新聞とりませんか」とやってきた。
しかし、残念ながらその新聞は、私にとって天敵の新聞だった。
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2013/08/blog-post_6.html
むろん、この勧誘員に罪はない。罪はないが、当方まったくとる気もない。かといって、むやみに追い返すのも心が痛む。なんだかんだと勧誘員特有の粘り腰をみせられたが、「ネットの情報で十分」と偽りの理由を念仏のようにくりかえし、お引取りいただいた。ホントはお前らの新聞なんて大嫌いなんだ!それと、私のことをリズムよく「旦那さん、旦那さん、旦那さん」と連呼する口調は、この業界特有のものなのだろうか?激しく耳に残る。

某日
引越し先の町内会の活動に初参加する。休日早朝の美化清掃作業だ。20名程が集まり、それなりの規模となる。町内会のリーダーから不意に指名を受け、新入りの挨拶をさせられる。作業で汗びっしょり。仁義は果たした。町内会デビュー完了だ。

某日
注文していた家具が届く。ここしばらくは週末ごとに家具店をまわり、食卓、本棚、タンスの品定めをしてきた。結局、対応、価格とも一番良心的だった某家具店で全品決めた(スウィート某である)。なかでも、個人的にお気に入りは食卓で、一目見て吸い寄せられた。どこが良いのかといわれれば、落ち着いた木目の色調と手触り、それに私には不相応なほど椅子もテーブルも全てデカイところ。加えて通常の食卓より高さが低いところ。これなら酩酊して転げても傷は浅いはず。しかし、アクシデントが。その食卓、配送の人に組み立ててもらったところ、何とビスが1本足りないという。なんだよそれ。ただ、欠損は16本だか8本だかのうちの1本で、安全に支障はないから一旦組み立てて、欠損分を至急調達後、再度ビス締めに来るとのこと。なんだよそれ(2回目)。

某日
部屋の中の湿度が、異様に高い。なにせ、この家で初めての夏。今般の気候のためか、もともとの家ポテンシャルのためか、ジャッジがつきかねる。空気清浄機(除湿機)をフル稼動させ、「みずとりゾウさん」みたいなやつを幾つも置いているが、すべて効果薄。何をしても基本ジメッとしている。特に和室がヤバイようだ。押入れにスノコを敷き、荷物の直置きをやめてみた。それにしても、蒸し暑い。こんな北海道はいやだ。

某日
朝、普通に出社した同僚が、奥さんが産気づいたとの報をうけ、30分足らずで急遽リターンした。なお、本日中に産まれれば、奥さんと同じ誕生日になるのだという。たしか、ジョン・レノン親子もそうだったか(詳しく調べてないスマン)。彼からは昼過ぎに連絡がきて、順調な周期で陣痛が来ており、このままいけば今日中の出産が見込まれるとのこと。がんばれパパ、もう少しでビールを飲んでもOKな夜がやってくるぞ!むろん奥さんもがんばれ!

2014年7月22日火曜日

サザエさん 浜さんノリスケ革命

3連休明けの火曜日。

火曜なのに月曜のような気分が抜けない。
月曜の意識で、なにげにテレビを観る。
・・・目当ての番組は、当然やってない。そりゃそうだ、火曜だもの。
こんな甘い錯覚、誰にでもあるでしょ?

火曜日。
そういえば、火曜日にもサザエさんがやっていた時期があった(急にどうした俺)。
おそらく本編(日曜日放送分)からは、3~5年落ちの再放送だったはずだが、日曜とは別のポップな主題歌が印象に残る。俺、サザエさん主題歌集のようなレコードも持ってたな。

しかも、北海道だけかも知れないが、番組提供は、おはぎでお馴染み「サザエ食品」だった。なかなかいいセンスじゃないか。今調べると、サザエさんの再放送は1997年までだったそうだ。・・・そうか、この枠が終了してもう17年も経つのか。

それと、大事なこと。
われわれ世代が、ものごころついた頃の磯野家の隣人は、「浜さん」だったはずだ!

浜さん。解説しよう。
家族構成は、画家のご主人と太った奥さん、ウキエさんのような娘(名前は失念した)と犬のジュリー。ジャングルのような豪華な浴室だった(記憶違いならスマン)。

そんな浜さん一家、俺が中学生の頃に、
太った奥さんの病気療養を理由に、唐突に空気のきれいな田舎に引っ越してしまった。それだけで十分衝撃なのに、この時期のチームサザエ、更に攻めてきた。浜家の転居と同時の回で、ノリスケ一家を名古屋に転勤させたのだ。

ノリスケ一家。これも解説しよう。
姓は波野。言わずと知れたノリスケ、タイコ、イクラの3人一家。ノリスケは出版社に勤務。大らかなキャラ。波平氏の甥っ子に当たる(波平氏の妹(ナギエ氏)の子)。

勝負に出たのか?サブキャラ一家の2枚替え。サッカー日本代表で言えば、内田、遠藤あたりの2枚替えに相当するくらいか。記憶が曖昧だが、同時期にミカワ屋の御用聞きの若者、三平さんまでも帰郷させているはずだ。これは、ハーフナーマイクか。しかし、サッカーはよく知らん。

サブキャラ大移動。
危うしサザエ王国、老舗を揺るがす大激震。

なぜにこうなったか。裏事情は知る由もない。
カツオやワカメはいつまで経っても進級できずにいる。制作陣は、せめて脇役のチェンジでマンネリ化への批判を避けようとしたのか?・・って、そもそもそんな批判があったのか知らないけどさ。まあ仮にそうだとしても、あまりに急展開なのは否めない。ハマ・ノリスケ・タイコ・イクラアウト。いったい何があったのだろう?

忘れもしない、この放送回の終盤、
イクラと離ればなれになることを知ったタラオが、サザエに「男の子は泣いちゃだめしゅか?」と弱々しく問いかける。マニアには涙なくしては見られない情景だ。

変わるのかサザエさん・・・
さよならをくりかえし君は大人になる。
やがて俺も・・・
うーむ、スタンドバイミー・・・

それを見終わった午後6時55分の俺の不安感ったら、まあなかった。
次回見るのよそう、と思ったほどだ。

しかし結局、ノリスケ一家は数ヵ月後、再度の転勤で東京に戻って来ることになる(浜さん一家は戻ってこなかった)。察するに、イクラなき週末、イクラを返せ!タイコを返せ!との多数の苦情があったのだろう。

それでも、ノリスケ一家の復帰に際し、制作陣は更に攻めている。
今では想像もつかない、驚くべき成長っぷりでイクラが派手な凱旋をしたのだ。まるで欧州ヘビー級王者で第1回IWGPに凱旋帰国した前田明(現 日明)氏のように。わからん人にはホントスマン。流してくれ。

なんと
「バブー」「ハーイ」「チャーン」の3語しかしゃべらぬイクラが、
突然、バンバンしゃべりはじめたのだ。

これは、もう革命だ。
再登場のイクラ、
「ぼくのー」「おいしー」「ぱぱー」なんかを、平気で口にしやがった。千原ジュニア氏なら「エーーーッ!」のリアクション必至の状況。

親にすれば、子の成長は喜ばしいことのはず。今後もどんどんしゃべるのか?
迷走するキャラ。揺らぐ老舗への信頼。

しかし、役回りを知り抜いた天才子役のごとく、
イクラはそこをピークとし、口数を減らしていった。
ソフトランディングの末、やがて3語しかしゃべらぬクラシカルスタイルに戻る。
俺は夢を見ていたのか?それとも、イクラ黒歴史なのか。

でも、結局言いたかったのは、
火曜の隣人は浜さんなのに、日曜の隣人は伊佐坂さん、って時期が、
けっこう長かったはずなのに、まったく記憶にないな、ということですわ。

んーがっうんう(もう、わかるひとだけでけっこうです)

2014年7月9日水曜日

人生はわからないものだ

以前にも書いたが、私は転勤族の倅であり、
過去に、何度も引越しを繰り返してきた。

引越しをするたび、生活環境が大きく変化し、
各地で仲良くなった友人たちや野球仲間、
かわいがってくれた恩師らと別れを繰り返すたび、
子供心に「これはなんだか理不尽なことだな」と感じていた。

けど、他方では
「まあ、この家に生まれて、腹いっぱいメシを食べさせてもらっている以上、これはこれでしょうがないな」とも割り切っていた。

私にしてみると、
親の加護の元に暮らしている子供風情のこの俺に、抗いようなどあるわけない、という感覚が、染み付いていたのだろう。

大きな志があったわけではなく、無論はっきりした夢なんてあるわけもない、
ただただ休日と、メシの時間が来るのを待っていた私が、
赴いた先々で引きこもりやイジメにあうことも、することもなく、
少年時代をうまくかいくぐってこれたのは、本当に運が良かった。

ただ、その作用なのか反作用なのか、
社会人として就職を決める際には、

職種云々ではなく「転勤のない職場」を一番の優先順位とした。
これをもっと細かく言えば、生活環境が大きく変化するような「引越しをしない」人生を選んだ、ということ。以来かれこれ20年が経っているが、これはよく覚えている。この意思だけは、相当固かった。

我々(いまの40代前半)は、
バブル経済が崩壊した直後に社会に投げ出された世代である。
企業間の勝ち負けは、すでについていたのだろうが、羽振りを利かせた有象無象が、ギリギリ一発逆転を狙いジタバタしていた時期でもある。不況にはなりつつあったが、採用枠は結構あったのではないだろうか?まったく就職活動をしなかった私にも、大手保険会社総合職の内定が2つあった。いずれも当時けっこう名のある会社だった。そのうちの1社は、大学の恩師に熱心にお世話いただいたのだが、全国規模の転勤がある、という一点で、そんなに悩みもせず、スパッとお断りさせていただいた。

ちなみに、私が内定をいただいたその2社は、現在では潰れたか、合併したかで跡形もなくなっている。人生でサイコロは振れないけど、そのレールに乗っていたらどんな人生だったのか?もしかしたら、もっと厚遇でノシていたのか?別の道に鞍替えしていたのか?そもそも俺は今も生存していたか?まさか拓銀が消滅するなんて誰も思っていなかっただろうし。ホント人生はわからない。

で、結局、
私は転勤のない職種を自ら求め、縁あって20年前に選んだ職場に、今もお世話になっている。

ところがだ・・・
いやはや、人生はわからないものだ(2回目)。
このたび、20年来住み慣れた我が家を引っ越すことになった。

引越し先は、約300メートル北上した場所である。ただ、この引越しは、生活エリアが大きく変動するものではないので、まあ少年時代のそれとは趣旨が違う。しかし、身辺が何かと騒がしい。新たな人生がはじまった気がする。

それにしても、荷物の移動って、ものすごく大変だ。
俺、引越し屋でバイトしてたんだけどなあ。

2014年7月1日火曜日

7月がきた。

今日から7月。

先月はあまり更新がかなわなかった。
自分でも予想外の結果だ(そのぶん今回は多少長めに書いてみようか)。

その陰で、先月は、
おそらく私の人生の中でも屈指の、相当に稀な経験をしたようだ。

自分で言いながら「したようだ」という表現は変な話だが、
まだ俯瞰的に捉えられるほど時間が経過していないので、
たぶん、今の手ごたえだと、そういうことになりそうだ、
という曖昧な書き方になるんだわな。仕方ない。

その稀な経験にあいまって、6月はロングドライブが続いた。
理由はいろいろあるのだが、
総じてどの場面でも、成り行き上、流転せざるを得なかった、というのがピッタリくるか。
いや、どうだ?
そうなるのか?
・・・そうなるな。
これまたうまく説明できないが、まあそういうことなのだ。
稀な経験というわりに核心に触れずに書くというモドかしさ。スマン。

結局、
ロングドライブのほうは、居住する北のマチを起点として、
3週間で1,200キロほどの走行距離だった。

ガッチガチのデスクワークが、私の日常である。
出勤にクルマは使わない。
勤務中にもクルマにはほとんど乗らない。
掛け捨ての自動車保険では年間走行距離が5,000キロ以内なものだから、割引特約が付いちゃうような生活である。

プロの運送業の方々からすれば笑っちゃうような距離なんだろうが、こんなに一時期に集中してクルマを運転するのは、人生で初。

で、
もうどうでもいいか、
なんて気分になって、

6月28日(土)
全くのガチ観光目的で
羽幌町の「はぼろ甘エビまつり」に行ってきた。
本来、出不精の俺。この辺の心理状態は今もって自分でも不明。
たぶん底流には、流転するよりドンドン攻めろ、って開き直りがあったんだろうな。
確かなのは、往復で300キロ以上のドライブだった、ということね。

朝6時半に出発し、オロロンラインを北上。海沿いの一本道で、5台以上先を走る優良ドライバーの模範運転に阻まれ、ノロノロと3時間以上かけて、港の駐車場に到着。そこからシャトルバスに乗りかえて会場へ赴いたのだが、すでに場内は長蛇の列。そんなに甘エビ好きなの?ってくらいの熱気が怖い。

で、何を売っているのか知らないけど(趣旨を考えれば普通に甘エビ売ってるんだろうけど)、列をみると並びたくなるものだから、とりあえずよくわからんうちにそこに加わり、小一時間並び続け、高いのか安いのか判断がつかないまま、気がつくと2キロの甘エビと1キロの特大甘エビを購入していた。発泡スチロールが予想以上にデカイのな。ちょっと躊躇するくらいの大きさ。

しかし、十分に満足し、出店ブースのほうに異動する。
ステージでは我々の時代でいう「ゴレンジャー」みたいなキャラクターショーの真っ最中で、なにやらワーワーやっていた。俺も幼少のみぎり、釧路スカイランドにジャッカー電撃隊を見に行き、青いダイヤのジャックと写真撮ったことを思い出す。ポラロイド写真に収まった俺は、残念ながら目をつぶっていたっけ。

芝の上を風がサーっと吹いて、実にいい天気。
すこぶるいい気分。

広い会場には食べ物ブースがいっぱいあって、昼食がてらチョロチョロして食べてみる。
この雰囲気なら、何食っても美味い、って感じだけど、

エビダシたっぷりのおこげスープカレー(CMで見たことのある有名店の店主がサーブしてくれた)
エビエキス濃厚なソースでからめたパスタ
エビダシタップリのエビ味噌ラーメン
エビに関係ないけどウニ汁
を次々と撃破。どれももう一杯!といいたいくらいの出来栄え。美味かった!
 
帰宅後、
発泡スチロールを開けて海老さまとご対面したが、1キロというのは、100匹~130匹くらいのようだ。途中で数えるのを断念したから正確さに欠けるけど、おおむねそんな感じだったかな。

夜はエビ刺身&ビール。
めずらしくビール呑んじゃった。

2014年6月26日木曜日

前を向け!

我々40代前半の男子は、
ほぼ全員が「キャプテン翼」の影響を受けている。

奇面組なんかが載っていた週刊少年ジャンプや、
沖田浩之氏が主題歌(燃えてヒーロー、だったか?)を歌ったアニメを
リアルタイムで見聞きし、ほぼ皆等しく大空翼に感化されてきた(はずだ)。

スポーツをしていた少年たちで、
モロに翼くんの直撃をくらった者は、サッカーへと流れ、
それほど感化されなかった者は、従来の王道、野球に残った。
我々世代の運動系の種目選択の実態は、だいたいそんなものだろう。

かくいう私は、スカイラブハリケーン(わからない人はスルーしてください)なんぞの大技を
「そら、無理だって!」と冷めた目で見ていたものだから、
転籍せずに野球に残った派なのだが、翼くんは見続けた。
そして、たしかに翼くんはカッコ良かった。脚、ながいもんな。

また、全然関係ないし、しかもきわめてあやふやな記憶だが、
翼くんの中3の全国大会の結果は、アニメとジャンプ誌では異なっていたような覚えがあるのだが、ホントにそうだったろうか?私の記憶ではジャンプでは同点優勝、アニメでは単独優勝、そんな覚えなのだ。何か事情があったのか?単に私の記憶違いか?よく調べもしないで書くのはいけないが、先を急ぐので大した検証はしない。

そんなわけで、キャプテン翼以降、私はサッカーにはそんなに興味がない。

それでも、世界的行事というか、催事というか、それに引っ張られてこの国全体もワーワー騒ぐものだから、私もサッカーワールドカップブラジル大会を見ている。というか、見終わりましたというべきか。わが国の代表は、グループリーグで敗退が決定したようです。

戦前の予想では、
ザックジャパンは決勝トーナメント進出は堅く、もしかしたら更に上位まで行ける、なんていうイケイケドンドンな風潮だった。しかし、ここにきて後出しジャンケンみたいなことをイケシャーシャーと語りだす評論家もいたりして、なかなかシュールな人間模様だ。

なら、前から声を大にして言えっつーの!

俺の感覚だと、
スポーツをみんなで応援して、つかの間夢を見たんだから、もう十分。いいんじゃないのか?後腐れなく終わるって、できないものかね?総括は必要だが、市井の人々が選手に卵をぶつける勢いでモヤモヤを消化しようとするのは、不思議でならないな。ふがいない、ってのは選手が一番分かっていることだろうし。

結局、勝負はミズモノ、ってこと。
残念ながら、日本チームには、我々が託した期待に応えるだけの力がなかった、ということ。
ああすればよかった、こうすればよかった、は後の祭り。

選手は胸を張って日常に戻ればよい。

それにしても、
祭りのあと、は最高に素晴らしい楽曲だと思うよ。

2014年6月18日水曜日

ご無沙汰。生きて帰りました。

ご無沙汰した。

クタクタである。
ブログ未更新の期間、プライベートな問題でいろんなことがありすぎた。
おそらく、人生でこんな経験は二度とないだろう。ドロボーに入られたことなんて、チョロいくらいのハードさだった。

もうね、
俺の周辺にいつの間にか登場人物が増え、
こちらを翻弄し、
周囲を巻き込んで、主役になるようなルックスではないのは承知しているが、
まるで一大スペクタクル映画の主人公のようだった。

憎悪や殺意って、こうやって芽生えるんだと勉強した。

結果、
失うものもあったが、大切なものはキッチリ守りきった。
とにかくクタクタだ。こんな経験は二度といらないな。

今日は短いが、とりあえず生存確認の意味での更新。

心配かけたみんな、ホントにどうもありがとう。
生きて帰れましたよ。
俺の人生の主役は、俺ですから。

2014年5月20日火曜日

ASKA?飛鳥?え?ライオネス?

前回更新から、あっという間に1週が過ぎた。
 
公私ともに色々あるのだが、未消化状態が続き、この方面は書きにくい。
なので、そこは避けて、ここ3日ほどで気になっていることを書く。

ご存知、ASKA容疑者が麻薬関係で逮捕されたニュースである。
昨年秋くらいから、
東スポ、文春等で報道され、本人も根拠が薄い中で弱腰に活動自粛していたので、今更逮捕と聞いても驚くものではなかったが、それはそれで法で裁かれればいい。

私が気になったのは、そんな彼のクスリまみれ疑惑の部分ではなくて、
チャゲ&飛鳥の
「あすかって飛鳥じゃなくてASKAだったんだ」
「ちゃげもCHAGEだったんだな」
など、およそ会話には向かない、文字配列、表記の問題であった。

いつから、彼らは、
横文字表記「CHAGE&ASKA」になっていたんだろう?
人とも、見るからにコッテコテの東洋人フェイスなのに、CHAGE&ASKA。
悠久たる古式ゆかしい最初のヒット曲は「万里の河」なのに、CHAGE&ASKA。

「万里の河」をリアルタイムで聴いてきた同年代の同士たちよ、どう思う?
CHAGE&ASKAじゃないだろ?
チャゲ&飛鳥だろ?
そうじゃないと、しっくりこないだろ?
そうは思わないか、同士!
まさか、ライオネス飛鳥と区別するために飛鳥を捨て、ローマ字になったわけでもないだろう?

さらに、こう掘り下げはじめると、
何気に使ってる「チャゲアス」っていう略称もシドイな、カッコ悪い気がしてきた。

まあ、それでも、
飛鳥を安易なローマ字表記「ASUKA」じゃなくて「ASKA」ってヒネったのは、ちょっと洒落ている。そこはかっこいい。そこは認める。

でも、もうちょっと書く。
テレビ報道を見ていると「ASKA容疑者」とテロップを入れる局がある。
そう、結局、これなのだ。これに違和感があるんだ。「ASKA容疑者」ってさ、放送局側は確信犯的に小馬鹿にしてるよな。むろん、「CHAGEさんが謝罪」っていうのも同様の違和感と小馬鹿感が否めない。感覚の問題か?いや違うだろ。確実にバカにしていると思う。

私らの世代は、
飛鳥涼に慣れてるせいか、ASKAっていわれても、やはりシックリこない。
字面を見ていたら、ISSA氏、IKKO氏みたいに見えてくる。両人の例示には全く他意はないけど、ホントの大御所は、国内では名乗っちゃいけません。チョロい感パないっす。この流れをエグザイル軍団はどうクリアしていくのか見ものッス。

結局、報道が事実ならば、ASKA容疑者も麻薬に堕ちていった芸能人の一人ってことであって、それ以上でもそれ以下でもないんだけれど、麻薬で捕まった多くのミュージシャンのように、いずれ復帰するのだろう。

なんか、甘いッス。

2014年5月13日火曜日

山岡が鼻血を出した

タイトルの件について、世の中なんだか騒がしい。

このブログもしばらく間隔が空いたので、そろそろ何か書かなきゃイカンと思っていた。
何ゆえの義務感かは、自分でもよくわからない。
けど、そう思っていた。

当初、こんな話題でそろそろ書こう、と思っていたのが、
①横浜中村ノリ選手が中畑監督批判で2軍へ
②ザックジャパンW杯布陣決定
③ふっくん夫妻がよくわからん事態に
みたいな感じだった。

①では、チームプレイに徹しきれないベテラン選手の驕りを舌鋒鋭く追及しようと思っていたし(ウソです)、
②では、W杯を目の前にしても何か盛り上がりにかける現況を憂おうと思っていたし(これもウソです)、
③では、いいトシこいたオジさんが「ふっくん」と呼ばれる哀しさと元B級アイドル夫人の思い上がりを糾弾しようと思っていた(これはホント)。

けど、世の中的に
やはり山岡が鼻血を出した件なのである。
ビッグコミックスピリッツに掲載の漫画「美味しんぼ」がいま何かと話題になっている。

もともとスピリッツ誌は、私が学生の頃の愛読誌であり、
特に「伝染るんです。」、
その少し前の「コージ苑」なんかのシュールでジワジワくる作品を楽しみにしていた。

毎週月曜(だったか?)、
今は無き琴似のくすみ書房の入り口左側の雑誌コーナーで立ち読みしていたのを思い出す。
購入せず毎度立ち読みで済ませていたことが、たとえわずかであろうとくすみ書房の財務の体力を奪っていたのかもしれないと思うと、スマンことをしたと感じるが、こっちも当時金欠学生で必死だった。許してつかあさい。

そんなわけで、
最近の話題性及び永年の慣例に従い、久方ぶりに同誌を立ち読みしてみた。
今回の内容は(あまり書いちゃいけないかもしれないので、ざらっとあらすじのみ)、福島を訪ねていた山岡は、ひどく疲れを感じ、鼻血も出る状況だったのだが、地元の関係者によると、その原因は被ばくしたからです、福島には住まないほうがいい、と言われたというものである。

そもそも、私と「美味しんぼ」の間柄は、
山岡士郎と実父の海原雄山が仲違いし、
食べ物バトルの末、骨肉の争いを繰り広げるが、

そのうち山岡は同僚の栗田と結婚、子供も産まれ、雄山との確執も和らぎ、
勤務先でも後進に道を譲るようにみえ、しかし何かと軸がぶれて迷走し、

一体主役が誰なんだ?みたいな感じになり、
結局全国行脚してみようか、そののちは不詳です、
という関係だった。

さらに関係ないけど、ファミコンのソフトも持っていた。
最後にアンコウを吊るしてさばくと終了するクソゲーだった。

おそらく、漫画自体は、もう十年以上は見たことがない。

そんなわけで、鼻血うんぬんより、率直な感想として
『あら「美味しんぼ」ってこんな漫画だったのね』と思いました。
山岡の人相も若干変わっていたな。山岡、太ったのかな?

世間では先週あたりから、
山岡鼻血問題で、論理と情緒が混在して議論を呼び、
 
「福島にそんな奴はいない」
「いる。実際俺がそうだ」
「風評被害で遺憾である」
「こっちは取材に基づき描いてますから」
「それでも、遺憾で残念だ」
「フィクションだからいいんじゃない」
「表現の自由があるだろ」などと、
 
話題は拡散し、ついには政府筋まで遺憾の意を表明するほどになった。

私なんぞは、
表現の方法などが適当なのかどうかがわからないが、それは置いといて、こういう考えの人もいるんだ、ってことで捉えましょうという立場。なんであれ、きっと、作者なりの真実ってことなんだろう。実際ウソなのかホントなのか、それはわからないけど、作者はそう感じたのだろう。

それより、美味しんぼは、もっとうまいラーメンの作り方を教えてくれないと困る。
こんなことで、世情を斬らんでいいからさ。

そもそも、そんなに影響力があるものなのかね?

2014年5月6日火曜日

連休が終わる。ドロボーが来る。

さて。

前から書いてきた私的な諸案件は、
なかなかうまいこと進展しないが、
だからといってグズグズ腐っても仕方ない。

気分を変えて、苫小牧、白老、虎杖浜に買い出しドライブをしてきた。

しかし、その間にも、
人生の偶然というべきか、
弱り目にたたり目というべきか、
とにかくこのタイミングでこんなことある?っていう事件にまたも遭遇した。
もう、やだ。

詳細を書けなくて申し訳ない。
けど、端的に書くと、泥棒に入られたっぽいのだ。
警察が来て、何というんだろう?ドラマでよく見る、粉をポンポンしていった。
同様の事件が、近隣で多発しているんだという。もう、早く言ってよ!
まあ、被害はジャラ銭程度だと思うんだけどなあ、ほかに何かあるのかなあ?
いつか笑い話にできたら、詳細書きます。あー腹立つ。

とにかく、後厄は昨年終わったはずだが、
こんなことが続くと気の迷いも生じてくる。
まあ、そんなわけで
なんだか、かんばしくないですわ。

けど、明るいことを今日もいくつか画像で。

苫小牧の老舗洋食屋さんのハヤシライス。
それと今朝の散歩中の桜。隠れた名所らしいです。
今まで見た桜の中でも、屈指の綺麗さでした。ちょっと指が写っちゃったな。




2014年5月3日土曜日

あえて明るいことを

また連休だ。

ありがたいことだが、心境は複雑だ。
仕事に逃げる、というわけではないが、
これなら仕事のほうがラクだ、という状況。
厄介ごとが私事で山積している。よろしくない。

今日も、妙案が降ってこないものか、とひたすら歩き回った。
先週は2日間で17キロ、今日も8キロ。
しかし打開策は浮かばない。
別に歩く必要はないが、何かしていないと心もとない。うまく説明できない。なんだろうな?

で、結局、外見はただ歩いているオジサン。
頭の中はグルグル回っているのだが、閃かない。やれやれだ。

いろいろあるんだわ。
いや、人生ってやっぱりさ。

たんなるグチだな。

何か明るいことでも書きたいので、
今日撮った写真を。

やみくもに歩き回ったさきで出会ったのは、
矛盾しているが地上を走る地下鉄の、まさに地上に出てくる箇所。
物理的に北海道で唯一の撮影ポイントだろう。

それと腹が減って飛び込んだラーメン屋さんの塩ラーメン。
いつもは混んでいるらしいが、通りがかった時がたまたま開店間際だったので待たずに初実食。

俺はまだ元気だ。
そう思いたい。

2014年5月1日木曜日

ルーツを旅する(2)

懐かしい空気をいっぱいに吸って、私は母校をあとにした。

ちなみに、母校の最近のイチオシは、
関係者からいただいた手塚治虫先生の肉筆の大パネルだそうだ。展示してある図書室にて、まじまじと拝見させていただいた。これは確かに貴重なものなのだろう。私もこれくらいの功をあげれば何かを寄贈できただろうに、手土産の菓子でお茶を濁してきた。できれば、再訪したいものだ。

これといって予定もなく、
しばらくクルマで母校周辺をグルグル走り回った。
何か記憶に引っかかるものは残っていないか?
けど30年だからなあ、あるのかねえ?

ところが走りはじめると、
アッサリと前回書いたAさんの家というか家業の事務所を見つけた。あっけない。
 
古い風呂屋を見つけた。
通っていたそろばん塾の建物を見つけた。
よく遊んだ公園もそのままだ。思い出パーツがゴロゴロ出てくる。
時を経てもけっこう残っているものだな。
 
ただ、公園はこんなに狭かったかな?道路ってこんなに狭かったかな?と考えさせられるな。
きっと、私が成長し、こども視点からおとな視点になったためなのだろうな(ずーっと語尾が山下清みたいだな)。

当時住んでいたエリアにも行ってみる。
私たち家族が暮らした家は、すでに解体されており、不自然に新しいアパートが建っていた。
 
・・・そうだよな、30年だもの。
地主と思われた地域で一番大きかった家は、さらに堅牢な建物になっていた。

歩いて数分のなじみのスーパーは、廃屋化していた。

私と父の行きつけだった床屋が、今も営業しているのを確認した。
中までは見えなかったが、元気なら床屋のオヤジさんも60代後半になっているはずだ。

車内には私の気分にうってつけの、柔らかくて暖かい春の光が差し込んでいる。
たまに時は止まるものなのか。
うっとりするような時間が流れる。
この瞬間、私は子供に戻っていた。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて一段落つき、M君と会う。
暮れかけたマチの中を指定された居酒屋に向かう。
どきどき、わくわく、この心理はなんと表現するのが適当なのか。

居酒屋の個室には、
すでに背を向ける形でM君が座っていた。
 
声をかけた。
穏やかな表情のM君がこっちを向いた・・・。
それから7時間以上、会話が止まらなかった。

浅田次郎氏のエッセイの一遍に「あいたい人にあうことを「邂逅」といい、あいたくない奴にあってしまうことを「遭遇」という。」みたいなことが書いてあった(はずだ)が、この夜の出逢いは、文句無く「邂逅」であった。

M君、楽しい時間をどうもありがとう。
俺はこのマチが大好きだ。

写真はマチのソウルフード某カレー


 

2014年4月29日火曜日

ルーツを旅する(1)

4月26日から本日29日まで、仕事が4連休だった。
前回記したとおり
この日程にぶつけ、26、27日に道東のマチを旅してきた。
 
このマチは、私が小三から中一までを過ごしたマチで、
以来、公私とも何度かは訪れてはいるが、上っツラだけの滞在であった。
とにかく、少年期の俺を形成してくれた大切なマチだ。
 
今回は特に、
「公」の部分は一切なく、純粋に「私」のみ。まじりっけなしのプライベート。
大袈裟に言えば、個人的なルーツをたどるというか、
来し方を振り返るというか、何かそんな感じの旅なのだ。
今クタクタになっている俺を変えてくれる可能性のある旅でもある。

大きくテーマは2つ。
1つは母校を訪ねること。
1つは旧友M君に逢うこと。
人によっては、何だそんなことかよ?と思うかもしれないが、
私には、いずれも30年ぶりの出来事なのだ。

仮に30年モノといえば、
サントリー響で言えば最高級品が700mlで10万円、
マッカランなら12万円。
貴重であって、お高いのだ。

また、今から30年前といえば1984年だが、
グリコの社長が誘拐された、
8時だョ全員集合が生放送中に停電した、
ロス五輪が開催された等の年であったそうだ(なんとなく今調べた。特に深い意味はない)。
柔道山下選手の決勝の相手は、フェアプレーに徹したエジプトのラシュワン選手だった(これも特に深い意味はない)。

自宅近くのジャンクションから高速に乗り、2時間半でマチに到着。
意外に早いもんだ。けど、頻繁に通いつめる距離ではないよな。
まずは、開店間際の某有名ジンギスカン店で昼食をとる。美味い。時間が余ったので、クルマで若干の観光をし、そのまま母校に足を向けることにする。

母校には3日ほど前、
あらかじめ電話して、先生方を煩わせてしまったが、
当日も快く対応いただき(教頭先生だった)、卒業以来はじめて学び舎に足を踏み入れることになった。大変申し訳ない。
 
校舎の外壁は何度か塗りなおしたそうだが、
こげ茶色の屋根とクリーム色の外壁は思い出のままの色であった。

ついに学び舎に入る。
当時ピカピカだった校舎(私が転入してきたときに新築2年目だった)は、
大ベテランの風格が滲み出ていた(築30年以上になっているのだから、当たり前か)。
しかし基本的な構造は何も変わっていない(これも当たり前か)。
 
校舎の中には、子供の頃に感じた空気が、今も流れていた。
ひんやりしてるけど穏やかな空気。
呼吸をしていると、目の前の情景に溶け込むような感覚になる。
 ・・なつかしい。
 
2階へ向かう階段を上がりきると、
正面にコの字型の水飲み場が見えて、
右側が男子トイレ。
この光景は、私が酒を飲みすぎて、
ムカムカしながら浅い夢を見るとき、今でも思い浮かべる水飲み場とトイレである。

放送室の手前の、ちょっとした資料室には、
歴代の卒業アルバムが保存されていた。幾冊か探すと、生意気な顔をした当時の私が、クラスメイトと共に写っていた。教頭先生によると、卒業生の大半は、私のように消息不明だが、例えば私と同じクラスだったAさんは、今も学校の近くに居住しており、現在では彼女の子供が通学しているそうだ。PTA活動に熱心に励まれているという。
 
それを聞き「おいA、久しぶり!」と言ってみたい感傷におそわれるが、そんなことすれば俺捕まるよなあ。けど、どこかで脳内のスイッチが入ったのか、卒業アルバムの顔を見るだけで、クラスの半数以上の名前が浮かんできた。私にはこういうことがよくあるようだ。特殊なスイッチがついているのか。ところで、みんな、今はどこで何をしているのだろう?クラス会、呼んでくれよな。
 
また、私らのクラス担任だったB先生の消息は不明だが(現役時代から相当気合の入ったアル中だった)、同じ学年の他クラス担任だったC先生は数年前にこの学校の校長として定年を迎え、同じくD先生は今も隣の学校の校長なのだという。E先生は早逝され、当時奉職されたばかりのF先生は教頭として管内でご活躍だそうだ。
 
以下、気が向けば次回に。