以前にも書いたが、私は転勤族の倅であり、
過去に、何度も引越しを繰り返してきた。
引越しをするたび、生活環境が大きく変化し、
各地で仲良くなった友人たちや野球仲間、
かわいがってくれた恩師らと別れを繰り返すたび、
子供心に「これはなんだか理不尽なことだな」と感じていた。
けど、他方では
「まあ、この家に生まれて、腹いっぱいメシを食べさせてもらっている以上、これはこれでしょうがないな」とも割り切っていた。
私にしてみると、
親の加護の元に暮らしている子供風情のこの俺に、抗いようなどあるわけない、という感覚が、染み付いていたのだろう。
大きな志があったわけではなく、無論はっきりした夢なんてあるわけもない、
ただただ休日と、メシの時間が来るのを待っていた私が、
赴いた先々で引きこもりやイジメにあうことも、することもなく、
少年時代をうまくかいくぐってこれたのは、本当に運が良かった。
ただ、その作用なのか反作用なのか、
社会人として就職を決める際には、
職種云々ではなく「転勤のない職場」を一番の優先順位とした。
これをもっと細かく言えば、生活環境が大きく変化するような「引越しをしない」人生を選んだ、ということ。以来かれこれ20年が経っているが、これはよく覚えている。この意思だけは、相当固かった。
我々(いまの40代前半)は、
バブル経済が崩壊した直後に社会に投げ出された世代である。
企業間の勝ち負けは、すでについていたのだろうが、羽振りを利かせた有象無象が、ギリギリ一発逆転を狙いジタバタしていた時期でもある。不況にはなりつつあったが、採用枠は結構あったのではないだろうか?まったく就職活動をしなかった私にも、大手保険会社総合職の内定が2つあった。いずれも当時けっこう名のある会社だった。そのうちの1社は、大学の恩師に熱心にお世話いただいたのだが、全国規模の転勤がある、という一点で、そんなに悩みもせず、スパッとお断りさせていただいた。
ちなみに、私が内定をいただいたその2社は、現在では潰れたか、合併したかで跡形もなくなっている。人生でサイコロは振れないけど、そのレールに乗っていたらどんな人生だったのか?もしかしたら、もっと厚遇でノシていたのか?別の道に鞍替えしていたのか?そもそも俺は今も生存していたか?まさか拓銀が消滅するなんて誰も思っていなかっただろうし。ホント人生はわからない。
で、結局、
私は転勤のない職種を自ら求め、縁あって20年前に選んだ職場に、今もお世話になっている。
ところがだ・・・
いやはや、人生はわからないものだ(2回目)。
このたび、20年来住み慣れた我が家を引っ越すことになった。
引越し先は、約300メートル北上した場所である。ただ、この引越しは、生活エリアが大きく変動するものではないので、まあ少年時代のそれとは趣旨が違う。しかし、身辺が何かと騒がしい。新たな人生がはじまった気がする。
それにしても、荷物の移動って、ものすごく大変だ。
俺、引越し屋でバイトしてたんだけどなあ。
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