懐かしい空気をいっぱいに吸って、私は母校をあとにした。
ちなみに、母校の最近のイチオシは、
関係者からいただいた手塚治虫先生の肉筆の大パネルだそうだ。展示してある図書室にて、まじまじと拝見させていただいた。これは確かに貴重なものなのだろう。私もこれくらいの功をあげれば何かを寄贈できただろうに、手土産の菓子でお茶を濁してきた。できれば、再訪したいものだ。
これといって予定もなく、
しばらくクルマで母校周辺をグルグル走り回った。
ちなみに、母校の最近のイチオシは、
関係者からいただいた手塚治虫先生の肉筆の大パネルだそうだ。展示してある図書室にて、まじまじと拝見させていただいた。これは確かに貴重なものなのだろう。私もこれくらいの功をあげれば何かを寄贈できただろうに、手土産の菓子でお茶を濁してきた。できれば、再訪したいものだ。
これといって予定もなく、
しばらくクルマで母校周辺をグルグル走り回った。
何か記憶に引っかかるものは残っていないか?
けど30年だからなあ、あるのかねえ?
ところが走りはじめると、
アッサリと前回書いたAさんの家というか家業の事務所を見つけた。あっけない。
アッサリと前回書いたAさんの家というか家業の事務所を見つけた。あっけない。
古い風呂屋を見つけた。
通っていたそろばん塾の建物を見つけた。
よく遊んだ公園もそのままだ。思い出パーツがゴロゴロ出てくる。
時を経てもけっこう残っているものだな。
時を経てもけっこう残っているものだな。
ただ、公園はこんなに狭かったかな?道路ってこんなに狭かったかな?と考えさせられるな。
きっと、私が成長し、こども視点からおとな視点になったためなのだろうな(ずーっと語尾が山下清みたいだな)。
当時住んでいたエリアにも行ってみる。
私たち家族が暮らした家は、すでに解体されており、不自然に新しいアパートが建っていた。
・・・そうだよな、30年だもの。
地主と思われた地域で一番大きかった家は、さらに堅牢な建物になっていた。
歩いて数分のなじみのスーパーは、廃屋化していた。
私と父の行きつけだった床屋が、今も営業しているのを確認した。
中までは見えなかったが、元気なら床屋のオヤジさんも60代後半になっているはずだ。
車内には私の気分にうってつけの、柔らかくて暖かい春の光が差し込んでいる。
たまに時は止まるものなのか。
うっとりするような時間が流れる。
この瞬間、私は子供に戻っていた。
うっとりするような時間が流れる。
この瞬間、私は子供に戻っていた。
ホテルに戻り、シャワーを浴びて一段落つき、M君と会う。
暮れかけたマチの中を指定された居酒屋に向かう。
どきどき、わくわく、この心理はなんと表現するのが適当なのか。
暮れかけたマチの中を指定された居酒屋に向かう。
どきどき、わくわく、この心理はなんと表現するのが適当なのか。
居酒屋の個室には、
すでに背を向ける形でM君が座っていた。
すでに背を向ける形でM君が座っていた。
声をかけた。
穏やかな表情のM君がこっちを向いた・・・。
それから7時間以上、会話が止まらなかった。
穏やかな表情のM君がこっちを向いた・・・。
それから7時間以上、会話が止まらなかった。
浅田次郎氏のエッセイの一遍に「あいたい人にあうことを「邂逅」といい、あいたくない奴にあってしまうことを「遭遇」という。」みたいなことが書いてあった(はずだ)が、この夜の出逢いは、文句無く「邂逅」であった。
M君、楽しい時間をどうもありがとう。
俺はこのマチが大好きだ。
俺はこのマチが大好きだ。
写真はマチのソウルフード某カレー
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