日常生活の中で、
「こんなの始めました」と私のほうからブログの存在をカミングアウトした相手は、わずかに二人だけである(旅仲間のY氏と同好の先輩A氏)。今後もこの極端なクローズ度合いが激変することはないと思うが、よしなしことをダラダラと書きつけていきたい。
ただ、こんなマイナーブログでも、冗談抜きで世界各国から不特定多数の方々の訪問を受けているらしい(ブロガーの機能で、どこから訪問をうけたのか、国別データが見られる。単に経由地なのかもしれない。一部英語だからよくわからん)。
そういう方々がどうやってこちらにたどりついたのか、まことに不思議であるが、なんであれ、縁があってこんな文章をお読みいただいている、まだ見ぬ国内外の方々にはお礼申し上げたい(けど、ホント不思議だね。どうやってたどりついたのかね?)。
4年前、このブログをやろうと考えて、ガリガリと設定をしたが、その思いは束の間でしぼんでしまい、以来ズーッと放置していた。そんなことを初回にも書いたが、そもそもなぜ4年前に一瞬でもブログを始めようと思い至ったのかを記していなかった。
その頃、私は一度死んでいた。
言い回しが適切ではないけれど、当時私は、死の可能性が極めて高い病気にかかり、治療のため半年入院した。聞いただけで誰もがヒクような病名を主治医にアッサリ告げられたとき、大げさではなく、あ、俺死んだな、と思った。
ただ、そうは思ったけど、そんな後ろむきなことばかり考えても仕方がないので、キビシイ治療が予定される戦いだけど、やるだけやってみようと思い直した。半年が過ぎた。
おかげで、毛が抜けたり、ゲーゲー吐いたり、それ以外にも諸々とてもツライ戦いばかりであったけど、周囲の手厚い助けを受けて、なんとか無事に生還できた。今でも定期検査は欠かせないが、幸いにして病気再発の兆候はみられない。けど、なんだかここら辺りの闘病生活は、冷静さを欠きそうで、これだけ年月が経っているのに、まだ上手く書けないな。いずれ、なんとかしようか。
ただ、そうは思ったけど、そんな後ろむきなことばかり考えても仕方がないので、キビシイ治療が予定される戦いだけど、やるだけやってみようと思い直した。半年が過ぎた。
おかげで、毛が抜けたり、ゲーゲー吐いたり、それ以外にも諸々とてもツライ戦いばかりであったけど、周囲の手厚い助けを受けて、なんとか無事に生還できた。今でも定期検査は欠かせないが、幸いにして病気再発の兆候はみられない。けど、なんだかここら辺りの闘病生活は、冷静さを欠きそうで、これだけ年月が経っているのに、まだ上手く書けないな。いずれ、なんとかしようか。
とにかく退院後、社会復帰するまでの間、リハビリを兼ねて新しいノートPCを購入した。
無事生還したとはいえ、全く未来が読めない状況で、何をどうしたらよいか整理がつかなかったので、新PCという物欲に走っただけ感は否めない。で、そんなときPCを触りながらフッと浮かんだのが「ブログでもやってみるか?」というものだった。何かを書きつけて遺したいと思ったのか、気まぐれだったのか、自分でもわからない。わからないけど、とにかく、文字を打ち込めばいいだけの状況に環境は設定した。
しかし、社会復帰を果たし、バタバタした日常に戻ってみると、
そういったいっときの書くという熱意や感傷は、いつしか忘れてしまった。ものごとの移ろいとは、きっとそういうものなのだろう。単にズボラってこともいえるだろうけど。
で、とにかく、それから4年経った。
どういうわけか、その頃を思い返したように、こうやって今、打ちはじめている。なぜ、そうなったのか?これ自体説明はつかない。なるようになるだけなのだ。理由などは後付けであって、真相は俺にもわからんのだ。醗酵したってことで、お茶を濁す。
無事生還したとはいえ、全く未来が読めない状況で、何をどうしたらよいか整理がつかなかったので、新PCという物欲に走っただけ感は否めない。で、そんなときPCを触りながらフッと浮かんだのが「ブログでもやってみるか?」というものだった。何かを書きつけて遺したいと思ったのか、気まぐれだったのか、自分でもわからない。わからないけど、とにかく、文字を打ち込めばいいだけの状況に環境は設定した。
しかし、社会復帰を果たし、バタバタした日常に戻ってみると、
そういったいっときの書くという熱意や感傷は、いつしか忘れてしまった。ものごとの移ろいとは、きっとそういうものなのだろう。単にズボラってこともいえるだろうけど。
で、とにかく、それから4年経った。
どういうわけか、その頃を思い返したように、こうやって今、打ちはじめている。なぜ、そうなったのか?これ自体説明はつかない。なるようになるだけなのだ。理由などは後付けであって、真相は俺にもわからんのだ。醗酵したってことで、お茶を濁す。
今日も朝が来て、一日がはじまる。
そして今年も、北のマチの夏を迎えられることに、大いに感謝したい。