2013年4月25日木曜日

エアグルーヴがいた日

1995年7月8日
札幌競馬場にいた。

当時、私は社会に出て間もない若造で、
呆けた学生時代の名残りから、札幌競馬の開催日には桑園(競馬場)へ出張る生活を続けていた。赤木駿介氏と山口瞳氏の共著「日本競馬論序説」をバイブルに、来る日も来る日も飽きずにパドックで馬を見ていた。いま思い返すと、金はなかったけど(今もないけど)楽しい時代だった。

エアグルーヴ。
この日が彼女のデビュー戦だった。
もう18年も前になるが、パドックで彼女を見て、ため息が出たことを覚えている。

なぜ、ため息?

違ったのだ。
全部が。

全部が、ほかの馬と明らかに違ったのだ。

とにかく
私のつたない語彙では伝えようもないが、ぜーんぶが違った。この時点で彼女が日本競馬史に彩りをそえる逸材であることは、ゴンタクレの若造にも一目でわかるほど、別次元の馬だった(そう思って当時見ていたのだから、この若造も相当その気だったのだろう。恥ずかしい限りだね、まったく)。

しかし、レースというものは、
様々な要素が絡んで結果がもたらされるものであり、別次元であるはずの彼女は、デビュー戦を2着に取りこぼした。鞍上は武豊。いま調べると勝ち馬の鞍上は安田富男。「泥棒ジョッキー」の富男氏だ。馬券は当たった(今のように馬単が発売されていたら外れていただろう)が、グルーヴよ、君はこんなもんか?と首をひねった。そして3週後、2戦目で彼女はきっちりと勝ち上がる(そのときの2着馬はダイワテキサス(2000年有馬記念3着馬)だったらしい。見ていたが、こちらは記憶にない)。

そして、彼女は若造の目利きに応え?競馬史上に残る名牝として君臨することになる。

彼女が天皇賞秋を勝ったとき(このレースが彼女のベストレースだろう)、私は財布を丸投げするほど単勝を打って、束の間潤い、ピルサドスキーの2着に敗れたジャパンカップでは東京競馬場まで出向いてスッカラカンになり、ぺリエに乗り変わった有馬記念でも更に追徴没収の憂き目を味わった。それでも悔いなどなかった。彼女は特別だった。

全成績19戦9勝、2着5回、3着2回
(うち私が生で見たレース5戦3勝2着2回)
こんな好成績の馬を相手に馬券はおそらくマイナス。私は馬券が下手だなあ、としみじみ思う。

個人的な経験として、新馬戦のパドックを生で見て、その後GⅠを勝つ活躍をした馬は、彼女が最初であった。その後もタニノギムレット、ジャングルポケット、メジロブライトなどを見ているはずだが、正直、ジャンポケ以外は記憶にない。こんな名馬たちを向こうに回しても、彼女は今もって、ず抜けている。

彼女は、4月23日、天寿を全うした。
出産後、急に体調を崩したらしい。
しかし彼女が遺した11頭の子どもたちには、日本競馬最良の血が流れている。
悲しいけど、もっと、前を向こうじゃないの。

エアグルーヴさようなら。

君の残した血脈は、
このさき最高の花を咲かせるはずだよ。

2013年4月22日月曜日

41歳の春だから

やれやれ、である。

アメリカ・ボストンのテロ関係は、ようやく解決した。
報道によれば、大きな組織の犯行ではなく、兄弟2人による凶行であったらしい。
アホな兄弟だ。くれぐれも厳罰に処されたし。

昨日、フェイスタイム(テレビ電話みたいなものですな)でボストンの妹夫婦と連絡が取れ、何一つ変わらない姿を確認できた。2日間、犯人がどこに潜んでいるかわからないということで、近隣の商店はすべて閉じられ、公共交通機関は全面運休したとのこと。アホ兄弟のおかげで住民は相当な緊張を強いられたようだ。妹たちは家の中で絶え間なく流れるCNNのライブ中継を見て、解決を知ったという。

とにかく悪い奴らは、確実に召し捕られた。
何かをしたわけでもないが、こちらもホッとした。

これにてこの話は終了。
日常のハナシに戻る。

昨日までとはうってかわり、
今日は北のマチもようやく春らしい陽気になった。

そして私はこの春で41歳。
ついに敬愛するバカボンのパパとタメになった。

41歳の春だから
元祖天才バカボンの パァパ~だから~
冷たい目で 見なあぁぁいぃでぇ~

わからない人には全く伝わらないだろうが、
アニメ「元祖天才バカボン」のエンディング曲は、あまりに秀逸だ。
幼いころ、ギャグ満載のバカボンなのに、なにゆえこんな哀愁メロディで終わるのか?とさびしげなリコーダー音を聴きながら、私は毎回真剣に悩んだ。

7つ上のいとこは、デカいカセットテープレコーダーをテレビの前に置き、家族に静粛を命じ、息を止め幾度も録音を試みた。これは当時、好きなアイドルか、あるいは余程の名曲にしか遇されない行動で、少年にとって一種の神聖な儀式であった。いとこは、若いミソラでマイナーな曲調のシブイ楽曲が好きだった。

万が一、この春、
誰かにカラオケに誘われたら、迷わずこの曲をチョイスし、その頃の思い出をまといながら、しっとりと歌いたい。40歳でも42歳でもダメ。39歳なんて問題外。41歳の俺、まさに一生に一度の好機なのだ。

たった1曲だけでいい。
春のうちに、歌わせてくれ!

2013年4月19日金曜日

案ずる母親

世情に疎い私だが、流れに翻弄され,
北朝鮮、ボストンと
本ブログにて世界の出来事を2回連続で斬ってみた。
(そんな大袈裟なもんではない。何となくちょっと大きく出てみたかっただけですスマン)

ニュースを見る限り、今朝の状況では犯人らしき2人の画像が公開され、全貌の輪郭は見えてきたようだが、いずれにせよどちらの案件も解決までには至っていない。
世界に冠たるアメリカの諜報機関や捜査機関がゴリゴリ動いても、所詮こんなもんなのか?
治安なんて意外と心もとないものなのだと感じる。

ボストンに暮らす妹夫妻は、
街のセキュリティは厳しくなったものの、どうやら通常と変わりなく暮らしているようだ。

しかし、昨日来、
妹らを案じたためか、母親が珍しく体調を崩し、熱を出して寝込んでしまった。

当人たちは大丈夫であっても、周辺の近しい人がこんな変調をきたす。
日本の片隅に住んでいる一市民の、こんな小さな単位の歯車ですら、歪みを見せている。

おい!テロ犯の野郎!
貴様らに母親のクスリ代、請求してやろうか!
ちっちぇえハナシだな。

書きたかった別の話題は、次回以降にまわします。


2013年4月18日木曜日

ああ、ボストン

今朝、なぜか5時ごろ目が覚めてしまい、
というか私は不眠気質なので、常にウツラウツラしているのだが、
起きて何気にニュースをチェックしていて、ハッ!とした。

詳細は不明だが、
米国ボストンで爆発事件があった、というのだ。
それも、二万人以上がエントリーしている伝統のボストンマラソン当日のゴール付近での爆発だ。
時間が経ち、徐々に詳細が明らかになってきているが、結論からいえば、どうやらテロなのか?

本ブログをご愛読いただいている方ならば承知されているだろうが、
現在、私の妹夫婦は、まさにそのボストンで暮らしている。

しかも、ひと月ほど前に
ボストンマラソンに義弟がエントリーしたことを聞いていた。
(「ボストンに暮らした記念だから・・」と5キロコースにエントリーしたらしい)

まさか・・・

早朝にもかかわらず、跳ね起きて、情報を集めた。
だんだんと状況がわかってくるが、全貌が判然としない。
お前ら、心配させやがって。悪い冗談はよせよ。

30分ほど経ち、
本人たちとは連絡は取れないが、
どうやら義弟が走った5キロマラソンは、フルマラソンの(言葉が変だな?)前日に行われていたらしく、爆発が起きたとき妹夫婦は他所に居たことがわかった。

とりあえず、難は逃れていた。

どんな奴らが
どんな背景をもって
どんな主張をしようが勝手だが、

それは言論をもってのみ許されるものだ。
これをはきちがえて、暴力的なテロを起こす奴らは、
徹底して糾弾されなければならない。

この大馬鹿野郎どもが!

2013年4月15日月曜日

北朝鮮よ、撃つのか?

常日頃より
国際的な事情はまったく承知していないし、身内が関係する外国以外には基本興味はないが、北朝鮮がミサイルを撃つとか撃たないとかで世界が揺れている件に関しては、こんな私でもとても気になっている。
 
その源流は、
私が小心者なので日本が直接的に何かされるのか?日本が撃たれちゃうのか?という云わば自衛一点の気持ちであって、「ミサイル発射」以外のカノ国の瑣末には以前同様に関心はゼロだ(他国の些細な動静に感情を乱されることが大変不愉快なので、一定以上の情報は遮断している)。

そんな中で感じているのは、
テレビ、新聞等で専門家として登場するそっち方面の識者、評論家たちの「撃つ」「撃たない」の予想(っていっていいのか?)の頼りなさ加減である。「あーでもないこーでもない」とあいまいな解説で、結局どの論調でも「わからないことがわかった」という結論である。「お前らホントに専門家なの?」と言いたいほどの腰の引けようだ。

(私が見ている限りでしかないが)「○○日に▲▲方向に撃つ!」あるいは「撃つわけないだろ!」と断じてくれる識者は、ひとりもいない。メディアに姿を晒して見解を述べるというのは、私設ブログの素人とはわけが違うのだから、慎重にならざるを得ない事情は当然よく解る。しかし、こういった論調を見聞きするにつけ、激しく頼りなさを感じている。

比べる次元が違いすぎるが、
競馬の世界では、清水成駿氏、松本ヒロシ氏、小田万哲氏、水戸万助氏など数多の競馬評論家たちが毎週競馬ファンからの毀誉褒貶を浴びつつ予想を開陳している。いくら次元が違っても○○評論家といった看板を掲げる以上、この姿勢を貫くことは尊いし、潔いと思う。ハナシが逸れるけど、競馬予想家、あんたら頼むよ。当ててくれよ。

いや、次元がちがうっていうのは、わかっているんですがね・・・
撃っても撃たなくても、昨年亡くなった談志家元が生きていたなら、どう斬ってくれたのだろう?こんなご時世でも「北朝鮮マンセー!」ってやってくれたのかな?

2013年4月9日火曜日

誰?微妙な知名度の人々よ

街を歩いていると、
会いたい、会いたくない、の感情は別として、偶然知り合いに出くわすことがある。
こういった場合には、当たり障りのない挨拶や近況報告をして、サラッと別れるのが大人の所作なんだろうが、この引き際ってやつ、私には結構むずかしい(必ず間延びする)。

また、
お互い名前を十分認識していることを「知り合い」だとするならば、よりグレーな人「あれ誰だっけ?」のレートの人に会った場合、どんな対応をしたらいいものか。

2週前の土日(どっちだったか定かではない)。
場所は、ウインズ札幌A館の500円馬券売り場。馬券を買いに行っても普段の私ならばめったに足を踏み入れないエリアでのハナシだ(いうまでもなく私の主戦場は100円券売り場だ)。
時間はまだ午前中の早い時間で、人ごみが大きくなる前だった。

そこに
赤系統の派手な外套を羽織った「あれ誰だっけ?」が目の前に現れた。

誰だっけ?
同業他社の人か?
よく行く飲食店の常連か?
同じマンションの人か?
違うにしても近所の人か?

向こうも私をチラチラ見ている(ような気がする)。
誰だよお前?

困り果てた私は
とりあえず、相手に気づかれるかどうか微妙な会釈をしてみた。

そうしたら
相手も目礼を返す。

しかし、ここで気づいた!
この人は、厳密には私の知り合いじゃない。
私が一方的に知っている人だ。

結論を言えば、
その方は、道内民放のアナウンサーだった。
明るくて押し出しの強いキャラだった気がする。
しばらく画面で見ることはないが、すでに放送局を退職されているのだろう(後刻調査したところ、フリーアナウンサーという肩書きになっていた)。

勢いをつけて話しかける前に気づいて本当によかった。
あのまま話しかけていたとして、途中で気づき、代表的な出演番組を挙げて、ファンでしたなんていっても、嘘っぽいことこの上ない(しかし、彼の名前を思い出したとたん、昔の代表的出演番組も思い出した)。とにかく馬券を買いに来ただけなのに、微妙な私の会釈により彼にも微妙な有名税を払わせてしまった。

しかしこういった方々は、私のとった微妙な会釈などに慣れているのだろうか?
目礼がサマになっていたな。

申し訳ない気持ちが半分。
世間は忘れていないよ、という激励の気持ちが半分だ。

2013年4月8日月曜日

愛想か味か?判断の基準について

たとえば、休日に
「ボーっと過ごすのもなんだから、数か月ぶりに、あんかけ焼きそばでも食いに行ってみっか」
なんてことになったとする(食い物は、別にあんかけでもギョウザでも何でも構わない)。

そこで2択。
コストも行く手間も同等だとして、

料理は美味いが、接客に難がある店、
料理はイマイチだが、すこぶる接客がよい店、
どちらに足が向くか?

実は先週、札幌手稲方面に出向いた際に、このセレクトに迫られた。

結果として私は、
どうせたまにしか行かないので、という理由で、美味い、とされる店のほうをチョイスしたのだが、果たしてこれでよかったのか?と今もって考えている。接客に難があると、美味いとされる料理も、ボケるものだ。気持ちがササクレル。それでも美味いと言い切るには、料理人の相当なクオリティか、当方のねじまがった根性とバカな味覚が必要だ。

ことさらあげつらう気はないが、
その日私は、美味くても接客に難があることを承知して店に行き、きっちり「難がある」対応を受けた。もう、キッチリと、である。その際、自らのセレクトの基準が、どうもおかしくないか?と考えちゃった(きっとヒマなんだな)。

だって、あのババアの接客、不快なんだもの。もう、いっつも不快。

そして昨日来、胃腸の調子がおかしい。
こんな仕打ちをされても、たまに食べに行く、このマインド、どういうものか?

これは、惰性だろうな。決別のときだ。
二度と行かんぞ。

2013年4月3日水曜日

四月だ。ミスターが国民栄誉賞だ。

4月になった。
更新が滞り、ずいぶんとご無沙汰してしまった。

以前に記した
先輩職員定年退職に伴う送別会の私の役割(しおり作成)は、おかげさまで無事に全うすることができた。全8ページカラー版の手作り。興に乗ってやり始めたが、こんなものを作ることはしばらくないだろう。出来の良しあしは不明だが、まあ、本人が喜んでくれたので、それで良しとしたい。

しかし、
衝撃だったのは、送り出したはずの先輩が、4月からも嘱託のかたちで会社に残るということがわかったときだ。へ?やめないのかよ!という衝撃は、こちらの送別感に水を差し、無力にさせるもんだ。

その先輩は、現役時から5メートル移動した場所に新たなデスクを設けて、昨日から何食わぬ顔で仕事をしている。

サヨナラだけが人生だ、のはずが、カタチを変えての残留。きっと、これも人生なんだろうな。

私のほうは、新年度といっても変わり映えない暮らしぶりだ。
新たな環境でドキドキするのがいいのか、こんな風にステイするのがいいのかよくわからないが、とにかく世間から落伍しないよう生きていくためには、どんな環境であっても仕事を続けるしかない。

関連で急に思ったが(全くどうでもいいが)「置かれた場所で咲きなさい」なんていう本が流行っているが、こういう系の本、恥ずかしくて私には買えない。立ち読みもできない。私の書棚に並んでいることを想像しただけで困惑する。決して悪意はないけど、私向きではない。ホントどうでもいい話だな。

さて
昨日の報道では、長嶋茂雄氏と松井秀喜氏が国民栄誉賞を受けることになったそうだ。
両氏の存在の大きさは私などが語るのものではないが、いまより約35年前、同賞の第1号が王貞治氏であったことを思うと、いままで長嶋氏がこの賞に浴していなかったのは、片手落ちだった感はある。Aが受賞したのに、Bが受賞していないのはなぜだ、均衡を欠く、なんていうこの類の話は、限りなく賞そのものへのイチャモンになってしまうが、こと長嶋氏と王氏に関しては、圧倒的なポピュラリティがあることに鑑み、下品にならずに論じられる稀有な例だろう。

このブログに限り、異論は認めない。
ミスターは、太陽だ。