以前、どこかの場面で書いたが、
1月には結構ハードなメディカルチェック(格好いい表現だな。スポーツ選手みたいだ)を受けることになっており、先日、肚をくくって病院に行ってきた。前回来たときは他科の診察を受けるためだった(このあたりの事情は複雑なので割愛する)。周囲のトリッキーな言動に惑わされ、空腹でメロメロになったんだったナ。
これも何回か書いてきたが、いまから5年前、私は病名を告げただけで結構な勢いでドンビキされる病気にかかり、バッサリと切られたり、わからん薬を浴びせられたり、なんだか線を照射されたり、メシが食えなくなったり、猛烈な便秘になったり、無毛になったりと、真冬から真夏になるまでの半年間、死の気配に怯えながら入院加療するという貴重な経験をした。
結果、主治医から「ま、たぶん大丈夫でしょ?」と半信半疑のお墨付きをもらい、社会復帰を許されたが、再発が怖いので言われるままに最低3ヶ月に1度の割合で定期検査を受診してきた。で、今回の検査は、いつもより詳しく身体を診る、ということだったので、朝早く向かったのである。
着くなりいきなり血を抜かれ、検査液を入れられ、ズブリズブリ、次々と針攻撃を受けヘトヘトになる。次はなんだ?CTか?ってな具合で、ベルトコンベアに乗ったような状態で、ひとつずつこなしていく。
かかりつけの病院は、とても大きな病院で、受診科が細かく分かれている。なので、それぞれの科の診察室の前には、同じような病気を患っている人ばかり集合することになる。ある意味、当方は既にそっち系の病気における優良なベテラン患者。否応なく待ち合いの段階で鷹揚な雰囲気を醸し出すことになる(ただ、場馴れしているだけだが)。
ベテランなので、不安をつぶやく新米患者には「大丈夫だ、安心しろ」と激励する気持ちになるし(口には出さない)、外来受付だが、まれに病衣をまとった入院患者が診察室にやってくると「もうすぐ退院できるぞ、あきらめるな」と応援する気持ちにもなる(もちろん口外はしない)。随分エラそうなもんだが、ちょっと待てよ、と思う。もしかしたら、発病当時の私の不安を、今の私のような思いでみていてくれた先輩がいたのではないか、と考えた。もしかして、こういった連鎖は、ずっと続いてきたものなんじゃないか?だとすれば、今の私の立場、何かをしてあげられるわけではないが、人として結構大事だな。大勢に影響はないけど。
おかげさまで今回の検査も、幸いな結果となった。
静かな日常に感謝だ。
2013年1月30日水曜日
虎上?花田マサル氏の件
私は今年、後厄(あとやく)である。
同級生にはナイナイの矢部氏、GLAYのTERU氏、ココリコ遠藤氏、元嫁の千秋氏、藤原紀香氏、牧瀬里穂氏、山崎まさよし氏、元横綱武蔵丸関などがいる。また、1学年上になる早生まれ組は、ユースケ・サンタマリア氏、花田虎上(元横綱3代目若乃花、旧花田勝)氏などであろうか。
そう。花田氏なのである。
なぜ、ここまで書いたのかといえば、最近の花田氏の迷走っぷりに触れておきたいからである。激しく憂いているのである。花田氏は、言わずとしれた花形力士。かつて若貴フィーバーを巻き起こし、大相撲人気を支えた立役者。また、現時点では日本人最後の横綱昇進者でもある。角界を離れたとはいえ、その影響力、注目度は今もって大であろう。
そんな花田氏、知らぬ間に『虎上』と改名していた(読み方は以前と変わらず「まさる」なのだそうだ)。私が知らなかっただけで、どこかで大々的に報じられていたのかもしれないが、はじめて聞いたとき、虎が上がる?おにいちゃん、どうした?と、シビレが起こるほど動揺し、かつニヤリとした。
過去の改名劇といえば、車庫を飛ばした前後の篠塚利夫氏(元巨人)が、『和典(かずのり)』としたときの、なんとも言えぬ圧倒的にユルい衝撃を思い出すが、今回はその時以来、久々の衝撃である。「はねだえりか」なんてもんじゃない。マサル氏に一体何があったのだろう?ちょっと調べてみると2011年5月に知り合いのすすめで改名したそうだ。けっこう前じゃん。知らなかったのは、うかつだった。
また、ごく最近、テレビ東京系の旅番組だったと思うが、軽トラに乗ってドロンズ石本氏と疾走する虎上氏の姿を目にした。風呂に入ったり、魚をさわったり、漁師メシを食らったり、すべてを投げ打ったかのような、まさに迷走であった。あれほど人気のあった第66代横綱の姿、痛々しかった。弟貴乃花親方は何を思うだろう。当然、生活のためでもあろうが、仕事選んでください、あなたは舞の海氏や龍虎氏とは格が違うんだから、と思う。
そういえば書いていて思い出したが、横綱の転身系でいうと、北尾氏(元横綱双羽黒)は今何をしているのだろう?聞き慣れないスポーツ冒険家なる新ジャンルは確立されたのだろうか?プロレス史上に残る『このインチキ野郎!』発言は強烈だったが、彼がサンダーストームというニックネームであったことを覚えている人は、どれだけいるのだろう。
そんなわけで、週末、厄払いに行ってくる。
ダイニングちゃんこ若の札幌店、今でもあるのかな?
同級生にはナイナイの矢部氏、GLAYのTERU氏、ココリコ遠藤氏、元嫁の千秋氏、藤原紀香氏、牧瀬里穂氏、山崎まさよし氏、元横綱武蔵丸関などがいる。また、1学年上になる早生まれ組は、ユースケ・サンタマリア氏、花田虎上(元横綱3代目若乃花、旧花田勝)氏などであろうか。
そう。花田氏なのである。
なぜ、ここまで書いたのかといえば、最近の花田氏の迷走っぷりに触れておきたいからである。激しく憂いているのである。花田氏は、言わずとしれた花形力士。かつて若貴フィーバーを巻き起こし、大相撲人気を支えた立役者。また、現時点では日本人最後の横綱昇進者でもある。角界を離れたとはいえ、その影響力、注目度は今もって大であろう。
そんな花田氏、知らぬ間に『虎上』と改名していた(読み方は以前と変わらず「まさる」なのだそうだ)。私が知らなかっただけで、どこかで大々的に報じられていたのかもしれないが、はじめて聞いたとき、虎が上がる?おにいちゃん、どうした?と、シビレが起こるほど動揺し、かつニヤリとした。
過去の改名劇といえば、車庫を飛ばした前後の篠塚利夫氏(元巨人)が、『和典(かずのり)』としたときの、なんとも言えぬ圧倒的にユルい衝撃を思い出すが、今回はその時以来、久々の衝撃である。「はねだえりか」なんてもんじゃない。マサル氏に一体何があったのだろう?ちょっと調べてみると2011年5月に知り合いのすすめで改名したそうだ。けっこう前じゃん。知らなかったのは、うかつだった。
また、ごく最近、テレビ東京系の旅番組だったと思うが、軽トラに乗ってドロンズ石本氏と疾走する虎上氏の姿を目にした。風呂に入ったり、魚をさわったり、漁師メシを食らったり、すべてを投げ打ったかのような、まさに迷走であった。あれほど人気のあった第66代横綱の姿、痛々しかった。弟貴乃花親方は何を思うだろう。当然、生活のためでもあろうが、仕事選んでください、あなたは舞の海氏や龍虎氏とは格が違うんだから、と思う。
そういえば書いていて思い出したが、横綱の転身系でいうと、北尾氏(元横綱双羽黒)は今何をしているのだろう?聞き慣れないスポーツ冒険家なる新ジャンルは確立されたのだろうか?プロレス史上に残る『このインチキ野郎!』発言は強烈だったが、彼がサンダーストームというニックネームであったことを覚えている人は、どれだけいるのだろう。
そんなわけで、週末、厄払いに行ってくる。
ダイニングちゃんこ若の札幌店、今でもあるのかな?
2013年1月29日火曜日
驚くべき事態
戸惑っている。
細々とやってきたこのブログ、現在進行形で異変が起きている。
昨日更新した「さよならミスターデーブマン」が、今までには考えられないほど多くの皆様の訪問を受けている。昨日から今日にかけて、わずか一日弱で先月の訪問者数を超えてしまった(しかしコメントはゼロである)。もともとの基数が少ないので、一般的には驚くような訪問者数ではないのかもしれないが、当事者としては、ただただ戸惑うばかりである。
キーワードはおそらくミスターデーブマン。
急な訃報に接し、同じ思いを抱えた方々が何らかの情報を求めてカタカタと検索をかけているのだろう。さきほどGoogleで「ミスターデーブマン」検索をかけてみたが、なんとこのブログが上から5番目に出てきた。氏のことをみなさん気にかけているが、世の中に出回っている情報がきわめて少ない、というところが現状なのか。改めて哀悼の意を捧げる。
このブログは、北のマチに住む、なんの変哲もない私が、ポツポツと、ランダムに、自由な立場で書いている。今後もそのスタンスは変わらない。ネットに公開している以上、多くの皆様に読んでいただきたいという潜在的な欲求はあるのだが、それでいて、こういう事態に出来すると、匿名性は守りたい、あまり注目されたくないという、ウラハラな気持ちもある。
このあたりの腰の引け方がだらしないが、これが偽らざる気持ちである。
今後も期待せず、あたたかく見守っていただけると、幸甚である。
細々とやってきたこのブログ、現在進行形で異変が起きている。
昨日更新した「さよならミスターデーブマン」が、今までには考えられないほど多くの皆様の訪問を受けている。昨日から今日にかけて、わずか一日弱で先月の訪問者数を超えてしまった(しかしコメントはゼロである)。もともとの基数が少ないので、一般的には驚くような訪問者数ではないのかもしれないが、当事者としては、ただただ戸惑うばかりである。
キーワードはおそらくミスターデーブマン。
急な訃報に接し、同じ思いを抱えた方々が何らかの情報を求めてカタカタと検索をかけているのだろう。さきほどGoogleで「ミスターデーブマン」検索をかけてみたが、なんとこのブログが上から5番目に出てきた。氏のことをみなさん気にかけているが、世の中に出回っている情報がきわめて少ない、というところが現状なのか。改めて哀悼の意を捧げる。
このブログは、北のマチに住む、なんの変哲もない私が、ポツポツと、ランダムに、自由な立場で書いている。今後もそのスタンスは変わらない。ネットに公開している以上、多くの皆様に読んでいただきたいという潜在的な欲求はあるのだが、それでいて、こういう事態に出来すると、匿名性は守りたい、あまり注目されたくないという、ウラハラな気持ちもある。
このあたりの腰の引け方がだらしないが、これが偽らざる気持ちである。
今後も期待せず、あたたかく見守っていただけると、幸甚である。
2013年1月28日月曜日
さよならミスターデーブマン
唐突だが、北海道のローカルタレントといえば、誰を思い浮かべるか?
いまならば断然、大泉洋氏だろう(もう、全国区だから除外してもいいかも)。しかし、この立ち位置は一日にしてならず。先人が切り開いてきた地道な労苦があったことを忘れてはならない(書きながら自分の立ち位置がわからないスマン)。
ミスターデーブマン。
北海道ローカルタレントの源流、ミスターデーブマンこと高田文之氏が1月24日、自宅でひっそり亡くなっていたことが報じられた。66歳だった。
「ヨージ(四時)をまわったらぁ、ベストテン北海道!」「ランキングシャウト!」「ミツビシー、ダイヤモンドッ、ハイウェイ」、以降は若山ゲンゾウ氏が渋い声で出てくる。共感いただける方はきわめて少ないだろうが、訃報に接し、自分のどこに潜んでいたのか猛然と記憶がよみがえってきた(あるいは脳内の空想なのか?)。悲しみもあるが、デーブマン氏のあたたかみのある声がそれを超える。故人には失礼だろうが、不思議とほのぼのした感情がある。
少年時代、ワクワク心待ちにしていたHBCラジオ16時。ミスターデーブマンのベストテン北海道がはじまる。ジングルは、メジャーになる前のアルフィーだった(はず)。両親に守られていた幸せな時代。私小説を書くとしたら、このあたりのノスタルジーは必須かもしれない(今も幸せだけどね)。
ベストテン北海道はHBCラジオで今も続く番組であるが、1980年代半ば以降の同番組は、まったく別物である。「餃子の王将」「大阪王将」くらいの違いがある(良し悪しを言っているのではない。今も続くラジオ番組を郷愁をもって語るつもりはない。昨夜も聴いていたが、現在の番組だってなかなかイケてる。ただ、ウェスリーは頑張れ!これからだぞ)。
私が生デーブマン氏とはじめて出会ったのは、約35年前。
当時住んでいた釧路の「太平洋スカイランド」(名称うろ覚えで申し訳ない。プール、食堂、ホテルやボウリング場があったレジャー施設であった気がする)に、イベントの司会でやってきた。母が「デーブマンだよ」と教えてくれて、握手してもらおうとためらっている6歳くらいの僕をニコニコと見つめていた(結局、握手したかどうかは、何故か覚えていない)。
そして、はじめて会ってから20年後、
社会に出たばかりのペイペイの私は、勤務先がとあるセミナーを開催した際に、講師としてデーブマン氏をお呼びする側にまわることになる。上司に頼み込んで特別に控え室に入れてもらい、名刺交換させていただき、お話をさせていただいた(氏の名刺には針すなお先生が描いた似顔絵が印刷されていた)。嫌な顔ひとつせず、ベストテン北海道当時のエピソードをポツポツと、はにかみながら話してくださった。豪放磊落な方かと勝手に思っていたのだが、実際の印象はとても物静かだった。
北海道のラジオ史に遺る巨星が逝ってしまった。
ご冥福をお祈りします。
いまならば断然、大泉洋氏だろう(もう、全国区だから除外してもいいかも)。しかし、この立ち位置は一日にしてならず。先人が切り開いてきた地道な労苦があったことを忘れてはならない(書きながら自分の立ち位置がわからないスマン)。
ミスターデーブマン。
北海道ローカルタレントの源流、ミスターデーブマンこと高田文之氏が1月24日、自宅でひっそり亡くなっていたことが報じられた。66歳だった。
「ヨージ(四時)をまわったらぁ、ベストテン北海道!」「ランキングシャウト!」「ミツビシー、ダイヤモンドッ、ハイウェイ」、以降は若山ゲンゾウ氏が渋い声で出てくる。共感いただける方はきわめて少ないだろうが、訃報に接し、自分のどこに潜んでいたのか猛然と記憶がよみがえってきた(あるいは脳内の空想なのか?)。悲しみもあるが、デーブマン氏のあたたかみのある声がそれを超える。故人には失礼だろうが、不思議とほのぼのした感情がある。
少年時代、ワクワク心待ちにしていたHBCラジオ16時。ミスターデーブマンのベストテン北海道がはじまる。ジングルは、メジャーになる前のアルフィーだった(はず)。両親に守られていた幸せな時代。私小説を書くとしたら、このあたりのノスタルジーは必須かもしれない(今も幸せだけどね)。
ベストテン北海道はHBCラジオで今も続く番組であるが、1980年代半ば以降の同番組は、まったく別物である。「餃子の王将」「大阪王将」くらいの違いがある(良し悪しを言っているのではない。今も続くラジオ番組を郷愁をもって語るつもりはない。昨夜も聴いていたが、現在の番組だってなかなかイケてる。ただ、ウェスリーは頑張れ!これからだぞ)。
私が生デーブマン氏とはじめて出会ったのは、約35年前。
当時住んでいた釧路の「太平洋スカイランド」(名称うろ覚えで申し訳ない。プール、食堂、ホテルやボウリング場があったレジャー施設であった気がする)に、イベントの司会でやってきた。母が「デーブマンだよ」と教えてくれて、握手してもらおうとためらっている6歳くらいの僕をニコニコと見つめていた(結局、握手したかどうかは、何故か覚えていない)。
そして、はじめて会ってから20年後、
社会に出たばかりのペイペイの私は、勤務先がとあるセミナーを開催した際に、講師としてデーブマン氏をお呼びする側にまわることになる。上司に頼み込んで特別に控え室に入れてもらい、名刺交換させていただき、お話をさせていただいた(氏の名刺には針すなお先生が描いた似顔絵が印刷されていた)。嫌な顔ひとつせず、ベストテン北海道当時のエピソードをポツポツと、はにかみながら話してくださった。豪放磊落な方かと勝手に思っていたのだが、実際の印象はとても物静かだった。
北海道のラジオ史に遺る巨星が逝ってしまった。
ご冥福をお祈りします。
2013年1月26日土曜日
退職金が減る?
何が悪いのかわからないが、相変わらず画像がうまく貼れない。
解決できなければ、ま、それなりにやるしかない。
さて、めずらしく社会問題を斬る。
今年度一杯で定年退職となる学校の先生たちが、苦渋の決断を迫られているようだ。報道によると、都道府県の多くでは、先生が三月まで立派に勤め上げて定年退職するのと、一月末日で早期退職するのとで、退職金支給額が約150万円ほど変わることになるらしい。条例だなんだの小難しい理屈はよくわからぬが、実際に目の前におこる現象として、1月で辞めたほうが3月で辞めるより150万円多く退職金がもらえる、ということなのだそうだ(話題先行で教員ばかりが報道されているが、同類の事案が地方公務員全般で徐々に出てきてる模様)。
この背景により、1月で辞めようとする先生方に対し、多くの人々が、鬼の首をとったかのような、しかしまあ人間の情緒からすれば、当たり前だわな、という感想を表明している。教師は聖職、っていう社会的刷り込みがあるから、この指摘や批判は、表面上なんとなく我々一般大衆には合点がいく。先生は銭カネのことなんか放り投げて教育に全てを捧げる、そうあってほしい、と願う潜在的な思い、これは確かにある。随分勝手な思いであるけど。
ちなみにちょっと探してみると、権限も責任もおありであるはずのメジャーな方々はこんなコメントを出している。
下村文部科学相
「決して許されざること。クラス担任ら責任ある立場の先生方は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてほしい」←制度の欠陥はお前の所管下で起きてるのによく言うわ。国公準拠ってこういうときに強く言えよ。
埼玉県上田知事
「担任を持っている教員が、あと2か月残っているところで辞めるのは無責任」←条例制定権はお前にあるじゃないか。背に腹は変えられない事情を忖度せずに制度の欠陥に目をつぶるほうが無責任だろ。
神奈川県黒岩知事
「そういう教師が出てきていること自体が残念でならない」←上に同じ。じゃあお前が補填してやれよ。
ヤンキー先生(義家弘介参議)
「いかなる理由を述べようとも、地方行政の決定が悪いと条例を責めようとも、子供達の今を取り残した、大人の都合で彼らへの教育を年度も押し迫った時期に放棄した、という事実は消えない」
←じゃあ、君が現役ならどうしたんだ?
片山さつき参議
「生徒を放り出したと言われ、 周りから、あるいはマスコミからも批判されうるであろうことは、普通の常識があればわかるでしょうに」←お前が言うな。
原口一博衆議
「駆け込み退職を責めることだけが大事なことでしょうか? この就職難の時に職を諦めることを選択した事情、そして職場に広がる『絶望』にも思いを致すことが大事ではないかと思います」 ←なに言ってるかわかりません。
ま、こんな感じ。一件ずつコメント書いてみました。
ツッコミどころはたくさんあるが、皆さんはどう思いますかね?
まあ、それぞれのお立場での立派なコメントでしょうが「お前が言うなー」感が募るのは否めません。そもそも、こんな中途半端な時期に制度変更をすれば、こういう事態も想像できたはず。特に埼玉県知事様にお伺いしたい。県条例の公布は誰がするのですか?県知事の専権事項でしょ?つまり、このルールを決定したのは知事のはずですが・・・。
それとこんなルール、地方が独自に作れるはずもなく、裏で国が手引きしているは明白。それでも大臣や国会議員の皆さんは他人事なんだな。国会議員の君らのクソモラルで、辞める教師にモラルを問えるのかねぇ。言いたいことは一杯あるな。
ただ、よくわからないんだが、該当者全員が1月に辞めるわけではないんですよね。職務をまっとうし定年を迎えられる方々もたくさんおられるはず。私がその該当者だったらと想像すると、やっぱり生活があるし、相当悩む。いま結論なんて出ない。ある意味、残るも辞めるも正当な権利であるはずなのに、直面されている皆様、ホントお気の毒です。
これは、国と都道府県が悪いって。
解決できなければ、ま、それなりにやるしかない。
さて、めずらしく社会問題を斬る。
今年度一杯で定年退職となる学校の先生たちが、苦渋の決断を迫られているようだ。報道によると、都道府県の多くでは、先生が三月まで立派に勤め上げて定年退職するのと、一月末日で早期退職するのとで、退職金支給額が約150万円ほど変わることになるらしい。条例だなんだの小難しい理屈はよくわからぬが、実際に目の前におこる現象として、1月で辞めたほうが3月で辞めるより150万円多く退職金がもらえる、ということなのだそうだ(話題先行で教員ばかりが報道されているが、同類の事案が地方公務員全般で徐々に出てきてる模様)。
この背景により、1月で辞めようとする先生方に対し、多くの人々が、鬼の首をとったかのような、しかしまあ人間の情緒からすれば、当たり前だわな、という感想を表明している。教師は聖職、っていう社会的刷り込みがあるから、この指摘や批判は、表面上なんとなく我々一般大衆には合点がいく。先生は銭カネのことなんか放り投げて教育に全てを捧げる、そうあってほしい、と願う潜在的な思い、これは確かにある。随分勝手な思いであるけど。
ちなみにちょっと探してみると、権限も責任もおありであるはずのメジャーな方々はこんなコメントを出している。
下村文部科学相
「決して許されざること。クラス担任ら責任ある立場の先生方は、最後まで誇りを持って仕事を全うしてほしい」←制度の欠陥はお前の所管下で起きてるのによく言うわ。国公準拠ってこういうときに強く言えよ。
埼玉県上田知事
「担任を持っている教員が、あと2か月残っているところで辞めるのは無責任」←条例制定権はお前にあるじゃないか。背に腹は変えられない事情を忖度せずに制度の欠陥に目をつぶるほうが無責任だろ。
神奈川県黒岩知事
「そういう教師が出てきていること自体が残念でならない」←上に同じ。じゃあお前が補填してやれよ。
ヤンキー先生(義家弘介参議)
「いかなる理由を述べようとも、地方行政の決定が悪いと条例を責めようとも、子供達の今を取り残した、大人の都合で彼らへの教育を年度も押し迫った時期に放棄した、という事実は消えない」
←じゃあ、君が現役ならどうしたんだ?
片山さつき参議
「生徒を放り出したと言われ、 周りから、あるいはマスコミからも批判されうるであろうことは、普通の常識があればわかるでしょうに」←お前が言うな。
原口一博衆議
「駆け込み退職を責めることだけが大事なことでしょうか? この就職難の時に職を諦めることを選択した事情、そして職場に広がる『絶望』にも思いを致すことが大事ではないかと思います」 ←なに言ってるかわかりません。
ま、こんな感じ。一件ずつコメント書いてみました。
ツッコミどころはたくさんあるが、皆さんはどう思いますかね?
まあ、それぞれのお立場での立派なコメントでしょうが「お前が言うなー」感が募るのは否めません。そもそも、こんな中途半端な時期に制度変更をすれば、こういう事態も想像できたはず。特に埼玉県知事様にお伺いしたい。県条例の公布は誰がするのですか?県知事の専権事項でしょ?つまり、このルールを決定したのは知事のはずですが・・・。
それとこんなルール、地方が独自に作れるはずもなく、裏で国が手引きしているは明白。それでも大臣や国会議員の皆さんは他人事なんだな。国会議員の君らのクソモラルで、辞める教師にモラルを問えるのかねぇ。言いたいことは一杯あるな。
ただ、よくわからないんだが、該当者全員が1月に辞めるわけではないんですよね。職務をまっとうし定年を迎えられる方々もたくさんおられるはず。私がその該当者だったらと想像すると、やっぱり生活があるし、相当悩む。いま結論なんて出ない。ある意味、残るも辞めるも正当な権利であるはずなのに、直面されている皆様、ホントお気の毒です。
これは、国と都道府県が悪いって。
2013年1月23日水曜日
競馬の降着新制度にモノ申す
朝6時すぎ、北のマチはまだまだ薄暗い。太陽が昇るまで、あと1時間ほどあろうか。
ここ数日、寒さが緩んでいる(表現、ヘンかな?)ようで、比較的過ごしやすい。腰も徐々に良化している。
さて、競馬の話である。
大まかに書くと、昨年までは、
競馬ファンの皆様に伺いたい。
AJC杯のゴール前、ホントにそう見えましたか?
少なくても、私にはそうは思えませんでした(2着馬、グングン加速してたもん)。
ツラーっと書いてしまうと、
興味のない方々には、だからどうした?ということになるかもしれないが、あえてもうちょっと書く。
ここ数日、寒さが緩んでいる(表現、ヘンかな?)ようで、比較的過ごしやすい。腰も徐々に良化している。
さて、競馬の話である。
昨秋は、馬券で随分といい思いをさせてもらったが、本日は馬券とは離れた話を書いてみたい。
今年から競馬の審議基準(アンフェアーな走行に対する制裁の基準)が、変更になった。
変更に伴い、私にはよからぬ思い、懸念があったのだが、1月20日(日)中山メインレースAJC杯にて、いきなりこれが露呈した。1着でゴールした馬が、2着馬の進路を大きく邪魔した件での顛末だ(なお、私はこのレースの馬券は買っていない。京都に集中していた。なので、ある意味ではレースを冷静に見ることができた)。
変更に伴い、私にはよからぬ思い、懸念があったのだが、1月20日(日)中山メインレースAJC杯にて、いきなりこれが露呈した。1着でゴールした馬が、2着馬の進路を大きく邪魔した件での顛末だ(なお、私はこのレースの馬券は買っていない。京都に集中していた。なので、ある意味ではレースを冷静に見ることができた)。
大まかに書くと、昨年までは、
A馬がB馬の走行を妨害し、A馬1着、B馬2着でゴールした場合、A馬は降着(走行を妨害された馬の後ろの着順の繰り下げる)となり、つまりレース結果は、B馬1着、A馬2着、とされてきた。
今年からは、同様のケースの場合、
「走行妨害がなかった場合にB馬が明らかにA馬より先着していただろう」と判断される場合のみ、降着を行う、という具合に変更された。言ってみるなら「走行妨害がなかった場合を想像してみよう!B馬はA馬に明らかに勝てたかな?」ということだ。
今回のAJC杯の場合は、1着馬は2着馬の進路は妨害したけれど、それがなくても2着馬は1着馬には勝てなかった、と裁決委員が判断したため、着順の変更には至らなかった、ということになったらしい(騎手への制裁に関してはここでは述べない)。新基準による私の懸念とは、まさに今回のケースであった。
私なりに言うと「タラレバを簡単に忖度するなよ!馬は機械じゃないぞ!」ということだった。
今回のAJC杯の場合は、1着馬は2着馬の進路は妨害したけれど、それがなくても2着馬は1着馬には勝てなかった、と裁決委員が判断したため、着順の変更には至らなかった、ということになったらしい(騎手への制裁に関してはここでは述べない)。新基準による私の懸念とは、まさに今回のケースであった。
私なりに言うと「タラレバを簡単に忖度するなよ!馬は機械じゃないぞ!」ということだった。
競馬ファンの皆様に伺いたい。
AJC杯のゴール前、ホントにそう見えましたか?
少なくても、私にはそうは思えませんでした(2着馬、グングン加速してたもん)。
ツラーっと書いてしまうと、
興味のない方々には、だからどうした?ということになるかもしれないが、あえてもうちょっと書く。
JRAが説明している今回の変更に至る理由は、ホームページなんかを読むと、競走馬のパフォーマンスを重視するという国際的なルールに乗っかるため、ということらしい。それであれば、到達順位が結果である、ということは一応の説明がつく。
しかし、その結果は走行妨害があった、という事実があればこその結果であり、そこから先「走行妨害がなかったら」を想像するのは、百家争鳴の議論になる。想像上の話が広がるだけであり、まったく論理的でない。今回のケースだってそうでしょ?説明なんかつくわけない。基本、空想なんだもの。
とりわけ、目の前で生じた現実、レース自体の結果の覆すような想像を巡らすことは、容易ならざること。「明らかに先着できたであろう場合」なんて、限りなく稀でしょ。断言するが、新基準の下では、着順の変更はほぼゼロであろう。そして、こんな事象が発生するたびに、ファンは愛想をつかして徐々に離れていくだろう。
いま一度書く。
我々オヤジたち日本の競馬ファン(少なくてもその一人である私)は、世界云々の話なんてどうでもいい。ただ、ズルをしてまでも勝ちを拾うような卑怯者が結果的にトクをするようなことは、絶対あってはならないと考えている。それがニホンの公正競馬であると信じている。不正は、許さないし、(当該者たちは痛くも痒くもないだろうが)その果実を得た騎手、陣営を蔑むだろう。主催者が説明責任を逃れ、それがルールです、なんて開き直るのであれば、大好きな競馬場を去る覚悟も辞さない。
悪いことは、正せ!悪いやつは、裁け!その結果、自分の馬券が外れても、異論はない。
予言者ではないが、放っておくと、いずれ大きな禍根を残すだろう。
予言者ではないが、放っておくと、いずれ大きな禍根を残すだろう。
それにしても、馬券は当たらない。
当たり馬券も売っているはずなのに・・・
2013年1月21日月曜日
滑落
考えた末、だいぶん日にちがあいたが、更新する。
実は、書いたストックが3回分たまっている。しかし、それぞれの日付で、画像の貼り付けを目論んでいたのだが、ブロガー機能が変わってしまった?のかPC本体に取り込んだ画像が直接貼れなくなっており、いまも難儀中だ。この謎が自分なりに解決できるまでは、画像なしでいくしかないのだが、こんな時に限って当該ストックは、画像が貴重な論拠となるモノばかりを書いてしまっている。そんなわけで、いずれ機会があれば画像と共にササッと間に挟んでおきたい。国技館にいる林家ペー師匠夫妻のハナシなんて、非常に味があってヨカッタんだけど、今は開陳できないナ。
それで、昨日の話。
私は、スキージャンプの大ファンである。
五輪でいえば、さすがに札幌(1972)、インスブルック(1976)は幼少のみぎりで記憶にないが、レークプラシッド(1980)からは皆勤で、八木選手(銀)、秋元(正)選手(4位)が活躍した70M級が、私的なスキージャンプ原風景となっている。以降、冬の土日の午後はジャンプ大会の放送を心待ちにする少年であり、今はやや薄れ気味ではあるが、オヤジ世代になっても基本的スタンスは変わってはいない。
ジャンプのワールドカップは、毎年世界各国を転戦し、もちろん日本でも開催される。五輪(4年に1度)や世界選手権(2年に1度)と比べても、ヒケを取らない格のある試合である。例年、日本開催の時期は、年末の欧州ジャンプ週間を経由し数戦を挟んでからとなっており、概ね1月下旬頃だろうか?そして今年の札幌大会は、すでに報道にもあるように、先週末(1月19日、20日)に行われた。
そこで昨日、私は30年以上のジャンプ観戦歴で初めてといっていいズッコケ衝撃映像を見た。
それは残念なことに、現在の日本の大黒柱(今季は怪我で調子が戻っていない)伊東大貴選手であった。今季は調子が上がらないといいながらも、1回目で日本人最高の2位につけた伊東選手、2回目の競技に臨む。現在のルールで2回目の競技は順位が下位の選手から飛ぶことになっている。つまり伊東選手は最後から2番目に飛ぶ(心理面の駆け引きも伺える面白いルールだ)。
2回目もあと二人を残し、ここまで上位は外国人選手ばかり。そんな中、日本選手の砦としてエース伊東選手登場だ。いやがおうにも期待が高まる。シグナルはまだ赤。伊東選手はスタートバーに腰かけながら、ゆっくり全身を滑らせて定位置につき、体制を整えている(ように見えた)。
ここでアクシデント発生。
伊東選手は金属製のスタートバーに腰かけバランスをとろうとした刹那、右手を滑らせた。音でいうならスカッ!という感じで右腕からズッコケて、スタートバーから半身ずり落ちてしまった。
は?
何があった?
そのまま伊東選手はバランスを失い、急角度の斜面をズリズリと転げていく。あわわ、あわわ。ズリズリ滑り続け、あと数メートルでカンテ(踏切箇所)まで行ってしまう。落ちる!という数メートル手前で、ようやく止まった。
いったい何があってそうなったのか?専門的なことは私などが知る由もないが、事象として、ズッコケて助走路で滑落したのは、動かしがたい事実である。結局伊東選手は、簡単に言うと自分でズッコケたのだから、という理由で再スタートは認められず、失格扱いとなった。
私的な思い入れとして、日本ジャンプ界のエースの系譜は、八木選手→秋元選手からはじまり、(大まかで恐縮だが)佐藤晃選手→西方千春選手→葛西紀明選手→原田雅彦選手→船木和喜選手→伊東大貴選手、と続いていると勝手に思っている。
伊東選手に私は心底期待している。
こんなアクシデント、笑い飛ばしてもらいたい。
頼むぞ!大貴選手!
2013年1月7日月曜日
おめでとさん
遅ればせながら新年があけて、はじめての更新である。
明けましておめでとうございます。
暦の関係から12月29日~1月6日まで9連休となるはずだったが、結局、4日にはどうでもいいような仕事があったので、完全な9連休ではなかった。それでも、ダラダラとゆっくりさせてもらった。
大型連休であっても、どこかに旅に出るには料金が高すぎる時期であるし、それがためではないけれど、これといって遠くへ行きたい気持ちにもならず、連休中はすぐに実家に戻り、書店で5冊ほどの書籍を購入し、読みふける日々を送った。
チョイスした作品は、なかなかの力作ぞろいであったが、精神面には悪い影響を与えたようで、今でも鬱々とした日々が続いている。これならば、どこかへフライオンすればよかったかもしれない、とも思う。
プチ鬱の緒端は、なんとなくわかっている。
5冊の書籍を購入した際、結局、立ち読みで済ませたのだが「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(金子哲雄著)を何気に手にとってしまったのだ。これが、失敗。本来なら購入すべき書籍だった。では、なぜ買わなかったのか?それは、その場で吸い寄せられるように一気に読み切ってしまったからだ。俺にも似たような闘病経験があるので、手元に置くのが怖かったというのもあるが、買って読めばよかった。
金子氏は、ガンの一種である肺カルチノイドという治療が困難な病を発症し、昨年10月に逝去されている。生前の活躍はほとんど存じない(そのころ私の部屋には地デジ対応のテレビがなかった)が、舌足らずの面白い喋り方をする、明るいキャラクターの経済評論家系のタレント?であったと記憶する。氏の死後に上梓された闘病記が、この書籍であり、ジワジワと死が迫っていることへの恐怖や戸惑い、抗いが克明に書かれていて、文体云々ではなく、頁を進める手が止まらなくなった。
そのときは、重くても明るい、不思議な読後感であったが、しばらくしてから思いがけず再度ズシンと重いものだけがきた。奥様の手記が併せて載せられていたが、それによると奥様は、おそらく最期の夜になると覚悟して自宅のベッドで就寝した金子氏の傍らで、呼吸が荒くなりやがて止まる(つまり死ぬ)までを静かに看取る、という体験をされたようだ。
さすがに、そんな経験はしたことがない私が、なぜズシンときたのかは、よくわからない。しいて言うなら哀しみが伝わってきたからか?蔵書にならない、悪意のない立ち読みであったが、心を揺さぶられた書籍としては昨年の第1位といってもいい作品であった。手にとったタイミングもアジャストしたのだろう。
沈んでいても、年末のガキ使24時では長州、天龍の登場で腹がよじれるほど大笑いしたし、こうやって書き出す力も残っているようだ。今年も気まぐれではあるが、何事が書き付けていく。どうぞよろしくお願いします。
明けましておめでとうございます。
暦の関係から12月29日~1月6日まで9連休となるはずだったが、結局、4日にはどうでもいいような仕事があったので、完全な9連休ではなかった。それでも、ダラダラとゆっくりさせてもらった。
大型連休であっても、どこかに旅に出るには料金が高すぎる時期であるし、それがためではないけれど、これといって遠くへ行きたい気持ちにもならず、連休中はすぐに実家に戻り、書店で5冊ほどの書籍を購入し、読みふける日々を送った。
チョイスした作品は、なかなかの力作ぞろいであったが、精神面には悪い影響を与えたようで、今でも鬱々とした日々が続いている。これならば、どこかへフライオンすればよかったかもしれない、とも思う。
プチ鬱の緒端は、なんとなくわかっている。
5冊の書籍を購入した際、結局、立ち読みで済ませたのだが「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(金子哲雄著)を何気に手にとってしまったのだ。これが、失敗。本来なら購入すべき書籍だった。では、なぜ買わなかったのか?それは、その場で吸い寄せられるように一気に読み切ってしまったからだ。俺にも似たような闘病経験があるので、手元に置くのが怖かったというのもあるが、買って読めばよかった。
金子氏は、ガンの一種である肺カルチノイドという治療が困難な病を発症し、昨年10月に逝去されている。生前の活躍はほとんど存じない(そのころ私の部屋には地デジ対応のテレビがなかった)が、舌足らずの面白い喋り方をする、明るいキャラクターの経済評論家系のタレント?であったと記憶する。氏の死後に上梓された闘病記が、この書籍であり、ジワジワと死が迫っていることへの恐怖や戸惑い、抗いが克明に書かれていて、文体云々ではなく、頁を進める手が止まらなくなった。
そのときは、重くても明るい、不思議な読後感であったが、しばらくしてから思いがけず再度ズシンと重いものだけがきた。奥様の手記が併せて載せられていたが、それによると奥様は、おそらく最期の夜になると覚悟して自宅のベッドで就寝した金子氏の傍らで、呼吸が荒くなりやがて止まる(つまり死ぬ)までを静かに看取る、という体験をされたようだ。
さすがに、そんな経験はしたことがない私が、なぜズシンときたのかは、よくわからない。しいて言うなら哀しみが伝わってきたからか?蔵書にならない、悪意のない立ち読みであったが、心を揺さぶられた書籍としては昨年の第1位といってもいい作品であった。手にとったタイミングもアジャストしたのだろう。
沈んでいても、年末のガキ使24時では長州、天龍の登場で腹がよじれるほど大笑いしたし、こうやって書き出す力も残っているようだ。今年も気まぐれではあるが、何事が書き付けていく。どうぞよろしくお願いします。
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