2014年1月4日土曜日

がんばれ十勝バス

昔の話を書く。

少年時代、具体的には小学三年から中学一年までの四年ちょっとの間、
私は十勝で生活した。遡ること今から三十年前の話になる。
三十年・・・そりゃ少々の除雪で腰も痛くなるわな。

今日、
歩いて2キロの場所にある大型書店にテクテク行ってきた。
みつくろった書籍の中に『黄色いバスの奇跡』(吉田理宏著 総合法令出版)があった。

黄色いバス?

十勝に住んでいる人ならわかるであろう。
そう、十勝バスのカラーリングである。

中学一年のクラスメイトにN君がいた。
彼は、とても大きな邸宅に住んでいた。そういえば、はじめてファミコンをやったのも彼の家だった。ロードランナー、ゼビウスなんかをやりに、よく遊びに行った。しかし、いつ遊びに行っても、ガランとした家で、たまにN君の兄貴がいたくらいで、ほかの家族をみた覚えがない。

それと、N君は話が面白くて頭も良いけど、やや変わった性格で、いま風にいえば、急にキレやすい人だった。それでも、私も変わった性格だったのだろう、物理的に一年限りの親交だったが、よくウマがあった。ただ、詳しくは覚えてはいない。当時、私はどんなことを考え、感じていたのだろう?

この本によれば、
十勝バスは、ここ10数年の間に、倒産の危機を迎えていたらしい。今では危機を回避し、再生の道を歩んでいるとのこと。どのような手段で道を切り開いたのか、そこらあたりがこの本の話の核であるが、この本の主人公、十勝バス再生を率いた一族経営の若き社長が、N君のお兄さんである。

私は転勤族の倅なので、小中高すべて入学と卒業が違うほどの転校を繰り返し、同窓会の類には、未だに全く縁がない。それだけに、少しの手がかりや、記憶の断片に引っかかりを感じると、どうしても、ドリフのコントじゃないが「もしも・・」を空想する。

もしも、今でも十勝に住んでいたら、N君との親交は続いていたのだろうか?
もしも、今でも十勝に住んでいたら、どんな学生時代を送ったのだろう?
もしも、今でも十勝に住んでいたら、私は何を糧にして暮らしていたのだろうか?

無論、答えはないが、空想のすべてが正解でもある。

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