今朝、なにげに新聞を見ていたら、どうでもいい社会面の記事の中に、知人(仮にAさんとしておく)の名前を見つけてしまった。
「見つけてしまった」という書き方は、すでに喜ばしい記事ではないことを行間に滲ませているが、事実、その記事は誠に残念な内容だった。
Aさんは、10年以上も前に仕事の関係でとてもお世話になった方で、いまも私が勤めている業界の奥深さ、幅広さ、ものの考え方の要諦などを約1年ほどかけて教えてくれた恩人の一人である。立ち振る舞いがとても個性的で、ブレない人だった。
社会には、
言葉は多少悪いが「おそらく出世はしないだろうが、キモはキッチリおさえている」タイプの才人がいるが、その頃、経験の浅かった私にとって、Aさんはまさにその筆頭であり、すべからく異質であり、明晰な思考(に見えた)には、ちょっとした畏れすらいだいていた。周りの評判もそんな感じで、Aさんがサーッと動くと、大抵のものごとは解決されていった。知を武器にしてサラリー以上は十分に貢献している、だから自らの個性への介入は許さない、私生活はほっといてくれ、と背中で語るような人だった。
そんな出会いから時間は経ち、濃密な約1年を過ごして以降、Aさんに会うことは2~3年に一度の割合になっていた。最後に会ったのは、たしか昨年の夏頃だったと思う。私がAさんの職場を訪ねて、5分程度会話をした。なんだかとても青白い顔をしていた。その事務所はクールビズ仕様になっていて、周りも軽装でいたのだが、Aさんは軽装というよりは、それをはるかに超えた、夜中にコンビニに行く若者のような場違いな色のポロシャツを着込んでいた。青白い顔色に派手なポロシャツの色。何か気ぜわしい、職場には似つかわしくない、物騒な感じがした。
記事によると、どうやらAさんは一般常識を超えて、色々とシデかしたらしい。
昨夏に訪ねた事務所でAさんに会うことは、もうないだろう。
たとえば、雑踏の街で、Aさんと不意にすれちがったら、私は声を掛けることができるのか。
いまの私には、明確な答えが見つからない。
2013年2月25日月曜日
どこ行った鼻パット
四日前の朝の出来事である。
シャワーを浴び、浴室から出て、メガネをかけたら、視界に微妙な違和感がある。
視野がボヤけているような気はするけど、そのために動作を止めることもない、ほっといても構わない、という程度の違和感。原因不明で繊細な、ちょっとだけ気になる違和感。
そんな状態で仕事に行く準備をしていたら、違和感の原因に気が付いた。
メガネの鼻パット(右側)が失せていたのである。角度によって、まるでフレームが刺さったかのように鼻が痛いのである。
視野がボヤけていたのは、眼球とレンズのバランスが鼻パット一枚分、正確に歪んでいたからなのだろう。人体とは大したもんだ。特に私は、近視レンズの度がキツイ。ちょっとしたバランスの狂いは、ボディブローを受け続けた六ラウンド目のボクサーのように、ジワジワ確実に効いてくる。
それにしても、昨年の秋に新調したメガネである。このとき初めて、レンズに乱視も入れたのである。ここ数日、特に荒っぽいことをしたわけでも、自分で踏んづけたことも、他人に踏んづけられたこともない、昨日までは確かについていた(はずの)鼻パット。狭い部屋の中で、いったいどこに行ったのか?しかも右だけロストって・・・
とにかく鼻が痛いので、このままかけ続ける訳にはいかず、急いで以前に使っていたメガネを探す。しまってある四個ほどのメガネケースを開けてみるが、なぜか先々代(2代前)のメガネしか見当たらない。時間もないので、仕方なくそれにお出ましねがい、出掛けることにする。
ところが、感覚の違和感というか、これが妙なもので、歩いていると身長が段々と縮んでくるような錯覚に襲われる。自分が縮んだのか、大地が迫ってきたのか、まあどっちでもないことはわかっているんだけれど、歩きにくいことこの上ない。パソコン打つのも、書類読むのも、焦点がおかしい。所詮、人間なんて、もろいもんだ。
それから2日間、先々代が頑張ってくれて、かつての相棒としてリズムを取り戻し急場を凌いでくれたが、昨日メガネ屋さんに行って、無料で鼻パット交換をしてもらった。しかし、なんだか眼のほうが、どこを基調として焦点を合わせればいいものか悩んでいるようにも思う。いまも視力の塩梅が定まらない。
秋に買ったメガネ屋さんをあげつらうのは、こんな小さなブログでも営業妨害になりかねないから、小心者の私は店名を伏せる(基本的に私は一期一会のメガネ屋遍歴である)が、無料で鼻パットを交換してくれ、レンズ清掃までしてくれた富士メガネ狸小路本店さん、ありがとうございました。大変助かりました。
シャワーを浴び、浴室から出て、メガネをかけたら、視界に微妙な違和感がある。
視野がボヤけているような気はするけど、そのために動作を止めることもない、ほっといても構わない、という程度の違和感。原因不明で繊細な、ちょっとだけ気になる違和感。
そんな状態で仕事に行く準備をしていたら、違和感の原因に気が付いた。
メガネの鼻パット(右側)が失せていたのである。角度によって、まるでフレームが刺さったかのように鼻が痛いのである。
視野がボヤけていたのは、眼球とレンズのバランスが鼻パット一枚分、正確に歪んでいたからなのだろう。人体とは大したもんだ。特に私は、近視レンズの度がキツイ。ちょっとしたバランスの狂いは、ボディブローを受け続けた六ラウンド目のボクサーのように、ジワジワ確実に効いてくる。
それにしても、昨年の秋に新調したメガネである。このとき初めて、レンズに乱視も入れたのである。ここ数日、特に荒っぽいことをしたわけでも、自分で踏んづけたことも、他人に踏んづけられたこともない、昨日までは確かについていた(はずの)鼻パット。狭い部屋の中で、いったいどこに行ったのか?しかも右だけロストって・・・
とにかく鼻が痛いので、このままかけ続ける訳にはいかず、急いで以前に使っていたメガネを探す。しまってある四個ほどのメガネケースを開けてみるが、なぜか先々代(2代前)のメガネしか見当たらない。時間もないので、仕方なくそれにお出ましねがい、出掛けることにする。
ところが、感覚の違和感というか、これが妙なもので、歩いていると身長が段々と縮んでくるような錯覚に襲われる。自分が縮んだのか、大地が迫ってきたのか、まあどっちでもないことはわかっているんだけれど、歩きにくいことこの上ない。パソコン打つのも、書類読むのも、焦点がおかしい。所詮、人間なんて、もろいもんだ。
それから2日間、先々代が頑張ってくれて、かつての相棒としてリズムを取り戻し急場を凌いでくれたが、昨日メガネ屋さんに行って、無料で鼻パット交換をしてもらった。しかし、なんだか眼のほうが、どこを基調として焦点を合わせればいいものか悩んでいるようにも思う。いまも視力の塩梅が定まらない。
秋に買ったメガネ屋さんをあげつらうのは、こんな小さなブログでも営業妨害になりかねないから、小心者の私は店名を伏せる(基本的に私は一期一会のメガネ屋遍歴である)が、無料で鼻パットを交換してくれ、レンズ清掃までしてくれた富士メガネ狸小路本店さん、ありがとうございました。大変助かりました。
2013年2月18日月曜日
お久しぶりね
ずいぶんと更新が空いた。
この10日間ほど、業務なんだけどルーチンではない不如意な案件や相談事がいくつか入り、どうにも解決策が浮かばず、頭を悩ませていた。会社内の他部の上役と、いかにも解ったようで解らないリアル禅問答のような受け答えを繰り返し、凡人(私のことです)には結局理解不能な結果を招いたり、良かれと思って調整したことがまったくの裏目に出たり、とにかくうまいこと進まない事案をたてつづけに引いてしまった。
また、家に帰り、ディーガ君が録りためてくれたアメトークの「北斗の拳芸人」を気が付くと3度も見ていたり、逆にアメトークの「カメラ芸人」を見ることなく消してしまったり、ボタン一つの操作にも甘くなっている自分の姿にあきれてしまった(情熱大陸でも似たようなことをしてしまった)。
そんな状況で、ブログのほうも考えがまとまらぬうちに、いくつかのネタを書いては消し、消しては書きを繰り返し、結局アップするには至らなかった(しかしこの間にも、故ミスターデーブマン氏との邂逅劇を書いた日のカウンターだけがゴリゴリと上昇を続けているのは、なぜなんだろう?)。
書いては消し、を繰り返したネタは、多分日の目を見ないだろうからお題だけあげていくと、主に格闘技系の話である。
全日本女子柔道部監督が体罰を認め辞任した話、五輪2連覇の柔道選手が変態エロ小説以上の行為で実刑判決を受けた話、いまさらハンスナイマン対鈴木みのる戦?という話、五輪からレスリングが除外されそうな話、桜庭が中村に負けた試合をHTBがなかなか放送してくれない話、などなど。関根勤氏にはかなわないだろうが、ツラツラあげると私も格闘技好きなんだな、と思う。
考えがまとまらなかった(というより、カーソルが打てなくなった)のは、
どれもこれも、何を書いても「俺は結局、堕ちていく人やオロオロする人を安全なエリアから見たいだけなのでは?」という疑問にぶつかったことに尽きる。しずかちゃんのお父さんがのび太君を(急にドラえもんの話だ)「他人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことのできる人物」(のび太の結婚前夜)として評価していることを思いかえし、実は俺は一番大事なことを忘れてしまっているなぁ、品がないなぁ、と思えてしまったのである。
これは単に、忙しいときに陥る一時的なネガティブでかつ感傷的な思いなのかもしれない。
疲れているのか?俺。
この10日間ほど、業務なんだけどルーチンではない不如意な案件や相談事がいくつか入り、どうにも解決策が浮かばず、頭を悩ませていた。会社内の他部の上役と、いかにも解ったようで解らないリアル禅問答のような受け答えを繰り返し、凡人(私のことです)には結局理解不能な結果を招いたり、良かれと思って調整したことがまったくの裏目に出たり、とにかくうまいこと進まない事案をたてつづけに引いてしまった。
また、家に帰り、ディーガ君が録りためてくれたアメトークの「北斗の拳芸人」を気が付くと3度も見ていたり、逆にアメトークの「カメラ芸人」を見ることなく消してしまったり、ボタン一つの操作にも甘くなっている自分の姿にあきれてしまった(情熱大陸でも似たようなことをしてしまった)。
そんな状況で、ブログのほうも考えがまとまらぬうちに、いくつかのネタを書いては消し、消しては書きを繰り返し、結局アップするには至らなかった(しかしこの間にも、故ミスターデーブマン氏との邂逅劇を書いた日のカウンターだけがゴリゴリと上昇を続けているのは、なぜなんだろう?)。
書いては消し、を繰り返したネタは、多分日の目を見ないだろうからお題だけあげていくと、主に格闘技系の話である。
全日本女子柔道部監督が体罰を認め辞任した話、五輪2連覇の柔道選手が変態エロ小説以上の行為で実刑判決を受けた話、いまさらハンスナイマン対鈴木みのる戦?という話、五輪からレスリングが除外されそうな話、桜庭が中村に負けた試合をHTBがなかなか放送してくれない話、などなど。関根勤氏にはかなわないだろうが、ツラツラあげると私も格闘技好きなんだな、と思う。
考えがまとまらなかった(というより、カーソルが打てなくなった)のは、
どれもこれも、何を書いても「俺は結局、堕ちていく人やオロオロする人を安全なエリアから見たいだけなのでは?」という疑問にぶつかったことに尽きる。しずかちゃんのお父さんがのび太君を(急にドラえもんの話だ)「他人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことのできる人物」(のび太の結婚前夜)として評価していることを思いかえし、実は俺は一番大事なことを忘れてしまっているなぁ、品がないなぁ、と思えてしまったのである。
これは単に、忙しいときに陥る一時的なネガティブでかつ感傷的な思いなのかもしれない。
疲れているのか?俺。
2013年2月6日水曜日
アンカツさんの勝負服
知らない人には全く分からない話題だろうが、また競馬の話を書く。
地方競馬から中央競馬への移籍を実現させたパイオニアジョッキー、安藤勝己(通称アンカツ)氏(52)が1月いっぱいをもって引退した。とにかく、ここ一番で無類の勝負強さを誇り、馬券を買う上で滅法頼りになる名ジョッキーだった。地方所属(笠松)時代には、かのオグリキャップに騎乗し7戦全勝、84年に刊行された山口瞳氏の「草競馬流浪記」には若き美少年だったアンカツ氏の描写が出てくるが、当時から才気あふれるジョッキーであったらしい。おつかれさまでした。
引退会見のアンカツ氏は、
幾分フックラした面持ちで、往年の精悍な印象とはずいぶん違っていた。思い返すと2年ほど前から騎乗する機会がグッと減り、ここ3か月ほどは全く騎乗しておらず、競馬ファンならば今引退の報を聞いても、さほどの衝撃はないだろう。ただ、この騎手が居ると居ないのとでは、レースの重みというか、厚みというか、バランスが大きく変わることも承知しているだろう。
そしてなにより競馬ファンならば、
アンカツ氏がいなかったら、
今の競馬界は全く違ったものになっていたであろうことも、容易に想像できるだろう。
会見の中でアンカツ氏は「体が硬くなり、馬と上手にコンタクトが取れなくなった」、「中央のGⅠレースを勝ちたいという気持ちが強くなり、JRAに移籍した」、「ビリーヴ号(馬の名前です)は、念願であった初GⅠ勝利をもたらしてくれた一番思い出深い馬」などと語った(発言の要旨です)。
ほーっと思った。
本当に偶然であるが、そして私自身ずっと忘れていたが、
アンカツ氏が会見で語ったGⅠ初勝利を飾った2003年の高松宮記念のビリーヴ号、私にも浅からぬ縁があるのだ。
なんと私、
その時のレースでアンカツさんが着用した勝負服、サイン入りで所有しているのだ。
(もしかしたら、レプリカかも知れません。ホンモノだとしたら、何故そんな貴重なモノ、俺が持ってる?ってハナシですわな)
経過を書くと、
同年の夏(もしかしたら違うかもしれない。翌年か翌々年かもしれない)、札幌競馬場で行われた馬主会が主催したチャリティーオークションにて、くだんのサイン入り勝負服を並み居る猛者を押しのけて、落札したのだ。むろん、結構なお値段だった。併せてクオカードも貰ったような憶えがある。
今、その現物は実家のタンスに真空パック状態で大切に仕舞ってあるが、襟首には「ビリーヴ号」とオーナーの名前が刺繍されたタグがついていた。胸元の左側にアンカツ氏のサインが書いてあった。
もしかしたら、当時オークション会場にて、レプリカです、本物です、というアナウンスがあったのかもしれない。けれど、何も覚えちゃいない。ただ、レプリカにしては大層なお値段だ。どっちにしろ、私の中の価値にゆらぎはない。
アンカツ氏は、通算でGⅠレースを22勝した(武豊氏、岡部幸雄氏に次ぐ歴代第3位の記録である)。まさに記録にも記憶にも残る騎手であった。その最初のGⅠ勝ちに、多少なりとも縁があるのは、なんとなく誇らしい。
ただ、この勝負服、今更ながらホンモノなのでしょうかね(くどいな)?
地方競馬から中央競馬への移籍を実現させたパイオニアジョッキー、安藤勝己(通称アンカツ)氏(52)が1月いっぱいをもって引退した。とにかく、ここ一番で無類の勝負強さを誇り、馬券を買う上で滅法頼りになる名ジョッキーだった。地方所属(笠松)時代には、かのオグリキャップに騎乗し7戦全勝、84年に刊行された山口瞳氏の「草競馬流浪記」には若き美少年だったアンカツ氏の描写が出てくるが、当時から才気あふれるジョッキーであったらしい。おつかれさまでした。
引退会見のアンカツ氏は、
幾分フックラした面持ちで、往年の精悍な印象とはずいぶん違っていた。思い返すと2年ほど前から騎乗する機会がグッと減り、ここ3か月ほどは全く騎乗しておらず、競馬ファンならば今引退の報を聞いても、さほどの衝撃はないだろう。ただ、この騎手が居ると居ないのとでは、レースの重みというか、厚みというか、バランスが大きく変わることも承知しているだろう。
そしてなにより競馬ファンならば、
アンカツ氏がいなかったら、
今の競馬界は全く違ったものになっていたであろうことも、容易に想像できるだろう。
会見の中でアンカツ氏は「体が硬くなり、馬と上手にコンタクトが取れなくなった」、「中央のGⅠレースを勝ちたいという気持ちが強くなり、JRAに移籍した」、「ビリーヴ号(馬の名前です)は、念願であった初GⅠ勝利をもたらしてくれた一番思い出深い馬」などと語った(発言の要旨です)。
ほーっと思った。
本当に偶然であるが、そして私自身ずっと忘れていたが、
アンカツ氏が会見で語ったGⅠ初勝利を飾った2003年の高松宮記念のビリーヴ号、私にも浅からぬ縁があるのだ。
なんと私、
その時のレースでアンカツさんが着用した勝負服、サイン入りで所有しているのだ。
(もしかしたら、レプリカかも知れません。ホンモノだとしたら、何故そんな貴重なモノ、俺が持ってる?ってハナシですわな)
経過を書くと、
同年の夏(もしかしたら違うかもしれない。翌年か翌々年かもしれない)、札幌競馬場で行われた馬主会が主催したチャリティーオークションにて、くだんのサイン入り勝負服を並み居る猛者を押しのけて、落札したのだ。むろん、結構なお値段だった。併せてクオカードも貰ったような憶えがある。
今、その現物は実家のタンスに真空パック状態で大切に仕舞ってあるが、襟首には「ビリーヴ号」とオーナーの名前が刺繍されたタグがついていた。胸元の左側にアンカツ氏のサインが書いてあった。
もしかしたら、当時オークション会場にて、レプリカです、本物です、というアナウンスがあったのかもしれない。けれど、何も覚えちゃいない。ただ、レプリカにしては大層なお値段だ。どっちにしろ、私の中の価値にゆらぎはない。
アンカツ氏は、通算でGⅠレースを22勝した(武豊氏、岡部幸雄氏に次ぐ歴代第3位の記録である)。まさに記録にも記憶にも残る騎手であった。その最初のGⅠ勝ちに、多少なりとも縁があるのは、なんとなく誇らしい。
ただ、この勝負服、今更ながらホンモノなのでしょうかね(くどいな)?
2013年2月5日火曜日
5年・青
またも「5年の青」である。
ちょっと前の平日、休暇を取って運転免許の更新に行ってきた。免許を取得して約20年、何度目の更新になるのだろう?割返すと4、5回目か?そんなになるのか?大事なことなんだろうが、意外と覚えちゃいないもんだな。
そういえば約半年前、まったくノーマークの場所で無念の速度違反をおこしてしまい、親のインパチ18,000円を召し上げられた。ここ2回、免許の更新が近づくと、私はこのような召し上げ劇を繰り返しており、今回もわずかの差でゴールド免許には届かなかった。もう一生、私はゴールド免許はもらえないのか?時期を狙ってのネズミ取り(私からはそう見えてる)、おそるべしだ。
送られてきた案内ハガキで一般講習1時間のスケジュールを確認し、警察署の中にある免許更新センターに出向く。3500円くらいの印紙を買い、申請書に貼り、所定の事項を記載する。更新の同志は約30名。なんとなく、お上に従順にしなければ面倒なことになる、という気持ちにかられ、殊更無口になる。なぜだかわからぬが、全く慣れない未知のエリアに丸腰で来てしまった、悪いことしていないが、警察怖い、って意識が温泉掘削のごとく湧いてくる。不思議な心理だ。ケイサツコワイ。
そして、ここがスゴイと感じたのだが、「警察怖い」の意識が抜けないうちに、明らかに警察関係の天下り団体と思われる「なんだか安全協会」(名称は忘れた)の勧誘を受けたのだ。狙っているかどうかはわからぬが、これが絶妙のタイミングなのだ。
協会のサービス内容を聴けば、「何かと便利だ(よくわからんけど)」という甘言が返ってくる。
ここはちょっと考えたフリの重厚な演技をかまして、みごとに拒否する。はじめから加入する意思などはない。しかし、警察怖いって意識が抜けない刹那、甘言で加入を促すテク、警察官僚OBたちの知恵、さすがなりだ(私の誇大妄想か?)。そののち、免許用の写真を撮影され、やや待って、別室に誘導され1時間の一般講習を受講する。
ここで思いだしたことがある。
5年前もそうだった!
この受講室、机と椅子の間隔が、異様に狭いのだ。小学生かよ!ってくらい。
もう、大人の男の骨格ならばギュウギュウになること間違いなしのスペースなのだ。
特に冬は厚着である。生まれ月が夏の人ならば気にならないのかもしれないが、われわれ30名は、みな圧倒的な冬生まれである。ダウンのフカフカがペラペラになるほど押し込んで、太ももをぶつけつつ着席する。見ず知らずのオジさんたちに挟まれて、手持ちぶたさのため、何となくテキストをめくる。
やがて講師がやってきて、淀みない説明を加えていく。この方も警察OBなんだろうが、テキスト、ポイントビューアーの使い方が熟達してして、感心する。めくれと指示するページ数に誤りがない。口調も極めてなめらかだ。まるで人間テープレコーダーのような感じ。聞かせどころ、声の張り、この方なりの工夫がうかがえる。変なところに感心していたら、あっという間に1時間が過ぎた。
受け取った新しい「5年の青」は、いつもより優しい顔に写っていた。
なぜなのかは、まったくわからない。
ちょっと前の平日、休暇を取って運転免許の更新に行ってきた。免許を取得して約20年、何度目の更新になるのだろう?割返すと4、5回目か?そんなになるのか?大事なことなんだろうが、意外と覚えちゃいないもんだな。
そういえば約半年前、まったくノーマークの場所で無念の速度違反をおこしてしまい、親のインパチ18,000円を召し上げられた。ここ2回、免許の更新が近づくと、私はこのような召し上げ劇を繰り返しており、今回もわずかの差でゴールド免許には届かなかった。もう一生、私はゴールド免許はもらえないのか?時期を狙ってのネズミ取り(私からはそう見えてる)、おそるべしだ。
送られてきた案内ハガキで一般講習1時間のスケジュールを確認し、警察署の中にある免許更新センターに出向く。3500円くらいの印紙を買い、申請書に貼り、所定の事項を記載する。更新の同志は約30名。なんとなく、お上に従順にしなければ面倒なことになる、という気持ちにかられ、殊更無口になる。なぜだかわからぬが、全く慣れない未知のエリアに丸腰で来てしまった、悪いことしていないが、警察怖い、って意識が温泉掘削のごとく湧いてくる。不思議な心理だ。ケイサツコワイ。
そして、ここがスゴイと感じたのだが、「警察怖い」の意識が抜けないうちに、明らかに警察関係の天下り団体と思われる「なんだか安全協会」(名称は忘れた)の勧誘を受けたのだ。狙っているかどうかはわからぬが、これが絶妙のタイミングなのだ。
協会のサービス内容を聴けば、「何かと便利だ(よくわからんけど)」という甘言が返ってくる。
ここはちょっと考えたフリの重厚な演技をかまして、みごとに拒否する。はじめから加入する意思などはない。しかし、警察怖いって意識が抜けない刹那、甘言で加入を促すテク、警察官僚OBたちの知恵、さすがなりだ(私の誇大妄想か?)。そののち、免許用の写真を撮影され、やや待って、別室に誘導され1時間の一般講習を受講する。
ここで思いだしたことがある。
5年前もそうだった!
この受講室、机と椅子の間隔が、異様に狭いのだ。小学生かよ!ってくらい。
もう、大人の男の骨格ならばギュウギュウになること間違いなしのスペースなのだ。
特に冬は厚着である。生まれ月が夏の人ならば気にならないのかもしれないが、われわれ30名は、みな圧倒的な冬生まれである。ダウンのフカフカがペラペラになるほど押し込んで、太ももをぶつけつつ着席する。見ず知らずのオジさんたちに挟まれて、手持ちぶたさのため、何となくテキストをめくる。
やがて講師がやってきて、淀みない説明を加えていく。この方も警察OBなんだろうが、テキスト、ポイントビューアーの使い方が熟達してして、感心する。めくれと指示するページ数に誤りがない。口調も極めてなめらかだ。まるで人間テープレコーダーのような感じ。聞かせどころ、声の張り、この方なりの工夫がうかがえる。変なところに感心していたら、あっという間に1時間が過ぎた。
受け取った新しい「5年の青」は、いつもより優しい顔に写っていた。
なぜなのかは、まったくわからない。
2013年2月4日月曜日
大塚氏と團十郎氏の明暗
今朝の北のマチは、とても寒い。
仕事に向かう意欲を削ぐほどの寒さだ。
それにしても、朝から皮肉な明暗を観た気がしている。
本日2月4日「めざましテレビ」の大塚範一氏が白血病を克服し、1年数か月ぶりに「めざましテレビ」生出演を果たそうとする朝に、同じく白血病で闘病した市川團十郎氏の逝去が、同番組内で伝えられたのだ。
お二人は、ほぼ同年齢。何の因果関係もなく、それぞれの人生を歩んでこられ、偶然同じような系統の病に罹り、これまた、たまたまの巡り合あわせで、大きな節目として今朝皮肉にも明暗を分けた、ということか。
「團十郎」といえば、歌舞伎界の最高の名跡。いわばラスボス。ちなみに「海老蔵」は、馬場に対する鶴田のような地位の名跡(わかりにくいか?)。この親子の名跡は、中村勘三郎一族の比ではない(あくまで名前の格のハナシです)。歌舞伎界は本当の大看板を失った。ご冥福をお祈りします。
「團十郎」といえば、歌舞伎界の最高の名跡。いわばラスボス。ちなみに「海老蔵」は、馬場に対する鶴田のような地位の名跡(わかりにくいか?)。この親子の名跡は、中村勘三郎一族の比ではない(あくまで名前の格のハナシです)。歌舞伎界は本当の大看板を失った。ご冥福をお祈りします。
そういえば、訃報をブログで書くやつは・・という糾弾らしきトピックスを見たばかり(中身は読んでいないので詳細は分からない)だが、私にしてみるとそんなこと知ったことではない。こちらは気になることを自分のタイミングで書いているだけの話。今後も、気になったり思い入れが強ければ、礼を失しない程度の訃報を書くこともあるだろう。
ところで大塚氏がテレビに大写しになったとき、おや太ったか?と一瞬思ったが、どうやらムーンフェイス(投薬の副作用で顔がむくむこと)のようである。朝の支度でバタバタしていたので、大塚氏のトークは直接聞いていないが、私も闘病中「この薬はムーンフェイスの副作用があります」と説明を受けて試したら、キッチリそうなったことがあった。今朝の大塚氏はそのときの面相によく似ていた。いらぬお世話だろうが、寛解状態とはいえ、まだ何らかの治療は続いているのか?同好の士、サザンフリークの大塚氏には、どうぞご自愛いただきたい。
ちなみに、違う局のワイドショーのレポーターが「いまムツゴロウさんが弔問に・・」と言ったように聞こえて、何?と思い画面を見たら板東三津五郎氏の姿が映っていた。
最近見ないな、ムツゴロウさん。
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