このブログは、
私のメモ書きみたいな側面があることは、かねてより記してきたとおりだが、
今回は書き出す前から明らかにそれオンリーになるのは明らかなので、あらかじめ興味のない方はスルーしてください。
私のメモ書きみたいな側面があることは、かねてより記してきたとおりだが、
今回は書き出す前から明らかにそれオンリーになるのは明らかなので、あらかじめ興味のない方はスルーしてください。
大学の頃の話。
「いったい俺は、どんなジャンルの本をどれくらい読んでいるのだろう?」
今よりもっとバカだった当時の私は、ふとそんなことに疑問に感じ、
小説、エッセイ、評論本などを読了するたび、正の字を書いて、タイトルなんかのメモをつけていた時期がある。
小説、エッセイ、評論本などを読了するたび、正の字を書いて、タイトルなんかのメモをつけていた時期がある。
しかしそのうち、ルールが甘くなり、
記録者であり解答者である私に、不正の概念というか、正の字カウントアップ至上主義みたいな機運が現れはじめ、正の字を書き足すために読む、みたいな本末転倒な現象や、週刊ビッグコミックスピリッツなどの漫画本までも算入しはじめて、迷走した。結局、記した正の字が膨大になっても、一向にお利口にならず、まったくバカのままだったので、いかりや氏ばりにだめだこりゃ、となり、メモをつけるのは1年半くらいでやめてしまった。
それでも怪我の功名というか、そのときわかったのは、
俺は小説より、ノンフィクション、ルポ、エッセイみたいなジャンルが好きなのだ、ということだった。きっと純文学を読む体力も頭脳も気概もなかったのだろう。それは今も同じだ。当時、読書メモを上手く整理できる能力があったのなら、いまごろ立花隆みたいな知の巨人なれたのになぁと思う。残念なことをした(無理です)。
俺は小説より、ノンフィクション、ルポ、エッセイみたいなジャンルが好きなのだ、ということだった。きっと純文学を読む体力も頭脳も気概もなかったのだろう。それは今も同じだ。当時、読書メモを上手く整理できる能力があったのなら、いまごろ立花隆みたいな知の巨人なれたのになぁと思う。残念なことをした(無理です)。
で、今回ジャスト1ヶ月、
モノは試しで久しぶりに読了した本をメモしてみました。入手先は近くの大型書店となじみの古本屋という、いつもの日常ルーティーン。不正計上一切なし。自分では意外な感じのラインナップとなった。
モノは試しで久しぶりに読了した本をメモしてみました。入手先は近くの大型書店となじみの古本屋という、いつもの日常ルーティーン。不正計上一切なし。自分では意外な感じのラインナップとなった。
許す力(伊集院静)
藤子・F・不二雄の発想術(ドラえもんルーム編)
私が会った日本の黒幕・首領 (大下英治)
田中角栄に今の日本を任せたい(大下英治)
小泉純一郎の軍師 飯島勲(大下英治)
井深大 自由闊達にして愉快なる(井深大)
大安吉日(源氏鶏太)
喋々喃々(小川糸)
笑う警官(佐々木譲)
サンマの丸かじり(東海林さだお)
フェルマーの最終定理(サイモン・シン)
僕の死に方 エンディングダイアリー500日(文庫版)(金子哲雄)
金子哲雄の妻の生き方 夫を看取った500日(金子稚子)
本棚を覗かれるのは裸を見られるよりつらい、ということをいった先人がいる(はずだ)が、私もそんな感じ。人格とか性格とか、何となくわかっちゃうよなあ。なので、こういうサラシは今回限りにしよう(というか、メモしない)。ちなみに大下英治氏に偏っているのは、俺の中に起きた急な大下ブームのせい。金子哲雄氏の著作は、ようやく文庫になり満を持して購入した。http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html
それにしても、
いろんな季節をくぐりぬけ、今の私の読書嗜好はこんな風なのか、とわかったのは意味があるような気がする。ただ、勉強っていうより、完全に娯楽シフトのチョイスだな。
見栄も張らずこのまま。
事実だから仕方ない。
事実だから仕方ない。
0 件のコメント:
コメントを投稿