縁とは不思議なものだ。
3月6日付けの当ブログで書いた、友人M君の話である。
書き付けた日以降、
まつわる曲折があったのだが、少ない手掛かりの中、M君に関係のある方(曖昧な書き方でスマン)に、かなり逡巡した上でコンタクトをとってみた。
まつわる曲折があったのだが、少ない手掛かりの中、M君に関係のある方(曖昧な書き方でスマン)に、かなり逡巡した上でコンタクトをとってみた。
そうしたら昨夜、当ブログのコメント欄にM君本人から連絡があった。
なお、当欄にいただくコメントは原則非公開にしているが、今回ばかりは、支障がないと思しき範囲で抜き出してみる。
『・・(略)●●(←註 私のことです)が北の街に転校して、夏休みに遊びに行ったこと、利尻富士が雲間から少しだけ見えたこと、うに丼がうまかったこと、迷惑も考えず、長く滞在したこと、夏なのに結構寒くてトレーナー借りたこと。おぼえてるよ!また会いたいね!・・(略)またゆっくり話そう!』
無論、疑うはずもないが、
本人同士にしかわからない当時の風景をビタッと描写している。これは見紛うことなくM君からのコメントだ。
本人同士にしかわからない当時の風景をビタッと描写している。これは見紛うことなくM君からのコメントだ。
このブログは、
全面的にアナログ派の私が、適当に面白がり、かつ適当に面倒くさがりながら、誰に見せるでもなく、好き勝手にポチポチ気ままに打っている。このスタンスは、今後も変えようがないが、まもなく150回目を数えるこの時期に、文明の利器によってこんな不思議なつながり方があることを知りました。
全面的にアナログ派の私が、適当に面白がり、かつ適当に面倒くさがりながら、誰に見せるでもなく、好き勝手にポチポチ気ままに打っている。このスタンスは、今後も変えようがないが、まもなく150回目を数えるこの時期に、文明の利器によってこんな不思議なつながり方があることを知りました。
M君、どうもありがとう。
なお、本日は、東日本大震災から3年目の3.11。
生きていればこその邂逅。
大切にしなくてはいけない。
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