2014年3月6日木曜日

友人の活躍を知る

古くからの友人にM君がいる。
ずーっと没交渉であるが、私の中では今も大切な友人のままである。
知り合ったのは、十勝地方に住んでいた頃だから、もう30年も前にさかのぼる。

そういえば、今年に入ってこのブログにこんなことを書いた。
→ http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/01/blog-post_4.html
M君とは、ちょうどそこで書いたN君と同時期に知り合ったはずだ。
みんな同じモノを見て笑ったり怒ったり、同じ空気を吸った仲間だ。

それにしても、このブログを読み返すと、
やたら過去を振り返る記事が多い。昔を懐かしむというのは、年をとった証拠だろうか?

M君は、とても絵が上手く手先が器用で、美術の授業では常にヒーローだった。サッカー部に入っていたとの記憶があるが、そこで活躍していたかは定かでない。元英語教師だったという私の母の友人が開いていた私塾めいたところに2人で1年ほど通ったことがあったが、そのきっかけも今となっては定かではない。ただ、何故か周りにはそのことを秘密にしていたような記憶がある。母の友人である彼女には私たちと同い年の娘さんがいて、おそらく少年の微かなプライドで、同学年女子のいるそこに通っているということを頑なに知られたくなかったのだろう。無論、その娘と何か関係があったわけじゃないが、いかにも少年らしい発想だと思う。

M君はボンクラな私より勉強が出来たはずだが、お互い切磋琢磨するライバルという間柄ではなく、なんだかとても(そのスジの方々という意味ではなくて)兄弟に近かった。当時、私はいったい何を考えて生活していたのだろう。うそでもいいから日記でも書いときゃよかったな。

私が十勝から日本最北端のまちに転居した年の夏休み、
M君は列車に乗ってひとり遊びに来てくれた。うちは狭い社宅だったが、3泊くらいしてくれただろうか。最北のまちの名所とされる場所をあちこち巡った。実家に帰れば、まだ当時の写真が残っているはずだ。楽しい数日間だった。

その後も長らく手紙のやりとりをしていたが、それもいつしかついえてしまった。
ネットもメールもない時代だった。以来、俺は私信めいた手紙なんて書いていない気がする。

なぜこんなことを書いたかといえば、
業務上、とあることを調査していたところ、昨日彼の名前を偶然発見した。
いまは十勝に戻り、手に職を持ちながら彫刻家として活躍されているようだ。数年前には私にはわからぬが、大きな賞も受賞されているとのこと。M君があのままの姿勢で芸術に取り組んでいる。うれしい限りだ。

お互い生きていればいずれ邂逅できると思っている。
M君、いずれまた会おう。

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