2016年8月24日水曜日

息子のゲロを浴びた

もうね、標題どおりの出来事に遭遇したってハナシですわ。


ここ3日くらい、息子は体調が悪く、だからといって高熱が出るっていうものでもなく、タンがからんだ咳をオッサンぽくゲホゲホしたり、食欲がなかったり、何かと機嫌が悪かった状況がありまして。


そうしたら、日曜の昼前、高熱がガーッと出て、一気に弱体化。俺はやむをえない事情で休日出勤していたのだが、家人に高熱を知らされ帰宅。解熱剤の座薬を使ったとのこと。なんだか終始不機嫌で、険悪な雰囲気の家人と当番病院を探し、車で25分走らせて病院へ。


そもそも、俺にしたって息子が発熱に至るまでの家人の当日の行動については、心底ガッツリ言ってやりたいことが凄くあるのだが、この時制での阿鼻叫喚は誰の得にもならないから、大人としてグッと我慢。しかし、その行動の中には慢性的に腹に据えかねている事案が含まれていて、今後の幸せのためには、いずれどこかで強く言わなけりゃならんとも強く思っており、もうそれだけで憂鬱。


病院では、意外にもスイスイと検査が進み、院外薬局でクスリを処方され、3時間弱で帰宅。息子は道中、カルピスなんかをチョビチョビと飲みしっかりと水分は補給できていたようだが、折からの発熱と検査疲れが相まってグッタリ気味。ちょっと食べてクスリを飲まそうと試みるが、なかなか応じてくれず、苦戦する。


そうして、その瞬間はやってくる。


グズる息子を左肩側に抱っこして立ち上がった途端、ユニクロエアリズムをまとった俺の肩口を支点として、オモテ面2、ウラ面8の割合でナイアガラの滝のような見事なゲロを浴びました。ゲロはテロだね。息子側からすると、俺が立ち上がったことで体勢が変わり、コックが開いて噴水機能が整ったのだろうから、喋れるのならば言い訳をしたいところだろう。そして、初めての出来事に彼なりにショックを受けているだろう。もういいよ。洗えば綺麗になるんだから。



ただ、息子が大きくなって、俺に生意気なことをぬかしやがったら、このエピソードは大きく盛って言い放ってやりたい。

2016年8月22日月曜日

再び清水成駿氏を悼む

以前にも書いたが、
競馬予想家の清水成駿氏が8月4日に亡くなったことにショックを受けている。


改めて思うのだが、
氏は、俺にとって単なる競馬予想家ではなく、
ちょうど少年の俺が大人の入り口を迎えたときに、大人のアイテムである競馬新聞上のコラムで、無頼の匂い漂う、強い意志を持つ人の在り方を強烈に示してくれた人だ。競馬新聞コラムを読んでいる俺、ということ自体に経験値の乏しい少年は酔っていたのかも知れないが、人生で多感な良い季節に巡りあえたことに変わりはない。


競馬予想家にとって、予想の当たり外れは当然大事なことだけれど、世の中には本業の効率というか、それだけでは語れないサムシングがあることを、毅然と最期まで倒れずに示してくれたようにも思う(氏の予想には信じられないくらい波があった)。事実、氏の予想に乗って大儲け、なんていうことは、俺に限っていえば皆無である。でも、あの文章を読みたくて新聞を買う。いったい何だったのだろう?


このたび、実家にちょいと寄る機会があり、以前の俺の部屋の押入れから、20年以上前に俺がスクラップしていた競馬ノートを数冊発掘した。手にとり、懐かしく読み返すと、当時、俺は真面目に競馬を勉強していたらしいことが窺えた。憶えちゃいないが、一レース一レースの細かな買い目なんかより、どうやら競馬というギャンブルの大局を掴むことに腐心していたようだ。なんか恥ずかしくなるようなコメントも随所に書き込まれている。


総じていえるのは、
行間には、今の俺が忘れてしまった物事への純粋な楽しみが溢れている、ということ。省みて今の俺を眺めると、胸が痛くなる。そうだよ、あの頃のように好きに楽しんでやればいいんだ、と思う。


ノートには、氏のコラムが、いくつも貼ってあった。


「孝行したい時に親はなし。それが孝行か甚だあやしいが、『これ買ってごらん』と言ってみたい時もある。ただ、競馬で取った取られたなんて束の間の喜怒哀楽、それを話せる人の方がどれほど大事か。なら、今後は頭でも丸めてファンの為に尽くそうか。だが尽くそうとして迷惑になるのが予想、親父に教えるつもりでポチポチいこう。」


「これは自分の力などとウッカリ油断しようものなら、人にさっと持っていかれる。そして一度手放した女神はちょっとやそっとで戻ってくるものではない。」


改めて、氏のご冥福をお祈りします。


2016年8月15日月曜日

ノンタンに会いに行く

例年お盆にしてきた恒例行事を、今年は前倒しでやってしまった。
なので、この週末は手持ち無沙汰となった。


個人的にこの1週間、とても体調が悪いし、旭山動物園強行軍(前回ブログ参照)以来、相当に疲労していて、体力が回復しない(こうなってくると、今年は体調がいいときのほうがレアなのだ)。出向いた各地で散財をした。行く先々で十分に家族サービスに努めた自覚もある。なので今週くらいは家でゆっくりしようと思っていたが、世の中そんなに甘くない。


父親稼業は、常に家庭からの突き上げを食らい、非道かつ劣悪な労働を強いられるのだ。


日曜日に「ノンタン」が来るのだという。


同士よ、知っているかノンタン?まあ、アンダー45で知らない人はいないだろう。
俺の幼少時代にはリアルタイムにはなかったが、きょうだいが生まれた頃には両親が全巻を揃えていた。せがまれて何度も読んだ。当時のあの本たちは、一体どこに行ったのか?きっとベロベロやビリビリになって捨てたのかな?とにかく、ノンタンはいまでも全国区の絵本キャラである。置いてない本屋はないだろう。ただ、大人になってから「ジュリスト」でいわゆる「ノンタン裁判」の判旨を読んだときは、結構ショックだった。キャラに罪はないが、大友夫妻、仲悪かったのね。


しかしまあ、まさかこの歳になって、再度ノンタンを見せられ、読まされ、追いかけることになろうとは、ちょっと前までは想像だにしなかった。人生は面白いもんである。


中でも、息子のお気に入りは「ノンタンおやすみなさい」。

フクロウとのジャンケンの場面では「ジャンケンポーン、ホーホーでショーン、アンミツパーン」などとやたら大声で読むことを強要されつつジャンケンを、

石につまずく場面では「ドッチーン」と大声だけでなく横転を、

水たまりにはまる場面では同じく「バッシャーン」と一回転させられる。

職場では結構偉そうにしているのに、家に帰れば「アンミツパーン」なのだ。ホント人生は面白いもんである(2回目)。


で、ノンタンはどこに来るって?
むろん、自宅に来てくれるわけではない。
行きつけの一つである本屋にピンポイントで来る、というのである。


なら、行くか。
で、結果、息子大喜び。
ちょっと膝頭が黒くて、ヒョロっとしたノンタンでした。

2016年8月12日金曜日

墓参り2016

今年からの祝日、山の日(8月11日)を利用して、お盆前ではあったが一泊で道央圏にある先祖の墓参りにいってきた。


行程は昨年とまったく一緒。ちなみに昨年のブログ。
けど、大したこと書いてないな。忙しかったのかな。
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2015/08/blog-post_17.html


昨年と同じ時間に出発し、2箇所の墓を参り、伯父らに会い、同じホテルに宿泊する。
同じメニューのマッサージを受け、同じ朝風呂に入り、同じひとウナリを「ウーっ」とあげる。
同じ旭山動物園に行き、同じラーメン屋で昼メシを喰い、同じルートで家に帰る。基本、全部同じ。


実は、息子は1年で確実に大きくなっているので(その分、俺も確実に1つ歳をとっているのだが)、昨年とは違う反応があるかを楽しみに、あえて同じ行程にしてみたのだ。そしたら、予想にたがわず、反応が去年とは全然違うのな。もう、キャーキャーなのさ。こどもの成長ってすごい。特にキリンに異常に興味を持ったみたいだ。


で、俺は、前夜のマッサージが効きすぎて、運転前から腰と背中がとても痛い状態でホテルを出発。確実に施術前より悪くなっている感じで、塩梅が悪い。そこにぶち込んだ旭山動物園見物。当たり前だけど、旭山ってくらいだから、けっこうな山なのな。これは油断してた。今日は「山の日」という皮肉なめぐり合わせだし。うちの家系は、登山禁止っていう家訓があったのだが、これも立派な登山であり下山だぜ(あと、バイクも禁止。詳細な事情は不明だが昔から言われてきた)。


そんなわけで、旭山という山を、息子を抱いたり、カートに乗せたりしながら、ヘトヘトになるまで歩かされました。途中、気絶しかけて、目の前が真っ白になりました。正直、仕事に出てたほうがラクだった。そんな理由で、画像は一切ありません。


今朝、起きたら、腰は痛いし、空調にやられたのか、のども痛い。鼻はカピカピ。


そういえば、息子はカピパラには興味を示さなかったな。
なんせ、キリンなのさ。

2016年8月8日月曜日

さらば、成駿!

知らない人には、まったくわからないハナシであろうが(当たり前だ)、こりずに競馬の話を書く。


競馬の神様と謳われた大川慶次郎氏亡きあと、
競馬予想界において、他の追随を許さぬ唯一無二の存在だった清水成駿(しみずせいしゅん)氏が、先週木曜日67歳で亡くなったことが明らかとなった。


前回のブログにて、永六輔氏、大橋巨泉氏、千代の富士氏の訃報に触れたばかりだが、まさにアップした同時刻頃に、清水氏も亡くなっていたらしい。


他者の死を較べうるものでは決してないが、
俺の基準では、著名な3氏の死より、清水氏逝去の報のほうがショックが大きかった。


とにかく文章が上手いのである。
そして名声に比例せず、メディアへの露出が、極端に少ない人だった。
きっと、漢として線引きがしっかりしていたのだろう。


俺が競馬に目覚めたころ(もう25年以上も前だ)、氏は競馬新聞「1馬(いちうま)」で「本日のスーパーショット」というコラムを執筆していた。以来、10年以上狂ったように毎週「1馬」を買い、コラムを読み、若造は唸っていた。大人になるための指針を与えられたような気になっていた。あるときは理論的であり、あるときは解読不能であり、あるときは競馬を離れた情緒タップリの人生の教科書、哲学書であった。


実家に帰れば、まだ一部のコラムは捨てずに取ってあるはずだ(スクラップしていた時期があった)。「本日のスーパーショット」は、今の俺の予想スタンスや、実生活の立ち振る舞いそのものにも間違いなく影響している。もし無事見つけたら、今後機会をみて触れてみたい。


氏は、1馬を退職後(退職理由は、直木賞や芥川賞を狙い小説家へ転進するため、と1馬に書かれていた。しかし本当の事情は知る由もない)、主に有料会員相手の予想サイトや、東スポの「馬単三国志」、競馬雑誌などで予想や競馬観を披露していた。目にふれる機会は減ってはいたが、あの文体はどの媒体で登載されようが、こちらの心を掴んで離さなかった。後生を残さぬ断じ方にゾクゾクしたものだ。


氏の亡き後の競馬予想界は、いったいどうなるのか?
愛弟子を名乗る予想家は数多いるのだろうが、生前、氏が嫉妬するほどの才能と見込んだ「1馬」の僚紙「競友」の渡辺芳徳氏に俺は期待している。


ナベちゃん、やってくれよ!


なお「1馬」は現在、名称を改め「優馬(ゆうま)」となっている。
しかしオヤジにとっては、激しくしゃらくさい。
今も俺らの会話では「1馬」で十分ハナシがつく。


さよなら、ありがとう、清水成駿さん。


俺にとっても、ひとつの時代が終わった。

2016年8月4日木曜日

つれづれに書く。

8月になった。
北のマチにも夏が来たらしい。
ただ、北の夏を象徴するカラッと澄みきった暑さではなく、ネットリかつドロドロとした暑さである。
すなわち、より体力が消耗する暑さである。


そんな暑さのせいか、寝苦しいのか、
息子の寝相が、最近相当アクロバティックになっている。


前後左右、裏表。
見るたびに、違うところに移動している。
とどまることをしらない(ミスチルか!)。
無意識なんだろうが、奔放すぎる。


結局、何が言いたいのかといえば、そのたびに俺の領地が占領されていく。難民化していく。
すなわち、オヤジの寝る場所がない。やがて、空が明るくなってくる。昼夜、ボーっとした思考が続く。


食欲はある。
首、肩、腰が痛い。
仕事したくない。
静かに本を読みたい。
一人で旅に出たい。
遠くに行きたい。


遠くに行きたいで思い出したが、永六輔氏が亡くなったな。大橋巨泉氏も千代の富士氏も亡くなった。今の俺の日常には、結局何の関係もないんだが、いろいろ感じ入るところはあった。以前の俺なら思いの丈を書いているところだろうが、今の俺はそんなことはしない。ただ、列記した前2名は失礼ながら相応の年齢と思ったが、千代の富士の訃報には驚いたなあ。若いよなあ。合掌。


あと、都知事選。小池百合子が勝ったな。無難な結果だ。増田には知名度がないし大物感を欠いた。ジャーナリスト鳥越におよんでは、ふたを開ければただのアホが露呈しただけだった。あんなやつが永年にわたりメディアの中心で社会正義を語り、不正を糾していたってことは、所詮報道機関なんてそんなもんだ、と今回正しく軽蔑できて今更ながら逆にスッキリした。シールズのような若者は、ちょっとした思想的ハシカにでも罹っているようなものかもしれないが、鳥越は終わってる。


先週末から、年に6週間しかない札幌競馬がはじまった。
事情が許せば、ナマで観たいが、事情は許さんべな。
暑いなあ。