2014年9月24日水曜日

サザエさん展を見る

ちょっとした愚痴である。

オータムフェストがあまりに盛況すぎることに業を煮やし、
個人的ルールで、今後しばらくは大通近辺に近寄らないことに決めた。
(そうはいっても、今年だって三回行って、一回は食べたのだが・・・)

このイベントが、
美味いものがたくさんあって、大層魅力的であることは、間違いない。これは、もう喜ばしい限り。
ただ、いかんせん、
近年の開催には人が多く寄りすぎだ。

本来、美味い食べものは、人の心を和ませるものだが、俺はこの会場で美味いものを食べようとして、激しくイライラしている。なんだか構図がおかしい。明らかに本末転倒な話だ。

主催者側には嬉しい悲鳴だろうが、秋とはいえ炎天下の中、待つ、っていうことにも限度がある。
まあ、大きく騒ぐことはないが、個人的に長い行列に並んで、けっこう待って、人混みでメシを食べることが、苦痛になってきた、ということだ。

だから、というわけではないが、
9月20日、サツエキ周辺でやっている「サザエさん展」に行ってきた。
俺にすると、念願のサザエさん展だ。

サザエさんに関しては、かつて記したこともあるが、
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/07/blog-post_22.html
日曜日午後6時半、家にいれば、今も欠かさずにアニメを見ている。

これは、サザエさん好きの俺の母親が、日々の生活の中で俺に植え付け、刷り込んだ幼少の頃からの風習だ。他局でこの時間、何を放送しているのかを一切知らないほどのガチっぷりだ。

思えば、かつて東京に赴く際には毎回、桜新町の長谷川町子美術館に行き、
時期が合えばお台場のサザエさん展にも行き、
高校の弁当にはサザエさんふりかけを持参していた。一体どんだけ刷り込まれてたのか?
 
で、会場へ。
場内は基本的に撮影禁止でした(2箇所のみOK)。
この先も全国をめぐるらしいので、ネタバレ警戒の策なのか?

だとすると、展示内容もあまり書けないけど、
波平が出てきて「バカモン!」と叫んだり、
先祖が出てきて「今日のお前は波平じゃ!」と占ったり、
100円で、いその家周辺の土地に家を建てたり、
キャラクターグッズを買ったりと、
狭かったけど、十分楽しみました。
 
残念なのは、オータムフェスト以上に混んでたこと。
どこいっても、結局、人混み!

んがーぐっく!

2014年9月15日月曜日

オータムフェスト堪能!

朝、目覚めも爽やかに早起き出来たから、今日はキッチリとオータムフェストに。
やっと今季初参戦。昨日のリベンジ。

今日も画像中心でいきますよ。

それにしても、
空いてる時間帯を狙って出陣したつもりでも、すごい人波でした。
思い返せば、例年こんな感じだったっけ?
それでも、毎年ちょっとずつ増えてるような気はするなぁ。けっこう苦痛だ。腹減った状態でいくと、心が歪みそうだ。

そんな中、
真っ昼間から明らかに酔ってるテラテラ顔のおじさん達が天下の大通公園を堂々と闊歩しています。テラテラ顔が並ぶのは、なかなか壮観で好ましいですな。若造どもチャラチャラしてんじゃねえ、という背中。なのに本人は既にテラテラ。とても心強い。

それと個人的に、五丁目のラーメン地帯は、今日はスルーです。
今回の出店ラインナップにあまり魅力を感じていない、という本音もありますが、昨日貼ったとおり、昨昼、札幌で一番美味い旭川ラーメンをガッツシ食べました。中性脂肪の数値が素晴らしく高い今の私は、ラーメン連投禁止なのです。スープを飲むとか飲まないとかじゃなく、キッチリ医者に止められています。

そんなわけで、
ラーメン以外の食べ物を色々いただきましたが、今日はハズレなしの成果。美味いものばかりでした。結局、中性脂肪には良くないものばかりを食べてるのでしょうが、あくまで医者に止められてるのは、ラーメンの連投。

これで、いいのだ!




それと、魅入ったのは、浜中町のブース。
ルパン三世が鮭をかかえてました。さすがモンキーパンチ先生の故郷ですな。

2014年9月14日日曜日

オータムフェスト断念

このブログには、
画像が少ないのでは?との貴重な少数読者の声を受け、今回はそのあたりをケアしようと思います。

実は今日、
大通公園で今週からはじまったオータムフェストに行ってきたのだが、
体調がすぐれなかったのと、あまりの人の多さのため、食べるのを断念。
あんな行列に身を委ねることは、今日は無理。結局、何しに行ったんだ?っつー話。
明日、また行ってみましょうかね。
そんなわけで、オータムフェストじゃなくて、ここ一週間くらいで食べたもの画像を載せてみます。




上から、今日食べた(ちょっとややこしいけど俺が札幌市内で一番美味いと思っている旭川ラーメン)醤油チャーシュー麺、先週デパートの催事場で食べた江戸前天丼、同じくマグロ三昧寿司。カロリーやばいね。

2014年9月11日木曜日

謎の男が呼び鈴を押す

先日、職場から帰宅し、スーツから部屋着に着替えている最中、呼び鈴が鳴った。
家にはワタシひとり。しかも、キッチリとパン1(パンツ1枚)の状態。
タイミングが悪い。とても悪い。出にくい。というか、これでは出られない。

息を潜めて気配を消し(たつもりで)、モニターを見ると、見たことのあるような、ないような男性が映っている。少なくとも知り合いの顔ではない。

セールスか?
宗教か?
NHKか?
パン1のまま、動きを止め、時が過ぎるのを待った。
約2分経った。・・・男性は帰ったようだ。

大事な用事なら、またやって来るだろう。
それにしても、そもそも、ここは俺の家であって、何で怯える必要があったのか?
・・・パン1のせいか?だとしたら、心理的な弱みを見せたな。まだまだ甘いな、俺よ。

とにかく、見知らぬ君よ、
タイミングが悪かったと思ってあきらめてくれ、アディオス。

そうしたら、夕飯を食べようとしたキッチリ1時間後、また呼び鈴が鳴った。
モニターには、さっきの男性が映っている。
今なら、とりあえずはどこに出ても恥ずかしくない服装だ。
まずはインターホン越しに出てみることにする。

そうすると
「●●新聞店ですー」と聞き覚えのある声が。

そうだった。あの人か。
http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2014/08/blog-post_6.html
どこかで見たことあるような、との先ほどの思いは、数週間前の某新聞の勧誘員の顔だったのだ。
けど、はっきり覚えちゃいないよなぁ。

「旦那さん、すいません旦那さん」
あー、こうだった。旦那さん波状攻撃だ。また粘られるのか?

「旦那さん、また購読のお願いに伺いました」
だから、前にも言ったとおり、いらないって。

「旦那さん、まだ他紙も取ってないですよね?」
取ってない取ってない。

「旦那さん、今なら景品もご用意できるものですから旦那さん」
考えは変わらないし、いらないって。

「旦那さん朝刊だけでもいいんです」
夕刊だけでもいらないって。

「旦那さん、それじゃあワタシの勝手な都合で申し訳ないですが、1週間だけ入れさせてもらえませんかねぇ旦那さん。もちろん無料ですので旦那さん」
無料?じゃあ、勝手に入れてって。いらないから。
というわけで、嫌いな某新聞が、1週間だけウチに入ることになった。今日がその2日目。

本日の俺の結論
某新聞は大嫌いだが、チラシには罪はない。

2014年9月8日月曜日

日々の雑感

ここ数日の
ちょっとした世の中の出来事に対する感想などを忘れぬうちに書き付けておく。
私のブログに私の勝手で書き込む感想ですので、相容れない内容であっても寛大に読み飛ばしてください。

・「錦織圭選手、全米オープンテニスで大活躍」
正直、テニスは詳しくない。0から15になり30になり40になることからして、説明がつかん。結果、テニスに対しては、シャラポアが出ていれば別の興味から見る程度。まったくもって下衆な感じ。ただ、今回の報道を見るにつけ、錦織選手の活躍は、日本テニス界にとって大偉業だということは、よくわかる。実際、観客の熱狂ぶりを見ると、同じ日本人というだけで誇らしい気がするもんな。しかし、いかんせん、俺が知ってる歴代日本人プレイヤーは、神和住純氏、熱血松岡氏くらい。彼の名前が「にしこりけい」って読むことも、最近知ったほど(撮りだめたとんねるずのスポーツバラエティ番組を見て知った)。俺らの世代だと「錦織」と書けば、断然「にしきおり」(少年隊の一清氏)と読むものであり、マニアック道民なら100歩ゆずって「にしごおり」(UHBスーパーニュースキャスターだった俊一氏)と読むものだ。とにかくニシコリ選手の決勝戦は明日の早朝に行われる。ここまできたら、是非勝ってもらいたいよな。

・「デング熱、やらかす」
なぜかデング熱なる感染症が、東京の公園で海外渡航者と蚊を媒介として大発生したらしい。感染ルートは後刻しかるべき機関が分析解明するのだろうし、まあそんなことは、あまり興味もない。それより、パーソナルな問題。俺はつい最近、大人めがね仕様(要は老眼入りだわな)に様変わりしたこともあり、小さい文字のテンテンやマルを攻められるのが大いなる弱点となってしまった。この弱点を突くかのようなこのニュース、俺は予備知識なくサッと読み下してしまったため、知人に指摘されるまで「デング熱=テング熱=天狗熱」だと思っていた。テンテン付いてるの?「デ」なの?お恥ずかしい、って流れなのだ。こうなってくると、大人めがねの装いとなった今後は、アントニオ猪木、アントキの猪木、アントキノイノチ、なんていうのにも注意が必要になる。あと最近、映画監督の園子温、という方がよく露出していらっしゃるが、これは別の角度からの問題だけど初見じゃ読めないよな(「その・しおん」と読むそうです。有名な監督さんらしいですな。本名ですって)。

・「朝日新聞、あんたすごいよ」
ざっくり書く。朝日新聞に定期コラム「新聞ななめ読み」を連載していた池上彰氏。このたび執筆したコラムの内容が、朝日新聞の意図するものでなかったことから、朝日側が掲載を差し止める措置をとった。しかしこれらの経過が露呈したため、結局、朝日側が世の中の風を読み、言い訳つきで掲載することに。大新聞サマの傲慢というか、自由じゃない真っ黒スタンスが明らかになっちゃった。表向き反省文には、これからも多様な言論を大切にする、って言ってるようだが、あーたね、もうダメでしょ。個人的に思うに、朝日さん、正義面してモノを語る機関としては、もう完全に終わりです。敬愛する東スポ様と比較しちゃ失礼だが、信用度は完全に東スポ以下だもの。それでもって、例の慰安婦記事捏造問題は、32年前の記事を訂正はするが、謝罪はしないのだそう。ウソでしたけどゴメンナサイは言いません、ってことだな。俺はもともと読者ではないから構わないけど、読者の皆様はどう思っているんだろう?読者諸兄は、32年もの間、ウソをいかにも真実のように読まされ続けてきたのに、怒らないものなのかね?朝日の思想が右でも左でもかまわないけど、まあ実際びっくりするくらい左なんだけど、ウソはダメだって。それでもね、俺も朝日系で認めるところはありますよ。それは、夏の甲子園の主催と、週刊朝日の東海林さだお氏の連載。まあ、たった2つだけどね。これらは大いに認めますよ。

・「アギーレジャパン、札幌で初戦も黒星スタート」
9月5日、うちの職場のスケジュールを「札幌ドームにサムライジャパンを見に行きたい」と言って変えさせた男がいます。そいつは、スケジュールを変えさせることができる程度の権限を職場内でもっていますが、残念ながら「サムライジャパン」という愛称が、野球だかサッカーだかの区別もつかないくらいの知ったか大将なんですわ。ブームに目ざといバカ、って感じ。彼の部下は、何度もわざとにサムライジャパンいわせて指摘せず、ただニヤリと放置してました。こいつも悪い奴だよなぁ。

中秋の名月なので、月見しながら、お団子食べました。
これからも平穏無事な日々が続けば、大変ありがたい。

2014年9月5日金曜日

小さな恋のメロディ(またも道東へ2)

道東某市を訪ねた2日目、
我々先遣隊は、次々と予定された日程をこなしていく。きわめて順調だ。
これで、ひと月後の再訪には、何の憂いもない。
もはや準備は整ったといえるだろう。

勤務?終了後、その日の晩は、老舗の居酒屋で疲れを癒す。
風貌が「阿佐ヶ谷姉妹」(版権問題が怖いので各自調べてください)によく似た、しっかり者の女将さんたちが仕切る店だった。予備知識が全くなかったが、入りきれずに何組も帰るほどの人気店のようだ。久々に芋焼酎「赤兎馬」のロックをクイッといただく。たしかに料理も酒も美味かった。

なんでも今宵は、俺が嫌いな某新聞社主催の花火大会が行われている由。そういえば、浴衣の若者がずいぶんと行きかっていた。昨今の左巻きのクサレ外道的新聞報道やその姿勢には、心底反吐が出るほどの嫌悪感を持っているが、花火大会云々は、是々非々でいい。極めて、いい。それと、若いって、更にいい。

我々は、若くはないので花火は見ず、ハズレ店も引きながら、繁華街を数軒流れて、目の前にあった寿司屋へ入った。ホント偶然入ったのだが、どういう訳かこの寿司屋の名前には、どことなく見覚え、聞き覚えがあった。

ちょっと考えて出た結論は、
どうやら、子供の頃、父親がちょくちょくオミヤで持ち帰ってくれた寿司屋らしい、ということだった。一夜経つイクラの軍艦のノリは、もはやパリパリではなかったけど、朝ごはんに寿司折を食べるのは、王族になったようで、とても嬉しかった(王族はそんなもの喰わんけどね)。

記憶をたどり、
そんな思い出を女将(閉店直前だったのか、あまりかまってくれない感じ)に話してみると、この店、当時は、けっこう敷居の高い店で、一見の客は入れなかったそうだ。客層もそれなりにエラい人ばかりだったそう。

うちのオヤジがエラかった、なんてハナシは一切聞いたことがなかったけど、どうやらこんな店に来てたらしい。そういえば俺もこの店に何回か連れてきてもらったことがあるような気がする。今度、両親に確認してみよう。

生来、私には寿司の味なんかをつべこべ言う趣味はないが、この寿司は、とても美味かった。同席の旅仲間に聞いても美味い、といっていたが、私には特に思い出補正が入っていたのかもしれない。

3日目の早朝、晴れ。よく眠れた。
今日も、昨日の朝の決意のとおり、昔住んでいた方向へ散歩してみる。
今回は太い道ではなく、裏道のような細い道を歩いてみようと思う。ちょっとした冒険だ。

細い道をやみくもに歩いてみると、
級友アツシの両親が管理人をしていたコミセンに出くわした。こんな場所だったっけ?そうかな。そうなんだな。建物も当時のままか。近くで見ると、やはり劣化している。意外に小さい建物だったんだな。これも子供視点から大人視点に俺が変化したためなんだろう。そしてむろん、アツシ一家はもうここにはいないのだろう。

タラタラと歩き続けると、
これまた急にインちゃんが住んでいた家の付近に。そこは国の林業関係の事務所だったはずで、敷地内に併設された一軒家にインちゃんは住んでいた。俺と同じ時期に転校してきて、当初は同じクラスで仲は良かったはず。彼も野球をやっていて、俺とは別チームに属していた。クラス替え以降は接点が減り、エラそうなコマッシャクれたガキ、という印象しか残っていない。残酷な少年の記憶だな。今は事務所はボロボロで、一軒家は跡形もなくなっていた。

やがて、M指圧店が出てきた。
当時はこんな場所にはなかったはずだが。移動したのだろうか?記憶が曖昧だな。俺の2コ上くらいの息子がオヤジさんとそっくりの顔だったのを思い出した。今はその息子が継いでるのかな?入る勇気はないけどな。

あてもなくそのまま歩き続けると、
おしゃれな大きな邸宅が現れた。5月に来た際に、小学校の先生から伺っていた、いまもここらに住む旧姓Sさんのお宅らしい。

いやらしい関係ではないけど、
俺とSさんは、小5小6で同じクラス(母校で卒業アルバムを見たのだから間違いない)、中1では隣のクラスだった(はず)。当時、何かにつけて「お前ら付き合ってるのか?」と周りから聞かれることが多かった。そのたびにガキっぽくチカラを込めて否定していたが、そんなことを匂わす言動が互いにあったのだろうか?Sさんは賢くて、字のきれいな娘だった。そして明るい娘だったと思う。

たしかにその頃の俺は、
Sさんに対して少なからずモヤモヤした思いがあった。気になる存在だった。双方向じゃない淡く一方的な思いだったのか?今となっては確かめようもない。しかし、あのまま転校していなかったら、いずれ俺のメーター(欽ちゃんの仮装大賞の20点満点の棒のイメージ)は、合格ラインを超えていただろう。(よくわからんたとえだ)。とにかく、小6の頃の俺は、まだまだウブだった。当時どうやって子供ができるのかも知らなかった。この頃の俺らは、楽曲で言えばきっと「メロディ・フェア」(BYビージーズ)みたいなもんである。そう、小さな恋のメロディ(旧姓Sさん、勝手に巻き込んでごめんなさい)。

遠巻きにぼんやり見ていると、開いている窓から人の気配がして、誰かが玄関から出てくるような音がした。これじゃストーカーだな、と苦笑しながら、その場を離れ、ゆっくりと歩き出す。

きっと幸せな家庭を築いているのだろう。

思い出は美しいままのほうがいい。


写真は、アツシがいたコミセン。字が剥げているところに時代の経過を感じる。

2014年9月3日水曜日

またも道東へ(柏カムイオークスを思い出す)

先週末、
仕事3割、道楽7割といった感じの2泊3日の旅をしてきた。

行き先は、これまで何度も書いてきた、私が小学3年からから中学1年まで暮らした道東のマチである。メンバーは、いつもの常連3名の旅仲間と私(関係ないが、私以外の3名をイニシャルで記載しようと思ったら、いずれもYとなることが今判明した。どうでもいい情報だスマン)。

なお、我々の旅活動は、かねてよりこのブログで気が向いた際に書き付けてきた。皆様も気が向いたら、さかのぼってご一読いただきたい。ずいぶん探しにくいとは思う。その点は申し訳ない。

金曜午後にこちらを出発し、クルマで約2時間。
今回は、一番年長のY1がクルマを出してくれた。
春先に替えたばかりのほぼ新車である。空に飛んでいきそうな加速でありながら、車内は静か。本人のルックスに似つかわない、とてもいいクルマだった。

仕事3割、といったのは、
約ひと月後に私とY2が、仕事がらみで、この地を再訪するからであり、今回はその予習を兼ねた、いわば先遣隊といった立場であるためである(ただし、Y1とY3にしてみれば予習不要の道楽旅である)。ある意味、失敗は許されない。

夕刻に到着した我々先遣隊は、
ホテルにチェックインし、さっそく居酒屋にてひと月後の予習を行う。
あくまでも予習のために、ソフトクリームのような泡立ちのジョッキ生をシブシブいただく。モツ鍋も、串モノも、お造りも先遣隊として仕方なくいただく。予習の結果、ひと月後にこの店を再訪することが決定する。冷酒が効いた。すなわち合格である。その日は、それ以上の予習演習も実施したのだが、諸事情を勘案して割愛する。すなわち不合格である。

翌日早朝、
昔住んでいた、なじみのある方角へ向かい散歩する。
懐かしい、といっても5月の休日に来たばかりである。劇的な変化なんかあるはずもない。

ただ、母校の小学校グラウンドで、早朝から少年野球をやっていた。
親たちも集まっている。この後、他のチーム(H町から遠征してきたようだ)と練習試合が行われるようだ。歩くのをやめ、立ち止まって見ていると、保護者と間違われたのか、しきりに挨拶をされる。子供たちからも気持ちよく挨拶される。不審者に思われぬよう、極力にこやかに対応する。

グラウンドでは、
逆向きにグラブを出す子供に「腰より低いゴロは下からグラブを出すんだ」とコーチが指導している。意味がわからずキョトンとする子供。そして困った顔。そうだよな、自分の感覚で掴めるまでは、試行錯誤するもんだよな。

そうやって子供たちの「バチコイー」の声出しを聞いていたら、
この同じグランドで30年以上も前、自分がやっていた野球のことを思い出した。どこの引き出しが開いたのだろう?一瞬で光景が広がった。不思議だ。またこっち系のスイッチが入ったか。

私が所属していたのは、柏カムイオークス。
このチーム名は、一代限りの超リミテッドだった。
1年限りで退任したOコーチ(本業が寺の住職だった。過去に書いた幼なじみのM君情報では、数年前に他界したという)が命名者だった。
監督は、本業が国鉄バスの運転手だったTさん。俺と同じ右投げ左打ちだった。
「なにチンタラチンタラやってるんよ!このポンタロウ!」が口癖だった。
Tさんちの子供は女の子しかいなかったから、野球をやってる俺たちを実の子供のように可愛がってくれた。

トメ、というあだ名のピッチャー。双子の妹がいた。球が伸びてくる感じがした。
何の加工もなく本名で呼ばれていたキャッチャー、ツジ。
グラブ捌きが上手かったファースト、スケサン。
肩が痛くてショートからセカンドへコンバートされた、俺。キャプテンだった。
運動神経が抜群だったサード、タック。
無口でまじめだった転校生ショート、ワンテ。
6年になってから急成長し頼れる主砲となったレフト、カツミ。
大食いのセンター、シンピン。
負けず嫌いなライト、マコリン。
面白いケンボー、オヤジが審判だったヨッチ、途中から坊主頭にイメチェンしたジョッチャン、ピッチャーから外野にまわったエンコリン、しょっちゅう練習についてきてたエンコリンの弟タクロー、複雑な家庭だったイワセ、家が近かったモトキ・・

仲の良いチームだった。
このメンバーで最後の十勝大会で準優勝したんだよな。
一切、音信不通だ。いや、おそらく音信不通なのは、転勤族の倅である俺のほうなのだろう。みんな元気なんだろうか?

明日も早起きして、ここらの小道をくまなく歩いてみようと思う。
更なる思い出はよみがえってくるか?(気が向けば次回)


写真は、母校の旧校門と昔からあった不思議な建物の幼稚園。