2014年5月20日火曜日

ASKA?飛鳥?え?ライオネス?

前回更新から、あっという間に1週が過ぎた。
 
公私ともに色々あるのだが、未消化状態が続き、この方面は書きにくい。
なので、そこは避けて、ここ3日ほどで気になっていることを書く。

ご存知、ASKA容疑者が麻薬関係で逮捕されたニュースである。
昨年秋くらいから、
東スポ、文春等で報道され、本人も根拠が薄い中で弱腰に活動自粛していたので、今更逮捕と聞いても驚くものではなかったが、それはそれで法で裁かれればいい。

私が気になったのは、そんな彼のクスリまみれ疑惑の部分ではなくて、
チャゲ&飛鳥の
「あすかって飛鳥じゃなくてASKAだったんだ」
「ちゃげもCHAGEだったんだな」
など、およそ会話には向かない、文字配列、表記の問題であった。

いつから、彼らは、
横文字表記「CHAGE&ASKA」になっていたんだろう?
人とも、見るからにコッテコテの東洋人フェイスなのに、CHAGE&ASKA。
悠久たる古式ゆかしい最初のヒット曲は「万里の河」なのに、CHAGE&ASKA。

「万里の河」をリアルタイムで聴いてきた同年代の同士たちよ、どう思う?
CHAGE&ASKAじゃないだろ?
チャゲ&飛鳥だろ?
そうじゃないと、しっくりこないだろ?
そうは思わないか、同士!
まさか、ライオネス飛鳥と区別するために飛鳥を捨て、ローマ字になったわけでもないだろう?

さらに、こう掘り下げはじめると、
何気に使ってる「チャゲアス」っていう略称もシドイな、カッコ悪い気がしてきた。

まあ、それでも、
飛鳥を安易なローマ字表記「ASUKA」じゃなくて「ASKA」ってヒネったのは、ちょっと洒落ている。そこはかっこいい。そこは認める。

でも、もうちょっと書く。
テレビ報道を見ていると「ASKA容疑者」とテロップを入れる局がある。
そう、結局、これなのだ。これに違和感があるんだ。「ASKA容疑者」ってさ、放送局側は確信犯的に小馬鹿にしてるよな。むろん、「CHAGEさんが謝罪」っていうのも同様の違和感と小馬鹿感が否めない。感覚の問題か?いや違うだろ。確実にバカにしていると思う。

私らの世代は、
飛鳥涼に慣れてるせいか、ASKAっていわれても、やはりシックリこない。
字面を見ていたら、ISSA氏、IKKO氏みたいに見えてくる。両人の例示には全く他意はないけど、ホントの大御所は、国内では名乗っちゃいけません。チョロい感パないっす。この流れをエグザイル軍団はどうクリアしていくのか見ものッス。

結局、報道が事実ならば、ASKA容疑者も麻薬に堕ちていった芸能人の一人ってことであって、それ以上でもそれ以下でもないんだけれど、麻薬で捕まった多くのミュージシャンのように、いずれ復帰するのだろう。

なんか、甘いッス。

2014年5月13日火曜日

山岡が鼻血を出した

タイトルの件について、世の中なんだか騒がしい。

このブログもしばらく間隔が空いたので、そろそろ何か書かなきゃイカンと思っていた。
何ゆえの義務感かは、自分でもよくわからない。
けど、そう思っていた。

当初、こんな話題でそろそろ書こう、と思っていたのが、
①横浜中村ノリ選手が中畑監督批判で2軍へ
②ザックジャパンW杯布陣決定
③ふっくん夫妻がよくわからん事態に
みたいな感じだった。

①では、チームプレイに徹しきれないベテラン選手の驕りを舌鋒鋭く追及しようと思っていたし(ウソです)、
②では、W杯を目の前にしても何か盛り上がりにかける現況を憂おうと思っていたし(これもウソです)、
③では、いいトシこいたオジさんが「ふっくん」と呼ばれる哀しさと元B級アイドル夫人の思い上がりを糾弾しようと思っていた(これはホント)。

けど、世の中的に
やはり山岡が鼻血を出した件なのである。
ビッグコミックスピリッツに掲載の漫画「美味しんぼ」がいま何かと話題になっている。

もともとスピリッツ誌は、私が学生の頃の愛読誌であり、
特に「伝染るんです。」、
その少し前の「コージ苑」なんかのシュールでジワジワくる作品を楽しみにしていた。

毎週月曜(だったか?)、
今は無き琴似のくすみ書房の入り口左側の雑誌コーナーで立ち読みしていたのを思い出す。
購入せず毎度立ち読みで済ませていたことが、たとえわずかであろうとくすみ書房の財務の体力を奪っていたのかもしれないと思うと、スマンことをしたと感じるが、こっちも当時金欠学生で必死だった。許してつかあさい。

そんなわけで、
最近の話題性及び永年の慣例に従い、久方ぶりに同誌を立ち読みしてみた。
今回の内容は(あまり書いちゃいけないかもしれないので、ざらっとあらすじのみ)、福島を訪ねていた山岡は、ひどく疲れを感じ、鼻血も出る状況だったのだが、地元の関係者によると、その原因は被ばくしたからです、福島には住まないほうがいい、と言われたというものである。

そもそも、私と「美味しんぼ」の間柄は、
山岡士郎と実父の海原雄山が仲違いし、
食べ物バトルの末、骨肉の争いを繰り広げるが、

そのうち山岡は同僚の栗田と結婚、子供も産まれ、雄山との確執も和らぎ、
勤務先でも後進に道を譲るようにみえ、しかし何かと軸がぶれて迷走し、

一体主役が誰なんだ?みたいな感じになり、
結局全国行脚してみようか、そののちは不詳です、
という関係だった。

さらに関係ないけど、ファミコンのソフトも持っていた。
最後にアンコウを吊るしてさばくと終了するクソゲーだった。

おそらく、漫画自体は、もう十年以上は見たことがない。

そんなわけで、鼻血うんぬんより、率直な感想として
『あら「美味しんぼ」ってこんな漫画だったのね』と思いました。
山岡の人相も若干変わっていたな。山岡、太ったのかな?

世間では先週あたりから、
山岡鼻血問題で、論理と情緒が混在して議論を呼び、
 
「福島にそんな奴はいない」
「いる。実際俺がそうだ」
「風評被害で遺憾である」
「こっちは取材に基づき描いてますから」
「それでも、遺憾で残念だ」
「フィクションだからいいんじゃない」
「表現の自由があるだろ」などと、
 
話題は拡散し、ついには政府筋まで遺憾の意を表明するほどになった。

私なんぞは、
表現の方法などが適当なのかどうかがわからないが、それは置いといて、こういう考えの人もいるんだ、ってことで捉えましょうという立場。なんであれ、きっと、作者なりの真実ってことなんだろう。実際ウソなのかホントなのか、それはわからないけど、作者はそう感じたのだろう。

それより、美味しんぼは、もっとうまいラーメンの作り方を教えてくれないと困る。
こんなことで、世情を斬らんでいいからさ。

そもそも、そんなに影響力があるものなのかね?

2014年5月6日火曜日

連休が終わる。ドロボーが来る。

さて。

前から書いてきた私的な諸案件は、
なかなかうまいこと進展しないが、
だからといってグズグズ腐っても仕方ない。

気分を変えて、苫小牧、白老、虎杖浜に買い出しドライブをしてきた。

しかし、その間にも、
人生の偶然というべきか、
弱り目にたたり目というべきか、
とにかくこのタイミングでこんなことある?っていう事件にまたも遭遇した。
もう、やだ。

詳細を書けなくて申し訳ない。
けど、端的に書くと、泥棒に入られたっぽいのだ。
警察が来て、何というんだろう?ドラマでよく見る、粉をポンポンしていった。
同様の事件が、近隣で多発しているんだという。もう、早く言ってよ!
まあ、被害はジャラ銭程度だと思うんだけどなあ、ほかに何かあるのかなあ?
いつか笑い話にできたら、詳細書きます。あー腹立つ。

とにかく、後厄は昨年終わったはずだが、
こんなことが続くと気の迷いも生じてくる。
まあ、そんなわけで
なんだか、かんばしくないですわ。

けど、明るいことを今日もいくつか画像で。

苫小牧の老舗洋食屋さんのハヤシライス。
それと今朝の散歩中の桜。隠れた名所らしいです。
今まで見た桜の中でも、屈指の綺麗さでした。ちょっと指が写っちゃったな。




2014年5月3日土曜日

あえて明るいことを

また連休だ。

ありがたいことだが、心境は複雑だ。
仕事に逃げる、というわけではないが、
これなら仕事のほうがラクだ、という状況。
厄介ごとが私事で山積している。よろしくない。

今日も、妙案が降ってこないものか、とひたすら歩き回った。
先週は2日間で17キロ、今日も8キロ。
しかし打開策は浮かばない。
別に歩く必要はないが、何かしていないと心もとない。うまく説明できない。なんだろうな?

で、結局、外見はただ歩いているオジサン。
頭の中はグルグル回っているのだが、閃かない。やれやれだ。

いろいろあるんだわ。
いや、人生ってやっぱりさ。

たんなるグチだな。

何か明るいことでも書きたいので、
今日撮った写真を。

やみくもに歩き回ったさきで出会ったのは、
矛盾しているが地上を走る地下鉄の、まさに地上に出てくる箇所。
物理的に北海道で唯一の撮影ポイントだろう。

それと腹が減って飛び込んだラーメン屋さんの塩ラーメン。
いつもは混んでいるらしいが、通りがかった時がたまたま開店間際だったので待たずに初実食。

俺はまだ元気だ。
そう思いたい。

2014年5月1日木曜日

ルーツを旅する(2)

懐かしい空気をいっぱいに吸って、私は母校をあとにした。

ちなみに、母校の最近のイチオシは、
関係者からいただいた手塚治虫先生の肉筆の大パネルだそうだ。展示してある図書室にて、まじまじと拝見させていただいた。これは確かに貴重なものなのだろう。私もこれくらいの功をあげれば何かを寄贈できただろうに、手土産の菓子でお茶を濁してきた。できれば、再訪したいものだ。

これといって予定もなく、
しばらくクルマで母校周辺をグルグル走り回った。
何か記憶に引っかかるものは残っていないか?
けど30年だからなあ、あるのかねえ?

ところが走りはじめると、
アッサリと前回書いたAさんの家というか家業の事務所を見つけた。あっけない。
 
古い風呂屋を見つけた。
通っていたそろばん塾の建物を見つけた。
よく遊んだ公園もそのままだ。思い出パーツがゴロゴロ出てくる。
時を経てもけっこう残っているものだな。
 
ただ、公園はこんなに狭かったかな?道路ってこんなに狭かったかな?と考えさせられるな。
きっと、私が成長し、こども視点からおとな視点になったためなのだろうな(ずーっと語尾が山下清みたいだな)。

当時住んでいたエリアにも行ってみる。
私たち家族が暮らした家は、すでに解体されており、不自然に新しいアパートが建っていた。
 
・・・そうだよな、30年だもの。
地主と思われた地域で一番大きかった家は、さらに堅牢な建物になっていた。

歩いて数分のなじみのスーパーは、廃屋化していた。

私と父の行きつけだった床屋が、今も営業しているのを確認した。
中までは見えなかったが、元気なら床屋のオヤジさんも60代後半になっているはずだ。

車内には私の気分にうってつけの、柔らかくて暖かい春の光が差し込んでいる。
たまに時は止まるものなのか。
うっとりするような時間が流れる。
この瞬間、私は子供に戻っていた。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて一段落つき、M君と会う。
暮れかけたマチの中を指定された居酒屋に向かう。
どきどき、わくわく、この心理はなんと表現するのが適当なのか。

居酒屋の個室には、
すでに背を向ける形でM君が座っていた。
 
声をかけた。
穏やかな表情のM君がこっちを向いた・・・。
それから7時間以上、会話が止まらなかった。

浅田次郎氏のエッセイの一遍に「あいたい人にあうことを「邂逅」といい、あいたくない奴にあってしまうことを「遭遇」という。」みたいなことが書いてあった(はずだ)が、この夜の出逢いは、文句無く「邂逅」であった。

M君、楽しい時間をどうもありがとう。
俺はこのマチが大好きだ。

写真はマチのソウルフード某カレー