2013年12月31日火曜日

一年が終わる

大晦日。
長い一年が終わろうとしている。

今年は厄年の三年目、すなわち後厄だった。
モノの本に書かれているとおり、節分前に神社で厄払いをおこない、しばらくは身構えていたが、それもいつしか忘れ、今日に至っている。振り返ると、やはり世間で云われるとおり、公私共ツラくキビしい一年だった。それでも、俺は総じて健康だった。これが一番だ。ツラくキビしいことは、今後もしばらく継続する案件だ。むしろ、これくらいでおさまった、と思うようにする。そして来年は、より良い風が吹いてくれることを切に願う。もっとタフになろう。
 
それと
今年は、とにかく本が読めなかった。
ライブにも行けなかった。
数えているわけではないが、読書量は例年の半分以下じゃなかろうか。このままだと、勢いつけてバカになる。
 
そんなわけで、年末年始はドップリと読書する。

とにかく一年無事に暮らすことができた。
みなさん良い年をお迎えください。

一年のご愛読感謝します。

2013年12月16日月曜日

はろうけいほうって何よ?

北のマチは、もう、完全に冬だ。
ここ3日ほどの悪天候は、文字どおり風雲急を告げるものであって、こちらをいいように混乱させた。で、今日などは微妙に暖かい感覚だ。なんだか気色悪い。

土曜夜、テレビを見ていて気になる言い回しに出くわした。

はろうけいほう
 
である。

アクセントが変な人が読んでいたのか
ハロー刑法
と脳内変換された。
無論、意味はわからない。きっと刑法の入門書の一種だろう(そんなわけはない)。

波浪警報である。
改めて
波浪、というのも、字をみると意味がよくわからない。
長い人生、今までやり過ごしてきたが、いったい何の事象を指すのか?なみ、なみ、って。

不明を恥じ、そのスジの解説書を開いてみる。
それによると、波浪とは一般的に風の影響を受けて水面、海面がうねること、だそうだ。ナミタカシ、ってことか。

ま、ちょっとは利口になれた。

2013年12月15日日曜日

吹雪にやられる。そして徳永英明ライブ。

やられたのである。
いきなり真冬の洗礼。
猛吹雪である。

金曜夜にすすきので忘年会が予定されていたが、どうあがいても出先から戻ることができず、泣く泣くドタキャンした。泣く泣くどころか、車を運転していて、ホワイトアウトに出くわして、前が全く見えん。ホントに泣いた。涙が出た。

ワイパーもきかぬ視界不良なのに、
なぜか前方の信号の黄色が、ヤケに大きく見える。
そして、いつまでたっても赤にならない。
不思議だ、と思っていたら、それは信号機ではなくて、道路沿線にあるホクレンのガソリンスタンドの看板だった。どうやら既に真っ直ぐも走れていなくて、危うく突っ込むところだったらしい。スタンドに屋根があって、それでわずかに雪の遮断が緩んでいて、黄色の発色が見えていたのだ。

もうそんな季節なんだなあ、ヤバイなあ。
雪のない世界の人には、この感覚は伝わらないだろうし、想像もできないだろう。
こんな体験は、どんなに俺にとって嫌な奴であっても、いっぺんやってみたら?とはお勧めできない。そんなホトケゴコロすら出る恐怖体験なのだ。

忘年会ドタキャンは、実は俺だけではなく、遠方からの参加予定者全員だった。そりゃそうだ。あの暴風雪だもの。幹事が全キャンセルし、お店にカクカクシカジカ事情を話し、お代は不要にしてもらった。なんとも太っ腹な対応だ。お店様、この埋め合わせは必ずしますね。どうもありがとう。

それで、穏やかな昨夜(土)は、德永英明氏のライブを鑑賞。
俺は全くの初見。正直、あまり歌も承知していないニワカ。
そんな俺でも、これは知ってるぜ、と思っていた「輝きながら」は歌ってくれない始末だ。
連れも、俺を誘っといて、初見だという。なんだそりゃ。

合間のトークによると、
彼も昨日の悪天候の影響で、千歳上空で一時間以上旋回させられ、着陸後も札幌への移動に六時間も要したそうだ(ウトウトしていたから違うかもしれん。六時間はかかり過ぎだ)。会場内は、客の七割が中年女性というアウェー感満タンな環境。旧厚生年金会館のすごく右側の上のほうで二時間弱、知らない楽曲ばかりだが、十分楽しんだ。

それと、歌は知らずとも、大した歌唱力、というのは俺にもわかった。
もっとガラガラ声かと思っていたが、存外ソフトでいい声。ガヤめいた声援もサラリとかわす立ち振る舞い。そして声もさることながら、德永氏の手、指先の動き、ステップの踏み方(内股でリズムを取る)に彼特有の個性を強く感じた。

その後、手羽先で有名な居酒屋で食事。
いつもながらに、手羽先の到着が遅い。凍ったイカ刺しとビールの段階で昇天した。