2013年3月20日水曜日

泣くな内川

世間では、WBC日本敗戦を受け、山本監督の謎の重盗サインに関するちょっとしたバッシングがあって、春分の日を迎えた。

どの組織でも言えることなんだろうが、得体の知れない未知の相手と闘うとき、
監督(ボス)は、器の大きな者に託すことが肝要だ。また、逆もまた真なりで、相手が混乱するほど訳のわからん奴をボスにするという手もあるだろう。

今回の侍ジャパンは、それなりの知名度と実績を持つミスター赤ヘルが指揮をとった。しかし微妙なことを書くが、山本監督(選手時代はともかく、監督として)の、器の大小は不明だった。前述の訳のわからん奴でも当然ない。それでも会見などの言動を見るにつけ、おや?と思うような場面が何度かあった。偶然に身を委ねすぎているように思えた。

かといって、今になって作戦の稚拙さを問う声があるが、そんなものは勝負の振り子が悪いように振れてしまっただけのハナシであろう。あとのまつりだ。もし、チャランケをつけるなら、もっと前の段階、この組織編成を行った時点での選考の方法じゃなかろうか。

とにかく、できることを精一杯やったのだ。特に内川選手は、責任を感じて泣くことなんてない。「じゃあ、お前らやってみろ!」くらい言ってもいいほどだ。ネット社会が発達し、個人の感想がササッと書き込めるようになってしまって、(私も含めて)あまりに簡単に総評論家しているが、これらの意見など一切気にすることはない。胸を張ってレギュラーシーズンに臨んでほしい。

ちなみに私はパ・リーグなら日ハム、セ・リーグならヤクルトが贔屓チームである。

どんな立場であれ、私は懸命にプレイするアスリートを尊敬している。

2013年3月12日火曜日

きいたことのある歌 ネバーエンディングストーリー

去年購入したディーガ君が勤勉に仕事をしてくれるため、録りためた番組を片っ端から視聴するという、自分自身との意味不明かつ不毛な闘いが続いている。特に週末には予約番組が多く、翌日からそれを消化(って言葉でいいのか?)しなければ、容量に支障をきたすような展開になってきた。

あれだけテレビなしの生活をしてきたのに(この辺の事情は、過去ブログを参照頂きたい)、いまではこんなハメに陥っている。困ったもんだ。

先週は某音楽番組を録っていたのだが、それをさきほど観た。
E-girlsというEXILEの妹分のグループが出演していた。それにしても、いっぱいいる。オジサンには、彼女らの個体の識別が金髪のネーちゃんくらいしかできん。ファンの方々ごめんなさい。番組は、トークの合間に歌をちょいちょい挟む展開だったが、彼女らが 「THE NEVER ENDING STORY ~君に秘密を教えよう~」なる楽曲を歌った。

アラフォーオジサン世代にはズシンとくる、明らかに聞いたことがあるメロディである。

遠まわしな表現になるが、
アニメ「日本昔ばなし」のオープニングで、
龍に乗ったでんでん太鼓を持った子供の映像を覚えているだろうか?
全面黒を背景に龍と子供が不思議にたゆたう映像だ。

この曲は、
あの子供と龍が、間違って外国で実写版になってしまったような映画(俺のたとえはあってるか?)の主題歌だったはず。しかも、日本語版を羽賀研二がカバーしてた曲だな?

羽賀版→ https://www.youtube.com/watch?v=ehZxBZ4z8y8

今のことはあまり頭に入らないが、こんなどうでもいいことは、どこからか再生される。そして、こういうの、好きだ。それがちょっと嬉しくて、更新する予定じゃなかったが、書いてみた。
ただ、それだけのハナシ。

2013年3月11日月曜日

あの日。

あの日の午後2時46分、
私は出先から戻る車の助手席にいた。

車窓に不思議な光景が広がっていた。
道路脇にのびている電線が、生き物のように波打っているのが見えたのだ。
それが今も残る東日本大震災への私の第一印象だ。

タテツケの悪い車に乗っていたので、直接の揺れは感じなかったが、あれほど電線が波打つとは、震源地とは遠く離れた北のマチでも相当な揺れだったのだろう。あとで聞いたところでは、私の職場では、あまりの揺れに驚いた女性職員数名が屋外に飛び出したそうだ。

しかし波打った電線を見ても、この時の私には、
こののち未曾有の大災害の報に接するなんて、知る由もない。

ほどなくしてカーラジオは、通常放送とはかけ離れ、レギュラーパーソナリティでは対応が難しかったのか、正しくニュースを読むアナウンサーが登板し、緊急速報のようなものに切り替わっていった。とても大きな地震が東北地方で起きた、関東も大きく揺れたと概要がわかりはじめ、その後も徐々に詳しい情報が入ってくる。

津波が来るから厳重に警戒せよ、と伝えられてからしばらく経ったのち、私は会社に到着し、社内でテレビを見ることになる。

驚いた。

目を疑う映像だった。
私がはじめに見たのは、
大量の水が海のほうからやってきて、沿岸の大きな施設、工場、港そのものを呑み込もうとする姿だった。
避難するようアナウンサーが必死に呼びかける。
全てが信じがたい。これは日本の出来事なのか?

まったくどうでもいいことだが、
その日の夜、当時私が最も敬愛する上司の送別会が予定されていた。
相当前から入念に準備された大きな仕掛けのある会であったが、この大災害を目の当たりにし、急遽本人から辞退の申し出があり、結局、開始2時間前に会は中止(延期ではない)された。自粛することは逆に予約していた店に迷惑がかかるし、中止とはやりすぎじゃないか、という声も一部からは出たが、何が正解かよくわからないが、この対応でよかったのだ、と私は思う。

送別会をキャンセルしたところで、事態が何も変わらないことは参加予定者全員が当然理解していた。しかし、あのとき、私たちなりにそうすることでしか、エゴかもしれないが心の救いはなかった。被災された人々に申し訳ないという思い。

また、
もし送別会を決行していたら、送られる当該人には、一生消えることのない、そこはかとないやましさが残るかもしれない。決断に時間はかからなかった。これでよかったのだ。そう思いたいのもエゴなんだろう。甘さは自覚している。

今日現在、東日本大震災による死者・行方不明者は18,549名にものぼるという。
いかに膨大な数であるか。自治体名を出すことに全く他意はないが、道内でいうと芽室町(18,897人)、白老町(19,383人)、当別町(18,769人)、八雲町(18,899人)の人口と匹敵する。自治体一つが丸々なくなる衝撃は、筆舌に尽くしがたい。

改めて、犠牲になられた方々に哀悼の意を捧げます。
そして、日本は、こんなもんじゃ負けない。

2013年3月6日水曜日

裏の仕事

お隣のセクションに勤務する大先輩が、今月をもって定年退職を迎える。

約40年にわたり我が社に勤務され、いよいよ最後の1ヶ月である。
ご本人には相当な感慨があるだろう。外見にはそういった感慨は見受けられないけど。

年度末に向けて、幹事を中心に感謝の気持ちを込めて、彼の送別会を実施するのだが、こういったセレモニーは、大人社会では、よくある光景だろう。花束渡して全員で拍手、万歳三唱なんかが定番か?いずれにせよ、この時期、そこかしこの会社の担当幹事たちは、どう粋に送り出そうか、頭を悩ませているに違いない。

ところが個人的に困った問題が起きている。
過日、幹事長から当日会場で配布する用の惜別しおりの作成を依頼されたのだが、定年を迎える先輩と私は、正直に言えば、それほど親しくない。つまり、しおりを作るにしても、大したネタがないのだ。

ただ平々凡々としたしおりなら、定型文を駆使すれば簡単に出来上がるが、お隣から越境して依頼を受けた以上、私としてはそれだけでは面白くない。しかし、そんなにオイシイ食材が揃っているわけでもない。先輩を気持ちよく送り出すためには、笑いあり涙ありの一大スペクタクルなしおりでありたいし、もっと欲を出していえば定年後に振り返って読んだ先輩がニヤリとするようなものに仕上げたい。ジレンマが募る。

また、作成にとりかかる時間は、物理的に相当な制約があり(昼間から作り込むわけにはいかないでしょ)、結局のところ瞬発力にまかせたアイディアが成否の鍵を握るのだが、いかんせんご本人が至極真面目な方である。浮かぶアイディアに当てはめるには、明らかにミスマッチなキャラクター(決して悪意はない)なのである。こうやってブログに書き込んでいる間にも、気はそぞろである。

どこかにピッタリするアイディアは売ってないか?
裏の仕事はうまくいくのか?
どうする俺?

2013年3月4日月曜日

猛吹雪に思う。

3月になったというのに、北のマチにはまだ春は来ない。
先週末は、道内で軒並み大変な暴風雪となった。
この影響で交通網はズタズタとなり、鉄道等の公共交通機関は運休、幹線道路も通行止めとなる区間が相次いだ。不幸にも、車中に生き埋めとなった何名もの方が命を落とされたという。

猛烈な吹雪に視界がとざされ、距離感や方向感覚が全く掴めなくなることを、一般的に「ホワイトアウト」という。この言葉が普及したのは、10年以上前に織田裕二氏が主演した映画の影響だと思う(原作は真保裕一氏だったか?)が、今朝ワイドショーなんかのコメンテーターが、軽々とこの言葉を訳知り顔で使っている状況を見るにつけ、私は大変苦々しく感じた。

耳触りの良い語感を繰って、知ったようなこと言うな、この都会人!という思いである。

昨年の今頃、私はやむを得ず悪天候の中、ひとり車で走らせる事態になり、キッチリ猛吹雪に遭遇した。受け止め方としては、ホワイトアウトなんて耳触りの良い言葉じゃない。四方は何も見えない、まさに絶体絶命である。

走行していた国道は、この先、通行止めだという。既に周りは暗い。
行くも戻るもままならず、仕方なく迂回路を検索しながら進んでいった。都市圏と違い、一歩郊外に出たエリアでの地吹雪は、せきとめるものが何もないので、風に任せて荒れ放題である。迂回路と考えていた幹線も外れ、やむを得ずちょっとした細道に入った。

そこで悪魔がニヤリと手招きした。
私の車はキッチリ雪にハマり、抵抗も虚しく走行不能となった。

いま思い返しても「この車、もう動かない」とわかった瞬間の絶望感は、たとえようがない。あるのは、日常ではまず感じることがない単純な恐怖である。暗闇の中、ライトに照らされた部分だけに雪が不気味に吹きすさぶ。当然、周囲には誰もいない。炙られたようにやってくる焦燥感は、自らにいくら「落ち着け」といっても無理な話である。そりゃそうだ、何重苦かわからない程の恐怖、いきなりの生命のピンチだもの。

私はこのとき、なぜか猛吹雪の車外に何度も出て、状況を確認し、雪を掻いたり、無謀にも車を押してみたりした。おそらく危機管理上は的外れな行動だろう。風雪の流れに合わせて放尿なんかもした。その行動は、今もって説明がつかないほどだ。冷静さを欠いていたことは、明らかだ。

当時加入していた〇〇損保に幾度も電話するが、まったくつながらない。アホみたいにリダイヤルするが全くつながらない。なーにが無料ロードサービス付きだ。甘い勧誘しやがって肝心なときに全く役に立たないものだ。っていうか、こんな無茶な場所にロードサービスは来ないよな。

とにかく困った。敬愛する猪木氏の言葉が「この道を行けばどうなることか、危ぶむなかれ」だっていっても、ここは明らかに危ないのである。「踏み出せばその一足が道となる」といっても踏み出したら死んじゃうのである。

車内で暖房に当たり、少し落ち着いて考えた末、このままでは何も解決しないことをようやく理解した。やはり、ちょっとしたパニックだったのだろう。

そこから打開策を考え、携帯電話に地元の自動車修理工場のアドレスが入っていることを思い出した。あそこなら、誰かいるはずだ。車もたくさんあるから、何とかしてくれる。祈る気持ちで電話した。頼む、つながってくれ。

・・・つながった!

「〇〇さん、助けてくれ」
「あー大丈夫?今日は埋まったクルマが多くてさ、レスキュー作業で大変だわ」

「ところで、どこで埋まってるの?」
「え?」

ここで改めて気がついたのである。自分がどこにいるのかうまく説明できないことを。
カーナビを改めて見直し、目的地にはずいぶん遠い場所で自分が埋まっていることを知った。カーナビさまさまである。こいつが装備されていなければ、おそらく随分と違った結末になっていただろう。

そこから2時間、恐怖の中で助けが必ず来てくれると信じ、ひとり待ち続けた。長い2時間だった。
結局、私は運が良かったのだろう。車は現場に放置したため、以降3日間修理工場に委ねたが、身体はその日のうちに無事帰還できた。

頭にキタのは、保険会社の対応である。
翌日、抗議の電話を入れたが、あらぬ嫌疑をかけられ、随分と不快な思いをした。
その自動車保険会社とは、当然ながら継続更新などするはずもない。

けれど、これは生きているからこそ言える文句である。

北のマチの冬を舐めちゃいけない。