2012年12月25日火曜日

内面の沈下問題

今朝の北のマチは極寒である。
外界には、マイナス20度の世界が広がっている。

寒さとダルさで布団から出ることができず、枕元でカタカタとカーソルを叩いている。

忙しい仕事のピークがすぎて、逆に気が緩んだのか、何もやる気がおきない。
吐き気すらする(これは食べ過ぎのせいか?)。とにかく、ダルい。
 
何度もこういった経験をしているので、自分ではコントロールできていると思っているのだが、どうなのだろう。まさか、これくらいの業務の負荷で内面が燃え尽きたわけではないだろうが、クリスマスだというのに、滅々と気分が下降しているのが、実感できる。
 
昨今ではメンタルヘルス、なんていう言葉が流行っており、そっち系のケアは社会総出でやる傾向になっているが、当たり前だが結局、個別の課題はマイセルフで、ということである。
 
街がうかれると、あまのじゃくな私は、沈んでいく。
たまには、こんな日もあるナ。
 

2012年12月18日火曜日

ホッと一息

おかげさまで、忙しい一ヶ月がようやく終わった。

いくつかの重要な仕事が何故かこの時期にドカン!とクロスしてしまい、どうにもならない状況が続いた。それでも我々のチームは、有機的に機能し続け、ひとりの落伍者を出すこともなく、なんとか合格ラインの成果を出すことができた(と思っている)。周囲の仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいだ。どうもありがとう。

世間の出来事に疎い生活を送ってきたので、トピックスは見ていても、背景を承知していないことが多いのだが、気になった事象の感想を書き留めておきたい。

森光子氏死去
いまとなっては、名女優、ジャニーズの後見人、という看板が世間一般の森氏へのイメージだろうが、私にしてみると「3時のあなた」の司会者、という印象が一番強い。それが私的な森氏の原体験だ。小学生の頃、ランドセルを振り回して家に帰ると
♪さんじーのあーなーたー さんじーのあーなーたー あなたーのさーんじー
という謎の女性コーラスで始まる番組がやっていた。それが「3時のあなた」であり、その番組の司会者の一人が森氏だった。子供心に不安をあおるショッキングな番組(効果音がひときわ怖い)だったから、森氏がたとえ名女優であったとしても、そのときの不気味な印象が最期までずーっとぬぐえなかった。森氏出演番組では、カトちゃんケンちゃんミツコちゃん、みたいなコメディ特番もたくさん観たし、きっとすごくイイ人だったと思うけど、根っこには「3時のあなた」の司会者で不気味、ってものが常にあり、疑心暗鬼だった。一種のトラウマだよな。ちなみに、裏でやってた「3時にあいましょう」の心霊特集も夜眠れなくなるほど怖かった。それにしても「3時のあなた」も「3時にあいましょう」も、非常に秀逸なネーミングだ。今更ながらに強く思うな。

大谷選手ファイターズ入団
日ハムのドラ1、大谷選手が入団したそうだ。密約だの、大リーグ行けだのと、何かと球団や彼を批判する声もあるようだが、揺れる青年の気持ち、わかってやれよ。いいじゃないか。関係ないが、栗山監督の話し方「~ね、~ね」という語尾が気になっている。彼はアッチ方面ではコッチだとの噂があるし、何某を信仰しているなどの噂もある。正直、そんなことはどうでもいい。そんなことはどうでもいいから、プロならば勝てよ、栗山!それと大谷選手、オジサンは期待してるぜ。

小沢昭一氏死去
ラジオ大好き人間の私にすると、大変悲しい出来事だ。「小沢昭一的ココロ」は、日常生活の時間の区切りをつけてくれるニッポンの正しい番組だった。今は総集編を放送しているが、長谷川町子氏が亡くなっても続くアニメ「サザエさん」のように、このまま続けてくれまいか。この番組が嫌い、という人を私は見たことがない。我々は色川武大以降の大衆芸能の知の巨人を失った。跡目継承は誰なんだろう?

自民圧勝
ほぼピタリ、世論調査ってすごいな。それと小選挙区ってこわいな。好きでも嫌いでもないが、北海道でヨコミチ氏が負けるなんて、いったい誰が想像できただろう?言っちゃ悪いが、当選したヨコミチ氏を破った自民の候補者、少なくても私は知らないもんな。この風のふき方、総じて民主政権の3年があまりに悪すぎた、っていう評価だが、自民だって、そんなに変わらんだろう。けど、こうなった以上、右曲がりのダンディ安倍氏、滑舌の悪さは仕方ないが、2度目の失敗は御法度だぜ。

2012年12月8日土曜日

勘三郎氏の逝去

北のマチは、すでに猛烈な冬である。
あっという間に、風景が白色に変わった。

どうにも忙しい日々が続いていて
いくつかの大きな宿題をかかえて
今週末も休日返上で働かせていただくことになった。

働かざる者、食うべからず。
まあ、周りからオーダーがある以上は、その期待にはボチボチ応えたいものだと思う。

そんな中、仕事の合間にチラチラと見聞する情報で、歌舞伎の勘三郎氏が亡くなったことを知った。闘病生活が続いていたことは伝えられていたが、それにしても随分と急な訃報に驚いた。同じような病を経験した者として、なんともいえない気持ちになった。最良の医療を受けていたんじゃないのか?運が悪かったのか。

有名無名にかかわらず、また、どんな類の病気であるのかにかかわらず、降りかかってくる突然の病に対しては、周りのサポートの大小はあるにせよ、最終的には一人で対峙しなければならない場面が必ず来る。

運命とは儚いものだ。
合掌。

さて、出社しようか。

2012年12月2日日曜日

12月になった

12月になった。今年もなんだかんだで暮れていく。

11月中旬に風邪をひき、治ったんだか治ってないんだか、自分でもよくわからないまま、日常の生活に忙殺され(といっても、付き合いでの夜間活動もある)、ヘトヘト、ボロボロな状態で絶え間なく活動してきた。咳が止まらず、2週間ばかりずっとマスクを装着している状況だ。

で、今日(日曜日)の午後、久々の休みとなった。
いまとなっては日付はちょっと不確かだが、この2週ばかりを振り返ってみる。

11月某日
北のマチに初雪が降った。
交通事情がいよいよ冬仕様になる季節となった。すなわち、北のマチの住人が、よほどの緊急時や職務的必要がないとロングドライブは避ける思考になる季節である。そんな中、本格的根雪になる前に、雪をうまいことかいくぐり、今シーズン最後の苫小牧方面への買い出しの旅に行った。海産物、牛肉などを安価で仕入れ、また相撲部屋の冷蔵庫化してしまった。
しかしこういうの嫌いでない。

11月某日
実は解散総選挙となると、私の仕事も、風が吹けば桶屋・・のことわざのように、影響を受けることになっている。近くで読んでいる人にはわかるだろうが、これがために相当に面倒な頭脳労働を強いられ、スカスカな私の脳では、結局、時間を十分にかけて、地道に正解を導き出す愚直な方法でしか解決策がない。しかし、前述したとおり風邪の影響で、どうにもうまく立ち行かない。どうしたものか。

11月某日
週末、所属する某会の2年に1度の遠距離旅に赴く。今回は東京2泊3日旅。気兼ね不要な旅で、実質、自由行動のみの3日間になる。7月の桑田氏お台場ライブ以来の東京だ。ほぼノープランであったが、東京競馬場にてジャパンカップ、ワールドスーパージョッキーズを観戦。結構な勝負して、キッチリやられる。やはり、いつもと違う環境では、強く打ってはいけないもんだ、と実感。ランダムだが、上野、池袋の妖しい界隈、アメ横、有名なとんかつ屋、有名なラーメン屋、鈴本演芸場、新宿伊勢丹サロンドシマジ、なんかをみてまわる。で震度4の地震を浴び、山手線電車内で閉じ込められる。東京は、田舎者には怖いところだな。結局シマジ氏には会えなかった。大枚とシマジ氏の著作もカバンにしのばせていたのに。文豪開高氏のハナシを伺いたかった残念。

11月某日
職務柄、会社内の他セクションの職員と折衝することが多いのだが、この日折衝した30代中堅某職員の無責任な態度に、怒りを通り越して驚きを感じた。君のセクションではどうか知らないが、そのやり方では、こちらのエリアでは全く通用しないよ。仕事のしかたもそう、君がやるべき仕事であっても厭な仕事は全部部下に振っているね。しかも、余裕こいてタバコふかしながら、俺に対して逆ギレしていたらしいね。全部きこえてきてるよ。狭い会社だもの、こんな話、筒抜けだ。将来、君ははうちの会社の、そのセクションで核にならなきゃいけない立場であることをわかっているのか?ま、俺には関係ないんだろうが、その心根、心配だわな。