2017年8月1日火曜日

風あざみ

少年時代の歌詞だったか。
陽水氏が書く詞は、こちらが深読みしてしまうせいか、有難い経典のような扱いをしてしまう。どんな意味かと調べたら、意外と氏の造語だったりする。

このところ、何度かほのめかしてきたが、四月以降、なにかと厄介な仕事を抱えている。その案件の大半は、相手のいることだから、墓場まで持っていくようなドロドロなハナシを我慢して呑み込んでいる。

そんなことを、また同じようなことを、ここで何度も書くのは、きっと俺がガキだからだろう。まだまだ甘いもんだ。

職場で知りあった同僚は、かれこれ20年以上の付き合いだ。そいつの言動が、ここ数年の間に、一般的な尺度で、相当にオカシクなっているという。周りも、おっかなびっくりのテイで、心配なのだが手を出せない状態だ。

久しぶりにジックリ会ってハナシを聞けば、こちらで見えていた姿は、まさに氷山の一角で、水面下にはあまたの難問が沈んでいた。社会ではよくあるハナシのトラブルがいくつも内包し、七手くらいの詰め将棋でいえば、あと二手で終わり、くらいにまで事態は切迫していた。

結局、本意ではないが、この業界に見切りをつけるような助言をするしかなく、そいつも背中をおされてラクになったのか、自ら去る決断をした。この先に待つ未来は、どのみち決してラクなものではあるまい。果たしてこれでよかったのか。幸多かれと祈る。

呼びかけたままで、夢はつまり、思い出のあとさき。

朝早く目が覚めて、そいつとの思い出がゆっくりと揺れ動く。

八月は夢花火、私の心は、夏模様。

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