2015年6月22日月曜日

読めない本、読まない本

ピース又吉氏の著作「火花」が芥川賞候補にノミネートされた。
私はまだ未読であるが、作品の評判はすこぶるいいらしい。
某文芸誌に掲載された時点で気になっていたし、いずれハード、できれば文庫本にまでおちてきたら手に取ろうと思っていたが、このところの報道に先を越された。

昨日、アッコにおまかせ、をボーっと見ていたら、当の又吉氏が芸人モードで出演していた。
なんだか当人より周囲の出演者の目の色が変わっているご様子。ウカレポンチというか、なんだかヒドイ騒ぎだった。ちなみに俺はノンスタイル井上氏がとても苦手だ。

それにしても、故レイ・チャールズ氏をレイちゃん、などと北の国からの純の初恋相手のように呼んでしまう国民的ソウルシンガー・アッコ姉貴までが浮かれるような事態になってしまうと、こちらとしては、もう興ざめするしかない。

この段階で「火花」には手が伸びない。

物事はなんでもそうだけれど、めぐり合わせの運、というものがついてまわる。
俺とこの本に関しては、その運がなかったのだろう。
アッコ姉貴の浮かれっぷりを見るにつけ、きっと俺は「火花」は読めないで終わるな、と確信した。

ただ、又吉氏の風貌は、大衆小説直木賞より純文学芥川賞がよく似合う。
こちらは何のチカラにもなれないが、陰ながら健闘を祈りたい。

さて、
めぐり合わせの運なんかではなく、対処に困ってしまうのは、
サカキバラ何某を名乗った殺人者、少年Aの著書が上梓されたことである。

いろいろ書く前に、俺のスタンスを明らかにしておく。
・・・絶対に読まない。

言論の自由だとか、公序良俗に反するだとか、そんなことを大仰に語るつもりは毛頭ない。
買いたい人々は勝手に買えばいいし、
読みたい人々は勝手に読めばいい。

もうちょっと踏み込んで、
Aに改悛の情があろうがなかろうが、書きたい気持ちがあるなら勝手に書けばいい。

ただ、書くことと、
それを世に出す、出版する、というのは、まったくもって話がちがう。
そんなに書きたかったなら、勝手に書いて、自分の机の奥底にでもしまっておけ、と俺は強く思う。

(Aも出版社も表向きにはそれなりに自らを正当化した理由を述べるだろうが)
結局、今の自分らの救済(救済されるのが精神なのか金銭なのかは知らん)をしたいだけなんだろ?と思う。

そして、俺は単純に、
そんなアケスケな奴らにチカラを貸したくない、関わりたくない、と思うだけだ。

作品と作者は別物であることはよくわかっているが、
この食わず嫌いぶりは、きっと俺が機械的じゃなくて、情緒で本を読んでいるということの証明でもあるのだろう。甘いといわれようが、何だかちょっとホッとしている。

そういえば、かつてまことしやかに、
Aが出所後、俺の住む北のマチ周辺で社会復帰するらしい、との噂が駆け巡り、周囲が騒然としたことがあった。

果たしてあの噂は、ホントだったのだろうか?
確かめようもないが、知りたくもないな。

2015年6月17日水曜日

カラスが犯人だ

この半年来、俺の生活を劇的に変えてくれた張本人は、

今日も夜明け前から
アブーだのキャーだのとしゃべり続け、朝方にウグウグと就寝した。
こちらは今日もキッチリ睡眠不足である。

帰宅する時刻も早くなった。
最近では、終業後、即帰宅である。

それにしても
生活が変わると、今まで知らなかったことを思いがけず知ることになる。
たとえば、

早朝には、思いもよらぬほど多く人々が散歩している

向かいの家は売り家だった

職場で会話することが稀な職員は、犬を散歩させるときは意外に饒舌だった

近隣でサンダルの盗難が相次いでいたが、
早朝、カラスがサンダルをくちばしでくわえて、飛び去るのを目撃した

などなど。
しみじみ、生活してるなぁ、俺よ。

先週土曜には、ミキハウスの特売?だかでアクセスサッポロに連れて行かれた。
鬼の形相で品定めをする人々を離れてぼんやり見ていたが、その中に家人がいることに戸惑いを覚え、ちょっと震えた。

偶然、群集の中で同業他社の知人と遭遇。軽く挨拶を交わしたが、奇しくも彼が着ていたTシャツは、俺の寝巻き用のシャツと同じだった(ユニクロ確定)。
同士よ、互いにがんばろうな。

さらに一週前の土日には、札幌ドームにサザンオールスターズが来ていたというのに、
やんごとなき事情で素人カラオケ大会IN旧厚生年金会館の催事に付き合わされた。

かたや、俺が恋焦がれる桑田氏らの札幌ドーム公演。
かたや、なぜかわからんが、素人おとっつぁん、おっかさん達のド演歌大音量。
司会は、旅コミ北海道のちょっとあやしい髪型に見える田村レポーターだった。

人生は流転する。
次に桑田氏に逢えるのはいつのことだろうか。

2015年6月3日水曜日

日々の暮らし

6月になった。
というか、なんだか知らないうちに6月になっていた。

この間、オークスの予想はブログでも披露した(無論ハズレ)が、翌週のダービーの予想は披露する暇がなかった(予想はしていたが、ハズレだった。しかも俺の本命馬はゴール入線後に即下馬した。怪我をしたようだ)。

このブログは、かなり以前にも何度か書いたとおり、自分の書く能力の瞬発力を養う意図もあって、極力30分以内でザーッと書いて、さっさとアップするようにしてきた。なので練れていない部分というか、熟成していない文面が目立つ。

しかし今では正直、この30分すら、生活の中では捻出することが難しい。書きはじめても書き終わらず、アップしていない未完の文章が結構たまっている。無理やり押し出して、そこに手を加え継いで書き出すこともできないでいる。

総じて、今の自分はブログを書くというルーティーンをつくれていない。
その理由はわかっている。
俺の生活のスタイルが変わり、自分に相対する存在(それも相当に大きい存在)が、圧倒的なナマモノになり、その存在がこちらの行動を大きく抑制するからである。そのたびに思考も行動も一旦途切れるのである。

無論、
これが嫌なわけじゃなくて、これは相当に楽しくて、俺の人生においてはかつてなかった素晴らしい日々である。毎日いろいろ考えさせられるし、そのたび自分が無邪気にもなる。だからこそ、とりとめないその思考を残して記すべきだとも思っているのだが、なにせその時間がない。ループする。こういう場合、ツイッターみたいな媒体がむいているのか。

皆様にはお見せできないが、書きはじめても書き終わらない、たまっている未完の文章は、俺の思考の断片で、実は俺にとってはそれこそが宝の山だったりするのだ。

そんなわけで今日考えさせられた思いをふたつほど。

鳴いたカラスがもう笑う、ということわざは、実に的を射た適正な言葉であるな、と実感。
泣くが嫌さに笑って候、という開高健氏が多用した古諺も、人間の本能であるな、と実感。