3連休明けの火曜日。
火曜なのに月曜のような気分が抜けない。
月曜の意識で、なにげにテレビを観る。
・・・目当ての番組は、当然やってない。そりゃそうだ、火曜だもの。
こんな甘い錯覚、誰にでもあるでしょ?
火曜日。
そういえば、火曜日にもサザエさんがやっていた時期があった(急にどうした俺)。
おそらく本編(日曜日放送分)からは、3~5年落ちの再放送だったはずだが、日曜とは別のポップな主題歌が印象に残る。俺、サザエさん主題歌集のようなレコードも持ってたな。
しかも、北海道だけかも知れないが、番組提供は、おはぎでお馴染み「サザエ食品」だった。なかなかいいセンスじゃないか。今調べると、サザエさんの再放送は1997年までだったそうだ。・・・そうか、この枠が終了してもう17年も経つのか。
それと、大事なこと。
われわれ世代が、ものごころついた頃の磯野家の隣人は、「浜さん」だったはずだ!
浜さん。解説しよう。
家族構成は、画家のご主人と太った奥さん、ウキエさんのような娘(名前は失念した)と犬のジュリー。ジャングルのような豪華な浴室だった(記憶違いならスマン)。
そんな浜さん一家、俺が中学生の頃に、
太った奥さんの病気療養を理由に、唐突に空気のきれいな田舎に引っ越してしまった。それだけで十分衝撃なのに、この時期のチームサザエ、更に攻めてきた。浜家の転居と同時の回で、ノリスケ一家を名古屋に転勤させたのだ。
ノリスケ一家。これも解説しよう。
姓は波野。言わずと知れたノリスケ、タイコ、イクラの3人一家。ノリスケは出版社に勤務。大らかなキャラ。波平氏の甥っ子に当たる(波平氏の妹(ナギエ氏)の子)。
勝負に出たのか?サブキャラ一家の2枚替え。サッカー日本代表で言えば、内田、遠藤あたりの2枚替えに相当するくらいか。記憶が曖昧だが、同時期にミカワ屋の御用聞きの若者、三平さんまでも帰郷させているはずだ。これは、ハーフナーマイクか。しかし、サッカーはよく知らん。
サブキャラ大移動。
危うしサザエ王国、老舗を揺るがす大激震。
なぜにこうなったか。裏事情は知る由もない。
カツオやワカメはいつまで経っても進級できずにいる。制作陣は、せめて脇役のチェンジでマンネリ化への批判を避けようとしたのか?・・って、そもそもそんな批判があったのか知らないけどさ。まあ仮にそうだとしても、あまりに急展開なのは否めない。ハマ・ノリスケ・タイコ・イクラアウト。いったい何があったのだろう?
忘れもしない、この放送回の終盤、
イクラと離ればなれになることを知ったタラオが、サザエに「男の子は泣いちゃだめしゅか?」と弱々しく問いかける。マニアには涙なくしては見られない情景だ。
変わるのかサザエさん・・・
さよならをくりかえし君は大人になる。
やがて俺も・・・
うーむ、スタンドバイミー・・・
それを見終わった午後6時55分の俺の不安感ったら、まあなかった。
次回見るのよそう、と思ったほどだ。
しかし結局、ノリスケ一家は数ヵ月後、再度の転勤で東京に戻って来ることになる(浜さん一家は戻ってこなかった)。察するに、イクラなき週末、イクラを返せ!タイコを返せ!との多数の苦情があったのだろう。
それでも、ノリスケ一家の復帰に際し、制作陣は更に攻めている。
今では想像もつかない、驚くべき成長っぷりでイクラが派手な凱旋をしたのだ。まるで欧州ヘビー級王者で第1回IWGPに凱旋帰国した前田明(現 日明)氏のように。わからん人にはホントスマン。流してくれ。
なんと
「バブー」「ハーイ」「チャーン」の3語しかしゃべらぬイクラが、
突然、バンバンしゃべりはじめたのだ。
これは、もう革命だ。
再登場のイクラ、
「ぼくのー」「おいしー」「ぱぱー」なんかを、平気で口にしやがった。千原ジュニア氏なら「エーーーッ!」のリアクション必至の状況。
親にすれば、子の成長は喜ばしいことのはず。今後もどんどんしゃべるのか?
迷走するキャラ。揺らぐ老舗への信頼。
しかし、役回りを知り抜いた天才子役のごとく、
イクラはそこをピークとし、口数を減らしていった。
ソフトランディングの末、やがて3語しかしゃべらぬクラシカルスタイルに戻る。
俺は夢を見ていたのか?それとも、イクラ黒歴史なのか。
でも、結局言いたかったのは、
火曜の隣人は浜さんなのに、日曜の隣人は伊佐坂さん、って時期が、
けっこう長かったはずなのに、まったく記憶にないな、ということですわ。
んーがっうんう(もう、わかるひとだけでけっこうです)
2014年7月22日火曜日
2014年7月9日水曜日
人生はわからないものだ
以前にも書いたが、私は転勤族の倅であり、
過去に、何度も引越しを繰り返してきた。
引越しをするたび、生活環境が大きく変化し、
各地で仲良くなった友人たちや野球仲間、
かわいがってくれた恩師らと別れを繰り返すたび、
子供心に「これはなんだか理不尽なことだな」と感じていた。
けど、他方では
「まあ、この家に生まれて、腹いっぱいメシを食べさせてもらっている以上、これはこれでしょうがないな」とも割り切っていた。
私にしてみると、
親の加護の元に暮らしている子供風情のこの俺に、抗いようなどあるわけない、という感覚が、染み付いていたのだろう。
大きな志があったわけではなく、無論はっきりした夢なんてあるわけもない、
ただただ休日と、メシの時間が来るのを待っていた私が、
赴いた先々で引きこもりやイジメにあうことも、することもなく、
少年時代をうまくかいくぐってこれたのは、本当に運が良かった。
ただ、その作用なのか反作用なのか、
社会人として就職を決める際には、
職種云々ではなく「転勤のない職場」を一番の優先順位とした。
これをもっと細かく言えば、生活環境が大きく変化するような「引越しをしない」人生を選んだ、ということ。以来かれこれ20年が経っているが、これはよく覚えている。この意思だけは、相当固かった。
我々(いまの40代前半)は、
バブル経済が崩壊した直後に社会に投げ出された世代である。
企業間の勝ち負けは、すでについていたのだろうが、羽振りを利かせた有象無象が、ギリギリ一発逆転を狙いジタバタしていた時期でもある。不況にはなりつつあったが、採用枠は結構あったのではないだろうか?まったく就職活動をしなかった私にも、大手保険会社総合職の内定が2つあった。いずれも当時けっこう名のある会社だった。そのうちの1社は、大学の恩師に熱心にお世話いただいたのだが、全国規模の転勤がある、という一点で、そんなに悩みもせず、スパッとお断りさせていただいた。
ちなみに、私が内定をいただいたその2社は、現在では潰れたか、合併したかで跡形もなくなっている。人生でサイコロは振れないけど、そのレールに乗っていたらどんな人生だったのか?もしかしたら、もっと厚遇でノシていたのか?別の道に鞍替えしていたのか?そもそも俺は今も生存していたか?まさか拓銀が消滅するなんて誰も思っていなかっただろうし。ホント人生はわからない。
で、結局、
私は転勤のない職種を自ら求め、縁あって20年前に選んだ職場に、今もお世話になっている。
ところがだ・・・
いやはや、人生はわからないものだ(2回目)。
このたび、20年来住み慣れた我が家を引っ越すことになった。
引越し先は、約300メートル北上した場所である。ただ、この引越しは、生活エリアが大きく変動するものではないので、まあ少年時代のそれとは趣旨が違う。しかし、身辺が何かと騒がしい。新たな人生がはじまった気がする。
それにしても、荷物の移動って、ものすごく大変だ。
俺、引越し屋でバイトしてたんだけどなあ。
過去に、何度も引越しを繰り返してきた。
引越しをするたび、生活環境が大きく変化し、
各地で仲良くなった友人たちや野球仲間、
かわいがってくれた恩師らと別れを繰り返すたび、
子供心に「これはなんだか理不尽なことだな」と感じていた。
けど、他方では
「まあ、この家に生まれて、腹いっぱいメシを食べさせてもらっている以上、これはこれでしょうがないな」とも割り切っていた。
私にしてみると、
親の加護の元に暮らしている子供風情のこの俺に、抗いようなどあるわけない、という感覚が、染み付いていたのだろう。
大きな志があったわけではなく、無論はっきりした夢なんてあるわけもない、
ただただ休日と、メシの時間が来るのを待っていた私が、
赴いた先々で引きこもりやイジメにあうことも、することもなく、
少年時代をうまくかいくぐってこれたのは、本当に運が良かった。
ただ、その作用なのか反作用なのか、
社会人として就職を決める際には、
職種云々ではなく「転勤のない職場」を一番の優先順位とした。
これをもっと細かく言えば、生活環境が大きく変化するような「引越しをしない」人生を選んだ、ということ。以来かれこれ20年が経っているが、これはよく覚えている。この意思だけは、相当固かった。
我々(いまの40代前半)は、
バブル経済が崩壊した直後に社会に投げ出された世代である。
企業間の勝ち負けは、すでについていたのだろうが、羽振りを利かせた有象無象が、ギリギリ一発逆転を狙いジタバタしていた時期でもある。不況にはなりつつあったが、採用枠は結構あったのではないだろうか?まったく就職活動をしなかった私にも、大手保険会社総合職の内定が2つあった。いずれも当時けっこう名のある会社だった。そのうちの1社は、大学の恩師に熱心にお世話いただいたのだが、全国規模の転勤がある、という一点で、そんなに悩みもせず、スパッとお断りさせていただいた。
ちなみに、私が内定をいただいたその2社は、現在では潰れたか、合併したかで跡形もなくなっている。人生でサイコロは振れないけど、そのレールに乗っていたらどんな人生だったのか?もしかしたら、もっと厚遇でノシていたのか?別の道に鞍替えしていたのか?そもそも俺は今も生存していたか?まさか拓銀が消滅するなんて誰も思っていなかっただろうし。ホント人生はわからない。
で、結局、
私は転勤のない職種を自ら求め、縁あって20年前に選んだ職場に、今もお世話になっている。
ところがだ・・・
いやはや、人生はわからないものだ(2回目)。
このたび、20年来住み慣れた我が家を引っ越すことになった。
引越し先は、約300メートル北上した場所である。ただ、この引越しは、生活エリアが大きく変動するものではないので、まあ少年時代のそれとは趣旨が違う。しかし、身辺が何かと騒がしい。新たな人生がはじまった気がする。
それにしても、荷物の移動って、ものすごく大変だ。
俺、引越し屋でバイトしてたんだけどなあ。
2014年7月1日火曜日
7月がきた。
今日から7月。
先月はあまり更新がかなわなかった。
自分でも予想外の結果だ(そのぶん今回は多少長めに書いてみようか)。
その陰で、先月は、
おそらく私の人生の中でも屈指の、相当に稀な経験をしたようだ。
自分で言いながら「したようだ」という表現は変な話だが、
まだ俯瞰的に捉えられるほど時間が経過していないので、
たぶん、今の手ごたえだと、そういうことになりそうだ、
という曖昧な書き方になるんだわな。仕方ない。
その稀な経験にあいまって、6月はロングドライブが続いた。
理由はいろいろあるのだが、
総じてどの場面でも、成り行き上、流転せざるを得なかった、というのがピッタリくるか。
いや、どうだ?
そうなるのか?
・・・そうなるな。
これまたうまく説明できないが、まあそういうことなのだ。
稀な経験というわりに核心に触れずに書くというモドかしさ。スマン。
結局、
ロングドライブのほうは、居住する北のマチを起点として、
3週間で1,200キロほどの走行距離だった。
ガッチガチのデスクワークが、私の日常である。
出勤にクルマは使わない。
勤務中にもクルマにはほとんど乗らない。
掛け捨ての自動車保険では年間走行距離が5,000キロ以内なものだから、割引特約が付いちゃうような生活である。
プロの運送業の方々からすれば笑っちゃうような距離なんだろうが、こんなに一時期に集中してクルマを運転するのは、人生で初。
で、
もうどうでもいいか、
なんて気分になって、
6月28日(土)
全くのガチ観光目的で
羽幌町の「はぼろ甘エビまつり」に行ってきた。
本来、出不精の俺。この辺の心理状態は今もって自分でも不明。
たぶん底流には、流転するよりドンドン攻めろ、って開き直りがあったんだろうな。
確かなのは、往復で300キロ以上のドライブだった、ということね。
朝6時半に出発し、オロロンラインを北上。海沿いの一本道で、5台以上先を走る優良ドライバーの模範運転に阻まれ、ノロノロと3時間以上かけて、港の駐車場に到着。そこからシャトルバスに乗りかえて会場へ赴いたのだが、すでに場内は長蛇の列。そんなに甘エビ好きなの?ってくらいの熱気が怖い。
で、何を売っているのか知らないけど(趣旨を考えれば普通に甘エビ売ってるんだろうけど)、列をみると並びたくなるものだから、とりあえずよくわからんうちにそこに加わり、小一時間並び続け、高いのか安いのか判断がつかないまま、気がつくと2キロの甘エビと1キロの特大甘エビを購入していた。発泡スチロールが予想以上にデカイのな。ちょっと躊躇するくらいの大きさ。
しかし、十分に満足し、出店ブースのほうに異動する。
ステージでは我々の時代でいう「ゴレンジャー」みたいなキャラクターショーの真っ最中で、なにやらワーワーやっていた。俺も幼少のみぎり、釧路スカイランドにジャッカー電撃隊を見に行き、青いダイヤのジャックと写真撮ったことを思い出す。ポラロイド写真に収まった俺は、残念ながら目をつぶっていたっけ。
芝の上を風がサーっと吹いて、実にいい天気。
すこぶるいい気分。
広い会場には食べ物ブースがいっぱいあって、昼食がてらチョロチョロして食べてみる。
この雰囲気なら、何食っても美味い、って感じだけど、
エビダシたっぷりのおこげスープカレー(CMで見たことのある有名店の店主がサーブしてくれた)
エビエキス濃厚なソースでからめたパスタ
エビダシタップリのエビ味噌ラーメン
エビに関係ないけどウニ汁
を次々と撃破。どれももう一杯!といいたいくらいの出来栄え。美味かった!
先月はあまり更新がかなわなかった。
自分でも予想外の結果だ(そのぶん今回は多少長めに書いてみようか)。
その陰で、先月は、
おそらく私の人生の中でも屈指の、相当に稀な経験をしたようだ。
自分で言いながら「したようだ」という表現は変な話だが、
まだ俯瞰的に捉えられるほど時間が経過していないので、
たぶん、今の手ごたえだと、そういうことになりそうだ、
という曖昧な書き方になるんだわな。仕方ない。
その稀な経験にあいまって、6月はロングドライブが続いた。
理由はいろいろあるのだが、
総じてどの場面でも、成り行き上、流転せざるを得なかった、というのがピッタリくるか。
いや、どうだ?
そうなるのか?
・・・そうなるな。
これまたうまく説明できないが、まあそういうことなのだ。
稀な経験というわりに核心に触れずに書くというモドかしさ。スマン。
結局、
ロングドライブのほうは、居住する北のマチを起点として、
3週間で1,200キロほどの走行距離だった。
ガッチガチのデスクワークが、私の日常である。
出勤にクルマは使わない。
勤務中にもクルマにはほとんど乗らない。
掛け捨ての自動車保険では年間走行距離が5,000キロ以内なものだから、割引特約が付いちゃうような生活である。
プロの運送業の方々からすれば笑っちゃうような距離なんだろうが、こんなに一時期に集中してクルマを運転するのは、人生で初。
で、
もうどうでもいいか、
なんて気分になって、
6月28日(土)
全くのガチ観光目的で
羽幌町の「はぼろ甘エビまつり」に行ってきた。
本来、出不精の俺。この辺の心理状態は今もって自分でも不明。
たぶん底流には、流転するよりドンドン攻めろ、って開き直りがあったんだろうな。
確かなのは、往復で300キロ以上のドライブだった、ということね。
朝6時半に出発し、オロロンラインを北上。海沿いの一本道で、5台以上先を走る優良ドライバーの模範運転に阻まれ、ノロノロと3時間以上かけて、港の駐車場に到着。そこからシャトルバスに乗りかえて会場へ赴いたのだが、すでに場内は長蛇の列。そんなに甘エビ好きなの?ってくらいの熱気が怖い。
で、何を売っているのか知らないけど(趣旨を考えれば普通に甘エビ売ってるんだろうけど)、列をみると並びたくなるものだから、とりあえずよくわからんうちにそこに加わり、小一時間並び続け、高いのか安いのか判断がつかないまま、気がつくと2キロの甘エビと1キロの特大甘エビを購入していた。発泡スチロールが予想以上にデカイのな。ちょっと躊躇するくらいの大きさ。
しかし、十分に満足し、出店ブースのほうに異動する。
ステージでは我々の時代でいう「ゴレンジャー」みたいなキャラクターショーの真っ最中で、なにやらワーワーやっていた。俺も幼少のみぎり、釧路スカイランドにジャッカー電撃隊を見に行き、青いダイヤのジャックと写真撮ったことを思い出す。ポラロイド写真に収まった俺は、残念ながら目をつぶっていたっけ。
芝の上を風がサーっと吹いて、実にいい天気。
すこぶるいい気分。
広い会場には食べ物ブースがいっぱいあって、昼食がてらチョロチョロして食べてみる。
この雰囲気なら、何食っても美味い、って感じだけど、
エビダシたっぷりのおこげスープカレー(CMで見たことのある有名店の店主がサーブしてくれた)
エビエキス濃厚なソースでからめたパスタ
エビダシタップリのエビ味噌ラーメン
エビに関係ないけどウニ汁
を次々と撃破。どれももう一杯!といいたいくらいの出来栄え。美味かった!
帰宅後、
発泡スチロールを開けて海老さまとご対面したが、1キロというのは、100匹~130匹くらいのようだ。途中で数えるのを断念したから正確さに欠けるけど、おおむねそんな感じだったかな。
夜はエビ刺身&ビール。
めずらしくビール呑んじゃった。
発泡スチロールを開けて海老さまとご対面したが、1キロというのは、100匹~130匹くらいのようだ。途中で数えるのを断念したから正確さに欠けるけど、おおむねそんな感じだったかな。
夜はエビ刺身&ビール。
めずらしくビール呑んじゃった。
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