2013年6月13日木曜日

あさ、はやい。

夏至が近づく頃は、夜明けが異様に早い。
午前4時台には、カーテン越しに明るさを感じる。ちょっと窓を開けてみる。空気が冷たい。

せわしい生活が続いているが、こうやって、あけない夜はない、という自然の摂理を目の当たりにしていると、ダラダラでもチョロチョロでも、今の生活をやっていくしかないと、ぼんやり考えている。

以前にも書いたことがあるが、大きな選挙があると、私が糊している業界は玉突き事故を受けた六台目の車両くらいの微妙な関わりで、商いが忙しくなる。

この七月には、参議院選挙が行われる。
昨年末の民主党が下野した衆議選以来の国政選挙だ。あれから、たかだか半年しか経っていないのに、政界の風景は一変したようだ。

そして、極めて私的なことでいうと、
この間で大きく変わったのは、ひともんちゃくあって、新聞をやめたこと。

不便を感じない、この感覚は新鮮だ。
コンビニでスポーツ新聞と牛乳を買ってこようか。

2013年6月6日木曜日

YOSAKOIソーランがはじまる

ボケーっと暮らしていると、
いつの間にか緑が鮮やかになり、
会社での装いが、クールビズ仕様になっていた。

そして、今年も
YOSAKOIソーランまつり、という極めて不思議なイベントの季節となった。

私などは、このイベントの存在をかねてより不思議に思っていて、
また、そういう思いの同志は、けっこう多いとニラんでいるのだが、
10年以上続いているイベントでありながら、結局のところ、何だろこれ?という単純な思いが拭えずにいる。ホント毎回思っている。これを自己分析すると、言い方が難しいが、結局は審査基準の曖昧さと、強引に取り繕った格式、に起因するようだ。伝わりにくくてスマン。書きようがない。

ただ、
ワイワイガヤガヤと盛り上がるのは大変好ましいと感じているし、演舞?演技?を観ればホーッと関心もする。
その上で、批判ではないが、
だから何なんだ?なのである。イキリ立ったダミ声の先に、一体何があるのだろう?

世の中に、男と女がいるように、
このイベントにも、参加している人と参加していない人がいて、私は参加していない人のほうに属している。これは間違いない。それでも、イベントに参加していないとはいいながら、規模が大きくなるにつれ、こちらの意思に関係なく、生活の中で明らかに巻き込まれている状況がある。これも間違いない。

この巻き込まれ度合いは、年々大きくなってきているようにみえて、実は運営が安定し、一定程度の規模になってからは、逓減しているようでもある。かといって、参加していない人にとって、ノーストレスであるわけでは決してない。

かれこれ10数年、何かとこのイベントに巻き込まれるたびに、初夏の風物詩、なんていう耳触りの良い言葉に置き換えて納得している自分がいる。その上で、イベントのお仕着せっぷりは、正直どうなのよ、と感じている自分もいたりする。結局、俺は何を言いたいんだろう?潜在的に我慢してるのか俺。結局、根っこではこのイベントを嫌っているのか俺。

ま、やる以上、トラブルのなきよう、楽しくやってください。
熱中症には注意してね。