2016年5月22日日曜日

札幌ラーメンショー2016

昨日は夏のような陽射しだった。

そんな暑い中、野外で熱いラーメンをすすってきた。

札幌ラーメンショー2016

詳細をよく調べずに会場の大通公園に行ってみたら、五丁目あたりから他イベントがやっていて、六、七丁目あたりにもラーメンじゃない多種な食べものブースが乱立し、びっしりの人列。

遠くで聞こえるブラバンの演奏は、なぜか銭形平次の主題歌。

無意識で
🎶はなのお江戸はハッピャクヤチョオ〜ウオウ

などと口ずさんでしまった。
恥ずかしい。

結局、ラーメンショーは八丁目でやっていた。チケット制とのことで、まずはチケット売り場の長蛇の列に並び、一枚800円のチケットを三枚買ってみた。

チラシによれば、全国から名店とおぼしきラーメン屋さんが多数出店しているのだという。

何となく、食指の動いたブースの列に並び、ラーメンを受け取る、食べるスペースに行きズルズルすする、を三回繰り返す。

お祭りみたいなもんだから、美味い不味いはコメントしないが、あれで800円は、総じて高いなぁ。

ごちそうさまでした。
汗ダク。



2016年5月21日土曜日

2016オークスを予想する

競馬ファンには、たまらない季節をむかえている。俺は家庭の事情で没頭することがかなわないが、ファンの皆さん、どうか楽しんでください。

しかし、俺も買わないわけではない。こう買うつもりだ。しかも、家庭にはさとられずコッソリとだ。

狙うのは、ここが最適コースのはずの9番ウインファビラス号。安定性がなくムラがありすぎて、人気がまったくない。しかし、アタマはないが馬券圏内なら十分アリだろう。俺が買うのはワイド馬券。

3-9をコッテリ厚く買い、9-12なんかもイタズラで買ってみる。さらには3,9を軸にして三連単もうすーく狙う。

今週オークス、来週ダービー。
あーあ、いっぱい買いてえなぁ。


2016年5月18日水曜日

美味いもの2

ソフトクリーム。
俺は好きだなぁ。

そもそもこいつらは、冷たくて甘いんだから、その出自だけで十分美味いに決まっている。暑い夏ならば尚更のことだ。

しかし、美味いなかにも更に美味いものがあったりするから困ってしまう。みんな冷たさは同じだろうから、コクとか甘さの加減とか舌触りとか、決定打はわからんが、とにかく何かが違うんだろうな。

ロイズのソフトクリーム。
また食べに行こうかな。いっぺんにいくつも食べるものではないけどね。

2016年5月16日月曜日

岩見沢のソウルフード

数ヶ月前、何がキッカケだったか忘れたが、
友人Aに突如
「岩見沢のソウルフードは『かまだ屋』さんである!」
と断言されたことがある。

その後、別の岩見沢に詳しい知人Bに尋ねたところ、
「かまだ屋さんは安くて早い!」
との情報がもたらされた。なぜか美味いとは言わなかった。

さらに
「岩見沢のソウルフードと問われて『焼き鳥の三船』といわなかったAは、粋人である」
との人物評価がなされ、

「一度語り合いたいものだ」とも言った。
なんのことはない、Bは酔っ払っていたのである。

その言葉が突然よみがえり、
あまり得意な地域ではなかったが、過日俺も「かまだ屋さん」に行ってきた。


確かに早いわ安いわ。ワンサカ人がいました。
あと、「さん」付けで呼ぶのは、マルイさんみたいなものなのかね?
水色のデコラ張り(でいいのか?)のテーブルが鮮やかでした。

ごちそうさまでした。


  天ぷらそば310円 ライス100円


  完食。入店から退席まで実に6分の出来事だった。

2016年5月12日木曜日

太平洋スカイランド

このごろ、眠りが浅いせいか、
過去の記憶が、変テコにつながった短い夢をみる。
たとえば、昨日見た夢(憶えている限りでは2本立て)は、


会社に勤務しているはずの大人の俺が、
今も隠れてヤマシイ気持ちで大学に通いつづけ、
卒業していないのがバレぬかビクビクしている、といったもの。


これは、眠っていても途中で夢だと気づくのだが、
ビクビクした気持ちは、ずっとビクビクしっぱなしで、休息のために寝てるはずなのに、非常に身体にワルイ。


また、同じようなパターンで、
採用試験に落ちたのに平然と会社に出社してビクビク、というのもある。


傾向として、これらの夢を見るのは、総じて俺自身の体調が良くないときのようだ。


そして、昨日見た夢のもう1本は、
K市に住んでいたころの友人と、O市に住んでいたころの友人が、その頃の姿のままで今の俺のところにやってきて、K市に住んでいた頃に通っていたスイミング教室に行く、というもの。登場人物も時制もねじれていて、明らかにおかしいんだけど、夢の中では真剣なんだよな。


今日は、そのスイミング教室を懐古するハナシを書いてみる。


K市に住んでいた頃(小3の夏休みまで)、
俺はバスの停留所でいうと、家から7つくらい先にあったスイミングプールの教室に通っていた。そういえば、このブログに出てきたパン屋のT君も一緒に通っていた。コーチは、フルヤさんという方だったはずだ。目がぐりっとして、ちょっと外人っぽくて小太りで、ビート板で水をバンバン叩く緑色の水着のおっかない人だった。とにかく威圧的な感じで、ホントにおっかない人だったから、子供ごころに常時ペコペコしてた気がする。


で、あのとき通ってたプール、いまはどうなっているのか?
カタカタと調べた結果、意外とアッサリ判明した。

そのプールは、昭和45年に釧路市にオープンした太平洋スカイランドというレジャー施説の中にあった温水プールだった。さっきまでのK市という伏字の意味は、すでにもうないけど、とりあえず置いといて、先に進めますね。


太平洋スカイランド・・・そう、当ブログでぶっちぎりの閲覧数を誇る故ミスターデーブマン氏を追悼した回にも、ちょっと出てきた、あの施設である。http://smilebabyohbaby.blogspot.jp/2013/01/blog-post_28.html

ネット情報によれば、
太平洋スカイランドは、昭和40年代に当時地元の一大勢力だったT炭磺の福利厚生施設として建設されたようだ。無論、フクリコーセーなんていう小難しいことを当時の俺が知る由はない。俺にとってのスカイランドは、単純に小高い山の上にある、何でも揃っている円筒状の憧れの施設、っていう感じだった。俺は、そこへ数年のあいだ、週に何度かのスイミング教室と、週末には父親のクルマで遊びに行ったのだ。のちに聞くと、親父は当時30代半ばで、糖尿の気があり、必死のプール運動で、病気に抗っていたらしい。


そして、俺の記憶にあるスカイランドは、
らせん状の円筒の建物(本館?)にレストラン、謎の色つき噴水と、石炭のデカイやつ、いびつにデカク見える姿見鏡、通路でつながったプール、大浴場、のちに増設されたゲームコーナー、といった感じで、けっこうなジイサンたちが風呂に浸かっていたのも憶えている。活気があった。


プールに通うために、シーズン券といわれる定期券みたいなパスを買い、奥まった左手の受付窓口のババアにそいつをチャッとみせて、消毒の塩素の匂いと水気を含んだウッドデッキが気持ち悪い脱衣場に向かう。今となっては定かではないが、山に建っていた地勢のせいか、プールへ行くにはずいぶん下っていく階段があったような気もする。厚手のドアを開けると、左手には楕円状の滑り台がついた子供用の浅いプールが、そして右奥には6コースくらいある25Mのプールがあった。その向こうに怪しいオレンジ色のガラス板でおおわれた休憩救護室があった。こう書いてみると意外と憶えているもんだな。


また、これらの施設からは少し離れた、奥まったところに、ボーリング場があって、本館に向かう小高い山の中腹には、ホテルなんかも建っていた。幼少のみぎり、俺はそこのホテルに泊まり、オダってキッチリと大量のオネショをして、布団をダメにしてしまったことがあった。あのとき、両親はどんな後始末をしたのだろう?都合よく、そこは憶えていない。不思議と怒られた覚えもない。もしかして、バックレたのか?両親よ!


で、ネットでずいぶんと画像を検索してみたが、当時の様子を思い起こすものは、残念ながら少量しか発見できなかった。

現在、スカイランド自体はとっくに営業しておらず、取り残された一連の廃墟も数年前にキレイに解体されたらしい。いえた立場じゃないが、なんだかとても残念だ。栄枯盛衰。スカイランドを懐古する同好の士よ、往時の盛況ぶりを偲ぶ画像群はないものか?

まあたぶん、こんな思い出を共有している人も希少だろうし、そもそも、そういった人にしても、懐古するニーズがないのか。

ただ、俺は見てみたいけどねぇ。夢に出るくらいなんだから。

2016年5月9日月曜日

救急車に乗った話

ようやく落ち着いたので、過日の息子のアクシデントを記録しておく。


4月26日火曜日、俺がかかえていた前日までの大きな仕事がようやく終わり、そろそろ帰るか、というタイミングで、家人が取り乱して電話をかけてきた。ここ2日くらい原因不明の高熱が続いていた息子が、いきなり痙攣を起こし、一瞬気を失ったというのだ。家人はあわてて119番をしたという。とにかく取り乱している。まずは君が落ち着きなさい。


俺も急いで家に駆けつけると、時を同じくしてサイレンを鳴らして別方向から救急車もシンクロして到着した。オタオタした家人と、抱きかかえられてグッタリした息子が玄関から出てきた。俺は家に入ることなく、そのまま一緒に救急車に乗り込んで、救急隊員と一緒に家人の説明を聴く。ところがパニックで、要領を得ない。


替わりに俺がここ数日の息子の様子を隊員に説明する。
23日の土曜に39度の熱が出て病院に行き、あらゆる検査をしたが原因不明といわれた。
24日の日曜には熱が下がって、家の中で元気にしていた。
25日の月曜も元気だったので保育園に連れて行ったが、17時頃に発熱したとの連絡を受けて、夜間病院に連れて行った。検査結果は、やはり原因不明だった。
以降、さきほどまで熱が下がらず、座薬を差して対処していた(らしい)。


息子はずっと苦しそうにウーウーと呻っている。身体を硬直させて、視点が定まらない。そのうち、隊員が、酸素が足りない、などと言いはじめて、小さい顔にマスクなんかをつけ、見るからに大仰なことになってきた。隊員は俺らを安心させるためか、大丈夫ですが念のため、なんて軽く言ってるけど、そんなの見せられたら、こっちもアセるって。救急車は、どこかに無線で連絡を入れながら受け入れ先の病院を探し、サイレンを鳴らして走り、20分くらいかっ飛ばして、病院に到着した。外は見えなかったが、相当数の交差点を、赤信号でぶっちぎったものと思われる。


静かな診察室で、息子も家人も落ち着きを取り戻し、息子はようやく視点も定まるようになってきた。医師は状況を念入りに確認し、こののち検査をいくつかしたのち、判断することにしましょう、と言った。まあ、的確な状況判断だろう。もう、お任せするしかない。


泣きわめく検査をされた20分後、息子はアデノウィルスにキッチリ罹っているとの診断を受けた。ただし特効薬はなく、通常であれば5日程度高熱が続くという。熱が上がりすぎたら、座薬の解熱剤で対処し、つらいけど見守ることしかできないのだという。痙攣したのは、熱性痙攣というやつで、初見ではアセって当たり前だが、そんなに怖いものではないとの説明も受けた。要は、よく観察して経過を見守ることが肝要のようだ。とりあえず、原因がわかってよかった。


それと併せて、23日にも25日にも病院で検査してるんだぞ、と柔らかく投げかけてみたが、この種の発熱は、罹患直後に検査しても陰性となることが多く、すでに25日には罹っていたのだろうけど、出なかったんじゃないか?という見立てだった。(23日に発熱は、別の原因なのでは?とのことだった。じゃあ何だったのだろう?)


とにかく、あれから2週間ほどが経過した。
おかげさまで、息子は完全に回復し、以前にも増してイタズラ泣き虫坊主になった。
健康は、本当にありがたい。


それにしても、おそるべし、アデノウィルス。
皆さまも十分にご留意のほど。