今朝、なにげに新聞を見ていたら、どうでもいい社会面の記事の中に、知人(仮にAさんとしておく)の名前を見つけてしまった。
「見つけてしまった」という書き方は、すでに喜ばしい記事ではないことを行間に滲ませているが、事実、その記事は誠に残念な内容だった。
Aさんは、10年以上も前に仕事の関係でとてもお世話になった方で、いまも私が勤めている業界の奥深さ、幅広さ、ものの考え方の要諦などを約1年ほどかけて教えてくれた恩人の一人である。立ち振る舞いがとても個性的で、ブレない人だった。
社会には、
言葉は多少悪いが「おそらく出世はしないだろうが、キモはキッチリおさえている」タイプの才人がいるが、その頃、経験の浅かった私にとって、Aさんはまさにその筆頭であり、すべからく異質であり、明晰な思考(に見えた)には、ちょっとした畏れすらいだいていた。周りの評判もそんな感じで、Aさんがサーッと動くと、大抵のものごとは解決されていった。知を武器にしてサラリー以上は十分に貢献している、だから自らの個性への介入は許さない、私生活はほっといてくれ、と背中で語るような人だった。
そんな出会いから時間は経ち、濃密な約1年を過ごして以降、Aさんに会うことは2~3年に一度の割合になっていた。最後に会ったのは、たしか昨年の夏頃だったと思う。私がAさんの職場を訪ねて、5分程度会話をした。なんだかとても青白い顔をしていた。その事務所はクールビズ仕様になっていて、周りも軽装でいたのだが、Aさんは軽装というよりは、それをはるかに超えた、夜中にコンビニに行く若者のような場違いな色のポロシャツを着込んでいた。青白い顔色に派手なポロシャツの色。何か気ぜわしい、職場には似つかわしくない、物騒な感じがした。
記事によると、どうやらAさんは一般常識を超えて、色々とシデかしたらしい。
昨夏に訪ねた事務所でAさんに会うことは、もうないだろう。
たとえば、雑踏の街で、Aさんと不意にすれちがったら、私は声を掛けることができるのか。
いまの私には、明確な答えが見つからない。
2013年2月25日月曜日
どこ行った鼻パット
四日前の朝の出来事である。
シャワーを浴び、浴室から出て、メガネをかけたら、視界に微妙な違和感がある。
視野がボヤけているような気はするけど、そのために動作を止めることもない、ほっといても構わない、という程度の違和感。原因不明で繊細な、ちょっとだけ気になる違和感。
そんな状態で仕事に行く準備をしていたら、違和感の原因に気が付いた。
メガネの鼻パット(右側)が失せていたのである。角度によって、まるでフレームが刺さったかのように鼻が痛いのである。
視野がボヤけていたのは、眼球とレンズのバランスが鼻パット一枚分、正確に歪んでいたからなのだろう。人体とは大したもんだ。特に私は、近視レンズの度がキツイ。ちょっとしたバランスの狂いは、ボディブローを受け続けた六ラウンド目のボクサーのように、ジワジワ確実に効いてくる。
それにしても、昨年の秋に新調したメガネである。このとき初めて、レンズに乱視も入れたのである。ここ数日、特に荒っぽいことをしたわけでも、自分で踏んづけたことも、他人に踏んづけられたこともない、昨日までは確かについていた(はずの)鼻パット。狭い部屋の中で、いったいどこに行ったのか?しかも右だけロストって・・・
とにかく鼻が痛いので、このままかけ続ける訳にはいかず、急いで以前に使っていたメガネを探す。しまってある四個ほどのメガネケースを開けてみるが、なぜか先々代(2代前)のメガネしか見当たらない。時間もないので、仕方なくそれにお出ましねがい、出掛けることにする。
ところが、感覚の違和感というか、これが妙なもので、歩いていると身長が段々と縮んでくるような錯覚に襲われる。自分が縮んだのか、大地が迫ってきたのか、まあどっちでもないことはわかっているんだけれど、歩きにくいことこの上ない。パソコン打つのも、書類読むのも、焦点がおかしい。所詮、人間なんて、もろいもんだ。
それから2日間、先々代が頑張ってくれて、かつての相棒としてリズムを取り戻し急場を凌いでくれたが、昨日メガネ屋さんに行って、無料で鼻パット交換をしてもらった。しかし、なんだか眼のほうが、どこを基調として焦点を合わせればいいものか悩んでいるようにも思う。いまも視力の塩梅が定まらない。
秋に買ったメガネ屋さんをあげつらうのは、こんな小さなブログでも営業妨害になりかねないから、小心者の私は店名を伏せる(基本的に私は一期一会のメガネ屋遍歴である)が、無料で鼻パットを交換してくれ、レンズ清掃までしてくれた富士メガネ狸小路本店さん、ありがとうございました。大変助かりました。
シャワーを浴び、浴室から出て、メガネをかけたら、視界に微妙な違和感がある。
視野がボヤけているような気はするけど、そのために動作を止めることもない、ほっといても構わない、という程度の違和感。原因不明で繊細な、ちょっとだけ気になる違和感。
そんな状態で仕事に行く準備をしていたら、違和感の原因に気が付いた。
メガネの鼻パット(右側)が失せていたのである。角度によって、まるでフレームが刺さったかのように鼻が痛いのである。
視野がボヤけていたのは、眼球とレンズのバランスが鼻パット一枚分、正確に歪んでいたからなのだろう。人体とは大したもんだ。特に私は、近視レンズの度がキツイ。ちょっとしたバランスの狂いは、ボディブローを受け続けた六ラウンド目のボクサーのように、ジワジワ確実に効いてくる。
それにしても、昨年の秋に新調したメガネである。このとき初めて、レンズに乱視も入れたのである。ここ数日、特に荒っぽいことをしたわけでも、自分で踏んづけたことも、他人に踏んづけられたこともない、昨日までは確かについていた(はずの)鼻パット。狭い部屋の中で、いったいどこに行ったのか?しかも右だけロストって・・・
とにかく鼻が痛いので、このままかけ続ける訳にはいかず、急いで以前に使っていたメガネを探す。しまってある四個ほどのメガネケースを開けてみるが、なぜか先々代(2代前)のメガネしか見当たらない。時間もないので、仕方なくそれにお出ましねがい、出掛けることにする。
ところが、感覚の違和感というか、これが妙なもので、歩いていると身長が段々と縮んでくるような錯覚に襲われる。自分が縮んだのか、大地が迫ってきたのか、まあどっちでもないことはわかっているんだけれど、歩きにくいことこの上ない。パソコン打つのも、書類読むのも、焦点がおかしい。所詮、人間なんて、もろいもんだ。
それから2日間、先々代が頑張ってくれて、かつての相棒としてリズムを取り戻し急場を凌いでくれたが、昨日メガネ屋さんに行って、無料で鼻パット交換をしてもらった。しかし、なんだか眼のほうが、どこを基調として焦点を合わせればいいものか悩んでいるようにも思う。いまも視力の塩梅が定まらない。
秋に買ったメガネ屋さんをあげつらうのは、こんな小さなブログでも営業妨害になりかねないから、小心者の私は店名を伏せる(基本的に私は一期一会のメガネ屋遍歴である)が、無料で鼻パットを交換してくれ、レンズ清掃までしてくれた富士メガネ狸小路本店さん、ありがとうございました。大変助かりました。
2013年2月18日月曜日
お久しぶりね
ずいぶんと更新が空いた。
この10日間ほど、業務なんだけどルーチンではない不如意な案件や相談事がいくつか入り、どうにも解決策が浮かばず、頭を悩ませていた。会社内の他部の上役と、いかにも解ったようで解らないリアル禅問答のような受け答えを繰り返し、凡人(私のことです)には結局理解不能な結果を招いたり、良かれと思って調整したことがまったくの裏目に出たり、とにかくうまいこと進まない事案をたてつづけに引いてしまった。
また、家に帰り、ディーガ君が録りためてくれたアメトークの「北斗の拳芸人」を気が付くと3度も見ていたり、逆にアメトークの「カメラ芸人」を見ることなく消してしまったり、ボタン一つの操作にも甘くなっている自分の姿にあきれてしまった(情熱大陸でも似たようなことをしてしまった)。
そんな状況で、ブログのほうも考えがまとまらぬうちに、いくつかのネタを書いては消し、消しては書きを繰り返し、結局アップするには至らなかった(しかしこの間にも、故ミスターデーブマン氏との邂逅劇を書いた日のカウンターだけがゴリゴリと上昇を続けているのは、なぜなんだろう?)。
書いては消し、を繰り返したネタは、多分日の目を見ないだろうからお題だけあげていくと、主に格闘技系の話である。
全日本女子柔道部監督が体罰を認め辞任した話、五輪2連覇の柔道選手が変態エロ小説以上の行為で実刑判決を受けた話、いまさらハンスナイマン対鈴木みのる戦?という話、五輪からレスリングが除外されそうな話、桜庭が中村に負けた試合をHTBがなかなか放送してくれない話、などなど。関根勤氏にはかなわないだろうが、ツラツラあげると私も格闘技好きなんだな、と思う。
考えがまとまらなかった(というより、カーソルが打てなくなった)のは、
どれもこれも、何を書いても「俺は結局、堕ちていく人やオロオロする人を安全なエリアから見たいだけなのでは?」という疑問にぶつかったことに尽きる。しずかちゃんのお父さんがのび太君を(急にドラえもんの話だ)「他人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことのできる人物」(のび太の結婚前夜)として評価していることを思いかえし、実は俺は一番大事なことを忘れてしまっているなぁ、品がないなぁ、と思えてしまったのである。
これは単に、忙しいときに陥る一時的なネガティブでかつ感傷的な思いなのかもしれない。
疲れているのか?俺。
この10日間ほど、業務なんだけどルーチンではない不如意な案件や相談事がいくつか入り、どうにも解決策が浮かばず、頭を悩ませていた。会社内の他部の上役と、いかにも解ったようで解らないリアル禅問答のような受け答えを繰り返し、凡人(私のことです)には結局理解不能な結果を招いたり、良かれと思って調整したことがまったくの裏目に出たり、とにかくうまいこと進まない事案をたてつづけに引いてしまった。
また、家に帰り、ディーガ君が録りためてくれたアメトークの「北斗の拳芸人」を気が付くと3度も見ていたり、逆にアメトークの「カメラ芸人」を見ることなく消してしまったり、ボタン一つの操作にも甘くなっている自分の姿にあきれてしまった(情熱大陸でも似たようなことをしてしまった)。
そんな状況で、ブログのほうも考えがまとまらぬうちに、いくつかのネタを書いては消し、消しては書きを繰り返し、結局アップするには至らなかった(しかしこの間にも、故ミスターデーブマン氏との邂逅劇を書いた日のカウンターだけがゴリゴリと上昇を続けているのは、なぜなんだろう?)。
書いては消し、を繰り返したネタは、多分日の目を見ないだろうからお題だけあげていくと、主に格闘技系の話である。
全日本女子柔道部監督が体罰を認め辞任した話、五輪2連覇の柔道選手が変態エロ小説以上の行為で実刑判決を受けた話、いまさらハンスナイマン対鈴木みのる戦?という話、五輪からレスリングが除外されそうな話、桜庭が中村に負けた試合をHTBがなかなか放送してくれない話、などなど。関根勤氏にはかなわないだろうが、ツラツラあげると私も格闘技好きなんだな、と思う。
考えがまとまらなかった(というより、カーソルが打てなくなった)のは、
どれもこれも、何を書いても「俺は結局、堕ちていく人やオロオロする人を安全なエリアから見たいだけなのでは?」という疑問にぶつかったことに尽きる。しずかちゃんのお父さんがのび太君を(急にドラえもんの話だ)「他人の幸せを願い、他人の不幸を悲しむことのできる人物」(のび太の結婚前夜)として評価していることを思いかえし、実は俺は一番大事なことを忘れてしまっているなぁ、品がないなぁ、と思えてしまったのである。
これは単に、忙しいときに陥る一時的なネガティブでかつ感傷的な思いなのかもしれない。
疲れているのか?俺。
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