2012年7月26日木曜日

だいたい1か月

ブログを始めてから、約一カ月が経つ。

日常生活の中で、
「こんなの始めました」と私のほうからブログの存在をカミングアウトした相手は、わずかに二人だけである(旅仲間のY氏と同好の先輩A氏)。今後もこの極端なクローズ度合いが激変することはないと思うが、よしなしことをダラダラと書きつけていきたい。

ただ、こんなマイナーブログでも、冗談抜きで世界各国から不特定多数の方々の訪問を受けているらしい(ブロガーの機能で、どこから訪問をうけたのか、国別データが見られる。単に経由地なのかもしれない。一部英語だからよくわからん)。

そういう方々がどうやってこちらにたどりついたのか、まことに不思議であるが、なんであれ、縁があってこんな文章をお読みいただいている、まだ見ぬ国内外の方々にはお礼申し上げたい(けど、ホント不思議だね。どうやってたどりついたのかね?)。

4年前、このブログをやろうと考えて、ガリガリと設定をしたが、その思いは束の間でしぼんでしまい、以来ズーッと放置していた。そんなことを初回にも書いたが、そもそもなぜ4年前に一瞬でもブログを始めようと思い至ったのかを記していなかった。

その頃、私は一度死んでいた。

言い回しが適切ではないけれど、当時私は、死の可能性が極めて高い病気にかかり、治療のため半年入院した。聞いただけで誰もがヒクような病名を主治医にアッサリ告げられたとき、大げさではなく、あ、俺死んだな、と思った。

ただ、そうは思ったけど、そんな後ろむきなことばかり考えても仕方がないので、キビシイ治療が予定される戦いだけど、やるだけやってみようと思い直した。半年が過ぎた。

おかげで、毛が抜けたり、ゲーゲー吐いたり、それ以外にも諸々とてもツライ戦いばかりであったけど、周囲の手厚い助けを受けて、なんとか無事に生還できた。今でも定期検査は欠かせないが、幸いにして病気再発の兆候はみられない。けど、なんだかここら辺りの闘病生活は、冷静さを欠きそうで、これだけ年月が経っているのに、まだ上手く書けないな。いずれ、なんとかしようか。

とにかく退院後、社会復帰するまでの間、リハビリを兼ねて新しいノートPCを購入した。
無事生還したとはいえ、全く未来が読めない状況で、何をどうしたらよいか整理がつかなかったので、新PCという物欲に走っただけ感は否めない。で、そんなときPCを触りながらフッと浮かんだのが「ブログでもやってみるか?」というものだった。何かを書きつけて遺したいと思ったのか、気まぐれだったのか、自分でもわからない。わからないけど、とにかく、文字を打ち込めばいいだけの状況に環境は設定した。

しかし、社会復帰を果たし、バタバタした日常に戻ってみると、
そういったいっときの書くという熱意や感傷は、いつしか忘れてしまった。ものごとの移ろいとは、きっとそういうものなのだろう。単にズボラってこともいえるだろうけど。

で、とにかく、それから4年経った。
どういうわけか、その頃を思い返したように、こうやって今、打ちはじめている。なぜ、そうなったのか?これ自体説明はつかない。なるようになるだけなのだ。理由などは後付けであって、真相は俺にもわからんのだ。醗酵したってことで、お茶を濁す。

今日も朝が来て、一日がはじまる。
そして今年も、北のマチの夏を迎えられることに、大いに感謝したい。

2012年7月25日水曜日

いじめの周辺


滋賀県大津市で陰湿ないじめ事件が露呈した。

いじめは絶対あってはならぬ、という錦の御旗の下、
現在、事件関係者は、あらゆる方向からつるしあげを食らっている。背景は承知していないが、事件そのものをもみ消してしまおうとする隠蔽体質がうかがわれ、ここへの批難を発端として、あらゆる燃料が投下され、炎上しているようだ。

しかし、一部報道では、同じ苗字というだけで、全く無関係の人が犯人(の親族)扱いを受け、迷惑をこうむったとの話もあるようで、正当化した感情に任せて、思慮なくヤラかしてしまう不手際さは、とてもいただけない(そのヤリクチ自体がどうかと思うが、いずれにせよ、誤射はいかん、誤射は)。いじめをなくすことより、関係者を糾弾することに、みんな熱心なように見える。

私の小学生時代、S君という同級生がいた。

家は食堂を営んでおり、遊びに行くと厨房にいるお母さんがラーメンを御馳走してくれた(残念ながら、あまり美味しくはなかったような気がする)。お父さんは市議会議員をやっていて、S君はそれを自慢しているような風情があり、露骨にドヤ顔をするときがあった。クラス内でも、変な空気が流れることが時折あり、みんながその言動にイラッとしていた。あのやろう、食堂じゃなかったら、ラーメン食わせてくれなかったら、いつかヤッてやる、という暗黙の了解があった(気がする)。S君にすれば、知らぬが仏だったのだろうし、平和的な日々を送らせてくれたお母さんの優しさはなんと偉大なものか、とも思う。

やがて、S君とは別々の中学に入学し、お父さんが何期目かの当選を果たしたとき、S君がいじめられて?(あるいはいじめて逆上されて?)、小刀で刺された、という噂を聞いた。何があったのか知らないが、ああ、ついに起きたか、と少年心にも感じた。自分の手柄ではないはずの出自を鼻にかけ、いらぬ憎悪の対象になったことは容易に推察できた。刺した加害者が悪いのは当然だが、S君、もうちょっと空気読めよ、との思いのほうが強かった

騒な傷害事件だから、おのずと話が大きくなり、結局加害者は転校させられたようだ。S君側が加害者の謝罪を受け入れず、激怒した父親が教育委員会とかけあって措置されたと、のちに聞いた

S君はいま、どんな生活をしているのだろう?

2012年7月23日月曜日

どうした横綱

先週の土曜、たまたま大相撲名古屋場所14日目を観ていたのだが、え?と首をかしげる場面に遭遇した。

メディアでも取り上げられているからご存じの方も多いだろうが、横綱白鵬(はくほう)と大関稀勢の里(きせのさと)の一番である。この場所、横綱は13連勝、大関日馬富士(はるまふじ)とトップを並走する形で、賜杯争いは完全にこの2力士に絞られていた(この取組前に日馬富士関は既に14連勝を決めている。)

土俵下に控える横綱はずいぶんと発汗しているように見受けられた。場内は暑いのだろうがライバル日馬富士関はそれほどの汗には見えなかった。

そんなこんなで、結びの一番は、稀勢の里関の気迫が空回りして、立ち合いで2度突っかけた。まさに突進という感じでどうにも間合いが合わない。多少ズレても受けるかと思ったが、ゆっくりすぎて横綱も立てない。イラッとしたのか、頭を下げる大関の胸を軽く小突いた。ざわざわする場内、3度目の仕切り。

・・・ハッケヨイノコッタ。
勝負は、横綱がヒラリと変化して、大関がバッタリ。わずか1秒の相撲。アッという間だった。

以前にも増して、ここ数年来、横綱(の立場)は、品格だの矜持だのを持ち出されて、品行方正を旨とする型を世間に押し込まれてきたが、その線からいうと、この一戦は糾弾されてしかるべき内容ではあった。内館牧子女史がなにほど立腹されているか、伺ってみたいと思ったし、同じことをデーモン小暮閣下にも伺いたいと思った。(やくみつる氏には氏自身の頭髪問題の疑義のみ伺いたい)。

私は輪島、北の湖以来、ときに熱心に、ときに冷めつつ相撲を見てきたが、横綱が格下相手にヒラリとやったのは、記憶にないし、そんなことはルール上ではオーケーでも、情緒が許さないものと思っていた(たとえば、ジャイアント馬場が勝ちを急ぐあまり反則するか?ということだ)。

特に朝青龍関(ヒール)との比較において、白鵬関は断然のベビーフェイスであり、よりよき相撲界へ導いてくれる理想の横綱と思われていた。脊髄反射的な動きであったのだろうが、残念という思いと、ホントか?という戸惑いを受けた。

「人間だもの みつを」と「ノブレスオブリッジ」が天秤にかかる。

結局、賜杯は日馬富士関が手にした。
来場所の横綱の圧倒的な強さに期待したい。