2013年1月23日水曜日

競馬の降着新制度にモノ申す

朝6時すぎ、北のマチはまだまだ薄暗い。太陽が昇るまで、あと1時間ほどあろうか。
ここ数日、寒さが緩んでいる(表現、ヘンかな?)ようで、比較的過ごしやすい。腰も徐々に良化している。

さて、競馬の話である。
昨秋は、馬券で随分といい思いをさせてもらったが、本日は馬券とは離れた話を書いてみたい
 
今年から競馬の審議基準(アンフェアーな走行に対する制裁の基準)が、変更になった
変更に伴い、私にはよからぬ思い、懸念があったのだが、1月20日(日)中山メインレースAJC杯にて、いきなりこれが露呈した。1着でゴールした馬が、2着馬の進路を大きく邪魔した件での顛末だ(なお、私はこのレースの馬券は買っていない。京都に集中していた。なので、ある意味ではレースを冷静に見ることができた)。

大まかに書くと、昨年までは、
A馬がB馬の走行を妨害し、A馬1着、B馬2着でゴールした場合、A馬は降着(走行を妨害された馬の後ろの着順の繰り下げる)となり、つまりレース結果は、B馬1着、A馬2着、とされてきた。
今年からは、同様のケースの場合、
「走行妨害がなかった場合にB馬が明らかにA馬より先着していただろう」と判断される場合のみ、降着を行う、という具合に変更された。言ってみるなら「走行妨害がなかった場合を想像してみよう!B馬はA馬に明らかに勝てたかな?」ということだ。

今回のAJC杯の場合は、1着馬は2着馬の進路は妨害したけれど、それがなくても2着馬は1着馬には勝てなかった、と裁決委員が判断したため、着順の変更には至らなかった、ということになったらしい(騎手への制裁に関してはここでは述べない)。新基準による私の懸念とは、まさに今回のケースであった。

私なりに言うと「タラレバを簡単に忖度するなよ!馬は機械じゃないぞ!」ということだった。

競馬ファンの皆様に伺いたい。
AJC杯のゴール前、ホントにそう見えましたか?
少なくても、私にはそうは思えませんでした(2着馬、グングン加速してたもん)。

ツラーっと書いてしまうと、
興味のない方々には、だからどうした?ということになるかもしれないが、あえてもうちょっと書く。

JRAが説明している今回の変更に至る理由は、ホームページなんかを読むと、競走馬のパフォーマンスを重視するという国際的なルールに乗っかるため、ということらしい。それであれば、到達順位が結果である、ということは一応の説明がつく。

しかし、その結果は走行妨害があった、という事実があればこその結果であり、そこから先「走行妨害がなかったら」を想像するのは、百家争鳴の議論になる。想像上の話が広がるだけであり、まったく論理的でない。今回のケースだってそうでしょ?説明なんかつくわけない。基本、空想なんだもの。
 
とりわけ、目の前で生じた現実、レース自体の結果の覆すような想像を巡らすことは、容易ならざること。「明らかに先着できたであろう場合」なんて、限りなく稀でしょ。断言するが、新基準の下では、着順の変更はほぼゼロであろう。そして、こんな事象が発生するたびに、ファンは愛想をつかして徐々に離れていくだろう。
 
いま一度書く。
我々オヤジたち日本の競馬ファン(少なくてもその一人である私)は、世界云々の話なんてどうでもいい。ただ、ズルをしてまでも勝ちを拾うような卑怯者が結果的にトクをするようなことは、絶対あってはならないと考えている。それがニホンの公正競馬であると信じている。不正は、許さないし、(当該者たちは痛くも痒くもないだろうが)その果実を得た騎手、陣営を蔑むだろう。主催者が説明責任を逃れ、それがルールです、なんて開き直るのであれば、大好きな競馬場を去る覚悟も辞さない。
 
悪いことは、正せ!悪いやつは、裁け!その結果、自分の馬券が外れても、異論はない。
予言者ではないが、放っておくと、いずれ大きな禍根を残すだろう。
 
それにしても、馬券は当たらない。
当たり馬券も売っているはずなのに・・・ 

2013年1月21日月曜日

滑落

考えた末、だいぶん日にちがあいたが、更新する。
実は、書いたストックが3回分たまっている。しかし、それぞれの日付で、画像の貼り付けを目論んでいたのだが、ブロガー機能が変わってしまった?のかPC本体に取り込んだ画像が直接貼れなくなっており、いまも難儀中だ。この謎が自分なりに解決できるまでは、画像なしでいくしかないのだが、こんな時に限って当該ストックは、画像が貴重な論拠となるモノばかりを書いてしまっている。そんなわけで、いずれ機会があれば画像と共にササッと間に挟んでおきたい。国技館にいる林家ペー師匠夫妻のハナシなんて、非常に味があってヨカッタんだけど、今は開陳できないナ。

それで、昨日の話。
私は、スキージャンプの大ファンである。
五輪でいえば、さすがに札幌(1972)、インスブルック(1976)は幼少のみぎりで記憶にないが、レークプラシッド(1980)からは皆勤で、八木選手(銀)、秋元(正)選手(4位)が活躍した70M級が、私的なスキージャンプ原風景となっている。以降、冬の土日の午後はジャンプ大会の放送を心待ちにする少年であり、今はやや薄れ気味ではあるが、オヤジ世代になっても基本的スタンスは変わってはいない。

ジャンプのワールドカップは、毎年世界各国を転戦し、もちろん日本でも開催される。五輪(4年に1度)や世界選手権(2年に1度)と比べても、ヒケを取らない格のある試合である。例年、日本開催の時期は、年末の欧州ジャンプ週間を経由し数戦を挟んでからとなっており、概ね1月下旬頃だろうか?そして今年の札幌大会は、すでに報道にもあるように、先週末(1月19日、20日)に行われた。

そこで昨日、私は30年以上のジャンプ観戦歴で初めてといっていいズッコケ衝撃映像を見た。

それは残念なことに、現在の日本の大黒柱(今季は怪我で調子が戻っていない)伊東大貴選手であった。今季は調子が上がらないといいながらも、1回目で日本人最高の2位につけた伊東選手、2回目の競技に臨む。現在のルールで2回目の競技は順位が下位の選手から飛ぶことになっている。つまり伊東選手は最後から2番目に飛ぶ(心理面の駆け引きも伺える面白いルールだ)。

2回目もあと二人を残し、ここまで上位は外国人選手ばかり。そんな中、日本選手の砦としてエース伊東選手登場だ。いやがおうにも期待が高まる。シグナルはまだ赤。伊東選手はスタートバーに腰かけながら、ゆっくり全身を滑らせて定位置につき、体制を整えている(ように見えた)。

ここでアクシデント発生。

伊東選手は金属製のスタートバーに腰かけバランスをとろうとした刹那、右手を滑らせた。音でいうならスカッ!という感じで右腕からズッコケて、スタートバーから半身ずり落ちてしまった。

は?
何があった?
そのまま伊東選手はバランスを失い、急角度の斜面をズリズリと転げていく。あわわ、あわわ。ズリズリ滑り続け、あと数メートルでカンテ(踏切箇所)まで行ってしまう。落ちる!という数メートル手前で、ようやく止まった。

いったい何があってそうなったのか?専門的なことは私などが知る由もないが、事象として、ズッコケて助走路で滑落したのは、動かしがたい事実である。結局伊東選手は、簡単に言うと自分でズッコケたのだから、という理由で再スタートは認められず、失格扱いとなった。

私的な思い入れとして、日本ジャンプ界のエースの系譜は、八木選手→秋元選手からはじまり、(大まかで恐縮だが)佐藤晃選手→西方千春選手→葛西紀明選手→原田雅彦選手→船木和喜選手→伊東大貴選手、と続いていると勝手に思っている。

伊東選手に私は心底期待している。
こんなアクシデント、笑い飛ばしてもらいたい。
頼むぞ!大貴選手!

2013年1月7日月曜日

おめでとさん

遅ればせながら新年があけて、はじめての更新である。
明けましておめでとうございます。

暦の関係から12月29日~1月6日まで9連休となるはずだったが、結局、4日にはどうでもいいような仕事があったので、完全な9連休ではなかった。それでも、ダラダラとゆっくりさせてもらった。

大型連休であっても、どこかに旅に出るには料金が高すぎる時期であるし、それがためではないけれど、これといって遠くへ行きたい気持ちにもならず、連休中はすぐに実家に戻り、書店で5冊ほどの書籍を購入し、読みふける日々を送った。

チョイスした作品は、なかなかの力作ぞろいであったが、精神面には悪い影響を与えたようで、今でも鬱々とした日々が続いている。これならば、どこかへフライオンすればよかったかもしれない、とも思う。

プチ鬱の緒端は、なんとなくわかっている。
5冊の書籍を購入した際、結局、立ち読みで済ませたのだが「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」(金子哲雄著)を何気に手にとってしまったのだ。これが、失敗。本来なら購入すべき書籍だった。では、なぜ買わなかったのか?それは、その場で吸い寄せられるように一気に読み切ってしまったからだ。俺にも似たような闘病経験があるので、手元に置くのが怖かったというのもあるが、買って読めばよかった。

金子氏は、ガンの一種である肺カルチノイドという治療が困難な病を発症し、昨年10月に逝去されている。生前の活躍はほとんど存じない(そのころ私の部屋には地デジ対応のテレビがなかった)が、舌足らずの面白い喋り方をする、明るいキャラクターの経済評論家系のタレント?であったと記憶する。氏の死後に上梓された闘病記が、この書籍であり、ジワジワと死が迫っていることへの恐怖や戸惑い、抗いが克明に書かれていて、文体云々ではなく、頁を進める手が止まらなくなった。

そのときは、重くても明るい、不思議な読後感であったが、しばらくしてから思いがけず再度ズシンと重いものだけがきた。奥様の手記が併せて載せられていたが、それによると奥様は、おそらく最期の夜になると覚悟して自宅のベッドで就寝した金子氏の傍らで、呼吸が荒くなりやがて止まる(つまり死ぬ)までを静かに看取る、という体験をされたようだ。

さすがに、そんな経験はしたことがない私が、なぜズシンときたのかは、よくわからない。しいて言うなら哀しみが伝わってきたからか?蔵書にならない、悪意のない立ち読みであったが、心を揺さぶられた書籍としては昨年の第1位といってもいい作品であった。手にとったタイミングもアジャストしたのだろう。

沈んでいても、年末のガキ使24時では長州、天龍の登場で腹がよじれるほど大笑いしたし、こうやって書き出す力も残っているようだ。今年も気まぐれではあるが、何事が書き付けていく。どうぞよろしくお願いします。